赤が鎌倉街道。緑のマーキングしてあるところが、訪ねたところ。




鳩山町の赤沼入り口から坂を下って行き、県道を真っ直ぐ進むと越辺川に突き当たりますが、鎌倉街道はその手前のおしゃもじ山のところで右に入っていき、ブック牧場の先で越辺川を渡ります。
今日は、最初に鎌倉街道からそれて、「苦林野古戦場跡」を訪ねます。

苦林野古戦場跡

貞治4年(1365)、当時関東最強の武士だった宇都宮氏の家臣、越後守護職・芳賀禅司入道高名は、一方的に守護職を降ろされたことの不満から反旗を翻し、
鎌倉公方で入間川御所に滞陣していた足利基氏と激戦を繰り広げました。
足利基氏軍3000騎に対し、芳賀氏の軍勢は800騎だったといいます。
合戦は二日間行われ、壮絶な戦いだったそうです
が、その絵巻が残っています。

太平記絵詞下巻(=第12巻) 国立歴史民俗博物館蔵
画面下段中央に、負傷した馬から降りて戦う鍬形のついた兜をかぶる基氏がいます。基氏がこのような戦いをするほど激戦だったわけですが、基氏軍が勝利を収めました。
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鎌倉街道側の県道171号から眺めます。「苦林野古戦場跡」の碑は、見えている森の向こうにありますから、芳賀氏の軍勢は森のある丘に拠って戦ったのかもしれませんね。



「苦林野古戦場跡」の碑は古墳の上にあります。太平記に「小塚の上にうちあがりて」とあるそうなので、この古墳のところで雌雄を決する激戦があったようです。
近くには、戦死者を供養するため江戸時代に立てられた千手観音の供養塔があります。
    


ブック牧場

鎌倉街道に戻って、街道沿いのブック牧場に立ち寄りました。
私が参考にしている資料では、川本町の畠山重忠公史跡公園にある重忠像の愛馬三日月は、この牧場の馬をモデルに作られたとあったからです。
牧場に近づいていくと、いきなりおウマさんが居てビックリ!
馬専門の牧場でした。北海道ならいざ知らず、この辺にこういう牧場があるとは吃驚です。
     


用も無いのに中に入っていくことがはばかれ、牧場の入り口付近から眺めるだけにしました。そこから見えるだけで11頭いましたから、けっこうな数の馬が居るようです。乗馬もしていました。
     


延慶(えんきょう)の板碑

ブック牧場の先で越辺川を渡り、街道探索の前に「延慶の板碑」を見にいきました。

      
この標識を見落とすと見つかりません。

この板碑は、もっと鎌倉街道に近い崇徳寺跡(町指定史跡)にあったものが、今の場所に移されたそうです。
移転の際に、基部から古瀬戸を利用した骨壷が出土しましたが、火葬骨が入っていて、しかも火葬骨には刀傷の痕があったそうです。
林の中に、ポツンと板碑だけ立っているのは、なんだか寂しくて可哀想ですね。
高さ3m、幅80cmの大型板碑には、雄大な胎蔵界大日如来の種子に深い蓮台が刻まれています。その紀年銘から延慶3年(1310)の建立であることがわかります。
高さもあり迫力もあります! 種子の彫りも深くシャープで美しいです。700年経っているとは思えません。

この青みがかった石材で造られた板碑は、関東特有のものです。
秩父・長瀞地域から産出される緑泥片岩(薄く板状にはがれる)から作られています。この石材が産出されるのは全国で二か所しかないそうです。


鎌倉街道旧道

「毛呂山町営大類グランド」と「毛呂山特別支援学校」に挟まれている道が鎌倉街道です。車が入らないので往時の面影が残っている土の道で、上つ道全体の中で素晴らしい街道跡と言われているところです。
大類グランドの駐車場に車を停めて歩きました。
大類グランド付近に説明版がありました。それを見るとこの辺には古墳が多いですね。


実に、いい感じですね。



A地点のところ、左側に古墳が4つあるそうですが、道のすぐ横に二つ見えます。
一つの頂上には庚申塔がありました。江戸時代のものです。
     

庚申塔というのは、庚申講が立てた石碑です。
庚申信仰は中国の道教で生まれた民間信仰で、人の体内に三尸(さんし)という虫が住んでおり、庚申の晩に抜け出して天帝に、その人の罪科を告げ口をするというものです。
それが日本に入ってきて仏教と結びつきますが、貴族から武家社会、そして農民に広まると「庚申講」というものに発展しました。
庚申の晩を眠らずに過ごすため、真面目な宗教的な集まりから次第に遊興的な集会に変ったようです。
私が子供のときに目撃したのは、女性だけの「庚申講」で、年に一度の女だけのの無礼講だったようです。
我家で開催されていたときに、あまりに騒がしいのでこっそり覗いたら、ひょうきんな、また卑猥な踊りをしていたので、驚いた記憶があります(笑)


林の中を、とても気持ちのいい土の道が続いています。
   


B地点のところ、県道を横切りますが、鎌倉街道の看板があり、しばらく畑道ですが、また林の中になります。
    


そして、私の持っている資料では「道は右にカーブするが、街道はまっすぐ林の中を進んだといわれ、林の中に入ってみるとまだ掘割状の街道跡が見られる」とあります。
そのC地点に行ってみると、驚きました。
開発の工事をしています。民間の工事じゃないといいのですが・・・・・・
街道のところだけ木を切って開いているようなので、街道保存の工事だと想えなくもないですね。
     


馬頭観音

この辺は、舗装されたいい道になっています。周りにちらほらと民家が建ちつつあり、発展途上の感じです。
馬頭観音は浮彫でいい感じですね。残念ながら、逆光できれいに撮れませんでした。
     


国渭地祇(くにいちき)神社

東上線西大家駅の手前に、延喜式内社の古社で国渭地祇神社がありましたので、参拝しました。
神社の名の意味は、国渭は大昔から流れている泉、地祇はその土地に結びついている神のことです。
      

境内に、こんな石碑がありました。「北辰」というのは北斗七星のことです。
仏教だと「妙見菩薩」の妙見が北斗七星を表します。


説明板を読むと、ここの獅子舞は先頭に万燈を立てたり、演目も豊富で、立派な獅子舞みたいですね。



西大家駅付近の面白い街道跡

鎌倉街道は、立派な舗装道路で国渭地祇神社前を進むと、西大家駅横の踏切を渡りますが、その先の街道の遺構が小川になっています!
こんな例は他には無いようで、珍しいとのことです。
     



その先はどうなっているか気になって辿ってみると、100mほど小川だけだったのが、小川の横に道ができました。一応この道が鎌倉街道ということになるのかな。











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鎌倉街道(上道)散歩

埼玉県入間郡毛呂山町、坂戸市

2011.11.9 散歩


・苦林野古戦場跡      ・馬頭観音
・ブック牧場        ・国渭地祇神社
・延慶の板碑        ・西大家駅付近
・鎌倉街道旧道



毛呂山・坂戸地区

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