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先週、ある幼稚園の保護者会によばれて、お訪ねしました。 たらいの中には水があり、子どもたちが描いた魚やタコが泳いでいました。 私はまだ何も言っていませんし、やってもいません。妨害もしていません。 だのに「だめだめ」コールは広がっていきます。 園が自分の居場所として認識された頃から、これが始まります。 さらに、子ども同士が「仲間」と思える関係になるとこうなります。 まして、怪しいヤツかもしれないという警戒心も働きます。 あわてて「そんなこと言わないの」とか「いやなきもちになっちゃうよ」と制したりしますが、実はこれは健康な3歳児の姿なのです。
園庭を歩いていたら、隅で子どもたちが背中を丸めてしゃがんでいます。 何かとのぞくと、泥団子作りでした。 水を混ぜた泥の部分と、白砂の場所があります。白砂はふるいにかけられてさらさら。 「ねえ。さわっていいよ」と声をかけてくれました。 白砂のバケツに手を入れると、ほんとに小麦粉のようにサラサラ。 みんな、黙々と職人のように取り込んでいますが、私がのぞくと自慢げに見せてくれます。 それはそれは見事な泥団子職人でした。
少子化もあって、幼稚園は親へのサービスに力を入れています。 いえ、親のことしか考えなくていいと言いきってしまう園長だっています。 けれど、"園児獲得"は親なんです。
しかし、こと、教育に関しては子どもが主役であるべきだと、私は思っています。 特に幼児教育は人間の根源的な部分ですから、子ども自身の育ちを保障すべき保育がなされるべきです。 親の心配を安心に変えていく保育なので、人気も高いようです。 それなりに理念はあるでしょう。 しかし、そこに置き去りにされているのは「子どもの心の育ち」です。 感じる心、興味、やる気、試行錯誤、考える力といった子ども自身の心を動かすことに気配りがされているでしょうか? 外部からいろんなことを教えて身につけたように見えても、子ども自身の中からの要求、必然性がなければその子自身の学びにはなりません。まずは、ありのままの子どもを「よし!」と引き受けていくことから、子どもの育ちは始まります。 ありのままをよしとされた子は、ちゃんと自己主張をするようになっていきます。その子らしい本来の育ちをしていきます。
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