今回は、大変なことを経験してしまった。
私の私情では、九死に一生を得たという感じである。
稀有な幸運なことに、経過は順調で、後遺症もなくまったく元どおりに回復出来そうだ。
ある人は5%と云い、ある人は45%と云うが、大変な幸運だったことは間違いない。
ここに、発症から退院までを述べておきたいと思う。
前兆
12/10(月)それはいきなりやってきた。
午後2時ころ仕事中に、いきなりガーンと激しい頭痛に襲われ、肩の辺にも妙な圧迫感。
こんな症状は初めてで、妙に不安になり、早退することにして、かかりつけの医者に診てもらった。
そのころには、頭痛も大分収まってきていて、医者が
「めまいと吐き気を伴っていないから大丈夫でしょう」と言うので安心した。
翌日には、ケロッとして、その後何の異状もなかった。
入院
12/14(金)午後1時からの社内講習会で講師をしていたとき、またガーンと頭痛がきた。
それと、ダラダラと激しい汗が。
「またか」と思いながら、意識ははっきりしていたので、残り5分くらいの分を、
なんとか要点だけ2分くらいで頭痛を我慢してしゃべって、終わらせた。
なんとか次の講師にバトンタッチして、廊下に出たら、気が緩んだのか、吐き気がしてきた。
前回の医者の言葉から、今回は「ヤバイな」と思い、自分の席になんとか戻り、
同僚に「またおかしくなった、医者に行く」と連絡した。
翌日、全社のイベントがあり、その推進事務局をやっていて、夕方から会場設営とリハーサルの指揮を
とることになっていたので、医者に処置してもらったら、夕方会社に戻るつもりで、制服のまま、
正門の守衛所まで行った。
タイミングのいいことに、来客がタクシーで着いたところ。
そのタクシーに乗って、医者に向かうあいだ、家に携帯で連絡。
医者に着いたら、カミさんが先着していて、先生は既に紹介状を
書いていて、M総合病院の脳外科に行ってくれと。
同じタクシーで病院に向かった。
途中、ちょうど信号待ちをしているとき、吐き気がひどくなり、ころがり出て道端で吐いた。
M病院で、順番待ちをしている間に、また頭痛がひどくなり、
先生の診察が始まると、最初に「この頭痛をなんとかしてくれませんか」と訴えた。
先生は「すぐ検査しましょう」と動いてくれた。
レントゲンとかCTスキャナーとかいろいろ検査が終わり、
先生が「くも膜下出血です」と言ったときには、目の前が真っ暗になった。
即入院である。
カミさんにメモしてもらい、とりあえず明日の会社のイベントの今夕の会場設置、
リハーサル、明日の本番で、私しか判っていないことを会社の同僚に伝えてもらった。
それから後は、頭痛を抑える薬のため、うつらうつら無我夢中の感じ。
手術
12/15(土)朝から、脳の血管の精密検査。
ソケイ部から造影剤を注入して、MRIで検査。
肩から麻酔を注射してあり、意識はわりとあり、痛くは無かった。
その検査が終わり、一旦ICUに戻り、先生から
「状況が判ったので、すぐ手術します」と告げられた。
すぐに、看護婦さんに二人がかりで、バリバリとバリカンで頭を刈られた。
「うーん、やっぱり頭をやられるのか」と覚悟。
午後手術室に向かうときに、娘たちも駆けつけてきており、型どおりのご対面。
全身麻酔はどんなふうにかけられたのかは分からなかった。
手術台に載せられたのは、わかっていた。
すぐに、眼を閉じると何か映像が見えていて、
「ああ、まだ意識があるな」と思っていると、段々それが小さくなっていく。
「まだあるよ」なんて思っていると、その映像が点になって、ピチッと消えた。
それで一切分からなくて、次に見えたのは、家族が覗き込んでいる映像。
視野が狭くなっていて、フィルムの駒のように小さい映像で実像のような気がしなかった。
それでも話したいと思ったが、頭が割れるように痛くて、まずは、
それを抑えてもらわないと話も出来ないと思って、「頭の痛いのをナントカして欲しい」と訴えた。
カミさんの話では、意識が戻ったなと思ったら、そう言ってしゃべったそうだ。
それで薬で、また眠ってしまったらしい。
手術は、額の中央から左耳のほうにかけて頭皮を切り開き、
頭蓋骨を切り取って、内部の出血部をクリップで止める。
必要な処置をして、頭蓋骨を四箇所ボルトで止めて、頭皮を縫合。
2時間の手術だったそうだ。
ICUに居るあいだは、薬と発熱で、うつらうつら。
自分でも安静にしなきゃと思って、じっとしていたので、赤ん坊のようなもの。
ただ、看護婦さんに甘えていたような感じだった。
12/17(月)夕方ICUから一般病室に移る。
カミさんが個室を配慮してくれた。
当面安静が必要だということで、一週間くらい個室で、と。
結局最後まで、個室に居座ってしまった。
当初困ったのが、天井の蛍光灯がまぶしくて、目が痛くなること。
看護婦さんに相談したら、寝たときに眼に入らないような位置にベッドを、ずらしてくれた。
テレビも見ていいと言われたが、眼が痛くて見られなかった。
これから一週間くらいは、頭痛と発熱に悩まされた。
血管の萎縮を防ぐため、日に四回血管を広げる薬を点滴する。
すると、必ず頭痛が起きる。
夜は必ず熱が出た。
氷枕と、熱がひどいときは、ソケイ部に氷のボールを置いて身体を冷す。
頭痛薬は日に二回飲めるが、飲んでから5時間くらいの効き目。
だから、看護婦さんに「今飲んじゃったら、あとが苦しいですよ、
もうちょっと我慢できませんか」などとなだめられたり、
夜中に熱を冷ます処置やら、看護婦さんには面倒をかけっぱなしだった。
退院まで、ずっと点滴はしていたが、私の場合補聴器を左の耳に
しているので、あえて利き腕の右腕にしてもらった。
ところが腰が弱ってしまったせいもあって、ベッドの乗り降りなどでつい右手に力を入れてしまったり、
うっかり心臓より上に上げてしまったりして、よく血を逆流させてしまった。
後半はこれをすぐに戻す要領がわかったが、最初のころは、この血が固まってしまうと、
詰まってしまうので、毎日くらい点滴の針を差し替えていた。
やはりベテランとか頼りになる看護婦さんは、点滴の針も上手。
こちらが間違いを起こさなければ、長持ちがする。
白衣の天使
初めての入院が、大変な入院になってしまったが、看護婦さんには文句なしに頭が下がった。
夜中でもいつでも、こちらのコールに応えて、てきぱきと処置してくれる。
動けない病人の世話は、嫌な仕事もたくさんある。
24時間連続勤務で、疲れも見せない。
毎日担当の看護婦さんは変わるが、とまどいが全然ない。
その連携プレーにも脱帽。
いつも笑顔で接してくれる。
気が弱ってる私は、いつもその笑顔で気持が支えられた。
患者から見ると、ほんとうに天使なのだ。
ICUから出てすぐに、普通の食事(ご飯ではなくお粥)になったが、食べられなくて弱った。
食べられなくて悩んでた私に、看護婦さんが「食べられなくて悩むより、
食べなくても大丈夫ですから」とは云われたが。
看護婦さんに相談したら、カロリーの高いものじゃなきゃOKと言われ、
ウメボシとトマトなどの生野菜サラダをカミさんに毎日持ってきてもらい、これで、大分助かった。
日本人には、やはりウメボシだ。
12/22(土)脳の精密検査。
ソケイ部から造影剤を注入して、MRIで検査。
終わっても、ソケイ部に太い針を刺した後なので、足は絶対安静。
四時間は足を動かさないように、重しを載せられて身動きならず。
夕食も、看護婦さんに口までスプーンで運んでもらって食べる始末。
この検査で異状なしということで、ほんとに幸運な結果ということになった。
それからは、退院までは一日一回1時間半の「高圧酸素療法」以外は、
テレビを見たり本を読んだりのタイクツな日々だった。
病人にとって、見舞いはとても嬉しいものだ。
カミさんにもすっかり世話になったし、娘たちも普段は私の傍に
寄らなくなっていたが、よく見舞ってくれた。
いろんな果物を買ってきたり、お菓子を作ってきたり。
友人が来てくれて、励ましてくれたり、ネットの友人のBBSの書き込みにもとても嬉しかったし。
ビックリしたのは、ネットの友達で病院を調べて花を贈ってくれた人もいたこと。とても嬉しかった。
先生から28日に退院可能という話が出ていて、もちろん私は出るつもりになったが、
カミさんは場所が頭ということもあって、慎重で、年末年始の病院が休みのときに、
何かあったら怖いから年が改まってからと、主張。
26日に先生が「こんなに順調に回復したんだから、病院にいたら本人が退屈で可哀相ですよ。
家で祝杯をあげてください」と云ってくださり、カミさんも安心して、28日に退院が決まった。
入院している間にどんどん腰が悪くなって、身体を起こして座ることが出来なくなってしまった。
立ってしまうとある程度歩き回れるのだが、ベットの乗り降り、食事のときも身体を起こして座れないので、
難儀していた。病院でも腰の骨をレントゲンで調べ、神経が炎症起こしてないか血液検査したりで、
その結果は異状なく、身体が弱ってるせいだと。
退院して翌日、テニスでよく痛めるので、いつもお世話になってる整骨医に診てもらった。
結果は、腰や尻の筋肉が弱ってるだけだから、まずは寝たり起きたりを
繰り返すうちに回復しますよ、と言われ安心。
だんだん「腰が軽く」なり、31日には朝食のとき10分くらい座っていられた。
それからは回復が早く、元日には初詣に出かけ、娘たちと写真を撮ったりと、
はしゃぎ過ぎて夕方にはダウンしたが、今では、一日座っていても平気にまでなった。
信じられないが、麻酔の影響もあるだろうが、寝込むとあんなに簡単に体力が弱ってしまうとは。
病室からきれいに富士が見えた。
朝から午前中は、晴れていればきれいな姿をみせてくれた。
夕焼けもきれいだった。
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復活(くも膜下出血からの生還) 2002.1.5