小岩井農場は盛岡岡駅からバスで40分ほどでした。

岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、1890年(明治23年)11月1日に日本鉄道が東北本線を盛岡駅まで延伸開業した翌年の1891年(明治24年)、
日本鉄道会社副社長の小野義眞(おのぎしん)、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の三名が共同創始者となり、三名の姓の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられました。


宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば散策しました。中でも1922年(大正11年)5月の散策は、詩集『春と修羅』に収録された長詩「小岩井農場」のもとになりました。
591行という最長の作品で、賢治の思想がよく現れています。季節の循環を踏まえ、万物の生命が明滅するなかで、小岩井農場の姿がつぎつぎと更新していくさまに力を得、
賢治が「あたらしくまつすぐに起きて」と自らをはげます契機となりました。


詩は小岩井駅に降り立つところからはじまります。私が乗ったバスも小岩井駅を経由していきましたが、詩でも5里(20Km)とかかれているとおり、かなり距離がありました。
昔の人は歩くのが当たり前だったとはいえ、賢治はすごくよく歩いたんだと思う。


バスを「まき場園」で降り、入口で案内図を手に入れ歩きまわるルートを確認。



ちょっと中を眺めてから、まずは賢治の詩碑に向かいました。


「本部の気取った建物」と賢治が呼んだ小岩井農場本部事務所です。1903(明治36)年の建築で、現在は国登録有形文化財ですが、現在資料館になっていました。
真ん中の白い建物です。
後ろに見えるのが、レンガ造りのサイロで日本で最初に作られたサイロ。
      

まわりには3000頭居るそうですが、牛がのんびりとしています。
        



それから少し歩くと賢治の詩碑があります。


       



すみやかなすみやかな万法流転のなかに
小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
いかにも確かに継起するといふことが
どんなに新鮮な奇蹟だらう


この四行の碑文は、心象スケッチ「春と修羅」のなかの詩「小岩井農場」(パート1)から撰んだものです。
なお碑文に添えられた宮沢賢治の署名は、親友である森佐一(森荘己池)宛手紙の封筒に書かれていた賢治の直筆です。


宮沢賢治の詩碑から、昨日の雨のせいでぬかるんでいる道を歩いて30分ほど。
ついに「一本櫻」のところに。今回の旅はこの桜が咲いていることを期待して企画したのだが、今年の春は例年よりもかなり遅くなってしまい、
残念ながら、まだつぼみも膨らんでいなかったが、それでもそのたたずまいには感激した。
樹齢100年くらい。
堂々とした立ち姿にはしびれた。
背後の岩手山もほとんど姿を隠していたのが残念。

   



本来はこういう写真を撮りたかったのだ。
購入してきた絵葉書。





「一本櫻」との別れを惜しみながら帰る途中、道端に水芭蕉が咲いているのに気がついた。
あまり本数は無いが、ちょっとしたわずかな湿地に咲いていた。

       


どこを見渡しても、広々とした牧草が広がっていて、気持ちいいことかぎりなし。

        
                                                      赤い屋根が素敵な「小岩井乳業」の建物


また「まき場園」に戻ってきたときには、歩き疲れて汗だく。
ちょっと岩手山の裾が見えるようになっていた。


いままで歩きまわって汗かいて疲れた身体には、新鮮な牛乳とソフトクリームの美味しかったこと。






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お気に入りの場所


東北新幹線新盛岡駅から
バス「まきば園」まで40分


2010.4.24 訪問


明治24年に作られた国策的な農場。
宮沢賢治は農場とその周辺の景観を愛好し、しばしば
散策し、長編の詩「小岩井農場」を書いています。


小岩井農場

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