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み〜んなの声 No.21〜40

40 1999年7月(3才5ヶ月)
息子は血小板の数が多く(普通の人の2%2C3倍くらい)なり 数が減っていくまで退院できませんでした。これってあたりまえのことですか?
<そらはるママ>
先に言っておきますが、私は医療の知識はありません。

川崎病は、血管の炎症の病気であり、血小板の数も多くなるんだそうです。
血小板が多くなると、血が固まりやすくなり、血栓を作るんです。
(それを阻止するためにもアスピリンを飲んでいる)
それで、この血小板の数も正常値になるまで(?)は、多分、退院はできないのではないでしょうか・・・
これは、私が思っていることなので、あまり正確ではないかもしれません。
すいません・・・

(普通の人の2%2C3倍くらい)・・・文字化けしたみたいです・・・
39 1980年代(2才)
私は高2です。2歳の頃に川崎病にかかりましたが、今は人一倍元気です。
当時の時の事は全然覚えてませんが、親が一生懸命看病してくれた事は知っています。
だから今健康に生活できています。
自分のかかった病気の事をちゃんと知っておこうと思ってホームページを開きました。
今も病気と闘っている子がいるんですよね。
今はつらいと思いますが、負けないで下さい。
つらいのは今だけです。がんばってください。
<そらはるママ>
こんなふうに、何でもなく元気に過ごしていることは、本当に安心します。
38 2000年3月(4才7ヶ月)
昨日、息子が退院してきました。3週間の入院でした。
突然のこの病気に、慌てた私たちでしたが、このhpや親の会のhpなどでとても詳しい情報をしることができ、とても心強かったです。
病院には、同じ川崎病の子どもさんが他に2人入院していましたが、ここのhpを印刷して、お母さん同士でいろいろ話し合いました。まだ、原因がわからないのが不安ですが、研究がすすんでくださることを願ってます。
<そらはるママ>
同じ川崎病のお子さんがいると、親も心強い。そういうふうに、他の親御さんと話すだけでも、付き添う両親にとってはとても精神的に楽になりますよね。
原因がわかること。全ての親の願いです。研究なさっている方たちにがんばっていただきたいものです。
37 1980年代(3才0ヶ月)
現在21歳の札幌出身の大学生です。
3歳の頃、川崎病にかかりましたが今では後遺症もなく普通の生活をしています。
現在親元を離れて生活していて、入院していたのも小さな頃の事なのであまり詳しいことは覚えていませんが、入院中は病気の苦しさとかよりも、同じ病室で仲良くなった友達や病院内を探検して遊んだこと、入院中に誕生日を迎えたこと、入院中で同じ病院で妹が生まれて会いに行ったこと、面会時間が終わって父が帰るときにあまりの寂しさでエレベーターの前まで裸足で走って追いかけていったことなどをはっきりと覚えていま
す。
自分の経験から言うと入院中に一番辛いのは親とはなれていることだとおもいます。だからこそ、毎日親が見舞いに来てくれてそばにいてくれたことはとっても支えになっていたように思います。
だから、今、川崎病にかかってるお子さんやそのご両親には頑張って病気を乗り越えていって欲しいと思います。
<そらはるママ>
お〜。ありがたいお言葉です。
3才でそれだけのことを覚えていたというのは、かなり強烈な出来事だったのですね。
妹さんも生まれて、ご両親もたいへんだったでしょうね。裸足で追いかけられたお父様もきっと後ろ髪を引かれる想いだったことでしょう。
元気に生活されていて何よりです。
遊びに勉強にがんばって下さいね。
36 2000年3月(3才8ヶ月)
この病気のことを人にあんまり話さないほうがいいのでしょうか
<そらはるママ>
どうかどうか、そんな風に考えないで下さい。
この病気は、いろんな誤解があるのもたしかです。そんな誤解を招かないためにも、やはり話した方がいいと思います。
川崎病は、あまりに知らない人が多いと思います。
後遺症が出てからでは、遅い病気です。
小さなお子さんがいる親御さんにも、こんな病気があるということも知ってほしいと思います。
35 2000年2月(1才10ヶ月)
私は、もうじき2歳になる息子がいるママです。病名は知っていましたがまさか我が子が川崎病になるとは思っていなかったのではじめはびっくりしていろいろと育児書を見ましたが、主人の上司に教えてもらいここを拝見させていただきました。いろいろと勉強になりありがとうございました。発症した時には無我夢中で心配していましたが、後遺症も無く3週間で退院できました。息子は発症する4日前に麻疹を受けました。初め熱が出た時は「はしか?」とおもいましたが、すごくグズリいつもと違う甘えで私にひっついて離れませんでした。主人と「いつもと違う熱の症状だね」と言いながら2日様子をみて医者に行くと「はしか」ではないと言うことで「風邪」と診断されました。でも次の日になっても熱が下がらないので麻疹を受けた先生に見せると「はしか」ではないと思うのでもしかしたら「川崎病かも」といわれ小児科の大きな病院を紹介され直ぐに疑いで入院しました。入院したとたん他の症状が次々と出てその日のうちに・・・

(ごめんなさい。この部分が少し化けてしまいました)

川崎病の症状も2週間ではほとんど消えました。(ただ途中ロタウイルスにかかり嘔吐、下痢をしてしまったのがかわいそうだった。)エコーも心電図もOKで3週間で退院できました。その3週間のうちに何も無ければ98%ほとんど大丈夫との事なので安心しました。ただ、一度なったからもうならないと言う事ではないので、やはり原因は知りたいと思います。アンケートにお答えする事で、何かしら協力できればと思いメールします。
<そらはるママ>
お子さんも、一生懸命辛いのを訴えていたのですね。ロタウイルスにもかかってよくがんばりましたね。
今は、嵐が去ったような感じでしょうか?
今後、川崎病にならないようにするには、どんなことに気を付ければよいのやら、わからなくて困るのですが・・・
今、出来る事は、子供の様子をしっかり見てあげることですよね。お互い、がんばりましょう。
34 2000年2月(2才6ヶ月)
友達の子が(女の子)やっぱり2歳の時になったけど、今は、元気に暮らしています。ちなみに今5歳。将来のことまでは、まだ、わからないけどガンバってほしいです
<そらはるママ>
できるだけ近い将来、原因解明・後遺症が残らないような治療などなど、明るい未来が待っていますように・・・
33 1992年6月(1才3ヶ月)
付き添いで一緒に、入院してました。私のお中には、7ケ月の子がいて、大変でした。先生がみかねて、一週間早く退院することになりました。おなかの中の子に、うつってしまうのでは?とずいぶん心配しましたが、元気な妹が生まれてきてくれました。
<そらはるママ>
何もなくても付き添いはたいへんなものですよね。空が入院中もとなりに妊婦のママさんが付き添っていましたが、狭いベットには子供と一緒に寝れず、簡易ベットを用意してもらってましたが、たいへんそうでした。元気なお子さんが生まれて何よりです。
32 1999年11月(3才4ヶ月)
とにかく高熱がかなり続き、不機嫌で体がだるそうで見ていてもかわいそうで、どうなるのかと思った。
幸い今は、後遺症もなく、元気で遊んでいるので良かった
<そらはるママ>
過ぎてしまえば、本当に川崎病だったのか?と疑いたくなるくらいですね。元気で無邪気に遊んでいる姿には、ほっとします。
31 2000年3月(2才0ヶ月)
冠動脈瘤はできなかったものの動脈の腫脹を残したままの退院は(入院期間も7日間)とても不安でしたが、今は良かったと思っています。病院では病室にも居たがらず点滴をつけたままうろうろすることが多かったし、夜は良く眠れないし・・。退院した1週間は元気がなかったものの今はすっかり普通に見えます。退院後2週間目の検査でも冠動脈の腫脹は治っていませんでしたが(やはりショック)、たぶん治癒するという医師の言葉を信じて気長にこの病気とつきあって行こうと思います。ただ私の場合、フルタイムで仕事をしているのでもうすぐ子供は保育園に復園。医師の許可は出ているもののアスピリンは服用しているし、やはり不安です。
<そらはるママ>
病院では、子供も親もストレスがたまりますよね。
いつもと違った生活で、しかも具合が悪い子供にとったら、余計辛いですよね。
自宅でゆっくりとお子さんのペースでもとに戻るように祈ってます。
30 1998年11月(1才3ヶ月)
先日府民共済に入ろうとしましたが、見事にはねられてしまいました。
うちの娘は後遺症も全くなく、軽かったんだと再三説明したら、最後のエコーの検査が終わったら条件付で入れる「かも」しれないと言われました。ラッキーです。これが共済ではなく、保険会社だったらもっと厳しかったろうにな。と思います。
<そらはるママ>
よかったですね。でも、「最後のエコー検査」???
最後とは・・・? いつのことでしょうか?
どこでも、とりあえず当たってみるといいかもしれませんね。
29 2000年3月(1才5ヶ月)
現在自宅療養をしています。
まだ後遺症などはありませんが、これからどんなことに気をつけていけばいいのかとか心配は山ほどあります。
こちらのHPを見つけて、こんな思いをしているのは自分だけじゃないんだと勇気づけられ
ました。
暗い顔をしていたら子どももしんどいだろうし、私がしっかりしなきゃと気分を入れ替えて毎日がんばっています。
<そらはるママ>
その前向きな姿勢って本当に大切ですよね。
お互い、がんばりましょう
28 1999年11月(5ヶ月)冠動脈瘤治療中(2000年3月現在)
先天性の心疾患を持って産まれてきていた息子は、やっと心臓の手術も終わり、これから普通に暮らせると思っていた矢先に川崎病になってしまいました。
薬も効かず高熱が続き、やっと川崎病が納まったと思ったら、巨大冠動脈瘤ができていました。まだ5ヶ月の小さな身体に....
これからまだまだ私達と川崎病との付き合いは続いていきます。先生からは瘤は直らないと言われていますが、必ず直るものと信じてがんばっていきます。
皆さんもがんばりましょう。
<そらはるママ>
まだまだ小さな体でがんばっていかなくちゃいけないけれど、でも、がんばれがんばれ!
「必ず治る」と信じるママさん、きっとお子さんにもそれが届くはず!
心臓の手術にも耐えてきた息子さんの力を信じましょうね!!!
何も力になれないけど、よくなるように祈ってます。
がんばれ〜!!!!
27 2000年2月(1才11ヶ月)
検査をいつまでやっていくのか?(現在1ヶ月おきに、心エコーに行っています。)聞くところによるとだんだんと期間があいて1年に1回ぐらいになるらしいのですが、何歳ぐらいまでつづくのか・・・。
後遺症が、今大丈夫でも、後で出てくることもあるのでしょうか?
それを思うと心臓ということもあって不安です。
<そらはるママ>
私は、「未知の部分が多い病気なので、検査はこれからずっと行います」と言われました。でも、医者によって違うみたいです。後遺症も後から出てくる事もあるから、検査があるのかもしれませんが、でも、それはめったにないそうだし、堂々と病気に構えていましょうね。
26 1999年12月(1才1ヶ月)
最初、この病気に息子がなったときは涙がでて涙がでてしかたありませんでした。
原因が明確になっていないことも手伝って自分のせいかもなんて・・・
点滴の管や採血のときの息子の泣き声・・・・
でも、今のところ順調に回復しています!!
入院中まだ何もわからない息子とそばについててくれた主人が心の支えでした。
泣いてる・不安げな私を見て、息子はいつも以上に笑顔で私をみたりしてくれて、逆に慰められたりしました。
どんなこととがあってもママは強くいましょう!!
子供もがんばってるんだから!!
ママが弱気でどうするんだ!!
主人と息子に教えられたことです(*^o^*)
<そらはるママ>
私もそう思ったよ。ママが心配な顔してたら、子供だって不安になっちゃうもんね。ショックだけど、早く気持ちを切り替えて前向きにがんばらないとね!
25 1993年11月(5才1ヶ月)冠状動脈に石炭化あり
つい最近私自身が川崎病だったことがわかりました。
娘を産んだときはなんでもなかったのですが現在不整脈、狭心症などがあり薬を飲んでいますが去年無事第2子長男を出産しました。妊娠中は安静などでつらい事もありましたが今は元気な子供に恵まれ後は川崎病にならないことだけを祈り頑張りたいと思っています。
<そらはるママ>
ママさんも、娘さんもよい方向に向かって行くといいです。人間の体が病気と闘う力を信じたいですね。
出産もたいへんでしたね。でも、かわいい子供の顔を見ると、その苦労も吹っ飛びますよね。
だけど、身体は大事にして下さい。
ママさんが身体をこわすと、子供たちが悲しい思いをします。
がんばって下さいね。
24 2000年2月(2才4ヶ月)
はじめは、全身の発疹と熱があり小児科を受診しました。
そこで「川崎病の疑いあり」と言われたのですが、風邪かもしれないし症状が1項目しかなく熱も2日目だったので、先生も「5日間続かないと今の段階では判断できないので2,3日後の受診でよい」とことだったが、結構忙しい病院であり、先生もあまり真剣に考えているような態度ではなかった。
そこで、翌日「一日でも早いほうが良いのでは」との自分の判断で総合病院を受診しました。総合病院では心エコー検査等必要な検査を受けることができ、「ほぼ川崎病に間違いない」との医師の判断(この時点では発熱3日目)によりとりあえず入院して、翌日には症状がひどくなり該当項目も4項目になりました。
現段階では不完全型ではあるが、後遺症のことを考えても、川崎病としての早めの治療開始が良いとの医師の判断により、治療を開始しまた。
おかげさまで、4週間の入院後、後遺症もなく無事退院できました。
川崎病の疑いのある時は、総合病院等のでの適切な早めの受診が大切だと思います。すべて症状項目が出そろってからの治療開始では、後遺症のことを考えると遅いような気がします。
<そらはるママ>
うんうん。最初に「川崎病の疑いあり」と言われた場合、すぐに総合病院のような入院・検査の設備が整った病院で受信した方がいいかもしれませんね。
医師を見極める親の目も大切ですね〜。
無事、退院できてよかったです。
23 2000年3月(1才2ヶ月)入院中
3月6日 発熱・リンパ(のど)の腫れ(かかりつけの病院で解熱剤をもらう)
3月7日 心配なので他の病院でも診てもらったところ川崎病の疑いがあるとの事
3月8日 朝一番で上記の病院へ再度診察に行ったところ、
高い確率で川崎病の疑いがあるとのことで、
紹介状をもらい市立病院に再度診察に行き即入院決定
(入院期間は2〜3週間程度といわれた)。
この日よりガンマグロブリンの投与が始まる(アスピリンも飲む)。
3月12日 この日でガンマグロブリンの投与は終了。
後は検査を約1週間と思った矢先、
38度の発熱で解熱剤を新たに飲み始める
(原因はわからないが食欲は無い)。
3月13日 昨夜吐いたらしいが今のところ元気らしい(食欲はあるらしい)。
上記がうちの息子の簡単な経過です(参考にならない程度の)。
早くに入院を始めたので治療自体はそれほど長くは掛からないとの事です。退院したら詳しい経過を報告させていただきます。
ただし、どんな病気にも言えることですが、かかりつけの医者だからといっても、その所見だけで全てを判断することは非常に危険な事であるということが今回のことで改めてわかりました(私自身以前学生の頃に経験がありました。今思うと今回の息子のケースと症状が非常に似ていましたが薬を服用しているうちに治ってしまいました。心臓も問題なく動いています)。それと、医者は経験則に基づいて診察結果を出すケースが多い(特に年老いた街医者)ので2・3日薬を服用して症状の改善が現れなければ他の医者をあたってみることがベターなので
はないかと思います。たかが風邪と思っていると痛い目にあいますから。
<そらはるママ>
早い段階で川崎病と診断されたということでは、他の病院へ行って正解だったですね。
でも、きっとそれほどはっきりした症状だったのかもしれませんね。他の医者もあたってみることもいいとは思いますが、その辺は善し悪しかなと私は思います。難しいですよね・・・
かかりつけの医者もやはりしっかり選ぶことが大切なのかもしれません。
22 2000年2月(10ヶ月)入院中
これからげ燭ウC海襪h坩造任后
医師も、5年間何も起こらなければ大丈夫としか言ってくれずい海舛蕕眈霾麌埖C納遡笋里靴茲Δ「△蠅泙擦鵝
<そらはるママ>
すみませ〜ん。文字バケしたようです。半角文字は使わず、出来ればこちらの部分だけ、もう一度答えていただけるとうれしいです。
何度もすみません。m(_ _)m
入院中のこと。早く元気になって退院することを願っています。
21 1994年1月(2才7ヶ月)
いまだに川崎市のぜんそくとゴッッチャになってる人もいますね。
あ、生命保険にはいれないってぇ。
薬も運動制限もないし、発病してから5年もたってるんだけど・・・。
<追加分>
保険の事ですが、「高校生くらいになったらはいれるよ。」と言われたそうです。

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