メタセコイヤ                       桂

庭のメタセコイヤの緑が鮮やかだ。

メタセコイヤという樹を知っているだろうか。
三木茂博士が遺体化石(100〜300万年前)から発見し、
1941年に名付けられた。
地球上から絶滅したと考えられていたが、
1945〜6年に中国四川省で生息が確認され、
その苗木が1949年日本の皇居に植えられた。
それから、各地に植えられたそうだ。
化石が先に発見された樹ということで有名。
氷河期を生き延びた樹である。
私の通った小学校の庭にもあったらしい。
小学校のころには、私にとって「木」は「木」でしかなかった。
木の名前なんかには興味が無かった。 

私の実家の庭にメタセコイヤがある。
父親が、その小学校の樹の枝を挿し木して育てたものだ。
大学の頃に父親から、その話を聞いていた私は、
いまの家を建てたときに、父親に頼んで苗をもらった。
私の実家のメタセコイヤから挿し木で殖やした苗を。 

だから、私の家のメタセコイヤは
小学校の樹の孫ということになる。 


ほんとうはメタセコイヤはすくすくと真っ直ぐに高く育つ樹である。
その点我が家の樹は可哀相だ。
あまり伸びないように刈り込んでしまうから。
しかし、メタセコイヤはすごい木である。
あるとき、家のトイレの排水が詰まってしまった。
業者に調べてもらうと、下水管の近くにあったメタセコイヤの
ひげ根が、下水管のつなぎ目のわずかな隙間から
中に侵入し、下水管の中でひげ根のかたまりを作っており、
トイレットペーパーなどをせき止めていたのである。
業者が「すごい木だね・・・」と驚いていた。
たくましい樹である。 

父親が持ってきてくれた苗から育った木が
私の庭には二本ある。
メタセコイヤと桂。
桂も、実家にあって毎年春に可愛いハート型の葉をいっぱいつけるので
私の好きな樹だったので、これも父親に頼んだ。
家族に人気のある木だ。 


父親は測量技師だったが、ほとんどは山の測量の仕事だった。
それでか、いろんな樹を自分の庭に育てていた。
私がいま櫻とか薔薇とかを好きなのは、そんな父を見て育ったからだろう。
「樹」を見てそれを育ててきた人を想うことができるのは、
いろいろな知識をもとにしてはいるが、
父の姿が原点になっている。
もう父親は亡くなっていないが、
父親から受け継いだ樹が立派に生きている。






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       「受け継いだ樹」      2006.6.18