このあいだの夏休みに両親の墓参りに行き、
その後いつものように軽井沢に向かっていた。
両親の墓参りを済ませた後は、軽井沢で昼食をとり
その後買い物などぶらぶらしてから帰ってくるのが習慣となっている。

その日は私の郷里の部落を出かかったところで、
急に「Tはどうしているかな・・・・」と幼馴染のTが懐かしくなり、
だいぶ通り過ぎたところで車を引返して、なにか分かるだろうとTの実家に寄ってみた。

弟さんが出てきて、教えてくれたところではなんと同じ埼玉県に住んでいた。
住所と電話番号を教わったので、帰宅してからさっそく電話した。
向こうは驚いていたが、さっそく会おうということになり、
今日、会った。

もう30年くらい会っていなかったが、面影は残っていて一目でわかった。
子供のときの思い出話に花が咲いた。
彼の家は敷地がそのまま裏山に続いていて、その裏山でリスをを追いかけまわしたり、
ハチに刺されて泣きべそかいたり・・・・・・
Tとは小、中一緒だった。
山中の小学校で、私の学年は33名一クラスだけ。
従って組替え無し。
9年間ずっと一緒だった。
鼻汁垂らした子供のときから、そろそろ色気づいて・・・・あれが初恋?・・・・・・の頃まで
ずっと一緒だったのだから、みんな仲はよかった。

高校、大学のころは同級会も活発で、夕方6時ころから始めて
二次会までは料理屋で、そのあとは部落の公民館にみんな戻って、
公民館の和室で翌朝7時くらいまでみんなで語り明かしていた。
もちろん女子生徒も脱落なしに朝まで一緒だった。

彼とは高校から違う学校だったが、大学のころまでは会っていたようだ。
私の彼に関して最後の思い出は、大学2年の正月に郷里に帰ったとき、
一緒に東京に夜の列車で出てきたときだ。
彼が私に「俺はEはあきらめた・・・・・お前にEを託すよ・・・・・・」と言ったことを覚えている。

Eとは小学校4年で転向してきて中学も一緒だった女子生徒の名前である。
どうやら彼はEにアタックして玉砕したようだ。
「託す・・・」というのも無茶苦茶なのだが。
Eは私と同じ高校に通っていた。
Eが彼女が入っていた音楽部の部長(一年先輩)に夢中だということを聞いてから、
私は気持ちを封印していたということはあった。
私が大学のころは、私の母がもうその頃健康を害していて、
入院していた病院の事務局にEが働いており、同級会で一緒になると決まって
「お母さんを大事になさいよ・・・・」と私に説教していた。
まあ、Eにそう言われることはとても嬉しいことではあった。

Tにそんなことを言われて、なんだTもEを好きだったのかと初めて知ったのだが、
私は律儀にも、そのあとEに一応アタックしたのだ。
見事な玉砕ぶりだった。
さんざんお説教されたのを覚えている。

で、私にとってTは「戦友」になったのだ。
しかし当時は今みたいに電話も発達していなくて、
気楽に連絡できる状況もなく、そのままTとも音信不通となっていた。

今日、Tに「俺もあの後アタックしたんだぜ・・・・・」と話したら、
Tは、そんなことあったんだよな、と大笑いしていた。

あんなに仲よかった、33名の同級生もいまほとんど分かっていない。
みんな結婚するくらいの時期から、音信が途絶えてしまっている。
私に関していえば、結婚して富山の家に入ったので、お盆や正月は
富山に帰るようになり、みんなが帰省する時期に帰れないということもあった。


今日を機会に、徐々に範囲を広げていって、昔のように
活発な同級会を復活させたいものだねと、約束してTと別れた。






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       「童心に返る」      2006.8.27