wrs  

 いままで同窓会というものには出てきませんでした。どうも、後ろを振り返るのが好きではなかったし、覚えてもいないし、懐かしいとも思わなかったからです。

 ところが、今回中学の同期会に行きました。

 心境の変化というわけではないのですが、「ぼくたち、中学を卒業して50年になるんです。だから、同期会をします。ぜひ」という電話をいただいたのです。
 この‘50年’にびっくりしちゃいました。

 確かに15歳で中学を卒業したのですから、50年です! 半世紀? 

 ぎょっとすると同時に、すごい年月を生きてきたという実感がわき、これから先にこんな機会はないかもしれないと思って初参加したわけです。


 通っていたのは世田谷区立の中学校。今でも多少つき合っている人は二人だけです。あとは、全くわからないと、恐る恐る会場に行きました。
 入り口で、受付をやっている人……?

「ようこちゃん?」

「そうよ!」

「大きくなったねぇ」と言ってしまいました。ようこちゃんは小柄のかわいい人でした。「大きくなったなんて、久しぶりに言ってもらった」と言われてしまいました。
 私の世代は戦後のベビーブームと言われたときで、A組からG組までありました。3年間、各学年でクラス替えがありましたけれど、顔を知らないまま卒業した人も多く、この日も70名ぐらいの中で思い浮かべられるのは15人くらいだったでしょうか。

 でも、幹事の人が中学の時の顔写真と名札を用意していてくれたので、昔の写真から記憶が少しずつ戻ってきます。

 覚えていないのではなく、思い出すきっかけがなかったということのようです。

 話しているうちに担任の先生や出来事など、つるつると口から出てきて自分でも驚きました。
 今も面影を残している人、まったく別人になっているような人もいます。
「あ! とっちゃん!」

 近づいてきた人は、面影を残したままのとっちゃんです。でも、当時はずいぶん大きい子だと思っていたのですが、今は普通でした。

 とっちゃんは、給食に出た脱脂粉乳のミルクをおいしそうに飲んで、おかわりをしていた子です。とてもおいしいと言える代物ではなく、私は鼻をつまんで飲んでいましたから、「とっちゃんは、すごいなぁ」と感心して見ていたのです。

 その話をすると「うち、兄弟多かったから、栄養足りなそうだし、一生懸命飲んでたんだよ」ですって。

 男子の方が、面影を残している人が多かったような気がします。
 今の私を見て‘柴田愛子’をわかった人はきっといなかったと思います。名札の顔写真を見て話しかけられた事は、

「たしか、細かったよね。細子ってよんでたよね」

「小さかったよね」

「三つ編みの髪が、長かったよね」

「色白でお嬢さんだったね」

「静かな子だったよね」

「たしか、ピアノ弾いたよね?」

 卒業式の日に「荒城の月」をふうちゃん(男子)が指揮で私が伴奏でした。練習に音楽の先生の自宅に行った思い出があります。

 そして、「アヒルがいる家だったよね」

 アヒルを飼っていたことは、何人にも言われました。
 そんなものです。
 今の私はきっと「よくしゃべるよね」「パワフルだよね」「負けず嫌い」と言われるのかな。

 不思議ですね、ほとんど正反対の今。

 確かに、当時私はまだサナギ状態。私は高校から育った晩熟な子でした。でも、中学はとても楽しかったと感じていたんですけどね。
 すでに亡くなっている方が25人もいました。連れ合いを亡くされた方も数人いました。

 波瀾万丈だったと語る方、独身でいまから伴侶を探しているという人、孫がいる人もいるかと思えば、子どもがまだ中学生なんていう人も。
 人生の始まり学生時代はあまり違いがないけれど、50年もたつとそれぞれずいぶんと違ってくるのですね。そして、当時は勉強ができる・できないが、人を見る基準みたいでしたが、この歳になると、そんなことはどうでもいい事になっています。職業の話さえでませんでした。
 昔話のおしゃべりに興じて4時間。すっかりタイムスリップした、思いがけないときを過ごしました。(10月20日 記)

 

今年度のバックナンバーはこちらをクリックしてください。