HOME>川崎病目次>川崎病アンケート結果>み〜んなの声
100 | 1994年5月(3才7ヶ月)冠動脈瘤・治療中2000.8.22 息子が、川崎病になったのは3才7ヶ月の時、ある土曜日、朝起きてきたら熱と首の腫れ、個人病院に行くと川崎病かもしれないと言われ、月曜日には大きい病院へ行き即入院となりました。発病から3日目よりガンマーグロブリンの点滴が始まりました。診断も早くつき、治療も早くから始めたのですが、冠動脈ができてしまいました。右1番が10ミリ位、左が5番6番7番と瘤があり、それぞれ6〜7ミリ位、だんご3兄弟だと先生によく言われます。今までに心カテを2回、内1回はそのままヘパリンによる治療もしました。 現在は、ワーファリンとパナルジンを服用し、毎月心電図と血液検査、2ヶ月に1度心エコーをしています。幸いなことに、病院は近くにあり、先生も近くに住んでいて学校のことなどわかっていて下さるので、ほっとしています。この先のことを考えると不安なことはたくさんありますが、ひとりで考え込まず、前向きにと思っています。 今は運動制限も少しあるんですが、他の人から見ればどこが悪いの?と思われるくらい元気です。
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99 | 1999年6月(5ヶ月)2000.8.16 子供が熱を出すと、とっても不安になってしまう。風邪だと分かっていても、他の病気を疑ってしまう。今日も子供は風邪をひいているけれど、ゴロゴロしているので不安になっている。熱もあるので・・・
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98 | 1994年1月(2才9ヶ月)2000.8.15 娘は現在小学4年生、発症したのは2歳9ヶ月。 メチャクチャ元気で…と言うより『お転婆』過ぎて困ってます。 でも、きっと幸せな悩みなんだって思います。 川崎病なんて『飛んでっちゃえ〜〜〜!』
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97 | 1999年6月(1才3ヶ月)冠動脈拡張(1ヶ月で完治)2000.8.15 最初に行った小児科では(休日当番医)ただ発疹がでてるというだけを診て「はしか」だと言われた。(手のひらが 真っ赤になっていてその事を言っても 聞き流された・・・)その次の日麻疹にしては おかしいと言うことで血液検査、そして大きい病院へ。川崎病と診断される。 一週間前に 上の子がおたふく風邪にかかっていて ちょうどその頃 周りでは、風邪がはやっていました。(先生におたふくにもなるかもねと 言われてたけど、結局ならなかった)よくわからないけど そういうものが 原因と言うか引き金になったのかなあと、すこし考えました 今は とても元気!!病気のことを忘れかけていたときに、このページを知ってもっともっと、大変な思いをしている人たちを知りました。
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96 | 2000年6月(8ヶ月)2000.8.12 「風邪か突発疹でしょう、可能性として川崎病も考えられますが...」 熱がでた当日の診察で言われた一言が現実になってしまいました。 4日目に入院。その後5日間ガンマグロブリンの点滴をしたが、 熱が下がらず、2日間休憩して、5日間の総量の1/2量を1日で投与。ようやく熱が下がりました。12日間続いた40度台の熱には参りました。 幸い後遺症は残らなかったのですが、動脈管開存症を発見されるという オマケつきの入院生活でした。
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95 | 2000年7月(1才5ヶ月)2000.8.10 季節のせいか、退院を控えて1日以内の微熱が2日離れてあって心配しました。体が弱いのかなと心配。
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94 | 2000年3月(3ヶ月)2000.8.9 今年の3月に生後3ヶ月で川崎病になった男の子です。 2ヶ月くらいから全母乳で育ててました。 食生活や洗剤なども、無農薬野菜や無添加食品を扱ってる宅配でとって気をつけてました。 今は後遺症もなくとっても元気です。 (8ヶ月になりました) 検査は次は半年後です。 病院ともこの病気とも、ながーい付き合いになりそうです。
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93 | 2000年7月(4才0ヶ月)2000.8.9 入院中は、原因不明といわれながらも、何が原因か考えていました。私の持病の慢性関節リウマチの影響か?ここ数ヶ月、身内の不幸、幼稚園入園などがあり子も心身ともに疲労していた上、食生活もいつもと変わっていて免疫力が落ちていた?5月に罹った病気が溶連菌感染症かもしれなかったのに、投薬期間が十分でなかったため7月に川崎病に?などと勝手に考えていました。今は、1カ月目の検査でも異常が無かったので、今後再発を防ぎ、心臓に病変が出ないようにするにはどうすればよいか、親として出来ることは無いのか?と考えています。私自身は、リウマチの梅雨時に出る手指のこわばりや、結核性胸膜炎の完治後に数年続いた春先の喘息のような咳が、食事療法によって消えました。10年程前の話です。油断して自分の体にとってよくない食べ物を多食しない限り、今も良好です。ただこの数ヶ月の忙しさ、食の乱れで私も体調不良でした。今は、元に戻りましたが娘にこんな病気を背負わせてしまいました。お医者様も食事については、何も仰いませんでした。皆さんは食事についてどうお考えでしょうか?
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92 | 2000年6月(1才2ヶ月)2000.8.9 熱がでて小児科を受診。抗生物質や、いわゆる風邪薬を処方されたが、 ほとんど、のませなかった。4日たっても熱がひかず、また小児科を 受診したときは、症状が、みごとに出ていたので、他の病名を疑うよちは、なかった。 即、入院でγグロブリン投与ー2日間で、比較的予後が良いような気がします。 私は、正看の資格を持っていて、Drに、わかるよね。といわれ・・・辛かった。 始め、開業医の所に行って総合病院を紹介されたのだけど、前に勤めていた所なので、 先生も婦長も顔見知り。専門用語で、説明されました。・・・5年も前なのに!!
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91 | 2000年7月(1才2ヶ月)2000.8.7 息子は先天性の心臓病があり、とても心配しましたが、 発熱二日目から入院して、点滴を受け、早めに川崎病の治療を受けたおかげか、思ったより軽く済みました。でも、退院してまだ二日なので、とっても不安です。 目が赤い、手が赤い、唇が赤いと、びくびくしてます。
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90 | 2000年6月(4才1ヶ月)冠動脈瘤・治療中2000.8.3 この、アンケート結果を見るとやはり皆さん色々悩んでいられますよね。私自身、精神的に今でも参っています。この先の息子の将来を考えると川崎病に対する偏見、差別はさけて通ることは出来ないと思います。現在、教員をしております。今まで、受け持ったクラスの中に川崎病の子供もおりました。「生活規制なし」と診断表に明記されていた記憶があります。 私自身、息子が川崎病になってはじめてこの病気に対する詳しい知識を得ました。 他の現場教師は、実際に川崎病になった子供を持つ親御さんのように詳しい知識は全く持っていないと思います。 そのため、「生活規制なし」と明記されていても体育や部活等での制限をしている担当教師もいるようです。 本当に残念なことです。 もしそういった差別等にあった場合、担任教師にお子さんの健康状態について話をしておいた方がいいです。 子供も頑張っています、私たち親も頑張りましょう。
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89 | 2000年7月(6ヶ月)2000.7.29 うちの場合、川崎病と診断されるための症状がほとんど出ませんでした。(発熱と目の充血のみ) 入院して詳しい検査の結果、血液の炎症反応と心臓の冠状動脈の拡張が見られたため、 「限りなく川崎病に近い」という形で診断されました。 ガンマグロブリンを12時間を2日間投与して熱も下がり目の充血も治まりました。 発病から20日目の現在、手足の皮が剥けてきて「あ〜やっぱり川崎病だったんだな」と 感じています。
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88 | 1990年5月(2才3ヶ月)2000.7.25 昨日万10年目のフォローに行って来ました。そこで、今回で定期検診を終えようという主治医からの判断をいただきました。 いちおう、経過観察を卒業したので、このアンケートにやってきました。 病中も経過がかなり軽かったこともあり、この結果となったと思いますが、これからもつきあいつづけていくみなさんがんばってください
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87 | 2000年6月(1才3ヶ月)2000.7.19 退院後も調子が悪く風邪がながびき熱が上がったり下がったりの毎日です。夜になると微熱が続きます。風邪なのか後遺症なのか不安です。
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86 | 2000年7月(2才0ヶ月)2000.7.19 入院中に、とびひにかかって、同時に治療中。 それと、生まれてから、すぐに、体中にうすいしみがあり、小児科と皮膚科に定期的に通院中(今回入院した大学病院)でした。しみについての病名は、不明(っていうか3個病名を言われた)でしたけど。関係ないのかな〜。
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85 | 1998年5月(5ヶ月)2000.7.15 川崎病だと診断されるまで、いろんな病名をもらって、病院も三箇所まわされて、熱が出始めて一週間いろんな治療をしても悪化していく子供を見てるのが、地獄の日々だった。 小さな病院では、川崎病を疑うことすらしないので、この先も私のように大きな病院で川崎病を見つけてもらうまで、不安を抱えるお母さんがたくさんいると思うとつらいです。
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84 | 1980年代(5才5ヶ月)川崎病経験者・二人目妊娠中2000.7.15 症状がまともに出なかったため、最初は誤診されて大変な目に遭ったそうです。かかりつけの小児科で「川崎病に間違いないから、すぐ総合病院に入院を」と紹介状を書いていただいたそうですが、当の総合病院で「症状が出てない」と1度突っ返されたのだとか。 入院後は入院後で、「極端に首のリンパ腺が腫れている(入院した時、腫れと痛みでずっと首をかしげた状態でいたほどです)珍しいケース」と言われ、写真まで撮られました。 小学校に入ったばかりで入院となってしまい、身体も精神的にもかなりつらい思いをしました。何度早く退院したいと思ったことか。 退院後も半年くらいは体育の授業を制限されたり、検診で度々遅刻早退を繰り返していました。 しかし幸い後遺症はなかったようで、検診は7年で終了。その後も心電図に異常なく、今は普通の生活を送っています。 昨年8月、長女を出産しました。正直言って最初は不安でしたが、 妊婦健診の際既往症のことを尋ねられ、これまでの経過を話したところ「大丈夫でしょう」と言われ、安心しました。 経過も順調で、予定日の翌日に無事出産出来ました。(実は今年の10月に第2子を出産予定です) 親になってみて、改めて「川崎病」という病に接するようになったなぁと思います。育児書には大抵記載のある病気だし、私のようにこの病気と向き合っている子供がたくさんいることも分かったし。 でも、まだ何かと誤解される病気みたいで・・・私の家族は私が既往者なので病気に対する理解を持ってくれていますが、そうでない人はまだ「川崎病って公害病じゃないの?」などと言われることがあり (現に姑にそう言われました)、時には腹立たしく思ってしまうことも・・・ 長々と書いてしまってごめんなさい。私の戯言が少しでも何かのお役に立てるといいな、なんて虫のいいことを思っています。
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83 | 2000年5月(6才0ヶ月)再燃・冠動脈瘤(1ヶ月で治る)2000.7.14 再燃の心配(割合) 「川崎病」の事を、内科ではあまり知られていなく、処置が遅くなってしまった子が、冠動脈瘤が大きくて、8ケ月も入院してました。 小児科ではそこそこ知られてる「川崎病」ですが、世間一般てきには知られてないので、口コミでもっと広めていきたい。
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82 | 2000年6月(3才8ヶ月)冠動脈が拡張2000.7.14 3才という、感受性の強い年齢で、初めて、親と離れての入院。 心のケアーの重要性を痛感しました。 入院中は、自家中毒のような発熱がありました。 「心エコーは、毎日とってもしょうがないもの。」 そう言われても、1週間も何も治療しないことに、イライラしました。 今思うと、急変の可能性がなかったんだと思います。 狼狽してしまいますが、どうぞ、親が、落ち着いて、子供に笑顔を見せてあげて欲しいと思います。
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81 | 1998年4月(2才11ヶ月)2度目の罹患・入院中2000.7.13 3歳の誕生日の前日に川崎病と診断され、入院しました。 そして5歳になった今、再発して、入院中です。
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