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み〜んなの声 No.341〜360

文字化けしてしまったものは載せていません。
せっかく投稿していただいたのに、もし載っていなければ、
文字化けしてしまったと思います・・・
もし、よかったら、また声を聞かせてください〜〜〜m(_ _)m
360 1980年代(11ヶ月)罹患者/冠動脈瘤(治療中)2002.9.20
私も頑張っています。★めぐ
私は21歳です。川崎病に罹って早21年です。
長い闘病生活、嫌になることも、ありましたが、頑張ってます。
冠状動脈瘤の後遺症と今も闘い続けています。
2か月おきに大学病院の方で診察を受けています。
皆さん頑張りましょう。
現在は血管が詰まっている箇所もありますが、元気ですよ。:
359 1970年代(1才0ヶ月)罹患者2002.9.16
川崎病の原因は?★やっちゃん
こんにちわ。やっちゃんと言います。私は過去重度の川崎病経験者ですが、今はピンピンしています。このHPをみてみなさんの心配があるかと思いましたので、この掲示板に書かせて頂いております。私は1歳の頃(1980年)熱が40度近く出て病院に運ばれました。しかしその頃は川崎病という診断はされませんでした。そこでおかしいと思った両親は大きい病院に連れていき、医者の診断を受け、即入院することになりました。
最近になって分かった事でその時両親は医療費を払うお金もなかったそうです。(泣)
昔の事ですから詳細は覚えてはいませんが、心臓カテーテルを何回かしたのを覚えています。確か6才になる前だったかな?後遺症が残っているとの事で、その時の傷跡は今でも残っています。それは今でも何の苦ではありません。でも今でもたまに胸が苦しくなったりします。検査に行っていないのが原因かもしれませんが。
小学生の時はスポーツは控えるように言われましたが、全然その時は元気に遊んでました。問題なかった。中学生になってから部活に積極的になり、関東大会出場までスポーツマンになりました。その時はモテた。今は??。
そして高校、大学、今は研究所に勤める社会人です。
何よりも両親に対して今になって本当に心配してくれて、そして何よりも大切にしてくれた事が実って私をここまで成長させたのだと思っております。今では両親に食事をおごったりと、親孝行をしております。
ながながと申し訳ありません。早速本題ですが、独学で川崎病の原因となるものをリサーチしましたが、仮説が様々です。私がその中一つ、本で引かれたもの「合成洗剤説」を紹介します。
食器洗いに使用されている洗剤には、洗剤毒性成分ABSというのを含んでいます。20年前、それは当たり前のように使用され、発生メカニズムは以下の通り。赤ちゃんは生まれてすぐに毒性成分ABSの残留したおむつをあてられ、おむつを使用中排尿便により、残存ABSはその中で溶け、数時間の後吸収される。それが1年間毎日繰り返される。ABSに過敏でない大多数の乳児には無害であるが、一部アレルギー性傾向の者は川崎病を誘発する。だから乳児に多発すると考えられています。もと川崎病患者のおむつを調査したところ、25人中24人から洗剤毒性成分ABSの溶出を確認。水1リッター中平均15、5ppm。例えば、体重1キロのウサギに4cc塗布しただけで一日で死んでしまうという事になります。話をまとめますと、離乳期、合成洗剤で洗われた食器等で赤ちゃんは食事を取る。
そして赤ちゃんの排尿便よりABS洗剤毒性成分をおむつで赤ちゃんが受ける。
おむつをあてがう時間が長いとABSは皮膚に接して吸収される。
アレルギー(抗原抗体)反応により赤ちゃんは、アレルギー症状/川崎病が誘発される。

というのがおおまかなプロセスです。結果論から言いますと、
合成洗剤は控える。まめに赤ちゃんのおむつは取り替えて、おしりを清潔にする。
と言った事が、大事なのではないでしょうか?(あくまでも仮説です)
私も川崎病にかかりましたが、後になって生きる喜びが人1倍感じられると思います。ま
た、両親を大事にしようという思いは誰にだって負けません。川崎病にかかった方はわが
子を貴重な経験(悲劇かもしれませんが)として思えば、よろしいのではないでしょう
か?川崎病になったからこそ、今の私がいるのだと私は思います。
358 1994年4月(9ヶ月)2002.9.15
子供が0歳で罹患してから8年の月日が流れました。あのときの不安、なぜ?という気持ちは今でも忘れることはできません。
でも、後遺症の残らなかったわが子の場合、現在スイミング暦5年半合気道暦2年半になります。少しでも身体を丈夫にと始めましたが、親の不安をよそに風邪もろくにひかない子供になりました。
罹患以降毎年行ってきた検診も次から2年に1度となりました。
それぞれの状態があるかもしれませんが、後遺症がなければ積極的に運動もさせて大丈夫。親の方が不安でどうしても大事にしてしまいたくなりますが、ドクターに相談してOKなら体力をつけて元気に育てましょう。
357 2002年8月(1ヶ月)拡張(治療中)2002.9.14
なんとなく元気がなかったのですが、今までに聞いた事の無い異常な泣き方をし、ミルク
を飲まなくなりました。
熱がなかったので様子を見ていたら、明け方に39度近くの発熱があり、すぐに子供を産んだ病院へ。
その病院では「髄膜炎の疑いがあるから、ウチでは対処できない」と、いくつかの病院を推薦され、その中の大学病院を選びました。
始め、重症感染症かも知れないという事で、2日目から抗生物質とガンマグロブリンの投与をしました。
と、同時に身体に発疹が出始めました。
そして、血液検査の数値があがる一方で「薬の効きが悪い」と言われ、
容態も目に見えて悪化しました。熱も40度になりました。
自分で呼吸する事もままならなくなり、顔色も真っ白、モニターの心拍は300を打つようになっていました。
その時に医師から「川崎病の疑いがあるから、これからはその病気を想定した治療に切り替えます」と告げられました。
エコーを取ると「心臓の弁の中で血液が逆流している」と言われ、
また「重度の心不全を起こしている」とも言われました。
そのまま処置をされ・・・翌日、熱が少しずつ収まってきて、
(それでも38度代)徐々に回復に向かいました。
冠動脈の拡張はありましたが、退院までにはそれも収まってきました。

この病院では、治療の方針を事細かに説明して頂いて、分からない事の質問にも丁寧に教えて下さいました。
また、川崎病についての研究もされていて、そこの先生の出されている本も貸してくださいました。
川崎病と診断される前から、ガンマグロブリンを投与してくださるなど、早い段階から手を打ってくださっていましたが、この子はとても重症だといわれました。逆にいえば、治療がもし遅れていたら・・と考えるとぞっとします。なんにせよ、良い病院にかかる事ができてよかったなぁと思っています。
356 1970年代(1才0ヶ月)罹患者2002.8.24
私は最初、風邪と診断されていたようです。しかし1週間も高熱が下がら
ず、川崎病と診断された時には既に山を越えていたようです。紹介状をもらって、大きな
病院に行ったものの入院もせずに、自分の腕よりも太いような注射を打たれていたと
か・・・。通院は約1年間。今はこれと言った後遺症もなく元気ですよ。
355 2002年6月(9ヶ月)拡張・冠動脈瘤(治療中)2002.9.10
熱性痙攣で入院し、3日後川崎病と診断されました。
一回目のγグロブリン投与後も熱が下がらず一週間後に再燃しました。
その後もCRPの検査結果は好転せず、後遺症(冠動脈瘤)を残し完治しないまま退院したので、些細なことでも神経質になってしまいます。
ここ2週間ばかし、発病前と似たような状況になってる(蕁麻疹・水分を欲しがる等)のが気掛かり・・・
354 2002年1月(10ヶ月)2002.9.9
発病した時は何の病気か分からず、伝染病かもということで個室に入院させられました。40度の熱が続き、5日目に川崎病だろうと診断され「ガンマグロブリン」を点滴したところあっと言う間に症状は改善しました。血液製剤と言う事で多少抵抗はあったものの、これを打たないとこの子は死んでしまう!と思い、すがる気持ちでした。今は後遺症も無く、すっかり元気なわが子ですが、母としては再発がすごく怖いです。
353 2002年7月(1才8ヶ月)2002.9.5
退院後、後遺症の出る確実は低いと言われてますが、やはり心配です。
現在、退院後2ヶ月ですが異常はありません。定期的検診にも行くつもりなので大丈夫だ
と思いますが・・・。早く、このような発症原因不明の病気が無くなったら良いのになと思います。同じ川崎病を経験した皆様、お互い、前向きに頑張りましょう!o(^o^)o
352 2002年6月(2ヶ月)拡張2002.9.4
熱もあまり高くなく、先生も川崎病とウイルス性の風邪と判断しずらかったようです。二ヶ月でも川崎病になるのですね。今は、月一回の検査と薬です。一年後位に、エコーでは見えない血管を、検査した方がいいそうです。先週、ひきつけを二回おこしました。これも川崎病の後遺症と関係あるのでしょうか?長男も、ひきつけを起こしてます。遺伝かなあ?
351 2002年7月(11ヶ月)拡張(治療中)2002.9.2
治ってるのかな・・?★りーまま
この間約1ヶ月の入院を経て退院してきました。退院時には冠状動脈の拡張がみられて今もおさまっていないのでアスピリンとアンギナールという薬を飲んでいます。心配なことは退院時にはCRPも正常だったのに退院してすぐに体中に細かい発疹ができて熱が37.5度をギリギリ超えたことがあったのでまた病院へ行って血液検査をしたらCRPは0・8で軽い風邪とかの感染症?ぐらいになっていました。そのままにして様子を見るように言われて発疹は消えてきましたが熱が安定しないのです。朝は37.4度ぐらいあったり平熱のときもあったり・・。子供の様子もあんまり動いたりしないしなんか眠くてだるそうなんです。次の心エコーの時にまた検査してもらう予定ですが拡張が治っていないことと関係あるのかな?先生は無いっていうけどこのままじゃ歩いたりなかなかしなそうで不安です・・・・。
350 2002年9月(2才3ヶ月)2002.9.1
ちょうど4月から私が就職したため、集団生活をはじめたばかりの5月末に水疱瘡を発症。そしてその後すぐに川崎病になりました。一時は私が働き始めたからだと思い、自分を責めていましたが、今では信じられないほど元気に回復してくれて、私の気持ちも少し軽くなりました。でも、今でも風邪をひいて熱を出したりすると、「再発かも」と思ってドキドキハラハラしてしまいます。自分が病気になるのならまあ仕方ないけど、子どもの病気は見ているしかなくて、本当に辛いです。かわってやりたいくらいです。
349 2002年8月(5才3ヶ月)2002.8.29
闘病日記の最後を拝見してちょっとびっくりしました。
ウチの子もおしりにちょっとひどい「とびひ」ができ(元々とびひになりやすい体質です)病院で完治と言われた2日後に川崎病を発症しました。関係あるのかないのか・・・
気になりますね。
348 2002年5月(5ヶ月)拡張2002.8.28
今現在、炎症反応が正常値の倍あるらしいので、後遺症や再発がかなり心配です。もうあの時(入院中)みたいに凌也のつらそうな顔をみたくありませんので。入院中はまだ5ヶ月で、熱が下がらずつらいのか熟睡しなかったので、仕事も2週間休み、交代で24時間付き添いでしたけど、ずっと"なんで、こんな小さくて自分のことも何一つ出来なくて、純粋な赤ん坊がこんな病気に罹るんだろう?"と悔しくてたまりませんでした。そして子供が病気になった時は、その病気を親に移動できたらな〜。とか変なことまで考えてました。
あと話が変わりますが、川崎病の患者が少ないから経験させる為なのか担当医が入院してから部長から研修医に変わったのが腑に落ちませんでした。その研修医は首の座っていない赤ちゃんをだっこしたことがないようで、診察を見ていてもかなり不安で、凌也も泣き叫ぶし、大変でした。
このまま書いていくとたぶん小説本が1冊出来てしまいそうなので、このへんでやめときます。
347 2002年8月(2ヶ月)2002.8.26
掲示板である方の川崎病の原因‘とびひ’があやしい!というのを見てビックリ! 実は娘が発症する4日前、友達が何人か家にうちの娘を見に来てくれた(生後2ケ月なので)のです。その友達の一人の子供がとびひにかかっているという事でその子供は連れて来なかったのですが、姉妹の子を連れてきてて‥ とびひってうつるっていうし、その菌がもしかして-なんて考えたりして。こんな事考えてその友達には失礼なのかもしれないけど、あまりにも偶然すぎて‥
346 2002年3月(8ヶ月)2002.8.26
最初、「川崎病」と聞いたとき、いとこが昔かかった病気だとすぐに思いました。そして、「川崎病」の恐ろしさを知っていただけに、先生に「うそでしょ?」って言ってしまいました。それまですごくとても元気に育っていたので信じられませんでした。周りのお母さんに聞くと、今年は結構川崎病の子が多いと聞きました。中には股関節の部分に動脈瘤ができ、足が少し不自由になった子もいました。幸い、今のところうちの子は後遺症もなく元気に育っています。まだまだ定期検診はありますが、ガンマグロブリンを使うほどひどい状態ではなかったのでそこまで心配はしていません。
345 2002年6月(5才1ヶ月)2002.8.24
いきなり39度を越える高熱と耳の後が痛い?!から始まり、今から思うと発症初日からぐったりして、何も食べられない状態でした。おたふくはやったばかりなのに、と思いながら近くの小児科に行った時には「リンパ節炎」と診断され2日後に抗生剤を飲んでも熱が下がらなかったらもう一度来てくださいと言われ、結局その晩嘔吐して脱水症状が心配だったので救急で大きい病院に行きました。
もちろんその時には、川崎病なんて病名は全く頭にありませんでした。
そのまま入院になり(発症3日目)その日から担当の医師に可能性が無い訳ではないので予備知識として読んでおいて欲しいと川崎病の本を渡され、でもその時にはまさかそんな大きい病気になっているわけはない!なんて思いっきり否定していました。でも翌朝担当医から電話で朝になって症状が4つ合致したので血液製剤の治療をすぐに始めたいから直ぐに病院にきて欲しいと言われ、頭の中が真っ白 何も考えられず ただ子供の前で涙を抑えるのが精一杯でした。
1日6本を3日間 でも熱は下がらず、ウリナスタチン療法を併用することになりました。
心エコーの結果、わずかに冠道静脈の拡張が認められたため、またその日からガンマグロブリンを再投与 このときが一番辛かったなぁ でもその後(発症10日目)ようやく熱が下がり始め、口の中が痛いにもかかわらず少しずつだけど食欲が出てきて、なによりも10日ぶりに彼の笑顔を見たときには、本当に心の底から嬉しかった!!
その後の検査で拡張し始めていた冠動脈も正常値に戻り、高かったCRP値が完全に正常値に戻るまで2週間以上かかったけど、医師から「後遺症として残らなかったのは奇跡に近い、そのくらい重症の川崎病だったんですよ」と言われた時には、もうすべてのものに感謝したい気持ちでした。
結局退院まではまるまる3週間かかったけど、すっかり元気になって我が家に帰ってきてくれました。 うちのおすけ君の場合5歳を越えているからその分リスクが高くなり、でも5歳になったばかりだったのだけど5歳は5歳!症状も辛かったのかな。 
血液製剤という薬に対してもとても不安でした。けど担当医が本当に優しく親身になってくれて、参考文献を貸してくださったり、素人の私にもわかりやすくすべての質問に答えてくれたことが、どんなにか心強く、不安を取り除いてくれたかわかりません。原因がわからない病気、予防も何もない、これからだっていつまた再発するかわからない、としたらこの子の運命として受け止めるしかないか、なんて少しずつ思えるようになりました。
次の健診は12月(発症6ヵ月後)です。まだこの先いつまで続くのかわかりませんが、上手にこの病気と付き合っていくしかないですよね。
退院後幼稚園のお母さんに、「もううつらない?」と言われたのはショックだったナァ。
みんなこの川崎病って言う名前は知っていても、病気のことは知らない人ばかりでした。
そのぐらい歴史が浅くて、知名度も低いって言うことですよね。
長々と書いてごめんなさい。でもなんとなくこういう気持ちを共有できる場があると言うことを知ってホッとしました。今の私は、「のどもと過ぎても、熱さを忘れないようにする!」こんな感じです。
344 2001年1月(2ヶ月)2002.8.23
ここ最近、夜になると川崎病歴のある娘が苦しそうに泣き出す。
まだ幼いので何処が苦しいのか聞き出せないが、どうやら心臓付近。
治療後1年6ヶ月が経過し、1年検診でも問題はなかったが、やはり後遺症が気になる。早期発見にこしたことはないので本日以前入院した総合病院へ行く予定。今後も発熱時や狭心症状がでた場合にはその都度再発の心配もせねばならないのか。
343 2001年10月(2才8ヶ月)拡張(半年で完治)2002.8.20
うちは、40・5以上の熱がずっと続いていました。
こんなに高熱なのに、何で何にもしてくれないの?
点滴はしてましたが・・・
坐薬を使うとか、冷やすとか・・・抗生物質の点滴は?
不安(不満)だらけでした。
私、看護婦なんです。だから、いつも私達がしている事をしてほしかったんです。
でも看護婦さんは言いました。
今、体の中で、悪い菌と必死に闘っているんです。
解熱剤をむやみに使うのが言い訳ではありません。
抗生剤も効かないんですよ!
この言葉に、ハッとしました
今まで、熱があればすぐ解熱剤を使っていたことがとても愚かに思えました。
まー時と場合によりですけどね!
余談ですが・・・風邪をひいたので入院した病院に診察に行ったら、診察代ただでした。  ちょっとらっきー
342 2002年(?才)2002.8.14
うちの子の場合は・・・★りょうママ
うちの子は毎月のように40度近い熱⇒急性中耳炎を繰り返していたので、今回も又同じだとかかりつけの小児科の先生も私も思っていました。。。。でも、いつもと症状が違うことに
発熱から5日目に気がつき育児書を開いてみると、うちの子は川崎病の症状の6項目のうち4つ当てはまることに気がつき、翌日、再度(この発熱での受診は3回目)かかりつけの小児科を受診。
「まだ、川崎病とは判断つかないから来週の月曜日に来て下さい」といわれ抗生剤を処されて帰宅。。。それでも心配なので土曜日にもう一度小児科を受診。
この小児科ではらちが明かなと感じ、そして「川崎病は早い治療が有効的」と育児書に載っていたのがきになり 翌日、少々遠方だったのですが都内の小児病院に駆け込んだら 全部の症状が出揃ってしまっていたので「即!入院」。正しく川崎病でした。入院したときには発熱から8日目だったので、早急にガンマグロブリンの投与が始まりましたが、うちの子は効果が現れず・・・
高熱が2週間以上続くと冠動脈瘤への心配が出てくるので、主治医が小児科医から循環器の先生に代わってステロイドホルモンの投与をすることになりました。この時点で幸いにも心臓への後遺症は出ていなかったのですが、ガンマグロブリンが効かなかったので「重症」との診断を受け、目の前が真っ暗になりました。入院はいつまで続くのか見通しがつかない不安に襲われていました。3日間のステロイドホルモンの大量投与後ようやく熱が下がり、その後も熱をぶり返すことも後遺症もなく12日間の入院で退院することができ、翌週には保育園への復帰も果たしました。今はアスピリンを服用中ですが至って元気です。病気前よりも元気すぎて手に負えない状態です。。。
今回の病気で教わった事はたくさんあります。何人かのかたもおしゃっていましたが「わが子を守れるのは親だけなんだ」と言うこと。あのまま翌週まで放っておいたら・・・と思うとゾッとします。やはり専門の経験豊かな先生でないと診断の難しい病気のようですね。川崎病は・・・
そして、人の温かさを再確認させてもらうことができ、おごって生活していた自分に「渇!!」を頂いたような感じがします。再発3%の不安はありますが、前向きに生活しています。
難病ということで県や市から手当てなども支給されありがたいことです。
早く川崎病の原因がわかる事を願ってやみません。
今回は川崎病に関して無知だった私に知識くださった皆さんに感謝申し上げます。
341 1980年代(2才6ヶ月)罹患者2002.7.28
定期検診は大切です★ありす
今、22歳の女です。
十数年定期検診を毎年受けていましたが、異状なしで通っていたものの、
2年前、川崎病研究会会員の一人である先生を紹介して貰い受診したところ、異状が見つかりました。

念のため心カテの検査をしたら、血管の内膜が痛んでいました。
お医者さんに、この若さでこういうのは見たことないと言われてしまいました。。。

やはり、異状がない結果が続くと定期検診をされないようで、前例がないと言われました。
川崎病の人は動脈硬化の進行は普通の人よりも早いという症例が学会で
発表されているので、コレステロール値には十分気を付けるようにと言われました。
あと、運動などで、もう少し。。と思い更に頑張ろうとすることは心臓に
負担がかかるので、そういうことはしないようにと言われています。

私が通院していたところは、異状がなくても定期検診を進める病院でした。
先生も言っていましたが、異状がないから検診をしないのではなく、
一年に一回の定期検診は必ず受けるようにと言っていました。

こういうことがあったので、転勤して居住先が変わって場合、通院先の
病院は考えるようになりました。
(先生曰く、川崎病はお医者さんになるための試験に出るため言葉は知っているものの、
実際に診たことがない先生がいるから、こういうことが起こると言われました。)

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