越中八尾は富山から飛騨高山のほうに入っていく道筋にある。
和紙と養蚕が主要産物で人口一万五千ほどの小さな町。
中央を井田川という清流が流れ、馬の背のような狭い土地に町が出来ていて、
坂の多い町。
この町を全国的に有名にしているのが「越中おわら風の盆」。
二百十日の厄日である9月1日から三日三晩踊り明かす。
以前は盂蘭盆にしてたようだが、何時の頃からか二百十日になったという。
豊穣を祈る祭りになった。
「おわら風の盆」の起源は村の存続にかかわる重要な文書が戻ってきたので、
三日間、飲む、唄う、踊るの無礼講を許され、村中が三日三晩踊り明かしたのだという。
「おわら」の語源は、「大藁」とか「大笑い」から来ているそうだ。
やはり豊穣に関係ある。
民謡「越中おわら節」は難しいが、いい民謡で、民謡コンクールというと、この唄がよく選ばれる。
お囃子は胡弓、三味線、小太鼓。哀調を感じさせるメロディー。
歌詞は、ほとんどが恋唄である。
女性は、華やかな揃いの浴衣に絹の喪の帯、紅紐をきりりと顎に結んだ綾藺笠、紅緒の草履。娘さんたちは可憐で美しい。
深めに被られた編笠が、艶やかな姿をいっそう引き立てている。
踊りは殆ど座敷踊りに近い振り付けで、上品な色気に満ちている。
これとは対照的に、男性は地味目な漆黒の、しかし生地は羽二重、なんと一揃い40万円という法被、股引姿。いなせな姿。
町をぶらぶらしてたら、ある地区で、踊りの若い衆とか、お囃子の人たちが集まっていたので、その写真を撮っていたら、
輪踊りが始まって、続いて町流しになった。
駅でもらったチラシでは、どこの地区も夕方5時くらいからの予定だったので、これはラッキーだった。
四時から並んで演舞場のチケットを買って、自由席だからそのまま席取りをして見たが、いかんせんステージから遠かった。
すごいマンモスステージである。団体客用の指定席がすごく多かった。
自慢の10倍ズームをもってしても、ツラかった。
早々に切り上げ、前にのんびりと見たことがある八幡神社の境内に行ってみたら、人垣がすごくて、全然近寄れない。
しかし雰囲気はすごく良かった。カメラを頭の上で構えて撮った。当然ブレていたが、雰囲気はかなり出ている写真だった(嬉)
今回は作戦失敗。
最初から演舞場をあきらめて、八幡神社か聞名寺の境内での踊りを狙って場所取りをすべきだった。
夜になったら、人混みがすごくて、町流しなんか写真が撮れる状況でなかった。
翌日の新聞によると、13万人の人出だったそう。普段は一万五千人の町である(苦笑)
全国的に有名になってしまったので仕方ないが。カメラマンもめちゃくちゃ多かった。私みたいに埼玉から行く粋狂もいるのだから(苦笑)
八尾は坂の町である。向こうに見えている明かりは河原にある舞台。街のあちこちに舞台がある。
私は長野県で生まれ育って、25のとき結婚して富山県の人間になった。
28歳のとき、富山の友人に連れて行かれて「風の盆」を初めて見た。
私が子供の頃経験していた盆踊りとくらべ、こんなあでやかな盆踊りがあるのかと驚愕した。
まだ若く多感な私だったから、「越中おわら節」の民謡が私の心を揺さぶり、美しいあでやかな踊りが私の心を揺さぶった。
それ以来、私はこの「風の盆」にこころが惹かれてならない。
今回私が行った日は初日で、しかも日曜ということで、人が多すぎた。翌日の新聞では十三万人の人出だったそうだ。
はじめて行ったときは、未明3時ころまで見ていた。金曜か土曜の夜だったろう。
いまみたいに演舞場なんて無くて、お寺や神社の境内で、のんびり見た記憶がある。
深夜人の居ない路上で、十人くらいの土地の人が踊り興じているシーンが美しい記憶として残っている。
いまでも、平日の深夜なら、そういうシーンが見られるに違いない。
お気に入りの場所・祭り編 | 毎年9月1日〜3日 訪問:2002. 9. 1
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おわら風の盆 |