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み〜んなの声 No.201〜220

220 1998年9月(5才3ヶ月)2001.8.22
逆なんです。当時無知な私は、退院して定期検診を受けていく。という事を、そうなんだ・・と軽く思ってたのですが、新聞などで、見るたびに、親の会だの、移植する為に海外に渡るだの、聞くたびに、えーっ!こんな重い病気だったのって・・きっと川崎病になった親の中で、一番のんびりしてる親だと思います。今日(8/22)検診に行き、いつまで検診をすればいいのか?と聞いた所、高校卒業の頃までは診ていった方がいいですね。と言われました。大きい病院で年1回の検診なんで、いつも違った先生なんですが、すべての先生が、体育、クラブ活動、はげしい運動しても全く問題なしです。という事です。その言葉に、安心しきってる母親です。ではまた。
219 2001年8月(8ヶ月)入院中2001.8.17
入院中です★けろりん
初めての一時帰宅2泊3日のお許しを頂いて、帰って来ました。
うちの子の場合、熱が3日続いた時点で脱水症状(おしっこが半日でなくなった)、三度病院へ。しかし入院設備が無い為、国立病院に紹介状を書いてもらい、即入院。前の病院でも、違うならいいけど、もしかして・・・とすでに川崎病疑。高熱がまだ3日だったのと、症状がそろっていなかったので、5日目に断定してもらい、早速ガンマグロブリンを2日投与。CRPが、入院初日”4”、5日目”14.56”、9日目”0.3”と、順調に下がってきました。
エコーは2度検査してますが、来週心臓の専門の先生に詳しく見てもらえるそうです。川崎病になったのは、アンラッキーかもしれませんが、早期に発見できたのはラッキーでした。
しかし、年間に何千人しかならないと聞いたのですが(入院中の病院では、年間多くて5人程度と言っていた)、同じ病室の子が川崎病で、家が入院する前に入院していた子も川崎病だったらしいのです。先生も、川崎病はまとまって入院してくると言っていました。とすると原因は、ウィルス?なんて考えたりして・・・
何十年も研究していて原因が分からないんだから、誰もが考え付かないような原因なのでしょうかねぇ?
218 2001年8月(8ヶ月)2001.8.17
生まれて間もなく黄疸がでて、光線療法しました。同じ病室の川崎病の子も、光線療法したと言ってました。しかし、先生に聞いてみたら、全く関係無いと言われました。
217 2001年7月(3才4ヶ月)2001.8.7
後遺症もなくとても元気です。
発病する4日ほど前にサマーランドのプールにいったことがひっかかっています。
216 2001年6月(1ヶ月)冠動脈瘤 拡張2001.8.7
まさか生後1ヶ月で?!★うったん
H13年6月1日、突然の高熱で入院。まだ1ヶ月と14日の赤ちゃんが病気になるなんて!とパニックになりました。初めの3日間は原因もわからず熱でうなされる娘をみて泣いてばかりでした。
4日目。唇が赤くなり手足の平も赤くなりました。
お医者様が「まずこんな低月齢ではありえないが川崎病としか考えられない。」と・・・。
日本でもまだ報告が10人以下だそうです。2ヶ月未満の発病はゥァ
すぐに川崎病の治療に切り替えましたがとってもショックな事に・・・。
ガンマグロブリンが体内に残らない、「不応例」という体質だったのです。
川崎病で一番有効な治療が功を奏さず、CRPはなんと20まであがったままさがりませんでした。
全体(川崎病患者の)の20%に不応例の子が居るそうです。そういう子はもう一つの治療法「ステロイドの大量投与」をするということで娘もそうしました。
でも・・・これも効きませんでした。
その間ずっと苦しんでる娘。この世に生まれてまだ1ヵ月半なのに!!
そうこうする内に、冠動脈についに変化がおきてしまいました。
こうなるともうステロイドは使えないんだそうです。
再度ガンマを投与。これ以上使えないところまで使い、それでもCRPは下がらない。
気が狂いそうでした。
炎症反応が続くほど冠動脈への影響が大きくなるのですから。
手は尽くしきり、あとはまだ誰も使った事のない薬を使うか全身の血液交換(交換しても治るかは運)をするかの選択をしなくちゃいけない・・・。
その話をうけた次の日でした。
やっとCRPがさがったのです!!
実に21日間くらいかな?
ほんとに長かった。2回目のガンマは体に残ってたの!!
初めての子だし、私も主人もこないだまで子供気分だったのに。
結局左の冠動脈に5.8mmの瘤、右には4mm弱の拡張が・・。
入院も1ヵ月ちょっとしました。
先週は心臓カテーテル。
不安だったけど、すごく軽快してました。
拡張してた右は正常化、左の瘤は3mm弱になってた。
全国で今まで16万人が発病して2ヶ月未満なんて数人,しかも不応例・・・。
かなり苦しいここ何ヶ月かだけど、娘の体を信じてる。
驚くほど軽快してるその生命力の強さみたいなものに、感動し驚かされています。
死んでもおかしくないくらいちいちゃな赤ちゃんだった娘の方が、オロオロしてるママよりずっと強かったよ!!

すごく珍しい例でしょ??
みなさんも頑張って!!
何度もダメだって思ったけど、信じることって大事ですよね。
まだまだ不安だし、わたしの心臓と取り替えてあげたい。
来年もまたカテーテルあるしでへこむけど、パパとママがしっかりしなくちゃって思ってます。
娘が不安にならないように明るく頑張ろう・・・。
いつもそう思ってます。
215 2000年5月(3才8ヶ月)2001.8.3
後遺症ではありませんが鼻血がいまだにたくさんでます。他の血液の病気を疑ってしまうほど・・・。ただでやすいだけなのかもしれませんが心配です
214 1980年代(1才7ヶ月)2001.8.3
1歳7ヶ月でまさか川崎病にかかるとは思っていませんでしたから、とても、びっくりしました。ましてやその頃、私のお腹には、2人目(5ヶ月)が、いましたので、なおのことでした。ただ、その時は、何の知識もなく、ただお医者さんの言われることを聞いて「バファリンを飲めば治るのね」と思っていたら、人から「原因不明の上、ひどかったら、死ぬかもしれないのよ!」と言われたのです。ただ、幸いな事に、その後の検査で、特になんともなかったので、無事退院しました。その後、何度か心臓エコーの検査は続いていますが、中学2年の今でも、バリバリ元気です。これから大人になるまでも、時々心臓エコーの検査はすると思いますが、あまり意識はしていません。(現在まで日常生活において、なんの支障もありません。本人も日常においては、忘れています!)
213 2001年3月(3才11ヶ月)2001.7.31
後遺症なく退院して、一ヶ月後の検査も異常なく、次は1年後でいいといわれ、安心していますが、以前より体が弱くなったと感じています。
最近、胸痛を訴えることが二度ほどあり、心臓に何か起こっているのではないか心配です。本人は大丈夫といいますが、一度看てもらった方がいいのでしょうか?
212 1999年(2ヶ月、5ヶ月、7ヶ月)3度の罹患2001.7.23
生後2ヶ月、5ヶ月、7ヶ月と赤ちゃん時代に三回もかかってしまい、また再発するのでは??とかなり不安でしたが、2才半の現在まで再発せず、検査も年に一度になり、もう川崎病の事は忘れてしまってることが多いです。後遺症は三回ともありませんでした。
不安な事は兄弟でかかる事が多いと聞くので、二人目を作るのを少し悩んでます。娘の赤ちゃん時代はとても大変で、とても育児を楽しむ余裕なんてなく、入院生活の思い出しかありません。
211 1999年6月(7ヶ月)
2001年6月(2才7ヶ月)2度の罹患
2001.7.20
1度目(7ヶ月)の時は川崎病って何なのか分からず、また身近にかかった人がいなかったため、情報不足で不安でたまりませんでした。
退院後 医学書を見たり、川崎病経験者などから話を聞いて、
「最近では川崎病になっても後遺症もほとんど残らなくなり、怖い病気ではなくなった」と知り、ホッとしていたら、ま・さ・か・の再発!!
(2才7ヶ月) 頭をハンマーで殴られたような気分でした。
「再発すると後遺症が残る確立が高い」と言われ大ショック!今のところ大丈夫そうですが、心エコー検査のたびヒヤヒヤもんです。
210 2000年7月(2才1ヶ月)2001.7.19
私自身ではないのですが、上の子の幼稚園で知り合ったお母さんですが3歳の頃、川
崎病にかかったそうです。現在は、小学2年生の男の子、年中さんの女の子2児のママです。とっても、元気で明るく、幼稚園でも、役員をしたりと頑張ってます!!
我が家のやんちゃ坊主の次男も、7月8日川崎病と診断され、昨日(7月18日)9日間の入院の後、無事、元気に退院できました(^O^)
今の所、後遺症はありませんが、今後のことにはやっぱり不安があります。
でも、頑張るぞ〜〜!
209 2000年1月(2才1ヶ月)再発?小児リウマチ2001.7.16
聞いてください!★ともちゃん
初めまして、突然ですが家の息子が川崎病になって約1年半がたちますが、1週間ほど前から、首のリンパ腺が少し腫れた症状が出て、保育園から「おたふく」ではないかと言われ近くの小児科に見てもらったところ、たぶん「おたふく」とのことで抗生物質で様子を見ていましたが、1年半前にやった川崎病の症状に全部ではありませんが、似た症状があったので、以前入院した病院に電話したところ、再発はもっと近い時期にはあっても1年半もたってからの再発はまず有り得ないとのことで先生は、「溶連菌感染症」の疑いがあるとのことで、又近くの病院にて喉の唾液を少しとって検査もしましたが、溶連菌ではないとのことで、念のため血液検査したところ、川崎病の再発の疑いで緊急に入院した病院に行って来ましたが、「川崎病」の再発か「小児リウマチ」との診断でした。2日後に再度血液検査と関節痛もあるのでそれを見て判断されるらしいが、川崎病経験者がその後小児リウマチになったと言う話はきいたことがありますか?

<そらはるママ>
関係があるかどうかはわかりませんが、
去年行われた川崎病研究会での記録があり、
2例ほどあります。

その後 やっぱり再発でした★ともちゃん
先週の血液検査の結果、「小児リウマチ」か「川崎病」の疑いにより即入院となり入院となりました。入院前より関節痛があり、先生も検査をしていくうちにどちらかの病気が確定できるとのことで治療は、点滴・抗生剤・アスピリンです。3.4日に一度の血液検査をするうちに薬が効いたのか、関節痛も消えて、1度目の川崎病の終わりの頃の症状によく似た症状(手・足・お尻の皮)が現在出ています。今日の血液検査の結果がよっかったので、点滴もとれて、本人はもういつもと変わらないくらいに、元気になりました。先生も非典型的な「川崎病」の再発だと言っていました。今週末に又血液検査して良ければ退院とのことです。ガンマグロブリンは今回は、やっていませんが、本当にはらはらした数日でしたが、今のところ後遺症が何も出ていないので、安心しました。
208 2001年6月(5ヶ月)2001.7.10
「川崎病です」と言われた瞬間は、「まさか?!(うちの子に限って)」と正直思いました。でも,原因不明の発病である以上、誰を責める事も、なにかを恨むこともすべては無駄なような気がしました。ましてや,親は医者ではありません。(そういう方もまれにいるかもしれませんが)今後も担当のお医者様とよく話し合い、娘にとって最良の治療を受けることができるよう、また、退院してからも、「川崎病だから」と制限することなく、生活していきたいと思います。親がへこたれちゃ、子供だってへこみますよね!「病気したとは思えないよ!」と言うくらい、元気に笑っていくつもりです。
同じ病気のお子さんを持つ方々、思いは一緒です。明るく笑って生きましょうね!(笑う角には福来たる)
207 2001年7月(3才6ヶ月)2001.7.6
海外で子どもが川崎病に★スウちゃんママ
今海外に在住しておりますが、子どもが先週川崎病になってしまい、現在もなお入院治療中です。不安なとき、必ずお世話になるインターネットですが、貴殿のHPを見てとても励まされました。本当にどうもありがとうございます。
我が家の今年は、どうも天中殺という感じでして、実は3ヶ月前に夫がある難病で入院し、退院したばかりでした。
日本人に多い病気という話でしたが、海外でも起こる病気なのですね。しかも私は国際結婚をしておりますので子どもは純粋な日本人ではありません。原因がわからないと「遺伝説」「感染説」いろいろ考えてしまいますが「民族による比率の違い」はあるのでしょうか。

子どもは今回2週間ほどの入院治療となるでしょうが、目下経過は良好な様子で少し胸をなでおろしています。ただ、やはり気長に気をつけて生活をしていかなければ、とも思っています。またお邪魔させてください。
206 2001年6月(3才3ヶ月)2度目の罹患2001.7.4
川崎病が再発してしまいました。前回もこのアンケートに答えました。
一回目のときは上の子がおたふく風邪にかかったあと、だったのですが今回は、2週間前ぐらいから、足に水虫のような水ぶくれが出来、それが手足に広がっていき、皮膚科でもはっきりした診断は出来なかった。
(今思い出すと、その頃お腹にうっすら、発疹が出来ていた。)
それがやっと治ってきたと思ったら、今度はなんと、年に一回の心エコーの日に熱。イヤな予感がその3日後に当たってしまう。

最初は診断が難しかったようだが、症状が次々に揃い、やはり再発!
すぐにグロブリンの投与。
しかし熱も炎症反応も下がらず、グロブリンの追加投与。まだ実験段階らしく保険がきかないので実費とのこと、そこで初めてグロブリン一本5万円と聞かされた。そして4本・・・20万円・・・
やらなくても良いです・・・と喉まででかかったけど、やはり、あとで後悔したくないので、お願いした。

しかし、20万が効かなかったのか、冠動脈は拡張・・・
炎症も2・5までしか下がらなかったけれど4週間の入院生活のあと何とか退院する事が出来ました。
恐怖のお会計も前回慢性疾患の届けをだしてあり、入院費はゼロ、
追加の分もゼロになってました。助かった・・・

再発は1/100の確率だそうです。見事に当たってしまった。
宝くじでも買うか!
長くなりましたが、もう一言、溶連菌感染症がすごーく流行っていました。そのあとに川崎病の患者がどっと増えたみたいです。
やはり、怪しいのは溶連菌だー!
205 2001年6月(5才6ヶ月)2001.7.3
まだ「川崎病」と診断されていない時、なんだかいつもとちがう..という印象がありました。
どこが?というのは難しいんですけど、いつもの風邪の時より辛そうだったり、胸が苦しいと言ったり、「うーん、うーん」とうめいたりしていました。このあたりは個人差があるんでしょうけど..

娘の場合、不安に駆られて総合病院に連れて行ったのは正解でした。
親の勘も時には信じて行動しても良いかもしれないと思いました。
204 2001年6月(10ヶ月)2001.6.23
うちの息子は、10ヶ月の時に川崎病になりました。最初熱がでて病院に行くと、
軽い風邪と言われ様子を見ていました。熱は上がったり下がったりでもうすぐ
いつもの様に元気になるものを思っていました。少し気になったのは、
鼻の周りに出来ていたものが、だんだん広がって行ったのが、気になりました
が・・・・
ところが4日目の朝、高熱と共に発疹が出来て朝一番で病院に行くと、
川崎病の疑いですぐ国立病院を紹介され、そのまま入院となりました。
ガンマグロブリンを二日間投与され熱も下がり、
発疹もひき気になっていた鼻の周りのものも消え、5日目退院になりました。
詳しい心臓の専門の先生に診てもらう予定になっていますが、
詳しく調べるにつれ後遺症が心配でたまりません。
産まれてから、突発性発疹以外あまり熱を出すことも無く、丸々太って
いつも小児科の先生に健康優良児と言われていただけに、
今回のことは寝耳に水で、病院で川崎病の疑いありと言われた時の、
顔から血の気が引くようなショックは、いまでもはっきり覚えています。
そばにいた看護婦さんの心配そうな顔も覚えています。
これからは再発の可能性もあるとメールで知ったので、気をつけてやりたいと思います。
頑張っているのは、一人じゃないので私も子供と一緒に頑張りたいです。
203 1995年7月(2才6ヶ月)
2000年5月(5才)2度の罹患2001.6.16
2回、川崎病にかかりました。
今回のアンケートは1回目の時で答えました。1回目は埼玉県川口市で、2回目は埼玉県大宮市(現さいたま市)で住宅街でした。
2回目はその3年後、H12.5で、5歳の時でした。
症状は 1回目は高熱から始まったのですが、2回目は高熱とすごいリンパ腺の腫れからでした。
どちらの時も、肝機能が悪くなりました。
治療は、どちらもガンマグロブリン投与でした。1回目は1日で3本投与、2回目は確か、10数本を1日かかりで投与したように記憶しています。
ガンマグロブリンが体にあったらしく投与してから熱が下がり、数値が平常になるのを待って退院となりました。
どちらも幸せなことに短い入院(3週間)と後遺症無しで今日に至っております。
再発するお子さんは 稀だと思いますが、参考になればと思いメッセージさせていただきました。
202 2001年1月(4才11ヶ月)2001.6.16
初期の治療が肝心。後遺症を残さないためにいつもの風邪と違うと感じたら、
大きい病院で詳しい検査を希望した方がいいでしょう。
無知こそが恐怖の元。
こちらのようなHPで勉強すれば、がんばれるはずです。
仲間がいることを知って、いっしょにがんばろう!
201 2001年5月(1才6ヶ月)2001.6.13
今日、退院してきました。
病気まえの用に元気なので、川崎病にかかっていたなんて今でも信じられない気持ちです。でもまだ、今月中は週1で検査が必要な時期なので、このまま後遺症が現れないことを願うのみです。

うちは、はじめ、急性咽頭炎と診断され、(発熱後2日目)でも熱が下がらず、風邪の症状も出てこなかったし、おしっこのとき痛がる感じや腎臓の超音波検査で疑わしい影があるとのことで、尿路感染症かも?といわれました。(これが発熱後4日目)でも、尿検査の結果たんぱくしかでていないので川崎病を疑がったほうがいいと、すぐに検査結果がでる大学病院へ行くよう紹介されました。(発熱後6日目)(この時点では川崎病と断定できるだけの症状がていなかった)で、大学病院で検査中に徐々に症状が出始め、黒に近いグレーだね、ほぼ間違いなしと。で、入院後の回診で、川崎病と診断され翌日からガンマグロブリンの点滴を受けました。長々とすみません。参考になればいいのですが。

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