盛岡駅の駅前広場には、石川啄木の碑(ふるさとの山に向ひ て/言ふことなし/ふるさとの山はありがた きかな)があります。



時間があったら行こうと思っていた岩手銀行旧本店に、先に行くことにする。ここが一番駅から遠いので、こっちを先にした。地図を片手にずんずん歩いた。
途中の街なかに「馬具屋」さん発見!
こういうお店があるのかと驚いたが、よく考えると盛岡は「ちゃぐちゃぐ馬っこ」の町ではないか。さすがだね。

     



中津川に出てから川沿いに遊歩道を遡っていく。
岩手城跡公園にさしかかると、桜が咲いているのかなと入っていったら、梅だった。東北の春は遅い。




それからちょっと遡ったら、前方に中ノ橋が見えた。その橋の 右手に赤レンガ作りに緑の屋根の美しい建物 が見える。岩手銀行旧本店である。




旧盛岡銀行である岩手銀行中ノ橋支店は、 市街地の中心部に位置し中津川・中の橋と一体となって盛岡の代表的な景観を形成しています。
東京駅の設計者である葛西萬司(1863〜1942 盛岡市出身)が設計しており、 外観が東京駅に似ています。
明治44年に建てられたもので、赤レンガ造りに緑のドーム、 その輪郭はルネッサンス風の厳格さを現し、明治末期のレンガ組積造りは、 美しい絵画的効果を発揮し格調高くそびえています。

宮沢賢治もこの建物が気に入っていたようで 「岩手公園」という詩の最後に

弧光燈にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるる

と記しています。

              


平成6年に、民間企業の業務用店舗で現在使用中のものとしては、わが国で初めての重要文化財に指定されました。
    



中津川の橋を渡ると、テレビ岩手の庭があり、川との間の遊歩道にベンチがあったので、そこで対岸の岩手銀行旧本店を眺めながら休憩。
汗がひいたところで、テレビ岩手の庭の中央に実に美 しい半裸婦像がたっているとの事前調査の情報に従って眺める。
盛岡の作家、舟越保武氏の代 表作「杏」である。端正でみずみずしい美しさにあふれている。
       



また駅まで戻るのだが、ちょっと疲れたので帰りはバスに乗った。
盛岡駅のすぐそばを北上川が流れているが、宮沢賢治ゆかりの材木町に行くのには旭橋を渡る。
橋の上からきれいに岩手山が見えていた。午前中姿を隠していたが、やっとその綺麗な山容を見せてくれた。

しばし見とれた。




橋を渡って左に曲がると「いーはとーぶアベニュー材木町」に入った。
この商店街の街路には、賢治とその作品にちなんだモニュメントが並んでいて、独特の雰囲気があった。
案内図の脇にちょこんと座っている賢治スケッチによる「ふくろう」が可愛い。




まずは街入口付近の、背広姿の若々しい賢治に挨拶。
      



それから「光原社」に入った。
賢治の存命中にただ一つ出版された童話『注文の多い料理店』の出版社で、「光原社」という名前も賢治がつけたそうである。
中庭へ抜けると、賢治の顔のレリーフのある碑があり、脇に〈宮沢賢治イーハトーヴ童話「註文の多い料理店」出版の地〉の碑と、「烏 の北斗七星」の一節を刻んだ石柱がありました。
    


あゝマヂエル様
どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝように
早くこの世界がなりますように
そのためならばわたしのからだなどは
なんべん引き裂かれてもかまひません


この石柱に刻まれた作品が書かれた大正10年、賢治は突如上京して宗教団体「国柱会」に入りますが、 妹トシの病気のため帰郷します。
その年、花巻農学校の教諭となり、童話創作の最も旺盛な時期でした。



光原社の建物。ステンドグラスを使ったりして、当時はかなりモダンだったと思います。    壁にたくさん宮沢賢治の言葉を書いた一角がありました。
     



いまは民芸品店と、可否館(コーヒー店)がありました。
いままで歩き疲れていたので、ここで休憩しました。
カウンターに座りましたが、やはり人気の地ということで、ひっきりなしにお客さんが入ってきて、お店の若い女性が懸命にドリップしているのが、なんだか微笑ましかった(笑)。
入れてくれたコーヒーはとても美味しかった。
     


可否館で「注文の多い料理店」の挿絵の絵葉書を打っていました。



通りに、こんなお店もありました。




そろそろ駅に戻らないと、新幹線に遅れるということで、名残惜しく思いながら駅に向かい、今回の宮沢賢治の旅は終わりました。







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お気に入りの場所


東北新幹線盛岡駅

2010.4.24 訪問





盛岡

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