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 毎日、だれかしらがカチャカチャと泡立てています。
 ボールに水を少量入れ、石けんを入れて、料理用の泡立て器でかくはんするのです。

 石けんをおろし金で削って入れている子もいれば、果物ナイフで細かく切っている子もいます。小さな塊をそのまま入れている子もいます。
 5歳児は、それはそれはとろりとしたおいしそうな生クリームのように仕上げます。

 4歳児は水の量が多いのです。そこまではいかず、上澄みに泡ができたビールのようです。

 3歳児もまねしますが、かくはん力も弱く、泡はあまりたっていません。
 色をつけたり、カップに入れて花を飾ったり、美しくておいしそうなものに仕上げます。

 

 実はこのあそびは、今年社会人になった子どもたちが5歳クラスときに始めたのですから、かれこれ17年来のこと。7月にシャボン玉をつくってあそんでいたときに生まれたのです。それから、毎日毎日子どもたちは泡立ててあそびました。

 当時は泡立て器はなく、箸を束ねたり、ナイフで切るようにしたりと、それぞれのこだわりを持ちながらやっていました。これだけ長い間、子どもたちに受け継がれ発展し続けているのですから、すごいあそびです。泥団子にも勝るとも劣らない、奥のあるあそびと思っています。


 当時、石けんをあそびに使うというのは常識外でした。本来の目的と違う大事なものを、子どもがあそびに使うなんてもってのほかと思う人の方が多かったでしょう。

 だって、この私だって「どうしようかなぁ」と悩んだくらいだったのですから。どんどん消費されていく石けんを前に「最後の一つがなくなったら、このあそびはお終いね」と言ったのですから。

 ところが、なくなる前にと私もやってみたら、これが、はまってしまったのです。おもしろい、おもしろい! 上手にできたのは、きめが細かくて、艶があり、逆さにしても落ちないのです。

 悩んだ末、石けんをなるべくいただくことにして、続けていいことにしました。
 やがて、保育雑誌が取材に来たり、私が講演で話したり、ちまたで知られることとなりました。

 今は通行人のおじさん、おばさんも夢中になってかくはんしている子どもに「なにやってるの?」と興味を持ってくれます。「おもしろそうね。やってみたいわ」と言う方までいます。「石けんをそんなことに使わせて!」と眉をひそめる方はほとんどいません。
 時代は流れていると、今日、目覚めるように思ったのです。
 かつては顰蹙(ひんしゅく)ものだったことが、当たり前のようになる流れもあったんだということです。

 公園には「遊具であそぶときのおやくそく」と看板が立てられ、遊具には何歳から何歳までというシールが貼られています。子どもたちがあそぶログハウスには、いたる所に張り紙がしてあります。「立ってのらない」「頭を気おつけて」「○歳以上は登らない」「順番を守りましょう」と。

 そんな公共の場を見るたび、今の子どもたちがあそぶことを保障されず、ルールばかりの中に生きていることを憂えていました。時代はおとなの都合のいい方ばかりに流れ、子どもはどんどん不自由になっていると怒っていました。
 でも、そればかりではないかもしれないと気がついたのです。

 ちょうど、手元に「森のようちえん全国交流フォーラム」の講師依頼書が届いていました。自然環境の中で子どもたちの育ちを保障しようとしている人たちが、全国に広がっています。(11月15日〜17日。於、神奈川県立愛川ふれあいの村)
 プレーパークの報告書も届いていました。

「プレーパーク」という言葉も耳慣れてきましたし、どんどん広がってきています。ここには「自分の怪我は自分持ち」と、子ども自身がやりたいことをおとなが見守ります。張り紙はありません。


 先日、雑誌の編集者と会っていたときに「先生があそび、あそびと言い続けるので、わたしたちもあそびが大事とすっかり思うようになりました」と言ってくれました。
 私の考え方に耳を傾けてくださる講演も、今月だけでも大阪、富山、埼玉、札幌と遠方までよんでくださいます。
 もちろん、しつけ重視、迷惑をかけない子どもに、「鉄は熱いうちに打て」と堂々と言っている方も多くいます。が、それとは反対方向にも広がりをみせているのも事実です。
 大きな社会の流れもあるけれど、自分の信じる子ども観にたって実行し、話し続けていこう。考えを同じくする者が繋がって、ひとつの流れをつくっていくことは不可能ではないと、ちょっと元気がでた朝でした。 (6月16日 記) 

 

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