西暦

月日

元号

出来事

出典

702

300

大宝2年

隠岐は虫害、不作

708

714

和銅元年

隠岐国は長雨と台風で困窮し、国から使者が派遣されて救済策がこうじられる (続紀)

新修島根県史(年表篇)

709

304

和銅2年

隠岐国は飢餓で困窮し、国から使者が派遣されて救済策がこうじられる (続紀)

新修島根県史(年表篇)

717

霊亀3年

平城宮跡から、隠岐国周吉郡関係の木簡が出土

隠岐の文化財

721

819

養老5年

隠岐国は出雲按察使(アゼチ:奈良時代に設置された地方行政の監督官)の監督下におかれる(続紀)

新修島根県史(年表篇)

724

301

神亀元年

隠岐国は配流の地と定められる(配流には近国と遠国があり、隠岐は遠国に指定)(続紀)

新修島根県史(年表篇)

725

神亀2年

平城宮跡から、隠岐国関係の木簡が出土

隠岐の文化財

731

天平3年

平城宮跡から、隠岐国海士郡関係の木簡が出土

隠岐の文化財

731

825

天平3年

諸国の田租を免除される。隠岐国はそれに加えて天平以来未納であった稲も免除される(続紀)

新修島根県史(年表篇)

733

天平5年

平城宮跡から、隠岐国関係の木簡が出土し、この時代のものと判明

隠岐の文化財

733

219

天平5年

隠岐国は天平3・4年の正税帳を差し出す(正税帳)

新修島根県史(年表篇)

734

天平6年

平城宮跡から、隠岐国周吉郡関係の木簡が出土

隠岐の文化財

734

316

天平6年

出雲・隠岐の二国間に烽(のろし)を置くことを命ずる

新修島根県史(年表篇)

737

天平9年

平城宮跡から、隠岐国海士郡関係の木簡が出土(海士郡佐伎郷大井里よりワカメ6斤)

隠岐の文化財

742

1017

天平13年

名草直高根の女を隠岐国へ配流す(続紀)

新修島根県史(年表篇)

745

天平17年

平城宮跡から、隠岐国役道郡都万関係の木簡が出土

隠岐の文化財

745

904

天平17年

諸国の公廨(コウゲ:役所)に、「大国四十万束、上国三十万束、中国二十万束、下国十万束とす、但し、隠岐国は三万束とす」と通達する(続紀)

新修島根県史(年表篇)

752

817

天平勝宝4年

京師の巫覡十七人を伊豆.隠岐.土佐等遠国へ配流す(続紀)

新修島根県史(年表篇)

758

928

天平宝字2年

出雲・石見等六国に飛駅鈴一口を頒布す(続紀)

新修島根県史(年表篇)

762

401

天平宝字6年

外従五位下、下道朝臣黒麻呂を隠岐守となす(続紀)

新修島根県史(年表篇)

763

1006

天平宝字7年

渤海国より帰朝中、隠岐国へ漂着した左兵衛正七位下板振鎌牢獄につながれる(続紀)

新修島根県史(年表篇)

763

1006

天平宝字7年

送渤海客使平群虫麻呂(へぐりのむしまろ)の一行が渤海国よりの帰途遭難し隠岐に漂着する

島前の文化財

763

1229

天平宝字7年

造東大寺判官正六位葛井連根道は事件に連座して隠岐国に配流さる(続紀)

新修島根県史(年表篇)

764

918

天平宝字8年

恵美押勝の六子刷雄、隠岐国へ配流さる(続紀)

新修島根県史(年表篇)

764

1009

天平宝字8年

船親王、隠岐へ配流される。従五位下坂本朝臣男足を隠岐守となす(続紀)

新修島根県史(年表篇)

765

215

天平神護元年

隠岐国等飢餓(続紀)

新修島根県史(年表篇)

765

801

天平神護元年

従三位和気王の謀叛に連座し、従五位下石川朝臣永年を隠岐員外介とする。任地に至り数年にして自縊して死す(続紀)

新修島根県史(年表篇)

777

623

宝亀8年

隠岐国は飢餓。国はこれを救済す

新修島根県史(年表篇)

782

118

延暦元年

氷上川継の謀反に連座した正五位上山上朝臣船主を隠岐介に降ろす(続紀)

新修島根県史(年表篇)

782

326

延暦元年

船主を隠岐国に配流す(続紀)

新修島根県史(年表篇)

783

319

延暦2年

右大臣兼行近衛大将皇太子専藤原朝臣田麻呂死去。田麻呂は広嗣のことに連座して天平十二−十四年隠岐に配流さる(続紀)

新修島根県史(年表篇)

785

823

延暦4年

従五位下土師宿禰公足を隠岐守となす(続紀)

新修島根県史(年表篇)

785

924

延暦4年

藤原種継暗殺のことに連座して大伴家持の子右京亮大伴永主、隠岐国へ配流さる(紀略)

新修島根県史(年表篇)

787

526

延暦6年

従五位丈部大麻呂を隠岐守となす(続紀)

新修島根県史(年表篇)

792

614

延暦11年

諸国に健児(コンデイ:地方の富裕者の子弟によって組織される軍団)を置く、出雲国百人、石見国三十人、隠岐国三十人(三代格)

新修島根県史(年表篇)

795

1006

延暦14年

四世王深草、父を殴り隠岐国に配流さる(類聚史)

新修島根県史(年表篇)

799

513

延暦18年

前遣渤海使内蔵宿禰賀茂麻呂ら隠岐国知夫郡比奈麻治比売神(ヒナマチヒメ:宇賀・倉ノ谷の現氏神)へ幣することを乞い許さる(後記)

新修島根県史(年表篇)

799

513

延暦18年

宇賀の字神付(かんづき)に前遣渤海使内蔵宿祢賀茂麻呂(くらのすくねかもまろ)の一行が漂着した

島前の文化財

799

815

延暦18年

豊前国宇佐郡人酒井勝小常、悪行により隠岐国に配流さる(後紀)

新修島根県史(年表篇)

802

902

延暦21年

山城国人若湯座五月麻呂・右京人内蔵氏人三国島成・安曇継人らを隠岐国へ配流す、強盗を犯した罪による(類聚史)

新修島根県史(年表篇)

805

1107

延暦24年

隠岐国人外従八位上服部松守・釆女外従五位下服部美船女ら三人に臣姓を賜う(後紀)

新修島根県史(年表篇)

809

224

大同4年

佐渡、隠岐両国に掾(ジョウ:官職)一員を置く(後紀)(三代格)では219

新修島根県史(年表篇)

810

113

弘仁元年

隠岐国大同元年以来の未納三万二千束を免ず(類聚史)

新修島根県史(年表篇)

825

1203

天長2年

渤海国使高承祖ら百三人隠岐国に到来す(類聚史)

新修島根県史(年表篇)

830

1115

天長7年

隠岐等十一国に博士医師を置く(三代格)

新修島根県史(年表篇)

833

701

天長10年

弘仁年中隠岐国に配流せられたる西大寺泰山ら入京を許さる(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

838

承和5年

『日本後紀』(巻8)に焼火権現の記述あり

隠岐の文化財

838

1010

承和5年

隠岐国無位比奈麻治比売神に従五位を授く(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

838

1203

承和5年

小野篁、隠岐国へ配流さる(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

840

214

承和7年

流人小野篁を赦免す(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

842

728

承和9年

春宮坊帯刀判健岑を隠岐国へ配流す(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

842

914

承和9年

隠岐国知夫郡由良比売命神.海部郡宇受加命神.穏地郡水若酢命神を官社となす(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

848

219

嘉祥元年

隠岐国天佐自比古命神に従五位下を授く(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

848

1116

嘉祥元年

隠岐国伊勢命神を明神の例に加う(続後紀)

新修島根県史(年表篇)

852

500

仁寿2年

五月隠岐等九国、甘露が降ったと言う(文徳)

新修島根県史(年表篇)

861

100

貞観3年

1月、渤海国使李居正ら百五十人、隠岐国より島根郡に来着す(三代)

新修島根県史(年表篇)

865

513

貞観7年

隠岐国司誤って配流中の判健岑を今般赦免になったかと思い放免し健岑入京す。勅して配所を出雲に移す(三代)

新修島根県史(年表篇)

866

923

貞観8年

応天門を焼くことに連座し、判宿禰中庸を隠岐国へ配流す(三代)

新修島根県史(年表篇)

866

1117

貞観8年

新羅侵冦の情勢にかんがみ、出雲・石見・隠岐等諸国に命令して邑境の諸神に幣白を捧げて鎮護を祈らしめる(三代)

新修島根県史(年表篇)

867

526

貞観9年

八幅四天王像五舗をつくり、各一鋪を伯耆、出雲、石見、隠岐等国に下し、国毎に四天王寺を創り、春秋二季、各一七日間、法により薫修せしめ、新羅の賊心調伏につとめしむ(三代)

新修島根県史(年表篇)

869

307

貞観11年

隠岐国、史生(シショウ:書記役人)一員を廃し弩師(ドシ:兵隊に弓を教える教師)一員を置く(三代、三代格)

新修島根県史(年表篇)

869

1026

貞観11年

隠岐国浪人安曇福雄が、前隠岐守越智宿禰と新羅人が共謀して反逆をはかれりと訴えて遠流に処せられる(三代)

新修島根県史(年表篇)

869

1113

貞観11年

隠岐国で雌鶏が雄鶏に変わったという話があった(三代)

新修島根県史(年表篇)

870

212

貞観12年

出雲、石見、隠岐等国に命令を下して、新羅に備え、警戒を固くさせる(三代)

新修島根県史(年表篇)

870

805

貞観12年

隠岐国において貞観七、八両年に疫病で死しんだ百姓、三千百八十九人分の役を免ず(三代)

新修島根県史(年表篇)

870

1225

貞観12年

隠岐国は調庸未進にして、本年中に完納が不能の者は翌年十二月三十日以前に必ず完納すべきことを命ず(三代)

新修島根県史(年表篇)

871

貞観13年

『日本三代実録』(巻20)に焼火権現の記述あり

隠岐の文化財

873

319

貞観15年

出雲、石見、隠岐等諸国に命令を下して、兵隊に厳戒体制をとらせ、不虞に備えさせる(三代)

新修島根県史(年表篇)

876

608

貞観18年

隠岐国配流の伴中庸の子禅師麿を父の配所へ遣し、元孫.叔孫の二人を京師へ召還す(三代)

新修島根県史(年表篇)

878

517

元慶2年

隠岐国正五位下比奈麻治比売神を正五位上に叙す(三代)

新修島根県史(年表篇)

878

623

元慶2年

因幡、伯耆、出雲、隠岐、長門等国に勅して周辺の警備を固くし、広く神仏に祈願し又四天王像前に調伏の法を修すべきことを命ず(三代)

新修島根県史(年表篇)

880

228

元慶4年

隠岐国の兵庫が震動し、三日の後、庫中の鼓が自分から鳴たので、太政官を因幡、伯耆、出雲、隠岐国に下して辺防を警しむ(三代)

新修島根県史(年表篇)

880

617

元慶4年

但馬国に怪船出没するにより但馬、因幡、伯耆、出雲、隠岐国等に特に候望を慎み不虞に備えしむ(三代)

新修島根県史(年表篇)

881

428

元慶5年

大膳史生矢田部氏永氏の私奸に連座して主計史生従八位上置始連縄継を隠岐国史生に降任す(三代)

新修島根県史(年表篇)

884

327

元慶8年

隠岐国正六位上健須佐雄神(海士町西の氏神)を従五位下に叙す(三代)

新修島根県史(年表篇)

885

310

仁和元年

隠岐国従四位下天健金草明神を従四位上に叙す(三代)

新修島根県史(年表篇)

888

1003

仁和4年

新羅国人三十五人隠岐国に漂着す(紀略)

新修島根県史(年表篇)

889

226

寛平元年

隠岐国漂着の新羅人に米塩等を賜う(紀略)

新修島根県史(年表篇)

889

411

寛平元年

隠岐国従四位上健金草神を正四位下に、正六位上比奈麻治比売神を従四位下に叙す(紀略)

新修島根県史(年表篇)

894

919

寛平6年

延暦以来廃止していた出雲・隠岐間の烽候(ノロシ)を旧来のごとく復活する(三代格)

新修島根県史(年表篇)

906

713

延喜6年

隠岐国の天健金草命神が大風を吹かしめ、新羅の賊船を追退くと託宣ありと報告す(紀略)

新修島根県史(年表篇)

935

承平5年

「倭名類聚鈔」(935年頃)に記載の郷戸を基にして算出すれば、隠岐四郡12郷の戸数は六00戸であり、人口はおよそ8200〜9400人と推定

隠岐牧畑の歴史的研究

940

904

天慶3年

隠岐国正四位上天健金草神を従三位に叙す(紀略)

新修島根県史(年表篇)

942

1115

天慶5年

出雲国、新羅船七艘、隠岐国へ来着の事を報告する(紀略)

新修島根県史(年表篇)

943

天慶5年

新羅船七隻が隠岐に寄着(日本紀略)

島前の文化財

943

1014

天慶6年

隠岐国、検非違使職を置くことを請う(別聚符宣抄)

新修島根県史(年表篇)

946

313

天慶9年

大初位下伊我部安国を隠岐国検非違使に補す(別聚符宣抄)

新修島根県史(年表篇)

967

康保4年

「延喜式」によると隠岐では十五社(十六座)があげられている。そのうち西ノ島にある神社 由良比女神社・大山神社・海神社(二座)・真気命神社・比奈麻治姫命神社の五社である

延喜式神名帳

969

401

安和2年

前相模介藤原千晴、隠岐国へ配流さる(紀略)

新修島根県史(年表篇)

999

1227

長保元年

伊勢国にて闘争せるにより従五位下平致頼、藤原宗忠ら位記を去って隠岐、佐渡国へ配流す(紀略、小石記、権記、百錬抄、今昔物語)

新修島根県史(年表篇)

1010

100

寛弘7年

隠岐守藤原朝臣親通を解任し、藤原朝臣実雅を隠岐守に任ず(朝野群載)

新修島根県史(年表篇)

1014

100

長和3年

隠岐守藤原朝臣実雅を解任し(朝野群載)遠晴(姓闕)を隠岐守に任ず(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1029

長元3年

『栄華物語』(巻36)に焼火権現の記述あり

隠岐の文化財

1038

219

長暦2年

典薬允源致親を隠岐国へ配流(世紀)

新修島根県史(年表篇)

1050

115

永承5年

興福寺のことにより前加賀守源頼房を隠岐へ配流す(扶桑)

新修島根県史(年表篇)

1063

1017

康平6年

興福寺僧静範を伊豆国へ配流し、連座するもの僧俗十六人を安房、常陸、佐度、隠岐、土佐等の国へ配流す(扶桑)

新修島根県史(年表篇)

1070

1016

延久2年

東大資料編纂所所蔵の「近衛家所領目録」に「知布利庄」の名が出てくる。

隠岐

1102

1228

康和4年

前対馬源義親を隠岐国へ配流す(百錬抄)

新修島根県史(年表篇)

1106

嘉承元年

是年、延行(姓闕)を隠岐守に任ず(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1108

106

天仁元年

因幡守平正盛、流人源義親を出雲に誅す

新修島根県史(年表篇)

1118

100

元永元年

実盛(姓闕)を隠岐守に任す(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1120

400

正治2年

文覚上人、隠岐島へ配流

島前の文化財

1126

1200

大治元年

藤原資定を隠岐守となす(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1130

100

大治5年

中原希遠を隠岐守となす(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1132

1000

長承元年

隠岐守大江行重、が任ぜられている(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1139

124

保延5年

右近衛少将藤原光忠、隠岐権介を兼ねる(公卿補任)

新修島根県史(年表篇)

1143

725

康治2年

藤原為貞、隠岐国へ配流さる(世紀)

新修島根県史(年表篇)

1147

718

久安3年

鳥羽法王、白河御所にて源氏・平氏の武士らを御覧になる、中に隠岐守平繁賢見ゆ(世紀)

新修島根県史(年表篇)

1152

200

仁平2年

隠岐守藤原家輔、任ぜられている(世紀)

新修島根県史(年表篇)

1154

100

久寿元年

隠岐守宗輔(姓闕)が任ぜられている(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1159

1225

平治元年

藤原脩範を隠岐に配流す(翌年に元の位に返る)(公卿補任)

新修島根県史(年表篇)

1169

200

嘉応元年

隠岐守家宗(姓闕)が任ぜられている(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1170

700

嘉応2年

是年七月ごろ隠岐島に鬼形の童出生す(百錬抄)

新修島根県史(年表篇)

1170

1000

嘉応2年

隠岐守源仲綱、が任ぜられる(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1172

423

承安2年

藤原家通を出雲権守とし(公卿補任)中原尚家を隠岐守となす(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1179

1000

治承3年

隠岐守惟頼(姓闕)が任ぜられる(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1182

800

寿永元年

隠岐守藤原能頼が任ぜられる(大日本史)

新修島根県史(年表篇)

1188

713

文治4年

隠岐守仲国、中村別府地頭の別府領、国務沙汰を訴う、頼朝、院旨により藤原重頼の非違を停む(吾妻鏡)

新修島根県史(年表篇)

1188

1123

文治4年

隠岐国犬来牧、宇賀牧以外を藤原重頼の濫妨するを頼朝、停止す(吾妻鏡)

新修島根県史(年表篇)

1191

430

建久2年

延暦寺の訴により、佐々木定綱、隠岐国に流さる(吾妻鏡)

新修島根県史(年表篇)

1193

1220

建久4年

近江守護兼石見、長門守護職佐々木定綱、隠岐国地頭職に補さる(吾妻鏡)

新修島根県史(年表篇)

1194

130

建久5年

藤原重季、隠岐守に復任す(除書部類)

新修島根県史(年表篇)

1197

300

建久8年

参議藤原公時の家人橘兼仲、隠岐国へ流さる(吾妻鏡)

新修島根県史(年表篇)

1221

805

承久3年

後鳥羽法王、隠岐に配流され、海士郡苅田郷源福寺に入らる(吾妻鏡)

新修島根県史(年表篇)

1239

222

延応元年

後鳥羽法王、隠岐苅田郷の行在所にて崩御(百錬抄)

新修島根県史(年表篇)

1270

500

文永7年

隠岐国、祈請のため宇須賀社に祭田を寄進す(村尾)

新修島根県史(年表篇)

1276

905

建治2年

隠岐守護佐々木泰清、僧慈蓮に美多荘大山社禰宜職を安堵す(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1289

900

正応2年

日吉社(旧山王権現)に奉納されている「大般若経巻六百」の奥書に正応二年(一二八九)九月供養了。願主沙弥西蓮。奉込隠岐国美多庄浦方山王御宝前

島前の文化財

1326

407

嘉歴元年

隠岐守護佐々木貞清、蓮浄に美多荘大山社禰宜職を安堵す(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1331

114

元弘元年

後醍醐天皇は鰐淵寺に天長地久の祈願をなさしむ(鰐淵寺)

新修島根県史(年表篇)

1332

307

元弘2年

後醍醐天皇、隠岐に流され給う(増鏡)

新修島根県史(年表篇)

1332

401

元弘2年

後醍醐天皇、出雲八杉津より三尾湊に赴き、ついで隠岐に航せらる(増鏡)

新修島根県史(年表篇)

1332

402

元弘2年

後醍醐天皇は都を追われ、隠岐の黒木に御到着なされた。

黒木村誌

1332

819

元弘2年

後醍醐天皇、鰐淵寺に心中祈願の儀を申し出る。

黒木村誌

1333

224

元弘3年

後醍醐天皇、隠岐の行在所を出て出雲に赴かる(太平記)

新修島根県史(年表篇)

1379

601

天授5年

隠岐美多荘公文円助、同国美多荘内の木畠、にしち畠を与えらる(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1391

410

元中8年

隠岐守護代富田義時、国分寺に原田郷四天王寺を安堵す(国代考証)

新修島根県史(年表篇)

1391

1108

元中8年

足利義満、後円融上皇御領出雲横田庄を出雲、隠岐、伯耆、丹波守護山名満幸の濫防するを停む(明徳記)

新修島根県史(年表篇)

1393

130

明徳4年

源満重、隠岐宇須賀社に神田を寄進す(村尾)

新修島根県史(年表篇)

1395

320

応永2年

京極高詮、山名満幸を京都に殺す功により出雲、隠岐守護職、闕所分を宛行わる(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1395

923

応永2年

桃井詮信、隠岐那具村地頭職を二百五十貫文にて佐々木治部少輔入道浄泰に売る、是日、足利義満、同村地頭職を浄泰に安堵す(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1395

1013

応永2年

隠岐守護代佐々木清泰、隠岐総社大明神に灯油田を寄進す(億伎)

新修島根県史(年表篇)

1401

825

応永8年

京極高詮、出雲、隠岐、飛騨三国守護職、所領、総領分を嫡子高光に譲る(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1411

1003

応永18年

隠岐村上左衛門五郎、海部公文職を安堵さる(村上)

新修島根県史(年表篇)

1413

819

応永20年

飛騨、隠岐、出雲守護京極高光、卒す(満済准后日記)

新修島根県史(年表篇)

1413

1022

応永20年

足利義持、京極吉童子丸(持光)に父高光の所領を安堵し、出雲、隠岐、飛騨三国の守護職に補す(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1417

521

応永24年

足利義持、京極吉童子丸(持光)に出雲、隠岐両国闕所分、出雲多禰郷を安堵す(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1425

応永32年

焼火山の入会は、島前各村(知夫里・浦郷・宇賀・福井・大・西・東・北分・布施・崎)

隠岐

1427

416

応永34年

良円、隠岐美多荘二分方公文職に補せられる(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1429

720

永享元年

隠岐久清、伊勢命社に社領を安堵す(中西)

新修島根県史(年表篇)

1439

113

永享11年

出雲、隠岐、飛騨、近江半国守護京極持高、卒し、叔父高数、嗣ぐ(薩戎記)

新修島根県史(年表篇)

1441

1120

嘉吉元年

出雲守護京極高数、京都赤松邸にて闘死し、是日、幕府、京極持清を出雲、隠岐、飛騨、三国守護職に補し、その所領を安堵す(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1442

200

嘉吉2年

源某、隠岐宇須賀社に社領を寄進し、諸役を免じ守護使不入とす(村尾)

新修島根県史(年表篇)

1452

400

享徳元年

隠岐村上与四郎、段所納内、森屋敷分を宛行わる(村上)

新修島根県史(年表篇)

1457

618

長禄元年

隠岐守護京極持清、隠岐国分寺領十分一段銭を免除す(国代考証)

新修島根県史(年表篇)

1458

419

長禄2年

足利義政、弟義永の罪を赦し隠岐より召還す

新修島根県史(年表篇)

1458

824

長禄2年

隠岐玉若酢社、大風により破損す、京極持清、守護代隠岐清秀、小守護代重栖清重をして同国内に棟別銭を課し修理せしむ(玉若酢神社)

新修島根県史(年表篇)

1460

624

寛正元年

近江、飛騨、出雲、隠岐守護京極持清、出家す(碧山日禄)

新修島根県史(年表篇)

1467

520

応仁元年

出雲、隠岐守護京極持清、東軍細川勝元に、石見守護山名政清、西軍山名宗全に味方す(応仁記)

新修島根県史(年表篇)

1469

文明元年

出雲・隠岐の将士、朝鮮と交易す(海東諸国記)

新修島根県史(年表篇)

1469

507

文明元年

足利義政、出雲、隠岐、飛騨守護京極持清に近江守護職を加う(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1470

425

文明2年

京極持清、尼子清定に命じ、隠岐の船の美保関の船役を免ぜしむ(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1470

804

文明2年

京極持清、卒し、京極孫童子丸、出雲、隠岐、飛騨、近江守護職に補さる(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1471

516

文明3年

幕府、出雲、隠岐の国人らの直訴を禁じ京極孫童子丸をして国内の政務を裁決せしむ(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1471

821

文明3年

孫童子丸の死去により京極政高、出雲、隠岐、飛騨守護職に補さる(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1471

903

文明3年

隠岐佐々木栄煕、朝鮮に通行す(李朝実録)

新修島根県史(年表篇)

1475

915

文明7年

佐々木清綱、隠岐西郷の地を甲尾八幡宮に寄進す(億伎)

新修島根県史(年表篇)

1482

1219

文明14年

幕府、京極政経、尼子経久をして出雲、隠岐に段銭(タンセン:政府の臨時課税)を課せしむ(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1484

815

文明16年

出雲三沢為清、隠岐笠置宗右衛門の忠節を賞し田二段を宛行う(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1499

524

明応8年

寺本清真、隠岐総社八幡宮に神田を寄進す(億伎)

新修島根県史(年表篇)

1508

1025

永正5年

京極政経、吉童子丸に総領職、出雲、隠岐、飛騨守護職、諸国所領を譲る(佐々木)

新修島根県史(年表篇)

1512

1008

永正9年

隠岐守護代隠岐宗清、海士郡公文職の田畠、八幡田新屋を村上右京助に安堵す(村上)

新修島根県史(年表篇)

1541

1113

天文10年

出雲、伯耆、隠岐守護職、伊予守尼子経久、卒す(陰徳記)

新修島根県史(年表篇)

1544

913

天文13年

隠岐豊清、亡父隠岐守護代宗清菩提のため寺領を出雲清安寺に寄進す(清安寺)

新修島根県史(年表篇)

1563

900

永禄6年

隠岐幸清、焼火社に尼子義久の戦勝を祈願す(焼火神社)

新修島根県史(年表篇)

1565

506

永禄8年

尼子義久、笠木与三右衛門の出雲十神山、白鹿の戦功を賞し隠岐にて地を宛行う(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1566

702

永禄9年

但馬の海賊、隠岐豊田、海士森城を攻め撃退さる(村上)

新修島根県史(年表篇)

1569

623

永禄12年

山中幸盛、尼子勝久を擁して隠岐より出雲に入る(陰徳記)

新修島根県史(年表篇)

1570

500

元亀元年

丹波、但馬の海賊、勝久に応じ出雲、隠岐の海岸を荒し7月に及ぶ(清水寺、村上)

新修島根県史(年表篇)

1579

400

天正7年

開山狭蓮社善誉上人哲道大和尚、「浄土宗大年表」には「正親町天皇天正七年四月、隠岐に専念寺を起立す」とあるように開山の年は天正七年である。「慶長十一年開山哲道上人寂す壽七十八」と同年表にある。

浄土宗大年表

1582

天正10年

隠岐氏が滅亡し、隠岐は毛利領となる

隠岐

1583

123

天正11年

隠岐経清、隠岐における米、麦、大豆等の値段を定む(村上)

新修島根県史(年表篇)

1583

1201

天正11年

簾吉政、隠岐笠置宗右衛門の所領を安堵す(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1585

707

天正13年

簾忠昌、隠岐焼火権現に社田を寄進す(焼火神社)

新修島根県史(年表篇)

1585

722

天正13年

幕府の御用船、観音丸(島前)・日吉丸(島後)が建造される

隠岐の文化財

1587

817

天正15年

簾吉章、笠置宗右衛門に隠岐道蓮名屋敷を安堵す(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1590

天正18年

美田八幡宮の棟札から、この時代には既に十方拝礼(しゅうはいら)が行われていた

島前の文化財

1590

818

天正18年

豊臣秀吉、吉川広永をしてその分国、出雲、、石見、隠岐の刀狩りを行わしむ(吉川)

新修島根県史(年表篇)

1590

1215

天正18年

隠岐笠置善左衛門尉、広島に赴き毛利輝元に謁し、美多荘公文職を安堵さる(笠置)

新修島根県史(年表篇)

1591

314

天正19年

豊臣秀吉、諸国を検地し、諸大名に朱印状を与う、毛利輝元、安芸、備後、周防、長門、伯耆三郡、備中半国、出雲、石見、隠岐百十二万石の朱印状を与えらる(毛利)

新修島根県史(年表篇)

1595

文禄4年

毛利輝元、出雲・石見・隠岐の検地を行う(萩閥)

新修島根県史(年表篇)

1596

313

慶長元年

豊臣秀吉、隠岐鉛山採掘を吉川広家に許す(吉川)

新修島根県史(年表篇)

1599

700

慶長4年

毛利輝元、隠岐国知夫郡別府に検地を行う(別府検地帳)

新修島根県史(年表篇)

1599

821

慶長4年

吉川広家、隠岐一宮大明神に社領を寄進す(忌部)

新修島根県史(年表篇)

1600

509

慶長5年

慶長5.9堀尾吉晴出雲隠岐24万石に封ぜられる。(私領)

1607

慶長12年

島後において検地がおこなわれる「古検」

隠岐の文化財

1608

慶長13年

飛鳥井雅賢、配流され隠岐島海士村に着島、寛永二年逝去

新修島根県史(年表篇)

1610

慶長15年

堀尾忠晴、村上九郎右衛門尉に隠岐国海士郡三ヶ村、寺分共公文職を命ず(村上文書)

新修島根県史(年表篇)

1613

慶長18年

幕府の御用船観音丸の船頭(美田尻の面屋久右衛門)船大工(市部の甚左衛門)に御免除屋敷が与えられる

黒木村誌

1613

慶長18年

島前において検地がおこなわれる「古検」

隠岐の文化財

1617

元和3年

島前美田村々内宮崎村名寄帳(元和三年=1617)に伊佐津牧、仁具牧、犬牧、日余牧の四牧から成る牧畑が見られる

隠岐牧畑の歴史的研究

1617

703

元和3年

隠岐国百姓三郎左衛門、善兵衛両人連署目安を上がる、代官竹林弥惣左衛門自決を命ぜられ、穏地郡百姓年貢全額免除、周吉郡同半額免除、翌四年御仕置村(堀尾古記、国代考証)

新修島根県史(年表篇)

1624

奉念大慈大悲二世安楽之□

【焼火神社棟札】

1629

奉新建立焼火山雲上寺鳥居成就

【焼火神社棟札栂】

1629

奉再建立焼火山雲上寺御社□一宇成就

【焼火神社棟札栂】

1631

奉□□大般若経一部□天下様御□□神前抽御折□之精誠□

【焼火神社棟札】

1632

124

寛永9年

是夏後水尾法王、隠岐後鳥羽院旧蹟御吊の為、勅使水無瀬中納言氏成を隠岐に下向せしめらる、氏成和歌一巻を源福寺に納む(隠州往古以来諸式年代略記)

新修島根県史(年表篇)

1633

寛永10年

大巡見。市橋伊豆守・村越七郎右衛門・拓殖平右衛門

島前の文化財

1633

600

寛永10年

巡遣使来島

新修島根県史(年表篇)

1633

920

寛永10年

堀尾忠晴死去。嗣子なく堀尾家断絶幕府直轄となる。池田出雲守・古田兵部・小出大和守の支配下(天領)

1634

706

寛永11年

京極若狭守、若狭並敦賀より雲、隠両国(二十六万四千二百石余)に移封さる、幕府、上使として板倉内膳正重昌を遣す(徳川実紀)

新修島根県史(年表篇)

1634

706

寛永11年

京極若狭守忠高、若狭敦賀より出雲隠岐24万4千2百石に移封(私領)

1637

612

寛永14年

京極忠高死去。嗣子なく12月22日出雲隠岐両国は幕府直轄となる(天領直轄)(古田兵部・小出大和守・亀井能登守)

1638

211

寛永15年

松平出羽守直政、信濃国松本から出雲18万6千石に封ぜられ、隠岐1万8千石を預けられる(松江藩預かり)

1638

322

寛永15年

松平直政の家臣、乙部可正、塩見宅成等出雲に入り松江城を請とり、団弥一右衛門等隠岐に渡り京極家家臣坂井庄左衛門より隠岐をひきつぐ

新修島根県史(年表篇)

1641

寛永18年

焼火神社近辺に杉を植林する

黒木村誌

1650

奉新建立焼火山雲上寺舎精一宇棟上成就

【焼火神社棟札栂】

1655

奉新建立焼火山拝殿一宇棟上御湯立成就

【焼火神社棟札桧】

1656

奉新建立焼火山雲上寺鐘楼堂一宇棟上成就

【焼火神社棟札桧】

1657

【焼火神社】

1658

1000

万治元年

松平直政、隠岐国海士郡海士村後鳥羽天皇山陵を修理し、社殿を新造し、祭典を興す(藩祖御事蹟)

新修島根県史(年表篇)

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