この「鎌倉街道散歩」を始めたのは、テレビ埼玉編の「鎌倉街道夢紀行」という本をたまたま手に入れて、面白いと思って始めました。
単に歴史好きな私の趣味でやっていることなので、「鎌倉街道」の究明とか大げさなものではなく、あくまで鎌倉街道沿いの「史跡めぐり」のつもりです。
で、経路とか史跡は基本的にテレビ埼玉編の「鎌倉街道夢紀行」に基づいて訪ねています。

2012年1月10日に、埼玉県立嵐山史跡の博物館の「鎌倉街道をゆく」展で、経路を裏付ける資料の紹介があったので、載せておこうと思いました。

1.「鎌倉街道夢紀行」の経路

「いざ鎌倉へ!」の終点は、鶴岡八幡宮の「流鏑馬道」です。

問題は起点です。
私は、埼玉県狭山市に住んでいるので、ここから起点にしてもいいのですが、それでは嵐山の菅谷館とか大蔵館が抜け落ちるのは、とうてい許せません。
「鎌倉街道夢紀行」では、高崎から先は、旧中山道を利用している、として高崎からスタートしています。
私も、高崎を起点にするつもりでいます。

これが「鎌倉街道夢紀行」で紹介している、上道の全体の経路図で、このサイトの「鎌倉街道散歩」のトップページにも、これを掲げています。




2.頼朝が浅間原まで巻狩りに出向いた際の経路

建久4年(1193)、源頼朝は信濃国の浅間原で巻狩りを行いました。鎌倉街道上道を通って現地に赴いております。なお、このとき畠山重忠も随行しています。

「曽我物語」巻5より「浅間の御狩の事」(東京大学付属図書館蔵)                       現代語訳です。
   



3.鎌倉から信州善光寺までの経路を示す記録

建久8年(1197)頼朝の善光寺参拝を機に、善光寺参拝の機運が高まり、多くの人が鎌倉街道(上道)を通じて善光寺へと足を運びました。
鎌倉極楽寺の僧といわれる明空によって編まれた歌謡集「宴曲抄」のなかに鎌倉街道沿いの地名を詠みこんだ「善光寺修行」という作品が収録されています。

「南無飛龍権現千手千眼日本第一大霊験善光寺修行」(国立公文書館蔵)


現代語訳です。



鎌倉街道要図(峰岸純夫「鎌倉街道上道-「宴曲抄」を中心に」から引用)














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鎌倉街道(上道)散歩



2012.1.13 作成


・テレビ埼玉編「鎌倉街道夢紀行」から
・頼朝が浅間原まで巻狩りに出向いた際の経路
・鎌倉から信州善光寺までの経路を示す記録

鎌倉街道上道・経路

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