![]() |
新しくやってきた2、3歳児も日々表情が変わってきています。黙々と自分だけの壁をつくってあそんでいたのが、顔があがって他の子が見え始めています。
とらちゃんはピアノに執着はなく、ケロッと他のあそびを始めました。 かこちゃんが「ピアノはそんなふうにするものじゃないのよ」と言いたかったのか「わたしもピアノがひきたくなったわ」ということなのかは、私にはわかりません。なにしろ、無言でしたから……たぶん、後者でしょうけど。 私はびっくり仰天! 自分の意志を自覚できること、そして行動できるというのは生きていく芯の部分です。大事なことだと思っていますし、その力を子どもたちにつけていきたいとも思っていますから。 「いいことです! かこちゃんは自分の意志(感性も含む)を持っている、それを行動にできることがわかったので安心して見ていられます」と話しました。 お母さんは、かつて、よその園で指示に従えなかったことがあって、それはいけないことのような気がしていたようです。 例えば、この春入園した方々のお子さんは、門の前で「おはようございます」と園長先生に声をかけられて「おはようございます」と返していますか? もちろん、返している子もいるでしょう。でも、返せない、返さない子もいます。 まだ、この人には警戒心があるから口を開かないという子もいれば、馴染んでいないから恥ずかしくて言えない子もいます。 言えないことがいけないことではなく、その子の心情を語っているのです。 親はおとなですから「おはようございます」と返しましょう。人生経験が長いから園長に警戒心はもっていないし、挨拶という儀礼を知っているし、返した方が相手と気持ちが繋がることもわかっています。 でも、幼い子どもたちは心と体が直結しています。心が堅くなると、身体も硬くなるのです。それは、いたって自然なことです。 表面上だけしつけて仕込むより、今の子どもの気持ちを受け入れる方が大事です。言わなかった子が「おはよう」と言ったとき、氷が溶けたのです。その感激的なときを待ってください。 幼稚園時代がおとなになったときに直結するわけではないので、なんとも立証しきれないからいろんな意見があるのだと思いますが、りんごの木を長くやってきて基本はあそびということ確信するようになっています。 この方ばかりではなく、私の周りには「子どもにとって、あそびは生きる力」と考えている方が多くいます。ところが、現実としてはおとなの指示に従えたり、おとなの価値観を早く身につけさせようとする方が多数派のように思えます。 勤勉家が評価されてきた日本では「あそび」という言葉のイメージが否定的なのかもしれません。困ったものです。長くなってきたので、今回はここまでにします。(4月21日 記)
●今年度のバックナンバーはこちらをクリックしてください。
|
![]() |