私が妹にしてやれたことは、何だったんだろう。
子供のころは、学校の行き帰り、面倒見の良い兄貴だったようだ。
郷里の喫茶店で、初めて彼を紹介された。
妹が21歳、彼が20歳。
親父に結婚を反対されたと、泣く妹に、
「3年なら、我慢出来るだろ・・・・
  二人で結婚資金を貯めて、ちゃんとやっていけることを
   親父に見せてやれよ」
本当に、3年後びっくりするような額を貯めて、親父の許しを得て結婚した。
頑張りやの妹だった。


幼い日に   <南こうせつ>

石ころだらけの この道を
まっすぐ 歩いて行くと
親戚の おばさんのうち
僕の足音と 蝉の声が
遠く夏の空に こだまする

去年の夏までは 兄ちゃんと来たけれど
一人でここまで 来たのははじめて

風に揺れてる 稲の陰から
かすかに 見えてきた
優しい おばさんのうち
今年も大きな スイカを食べられる
赤色かな黄色かな さあ急ごう

去年の夏までは 兄ちゃんと来たけれど
一人でここまで 来たのははじめて

大きな木の下で 汗をふけば
母ちゃんに もらって来た
ハンカチが まぶしい
向こうから手を振る 向こうから声がする
昔と同じ元気な おばさんの声

去年の夏までは 兄ちゃんと来たけれど
一人でここまで 来たのははじめて
一人でここまで 来たのははじめて
一人でここまで 来たのははじめて


帰れない季節  <南こうせつ>

めぐり逢った あの頃の激しさも
遠い夏の日々も 想い出

たった一人 君を愛しているのに
言葉さえも かけなくなった

時間は切ない 幼さを奪って
夢を叶えて 人生を知れという

あんなに Ah 君のことを

髪を切った 君の誤解を知って
涙流し 走ったことも

疲れきった僕に 微笑みかえす
今の君に 何故かすまない

時間は切ない 大人へと誘われ
愛に漂い 人生を知れという

あんなに Ah 君のことを

雨は降る 雨は降る 人を濡らし
風が鳴く 風が鳴く 窓をたたき

時間は切ない 幼さを奪って
夢を叶えて 人生を知れという

あんなに Ah 君のことを


妹が、ガンで、早すぎる人生を閉じました。
生きがいを見つけたと、病院でデイ・ケアの仕事に打ち込み、
介護の試験に、取り組んでいる最中に病に倒れ・・・・

人は死ぬために生まれてくる・・・と云うけれど、
あまりに早すぎた。
あんなに真面目で、頑張りやの妹が・・・

救いは、最愛のご主人と愛娘の献身的な看護で、
安らかに逝ったこと。

 

2006.12.02

今朝の朝日新聞別刊「Be 愛の旅人」で宮沢賢治の妹トシを

取り上げていました。

そこで紹介されている詩集「永訣の朝」をこの間花巻の賢治記念館を訪れたとき

自分の妹を亡くしたこともあって、求めてきました。

トシは「あめゆじゅとてちてけんじや」と賢治に最後に云ったという。

(雨雪をとってきてください、賢治兄さん)

私の妹は、駆けつけた私の手を握ってポロッと涙をこぼしました。

ものを言う力がもう無かった。

 

妹を亡くしたばかりで、あまり語る力もなく他人の歌で代わりとした感傷的な文章ですが、

朝日の記事に誘発されて、また載せようと思いました。





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                惜別賦      2000.8.1