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 子どもの卒業式を終えられた方もいらっしゃるでしょう。成長の節目でうれしいことではありますが、別れていく寂しさが大きいのも、いたしかたありません。
 りんごの木は20日が卒業式でした。
 日常保育をしている部屋に、子どもたち、親たち、見送る親子と、ぎゅうぎゅう詰めの会場です。
保育者から一人ひとりの子どもに贈った歌を披露する、それだけの卒業式です。
 歌をうたいながら、子どもと親の時の流れを思い出して、つい涙が出そうになってしまいます。

 今回は、三人、二人きょうだいの末の子が卒業という人が数人いました。親とのつきあいは長い方は12年でした。つまり、今回卒業する子どもを妊娠するずーっと前から知っている間柄です。子どもとは長くて4年のつきあいですが、お母さんとのつきあいはずっと長くなります。
 初めての子どもの時は初々しいお母さんでした。初々しいというか情けないというか、不安の塊だった方がほとんどです。泣きながら相談に来た人、りんごの木に入ってきたけれど世間の常識に縛られていてかちかちだった人。ご両親に反対されて来た人もいました。
 でも、毎月のお話会でおしゃべりしたり、子どもの育ちをみて、少しずつほっとしてきたのでしょう。お母さん同士で企画するバザーやステージ、遠足等の繋がりを通してもどんどん開放されてきたと思います。卒業式に輝いていたのは、子どもだけではありません。親たち、特にお母さんたちも輝いていました。
 そんな姿を見ていて思うのは、考え方や性格は変わるということです。子どものお母さんとして、わたしたちは出会います。だから、もうおとなで、できあがっているように思いがちですけれど、お母さんたちだって未熟だったのです。子育てによって、出会う人の刺激によって、年齢によって育っているのです。本音で語り合う仲間を持つことで、それぞれが「子どもも親も、自分らしく生きる」ということを身につけてくれたように思います。お母さんだけでなく、私だって、きっと死ぬまで自分らしく生きることに向かっているのだと思います。
記念「卒業式の中に7分時間をいただきたい」と事前にお母さんたちから申し出がありました。全員が前に出て、みんなで編んだハンモックを下さいました。(写真。私も乗れました。)そして、お母さんたち作詞、作曲の歌のプレゼントがありました。歌詞は子どもたちの日常の姿、保育者の身体への気遣い、りんごの木に対する愛情(感謝)が盛り込まれていました。きれいな曲にのって、美しい歌声でした。これはさすがに涙を止めることができませんでした。
 卒業式を終えたとき、かつて園長をなさっていたおばあちゃんが感想を言ってくださいました。

「子どもはどこでも、どんなところでも育ちます。でも、親はそうはいきません。りんごは親を育てているところがすごいです」と。
 ありがたい言葉です。でも、親を育てたのは私ではありません。子どもと保育者と親とが共に育ち合ったのだと思います。うれしいことです。
 卒業式の間、下の小さい子をかつての卒業生の母たちが託児をしてくれました。茶話会の軽食を4歳児の母たちが用意してくれました。同学年だけでなく縦の関係ができていることもうれしいことでした。親も偉大です。
 皆さんも思い出深い話があることでしょう。
 今回は手前味噌で失礼しました! 
 つれづれは、新学期までお休みします!(3月24日 記) 

 

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