最近、北海道を拠点にしてグルメとワイン、釣りをテーマにしている友達が
出来たせいで、また開高健の「白いノート」を読み出した。


私が開高健を好きになったのは、「モンゴル大紀行」などのテレビの特集番組である。
釣り師でもある小説家が、幻の巨大魚を求めて旅をする。
いろいろなシーンで、小説家がユーモアたっぷりに独白する言葉が楽しい。
そして、その頃酒のCMに出演している氏の丸顔の笑顔の良さに惹かれて、
好きになり、本を読みふけった。
ビデオも、テレビで放送した番組を5本録画してあり、私の宝物だ。 
昨夜見たのは、小説家開高健を取り上げた、12チャンネルの「芸術に恋して」という
番組のビデオ。

その番組では、小説家の食の表現にスポットをあてて、紹介している。
いつ触れても、それは素晴らしいものだ。
氏は、「食べ物と女は表現が難しいと言われている。小説家として、それに挑戦しているのだ」と。
その番組で紹介されていたものから。 

クロワッサン(「最後の晩餐」より)

    淡白で、後腐れなく、
    モタレも
    カラミもしないで
    舌のかなたへ消えた。 

日本酒(「最後の晩餐」より)

    まったりと冷暗な場所で
    寝かせてやった日本酒は
    竹林のなかの童女のように
    淡麗で、
    声を呑みたくなるのである。 

ドライマティーニ(「夏の闇」より)

    こまかい汗に
    ぐっしょり濡れた
    ドライマティーニのグラスを
    とりあげると宝石のように
    充実した重さがあり
    粒のつめたさは
    いきいきしているが
    芯まで暗く澄みきっている。 




また読み始めた「白いページ」という随筆集。
これを買った時は、私が若かったせいだろう、
あまり面白く感じられなくて、全部読まなかったものだが・・・・・

いま読んでみると、すごく面白い。
「飲む」という随筆のなかの
水の表現である。
山の岩清水の。 

    この水は水晶をとかしたようである。
    純潔無比の倨傲な大岩壁をしぼって液化したかのようである。
    いまのいままでフキの葉のあいだに小さな、
    淡い虹をかけていた水なのである。
    ピリピリひきしまり、鋭く輝き、磨きに磨かれ、
    一滴の暗い芯に透明さがたたえられている。
    のどから腹へ急転直下、はらわたのすみずみまでしみこむ。
    脂肪のよどみや、蛋白の濁りが一瞬に全身から霧消し、
    一滴の光に化したような気がしてくる。 



小説家は、「旨い」とか「美味しい」なんて言ったら
負けだ・・・・・と言っていたそうだ。



いまHPで取り掛かり始めた「イタリア紀行」
けっこう建物の巨大さなどのカルチャーショックで、
「言葉が出ない・・・・・・」などと表現しているが

小説家に言わせると、そんなの失格だよ・・・・・と
笑われるだろう。

まあ、私は本書きが仕事ではないから
ヘヘヘッと笑ってごまかしてしまえるのだが

ちょっと、頑張ろうと思った。






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       「白いノート」      2006.6.2