『たぬき』


 人里離れた山奥に、とある研究施設が建っていた。
 そこでは日夜色々な研究がされている。日々の生活を向上するための研究が。
 その一室で今まさに研究に欠かせない対話が行われていた。
 人と狸の対話である。

「で、何? ワシらが人を化かせるって?」
 その「タヌキ」は机の向かい側にいる「研究員」に静かに語り出した。
「あ〜あんなんウソ、ウソ。あんなん昔の人間の戯言や、って」
 半眼で顔の前で手をパタパタ振りあっさり否定する「タヌキ」。
「道に迷った時とか、酔って幻覚を見た時とかにたまたま近くに狸がいただけやろ。昔はそこいらの山と言わず里と言わずワシら狸など仰山おったからな。当時はあれやで野良猫、野良犬よりも野良狸が多いくらいやったしな。いや、まあワシの予想も入っとるけど……」
 しかし「狸」という漢字自体「里にいる獣」と書く為、「タヌキ」が言った言葉も荒唐無稽と一笑に付することも出来ないのかもしれない。
「で、なんや、そういったことを真正直に人に言うんは恥ずかしかったんやろ。その『狸に化かされた』って最初に言い出した奴は。だから恥ずかしさを隠す為に言い繕っただけやって」
 肩をすくめて、これでもかというくらい「やれやれ」といった空気をかもし出す。
「人間は昔から他のモンの仕業に転化すんのがお手のもんやったからね。やれ、狸に化かされた、妖怪に襲われた、神隠しに遭った……」
 指折り数えいくつかの例を挙げる。
「そうやって自分たちの理解の範疇を越えた恐怖ゆうもんに、何らかの説明を付けて安心したかったんちゃうか? 今でも超常現象言われてるモンに科学で説明付けようしとるやん。で、科学で説明つかへん場合も『非科学的だ』言うて『そんなことありえん』って決め付けて安心を得ようしとるやろ。どっちでもええねん『納得する答え』さえ見つければ」
 そこまで言うと、目の前の机の上に用意されていたお茶で一息ついた。
「まーなんや、一番恐ろしいんは自分ら人間やっちゅうことに気付かんと、よーやる思うでホンマ」
 感慨深げに両目をつぶって腕組をし、うんうん頷いて言う「タヌキ」。
「まあ、そんなんで納得できるんやから、昔からよー変わらんと人間なんて馬鹿で単純で可愛いもんやけどな……。おっと、気ィ悪くせんといてな。あくまでそういった奴等が多いってことやで。あんたらは別や思うで正味な話」
 取り繕うように、わははと豪快に笑って見せる。
「あ、ちょっと一本いいっすか?」
 タバコの箱を内ポケットから取り出し指を一本立てて申しわけなさそうに「研究員」に言い、箱から一本取り出してくわえた。
「ん〜っと、火、火っと〜」
 タバコをくわえたまま火種を探す「タヌキ」。
「ん〜? あれ?」
 が、なかなか見つからないようだ。
 それを見て「研究員」は自分の胸ポケットからライターを取り出し火を付けて差し出す。
「あ、すんません」
 「タヌキ」はぺこりと頭を下げると、くわえたままのタバコを火に近づけそれに火を着けた。
 プカーッと美味そうに吸う「タヌキ」。
「あ、でもね、狐の奴等は知らんで〜。奴等はホントずる賢いからね〜。奴等なら人間を化かすことぐらいやってのけるんちゃうかな〜実際」
 思い出したように言って、またプカーっと美味そうに吸う。
「ワシら、知能は高いすよ。自分で言うのもなんやけどね。でもね〜そんな『化かす』なんてことは無理ですわ。魔法使いちゃうんですから」
 机の真ん中に置いてあった灰皿を、自分の近くに寄せながら言う。
「いや、だからって『狐が魔法使いか?』言うたら、そんな事もあれへんのやろうけどね」
 灰皿の縁にポンポンとタバコを当て、うっすら浮いた灰を落とす。
「ただ、ワシらより奴等の方が神秘的な存在に見られとるのも事実やからね。お稲荷様なんて言われてんのがその最たるもんやし、『狐憑き』ゆう言葉もあるくらいや。『狐の嫁入り』『狐火』なんて現象あるの知っとるか?」
 指の代わりにタバコで「研究員」を指して訊く。しかし別に答えを求めての質問では無かったようで、一つ大きなため息を吐いて言葉を続けた。
「それに比べたらワシら狸なんて鈍クサイもんやで、やれ『狸寝入り』だ『狸親父』だ、挙げ句の果ては『同じ穴のムジナ』って……何やねんこの差は! そらもう、笑ろてまうっちゅうねん」
 やれやれと諦めたように首を横に振り肩をすくめる。
「ワシに言わせればね……『狸が人を化かす』それこそが『マユつばモノ』ですわ」
 そう話を締めて「タヌキ」は深く大きくタバコを吸った。

 その様子をマジックミラー越しに観察していた者達がいた。
「教授、成功ですね」
「ああ、そうだな助手クン」
 鼻息荒く興奮した助手は、教授の手を取り喜びを身体全体で表現する。
「完全に『自分は狸だ』と思い込んでますよ。あの人間は」
「これで我らの生活も格段に向上するぞ。今回の実験の成功は我ら狸にとって大きな一歩となるに違いない」
 陳腐な光景で見る者の目を疑わせるが、会話をしていたのは白衣を着込んだ二匹の狸であった。マジックミラーの向こうにいる「研究員」も見まごうことなく狸である。
「しかしあの胡散臭い関西弁はなんなのかね?」
「さぁ〜。あの被験者の狸に対するイメージじゃないですかね。あの人間、生まれも育ちも横浜、ハマっ子のはずですから」
「むぅ、変わった人間だな」
「確かそんな人間を現わす専門用語がありましたよね」
「うむ、『すきもん』だったかな」
 うろ覚えの単語を答える教授。
「とにかく今回の実験により判断力や記憶、知覚など、より複雑な部分で誤認させることに成功した」
「それにより複雑なプロセスを廃して、人間をより簡単に操ることが可能となった訳ですね」
「そうとも、今までは視覚と一部触覚を誤認させることしかできなかったが、今回の実験で五感を制覇したものと考えてよかろう。更に言うと今後は小道具を使わなくとも『化かす』ことが出来ることになる」
「あとは、誤認の効果時間がどれ程か調べる必要がありますね」
「ああ、細かい所を言えばまだまだ調べるべき事はあるが、まずはそれが最重要だな。気を抜くなよ助手クン。まだ我々は新たな一歩を踏み出したに過ぎないのだからな」
「解ってますとも教授。でも、これからは徹夜続きになりますね。大丈夫ですか身体の方は、もう歳なんですから無理出来ないんじゃないですか?」
「はっはっは、言ってくれるな助手クン。しかしまだまだ若い者には負けんよ」
「そう言うと思ってましたよ」

 こうして狸は知らず知らずのうちに人間社会に深く食い込んでいっているのです。
 いずれ人間に変わって地球上の主導権を握るべく……

 ほら、あなたの近くにいる人は本当に「人間」ですか?
 もしかしたら「狸」が「化けた」姿かもしれませんよ…………

−おわり−