西暦 |
月日 |
元号 |
出来事 |
出典 |
702 |
300 |
大宝2年 |
隠岐は虫害、不作 |
|
708 |
714 |
和銅元年 |
隠岐国は長雨と台風で困窮し、国から使者が派遣されて救済策がこうじられる (続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
709 |
304 |
和銅2年 |
隠岐国は飢餓で困窮し、国から使者が派遣されて救済策がこうじられる (続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
717 |
|
霊亀3年 |
平城宮跡から、隠岐国周吉郡関係の木簡が出土 |
隠岐の文化財 |
721 |
819 |
養老5年 |
隠岐国は出雲按察使(アゼチ:奈良時代に設置された地方行政の監督官)の監督下におかれる(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
724 |
301 |
神亀元年 |
隠岐国は配流の地と定められる(配流には近国と遠国があり、隠岐は遠国に指定)(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
725 |
|
神亀2年 |
平城宮跡から、隠岐国関係の木簡が出土 |
隠岐の文化財 |
731 |
|
天平3年 |
平城宮跡から、隠岐国海士郡関係の木簡が出土 |
隠岐の文化財 |
731 |
825 |
天平3年 |
諸国の田租を免除される。隠岐国はそれに加えて天平以来未納であった稲も免除される(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
733 |
|
天平5年 |
平城宮跡から、隠岐国関係の木簡が出土し、この時代のものと判明 |
隠岐の文化財 |
733 |
219 |
天平5年 |
隠岐国は天平3・4年の正税帳を差し出す(正税帳) |
新修島根県史(年表篇) |
734 |
|
天平6年 |
平城宮跡から、隠岐国周吉郡関係の木簡が出土 |
隠岐の文化財 |
734 |
316 |
天平6年 |
出雲・隠岐の二国間に烽(のろし)を置くことを命ずる |
新修島根県史(年表篇) |
737 |
|
天平9年 |
平城宮跡から、隠岐国海士郡関係の木簡が出土(海士郡佐伎郷大井里よりワカメ6斤) |
隠岐の文化財 |
742 |
1017 |
天平13年 |
名草直高根の女を隠岐国へ配流す(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
745 |
|
天平17年 |
平城宮跡から、隠岐国役道郡都万関係の木簡が出土 |
隠岐の文化財 |
745 |
904 |
天平17年 |
諸国の公廨(コウゲ:役所)に、「大国四十万束、上国三十万束、中国二十万束、下国十万束とす、但し、隠岐国は三万束とす」と通達する(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
752 |
817 |
天平勝宝4年 |
京師の巫覡十七人を伊豆.隠岐.土佐等遠国へ配流す(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
758 |
928 |
天平宝字2年 |
出雲・石見等六国に飛駅鈴一口を頒布す(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
762 |
401 |
天平宝字6年 |
外従五位下、下道朝臣黒麻呂を隠岐守となす(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
763 |
1006 |
天平宝字7年 |
渤海国より帰朝中、隠岐国へ漂着した左兵衛正七位下板振鎌牢獄につながれる(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
763 |
1006 |
天平宝字7年 |
送渤海客使平群虫麻呂(へぐりのむしまろ)の一行が渤海国よりの帰途遭難し隠岐に漂着する |
島前の文化財 |
763 |
1229 |
天平宝字7年 |
造東大寺判官正六位葛井連根道は事件に連座して隠岐国に配流さる(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
764 |
918 |
天平宝字8年 |
恵美押勝の六子刷雄、隠岐国へ配流さる(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
764 |
1009 |
天平宝字8年 |
船親王、隠岐へ配流される。従五位下坂本朝臣男足を隠岐守となす(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
765 |
215 |
天平神護元年 |
隠岐国等飢餓(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
765 |
801 |
天平神護元年 |
従三位和気王の謀叛に連座し、従五位下石川朝臣永年を隠岐員外介とする。任地に至り数年にして自縊して死す(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
777 |
623 |
宝亀8年 |
隠岐国は飢餓。国はこれを救済す |
新修島根県史(年表篇) |
782 |
118 |
延暦元年 |
氷上川継の謀反に連座した正五位上山上朝臣船主を隠岐介に降ろす(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
782 |
326 |
延暦元年 |
船主を隠岐国に配流す(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
783 |
319 |
延暦2年 |
右大臣兼行近衛大将皇太子専藤原朝臣田麻呂死去。田麻呂は広嗣のことに連座して天平十二−十四年隠岐に配流さる(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
785 |
823 |
延暦4年 |
従五位下土師宿禰公足を隠岐守となす(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
785 |
924 |
延暦4年 |
藤原種継暗殺のことに連座して大伴家持の子右京亮大伴永主、隠岐国へ配流さる(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
787 |
526 |
延暦6年 |
従五位丈部大麻呂を隠岐守となす(続紀) |
新修島根県史(年表篇) |
792 |
614 |
延暦11年 |
諸国に健児(コンデイ:地方の富裕者の子弟によって組織される軍団)を置く、出雲国百人、石見国三十人、隠岐国三十人(三代格) |
新修島根県史(年表篇) |
795 |
1006 |
延暦14年 |
四世王深草、父を殴り隠岐国に配流さる(類聚史) |
新修島根県史(年表篇) |
799 |
513 |
延暦18年 |
前遣渤海使内蔵宿禰賀茂麻呂ら隠岐国知夫郡比奈麻治比売神(ヒナマチヒメ:宇賀・倉ノ谷の現氏神)へ幣することを乞い許さる(後記) |
新修島根県史(年表篇) |
799 |
513 |
延暦18年 |
宇賀の字神付(かんづき)に前遣渤海使内蔵宿祢賀茂麻呂(くらのすくねかもまろ)の一行が漂着した |
島前の文化財 |
799 |
815 |
延暦18年 |
豊前国宇佐郡人酒井勝小常、悪行により隠岐国に配流さる(後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
802 |
902 |
延暦21年 |
山城国人若湯座五月麻呂・右京人内蔵氏人三国島成・安曇継人らを隠岐国へ配流す、強盗を犯した罪による(類聚史) |
新修島根県史(年表篇) |
805 |
1107 |
延暦24年 |
隠岐国人外従八位上服部松守・釆女外従五位下服部美船女ら三人に臣姓を賜う(後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
809 |
224 |
大同4年 |
佐渡、隠岐両国に掾(ジョウ:官職)一員を置く(後紀)(三代格)では219 |
新修島根県史(年表篇) |
810 |
113 |
弘仁元年 |
隠岐国大同元年以来の未納三万二千束を免ず(類聚史) |
新修島根県史(年表篇) |
825 |
1203 |
天長2年 |
渤海国使高承祖ら百三人隠岐国に到来す(類聚史) |
新修島根県史(年表篇) |
830 |
1115 |
天長7年 |
隠岐等十一国に博士医師を置く(三代格) |
新修島根県史(年表篇) |
833 |
701 |
天長10年 |
弘仁年中隠岐国に配流せられたる西大寺泰山ら入京を許さる(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
838 |
|
承和5年 |
『日本後紀』(巻8)に焼火権現の記述あり |
隠岐の文化財 |
838 |
1010 |
承和5年 |
隠岐国無位比奈麻治比売神に従五位を授く(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
838 |
1203 |
承和5年 |
小野篁、隠岐国へ配流さる(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
840 |
214 |
承和7年 |
流人小野篁を赦免す(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
842 |
728 |
承和9年 |
春宮坊帯刀判健岑を隠岐国へ配流す(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
842 |
914 |
承和9年 |
隠岐国知夫郡由良比売命神.海部郡宇受加命神.穏地郡水若酢命神を官社となす(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
848 |
219 |
嘉祥元年 |
隠岐国天佐自比古命神に従五位下を授く(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
848 |
1116 |
嘉祥元年 |
隠岐国伊勢命神を明神の例に加う(続後紀) |
新修島根県史(年表篇) |
852 |
500 |
仁寿2年 |
五月隠岐等九国、甘露が降ったと言う(文徳) |
新修島根県史(年表篇) |
861 |
100 |
貞観3年 |
1月、渤海国使李居正ら百五十人、隠岐国より島根郡に来着す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
865 |
513 |
貞観7年 |
隠岐国司誤って配流中の判健岑を今般赦免になったかと思い放免し健岑入京す。勅して配所を出雲に移す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
866 |
923 |
貞観8年 |
応天門を焼くことに連座し、判宿禰中庸を隠岐国へ配流す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
866 |
1117 |
貞観8年 |
新羅侵冦の情勢にかんがみ、出雲・石見・隠岐等諸国に命令して邑境の諸神に幣白を捧げて鎮護を祈らしめる(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
867 |
526 |
貞観9年 |
八幅四天王像五舗をつくり、各一鋪を伯耆、出雲、石見、隠岐等国に下し、国毎に四天王寺を創り、春秋二季、各一七日間、法により薫修せしめ、新羅の賊心調伏につとめしむ(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
869 |
307 |
貞観11年 |
隠岐国、史生(シショウ:書記役人)一員を廃し弩師(ドシ:兵隊に弓を教える教師)一員を置く(三代、三代格) |
新修島根県史(年表篇) |
869 |
1026 |
貞観11年 |
隠岐国浪人安曇福雄が、前隠岐守越智宿禰と新羅人が共謀して反逆をはかれりと訴えて遠流に処せられる(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
869 |
1113 |
貞観11年 |
隠岐国で雌鶏が雄鶏に変わったという話があった(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
870 |
212 |
貞観12年 |
出雲、石見、隠岐等国に命令を下して、新羅に備え、警戒を固くさせる(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
870 |
805 |
貞観12年 |
隠岐国において貞観七、八両年に疫病で死しんだ百姓、三千百八十九人分の役を免ず(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
870 |
1225 |
貞観12年 |
隠岐国は調庸未進にして、本年中に完納が不能の者は翌年十二月三十日以前に必ず完納すべきことを命ず(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
871 |
|
貞観13年 |
『日本三代実録』(巻20)に焼火権現の記述あり |
隠岐の文化財 |
873 |
319 |
貞観15年 |
出雲、石見、隠岐等諸国に命令を下して、兵隊に厳戒体制をとらせ、不虞に備えさせる(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
876 |
608 |
貞観18年 |
隠岐国配流の伴中庸の子禅師麿を父の配所へ遣し、元孫.叔孫の二人を京師へ召還す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
878 |
517 |
元慶2年 |
隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位上に叙す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
878 |
623 |
元慶2年 |
因幡、伯耆、出雲、隠岐、長門等国に勅して周辺の警備を固くし、広く神仏に祈願し又四天王像前に調伏の法を修すべきことを命ず(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
880 |
228 |
元慶4年 |
隠岐国の兵庫が震動し、三日の後、庫中の鼓が自分から鳴たので、太政官を因幡、伯耆、出雲、隠岐国に下して辺防を警しむ(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
880 |
617 |
元慶4年 |
但馬国に怪船出没するにより但馬、因幡、伯耆、出雲、隠岐国等に特に候望を慎み不虞に備えしむ(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
881 |
428 |
元慶5年 |
大膳史生矢田部氏永氏の私奸に連座して主計史生従八位上置始連縄継を隠岐国史生に降任す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
884 |
327 |
元慶8年 |
隠岐国正六位上健須佐雄神(海士町西の氏神)を従五位下に叙す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
885 |
310 |
仁和元年 |
隠岐国従四位下天健金草明神を従四位上に叙す(三代) |
新修島根県史(年表篇) |
888 |
1003 |
仁和4年 |
新羅国人三十五人隠岐国に漂着す(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
889 |
226 |
寛平元年 |
隠岐国漂着の新羅人に米塩等を賜う(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
889 |
411 |
寛平元年 |
隠岐国従四位上健金草神を正四位下に、正六位上比奈麻治比売神を従四位下に叙す(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
894 |
919 |
寛平6年 |
延暦以来廃止していた出雲・隠岐間の烽候(ノロシ)を旧来のごとく復活する(三代格) |
新修島根県史(年表篇) |
906 |
713 |
延喜6年 |
隠岐国の天健金草命神が大風を吹かしめ、新羅の賊船を追退くと託宣ありと報告す(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
935 |
|
承平5年 |
「倭名類聚鈔」(935年頃)に記載の郷戸を基にして算出すれば、隠岐四郡12郷の戸数は六00戸であり、人口はおよそ8200〜9400人と推定 |
隠岐牧畑の歴史的研究 |
940 |
904 |
天慶3年 |
隠岐国正四位上天健金草神を従三位に叙す(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
942 |
1115 |
天慶5年 |
出雲国、新羅船七艘、隠岐国へ来着の事を報告する(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
943 |
|
天慶5年 |
新羅船七隻が隠岐に寄着(日本紀略) |
島前の文化財 |
943 |
1014 |
天慶6年 |
隠岐国、検非違使職を置くことを請う(別聚符宣抄) |
新修島根県史(年表篇) |
946 |
313 |
天慶9年 |
大初位下伊我部安国を隠岐国検非違使に補す(別聚符宣抄) |
新修島根県史(年表篇) |
967 |
|
康保4年 |
「延喜式」によると隠岐では十五社(十六座)があげられている。そのうち西ノ島にある神社 由良比女神社・大山神社・海神社(二座)・真気命神社・比奈麻治姫命神社の五社である |
延喜式神名帳 |
969 |
401 |
安和2年 |
前相模介藤原千晴、隠岐国へ配流さる(紀略) |
新修島根県史(年表篇) |
999 |
1227 |
長保元年 |
伊勢国にて闘争せるにより従五位下平致頼、藤原宗忠ら位記を去って隠岐、佐渡国へ配流す(紀略、小石記、権記、百錬抄、今昔物語) |
新修島根県史(年表篇) |
1010 |
100 |
寛弘7年 |
隠岐守藤原朝臣親通を解任し、藤原朝臣実雅を隠岐守に任ず(朝野群載) |
新修島根県史(年表篇) |
1014 |
100 |
長和3年 |
隠岐守藤原朝臣実雅を解任し(朝野群載)遠晴(姓闕)を隠岐守に任ず(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1029 |
|
長元3年 |
『栄華物語』(巻36)に焼火権現の記述あり |
隠岐の文化財 |
1038 |
219 |
長暦2年 |
典薬允源致親を隠岐国へ配流(世紀) |
新修島根県史(年表篇) |
1050 |
115 |
永承5年 |
興福寺のことにより前加賀守源頼房を隠岐へ配流す(扶桑) |
新修島根県史(年表篇) |
1063 |
1017 |
康平6年 |
興福寺僧静範を伊豆国へ配流し、連座するもの僧俗十六人を安房、常陸、佐度、隠岐、土佐等の国へ配流す(扶桑) |
新修島根県史(年表篇) |
1070 |
1016 |
延久2年 |
東大資料編纂所所蔵の「近衛家所領目録」に「知布利庄」の名が出てくる。 |
隠岐 |
1102 |
1228 |
康和4年 |
前対馬源義親を隠岐国へ配流す(百錬抄) |
新修島根県史(年表篇) |
1106 |
|
嘉承元年 |
是年、延行(姓闕)を隠岐守に任ず(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1108 |
106 |
天仁元年 |
因幡守平正盛、流人源義親を出雲に誅す |
新修島根県史(年表篇) |
1118 |
100 |
元永元年 |
実盛(姓闕)を隠岐守に任す(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1120 |
400 |
正治2年 |
文覚上人、隠岐島へ配流 |
島前の文化財 |
1126 |
1200 |
大治元年 |
藤原資定を隠岐守となす(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1130 |
100 |
大治5年 |
中原希遠を隠岐守となす(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1132 |
1000 |
長承元年 |
隠岐守大江行重、が任ぜられている(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1139 |
124 |
保延5年 |
右近衛少将藤原光忠、隠岐権介を兼ねる(公卿補任) |
新修島根県史(年表篇) |
1143 |
725 |
康治2年 |
藤原為貞、隠岐国へ配流さる(世紀) |
新修島根県史(年表篇) |
1147 |
718 |
久安3年 |
鳥羽法王、白河御所にて源氏・平氏の武士らを御覧になる、中に隠岐守平繁賢見ゆ(世紀) |
新修島根県史(年表篇) |
1152 |
200 |
仁平2年 |
隠岐守藤原家輔、任ぜられている(世紀) |
新修島根県史(年表篇) |
1154 |
100 |
久寿元年 |
隠岐守宗輔(姓闕)が任ぜられている(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1159 |
1225 |
平治元年 |
藤原脩範を隠岐に配流す(翌年に元の位に返る)(公卿補任) |
新修島根県史(年表篇) |
1169 |
200 |
嘉応元年 |
隠岐守家宗(姓闕)が任ぜられている(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1170 |
700 |
嘉応2年 |
是年七月ごろ隠岐島に鬼形の童出生す(百錬抄) |
新修島根県史(年表篇) |
1170 |
1000 |
嘉応2年 |
隠岐守源仲綱、が任ぜられる(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1172 |
423 |
承安2年 |
藤原家通を出雲権守とし(公卿補任)中原尚家を隠岐守となす(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1179 |
1000 |
治承3年 |
隠岐守惟頼(姓闕)が任ぜられる(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1182 |
800 |
寿永元年 |
隠岐守藤原能頼が任ぜられる(大日本史) |
新修島根県史(年表篇) |
1188 |
713 |
文治4年 |
隠岐守仲国、中村別府地頭の別府領、国務沙汰を訴う、頼朝、院旨により藤原重頼の非違を停む(吾妻鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1188 |
1123 |
文治4年 |
隠岐国犬来牧、宇賀牧以外を藤原重頼の濫妨するを頼朝、停止す(吾妻鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1191 |
430 |
建久2年 |
延暦寺の訴により、佐々木定綱、隠岐国に流さる(吾妻鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1193 |
1220 |
建久4年 |
近江守護兼石見、長門守護職佐々木定綱、隠岐国地頭職に補さる(吾妻鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1194 |
130 |
建久5年 |
藤原重季、隠岐守に復任す(除書部類) |
新修島根県史(年表篇) |
1197 |
300 |
建久8年 |
参議藤原公時の家人橘兼仲、隠岐国へ流さる(吾妻鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1221 |
805 |
承久3年 |
後鳥羽法王、隠岐に配流され、海士郡苅田郷源福寺に入らる(吾妻鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1239 |
222 |
延応元年 |
後鳥羽法王、隠岐苅田郷の行在所にて崩御(百錬抄) |
新修島根県史(年表篇) |
1270 |
500 |
文永7年 |
隠岐国、祈請のため宇須賀社に祭田を寄進す(村尾) |
新修島根県史(年表篇) |
1276 |
905 |
建治2年 |
隠岐守護佐々木泰清、僧慈蓮に美多荘大山社禰宜職を安堵す(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1289 |
900 |
正応2年 |
日吉社(旧山王権現)に奉納されている「大般若経巻六百」の奥書に正応二年(一二八九)九月供養了。願主沙弥西蓮。奉込隠岐国美多庄浦方山王御宝前 |
島前の文化財 |
1326 |
407 |
嘉歴元年 |
隠岐守護佐々木貞清、蓮浄に美多荘大山社禰宜職を安堵す(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1331 |
114 |
元弘元年 |
後醍醐天皇は鰐淵寺に天長地久の祈願をなさしむ(鰐淵寺) |
新修島根県史(年表篇) |
1332 |
307 |
元弘2年 |
後醍醐天皇、隠岐に流され給う(増鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1332 |
401 |
元弘2年 |
後醍醐天皇、出雲八杉津より三尾湊に赴き、ついで隠岐に航せらる(増鏡) |
新修島根県史(年表篇) |
1332 |
402 |
元弘2年 |
後醍醐天皇は都を追われ、隠岐の黒木に御到着なされた。 |
黒木村誌 |
1332 |
819 |
元弘2年 |
後醍醐天皇、鰐淵寺に心中祈願の儀を申し出る。 |
黒木村誌 |
1333 |
224 |
元弘3年 |
後醍醐天皇、隠岐の行在所を出て出雲に赴かる(太平記) |
新修島根県史(年表篇) |
1379 |
601 |
天授5年 |
隠岐美多荘公文円助、同国美多荘内の木畠、にしち畠を与えらる(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1391 |
410 |
元中8年 |
隠岐守護代富田義時、国分寺に原田郷四天王寺を安堵す(国代考証) |
新修島根県史(年表篇) |
1391 |
1108 |
元中8年 |
足利義満、後円融上皇御領出雲横田庄を出雲、隠岐、伯耆、丹波守護山名満幸の濫防するを停む(明徳記) |
新修島根県史(年表篇) |
1393 |
130 |
明徳4年 |
源満重、隠岐宇須賀社に神田を寄進す(村尾) |
新修島根県史(年表篇) |
1395 |
320 |
応永2年 |
京極高詮、山名満幸を京都に殺す功により出雲、隠岐守護職、闕所分を宛行わる(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1395 |
923 |
応永2年 |
桃井詮信、隠岐那具村地頭職を二百五十貫文にて佐々木治部少輔入道浄泰に売る、是日、足利義満、同村地頭職を浄泰に安堵す(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1395 |
1013 |
応永2年 |
隠岐守護代佐々木清泰、隠岐総社大明神に灯油田を寄進す(億伎) |
新修島根県史(年表篇) |
1401 |
825 |
応永8年 |
京極高詮、出雲、隠岐、飛騨三国守護職、所領、総領分を嫡子高光に譲る(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1411 |
1003 |
応永18年 |
隠岐村上左衛門五郎、海部公文職を安堵さる(村上) |
新修島根県史(年表篇) |
1413 |
819 |
応永20年 |
飛騨、隠岐、出雲守護京極高光、卒す(満済准后日記) |
新修島根県史(年表篇) |
1413 |
1022 |
応永20年 |
足利義持、京極吉童子丸(持光)に父高光の所領を安堵し、出雲、隠岐、飛騨三国の守護職に補す(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1417 |
521 |
応永24年 |
足利義持、京極吉童子丸(持光)に出雲、隠岐両国闕所分、出雲多禰郷を安堵す(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1425 |
|
応永32年 |
焼火山の入会は、島前各村(知夫里・浦郷・宇賀・福井・大・西・東・北分・布施・崎) |
隠岐 |
1427 |
416 |
応永34年 |
良円、隠岐美多荘二分方公文職に補せられる(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1429 |
720 |
永享元年 |
隠岐久清、伊勢命社に社領を安堵す(中西) |
新修島根県史(年表篇) |
1439 |
113 |
永享11年 |
出雲、隠岐、飛騨、近江半国守護京極持高、卒し、叔父高数、嗣ぐ(薩戎記) |
新修島根県史(年表篇) |
1441 |
1120 |
嘉吉元年 |
出雲守護京極高数、京都赤松邸にて闘死し、是日、幕府、京極持清を出雲、隠岐、飛騨、三国守護職に補し、その所領を安堵す(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1442 |
200 |
嘉吉2年 |
源某、隠岐宇須賀社に社領を寄進し、諸役を免じ守護使不入とす(村尾) |
新修島根県史(年表篇) |
1452 |
400 |
享徳元年 |
隠岐村上与四郎、段所納内、森屋敷分を宛行わる(村上) |
新修島根県史(年表篇) |
1457 |
618 |
長禄元年 |
隠岐守護京極持清、隠岐国分寺領十分一段銭を免除す(国代考証) |
新修島根県史(年表篇) |
1458 |
419 |
長禄2年 |
足利義政、弟義永の罪を赦し隠岐より召還す |
新修島根県史(年表篇) |
1458 |
824 |
長禄2年 |
隠岐玉若酢社、大風により破損す、京極持清、守護代隠岐清秀、小守護代重栖清重をして同国内に棟別銭を課し修理せしむ(玉若酢神社) |
新修島根県史(年表篇) |
1460 |
624 |
寛正元年 |
近江、飛騨、出雲、隠岐守護京極持清、出家す(碧山日禄) |
新修島根県史(年表篇) |
1467 |
520 |
応仁元年 |
出雲、隠岐守護京極持清、東軍細川勝元に、石見守護山名政清、西軍山名宗全に味方す(応仁記) |
新修島根県史(年表篇) |
1469 |
|
文明元年 |
出雲・隠岐の将士、朝鮮と交易す(海東諸国記) |
新修島根県史(年表篇) |
1469 |
507 |
文明元年 |
足利義政、出雲、隠岐、飛騨守護京極持清に近江守護職を加う(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1470 |
425 |
文明2年 |
京極持清、尼子清定に命じ、隠岐の船の美保関の船役を免ぜしむ(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1470 |
804 |
文明2年 |
京極持清、卒し、京極孫童子丸、出雲、隠岐、飛騨、近江守護職に補さる(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1471 |
516 |
文明3年 |
幕府、出雲、隠岐の国人らの直訴を禁じ京極孫童子丸をして国内の政務を裁決せしむ(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1471 |
821 |
文明3年 |
孫童子丸の死去により京極政高、出雲、隠岐、飛騨守護職に補さる(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1471 |
903 |
文明3年 |
隠岐佐々木栄煕、朝鮮に通行す(李朝実録) |
新修島根県史(年表篇) |
1475 |
915 |
文明7年 |
佐々木清綱、隠岐西郷の地を甲尾八幡宮に寄進す(億伎) |
新修島根県史(年表篇) |
1482 |
1219 |
文明14年 |
幕府、京極政経、尼子経久をして出雲、隠岐に段銭(タンセン:政府の臨時課税)を課せしむ(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1484 |
815 |
文明16年 |
出雲三沢為清、隠岐笠置宗右衛門の忠節を賞し田二段を宛行う(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1499 |
524 |
明応8年 |
寺本清真、隠岐総社八幡宮に神田を寄進す(億伎) |
新修島根県史(年表篇) |
1508 |
1025 |
永正5年 |
京極政経、吉童子丸に総領職、出雲、隠岐、飛騨守護職、諸国所領を譲る(佐々木) |
新修島根県史(年表篇) |
1512 |
1008 |
永正9年 |
隠岐守護代隠岐宗清、海士郡公文職の田畠、八幡田新屋を村上右京助に安堵す(村上) |
新修島根県史(年表篇) |
1541 |
1113 |
天文10年 |
出雲、伯耆、隠岐守護職、伊予守尼子経久、卒す(陰徳記) |
新修島根県史(年表篇) |
1544 |
913 |
天文13年 |
隠岐豊清、亡父隠岐守護代宗清菩提のため寺領を出雲清安寺に寄進す(清安寺) |
新修島根県史(年表篇) |
1563 |
900 |
永禄6年 |
隠岐幸清、焼火社に尼子義久の戦勝を祈願す(焼火神社) |
新修島根県史(年表篇) |
1565 |
506 |
永禄8年 |
尼子義久、笠木与三右衛門の出雲十神山、白鹿の戦功を賞し隠岐にて地を宛行う(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1566 |
702 |
永禄9年 |
但馬の海賊、隠岐豊田、海士森城を攻め撃退さる(村上) |
新修島根県史(年表篇) |
1569 |
623 |
永禄12年 |
山中幸盛、尼子勝久を擁して隠岐より出雲に入る(陰徳記) |
新修島根県史(年表篇) |
1570 |
500 |
元亀元年 |
丹波、但馬の海賊、勝久に応じ出雲、隠岐の海岸を荒し7月に及ぶ(清水寺、村上) |
新修島根県史(年表篇) |
1579 |
400 |
天正7年 |
開山狭蓮社善誉上人哲道大和尚、「浄土宗大年表」には「正親町天皇天正七年四月、隠岐に専念寺を起立す」とあるように開山の年は天正七年である。「慶長十一年開山哲道上人寂す壽七十八」と同年表にある。 |
浄土宗大年表 |
1582 |
|
天正10年 |
隠岐氏が滅亡し、隠岐は毛利領となる |
隠岐 |
1583 |
123 |
天正11年 |
隠岐経清、隠岐における米、麦、大豆等の値段を定む(村上) |
新修島根県史(年表篇) |
1583 |
1201 |
天正11年 |
簾吉政、隠岐笠置宗右衛門の所領を安堵す(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1585 |
707 |
天正13年 |
簾忠昌、隠岐焼火権現に社田を寄進す(焼火神社) |
新修島根県史(年表篇) |
1585 |
722 |
天正13年 |
幕府の御用船、観音丸(島前)・日吉丸(島後)が建造される |
隠岐の文化財 |
1587 |
817 |
天正15年 |
簾吉章、笠置宗右衛門に隠岐道蓮名屋敷を安堵す(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1590 |
|
天正18年 |
美田八幡宮の棟札から、この時代には既に十方拝礼(しゅうはいら)が行われていた |
島前の文化財 |
1590 |
818 |
天正18年 |
豊臣秀吉、吉川広永をしてその分国、出雲、、石見、隠岐の刀狩りを行わしむ(吉川) |
新修島根県史(年表篇) |
1590 |
1215 |
天正18年 |
隠岐笠置善左衛門尉、広島に赴き毛利輝元に謁し、美多荘公文職を安堵さる(笠置) |
新修島根県史(年表篇) |
1591 |
314 |
天正19年 |
豊臣秀吉、諸国を検地し、諸大名に朱印状を与う、毛利輝元、安芸、備後、周防、長門、伯耆三郡、備中半国、出雲、石見、隠岐百十二万石の朱印状を与えらる(毛利) |
新修島根県史(年表篇) |
1595 |
|
文禄4年 |
毛利輝元、出雲・石見・隠岐の検地を行う(萩閥) |
新修島根県史(年表篇) |
1596 |
313 |
慶長元年 |
豊臣秀吉、隠岐鉛山採掘を吉川広家に許す(吉川) |
新修島根県史(年表篇) |
1599 |
700 |
慶長4年 |
毛利輝元、隠岐国知夫郡別府に検地を行う(別府検地帳) |
新修島根県史(年表篇) |
1599 |
821 |
慶長4年 |
吉川広家、隠岐一宮大明神に社領を寄進す(忌部) |
新修島根県史(年表篇) |
1600 |
509 |
慶長5年 |
慶長5.9堀尾吉晴出雲隠岐24万石に封ぜられる。(私領) |
|
1607 |
|
慶長12年 |
島後において検地がおこなわれる「古検」 |
隠岐の文化財 |
1608 |
|
慶長13年 |
飛鳥井雅賢、配流され隠岐島海士村に着島、寛永二年逝去 |
新修島根県史(年表篇) |
1610 |
|
慶長15年 |
堀尾忠晴、村上九郎右衛門尉に隠岐国海士郡三ヶ村、寺分共公文職を命ず(村上文書) |
新修島根県史(年表篇) |
1613 |
|
慶長18年 |
幕府の御用船観音丸の船頭(美田尻の面屋久右衛門)船大工(市部の甚左衛門)に御免除屋敷が与えられる |
黒木村誌 |
1613 |
|
慶長18年 |
島前において検地がおこなわれる「古検」 |
隠岐の文化財 |
1617 |
|
元和3年 |
島前美田村々内宮崎村名寄帳(元和三年=1617)に伊佐津牧、仁具牧、犬牧、日余牧の四牧から成る牧畑が見られる |
隠岐牧畑の歴史的研究 |
1617 |
703 |
元和3年 |
隠岐国百姓三郎左衛門、善兵衛両人連署目安を上がる、代官竹林弥惣左衛門自決を命ぜられ、穏地郡百姓年貢全額免除、周吉郡同半額免除、翌四年御仕置村(堀尾古記、国代考証) |
新修島根県史(年表篇) |
1624 |
|
|
奉念大慈大悲二世安楽之□ |
【焼火神社棟札】 |
1629 |
|
|
奉新建立焼火山雲上寺鳥居成就 |
【焼火神社棟札栂】 |
1629 |
|
|
奉再建立焼火山雲上寺御社□一宇成就 |
【焼火神社棟札栂】 |
1631 |
|
|
奉□□大般若経一部□天下様御□□神前抽御折□之精誠□ |
【焼火神社棟札】 |
1632 |
124 |
寛永9年 |
是夏後水尾法王、隠岐後鳥羽院旧蹟御吊の為、勅使水無瀬中納言氏成を隠岐に下向せしめらる、氏成和歌一巻を源福寺に納む(隠州往古以来諸式年代略記) |
新修島根県史(年表篇) |
1633 |
|
寛永10年 |
大巡見。市橋伊豆守・村越七郎右衛門・拓殖平右衛門 |
島前の文化財 |
1633 |
600 |
寛永10年 |
巡遣使来島 |
新修島根県史(年表篇) |
1633 |
920 |
寛永10年 |
堀尾忠晴死去。嗣子なく堀尾家断絶幕府直轄となる。池田出雲守・古田兵部・小出大和守の支配下(天領) |
|
1634 |
706 |
寛永11年 |
京極若狭守、若狭並敦賀より雲、隠両国(二十六万四千二百石余)に移封さる、幕府、上使として板倉内膳正重昌を遣す(徳川実紀) |
新修島根県史(年表篇) |
1634 |
706 |
寛永11年 |
京極若狭守忠高、若狭敦賀より出雲隠岐24万4千2百石に移封(私領) |
|
1637 |
612 |
寛永14年 |
京極忠高死去。嗣子なく12月22日出雲隠岐両国は幕府直轄となる(天領直轄)(古田兵部・小出大和守・亀井能登守) |
|
1638 |
211 |
寛永15年 |
松平出羽守直政、信濃国松本から出雲18万6千石に封ぜられ、隠岐1万8千石を預けられる(松江藩預かり) |
|
1638 |
322 |
寛永15年 |
松平直政の家臣、乙部可正、塩見宅成等出雲に入り松江城を請とり、団弥一右衛門等隠岐に渡り京極家家臣坂井庄左衛門より隠岐をひきつぐ |
新修島根県史(年表篇) |
1641 |
|
寛永18年 |
焼火神社近辺に杉を植林する |
黒木村誌 |
1650 |
|
|
奉新建立焼火山雲上寺舎精一宇棟上成就 |
【焼火神社棟札栂】 |
1655 |
|
|
奉新建立焼火山拝殿一宇棟上御湯立成就 |
【焼火神社棟札桧】 |
1656 |
|
|
奉新建立焼火山雲上寺鐘楼堂一宇棟上成就 |
【焼火神社棟札桧】 |
1657 |
|
|
|
【焼火神社】 |
1658 |
1000 |
万治元年 |
松平直政、隠岐国海士郡海士村後鳥羽天皇山陵を修理し、社殿を新造し、祭典を興す(藩祖御事蹟) |
新修島根県史(年表篇) |