西暦

月日

元号

出来事

出典

1868

明治元年

隠岐で徹底的排仏毀釈

新修島根県史(年表篇)

1868

明治元年

美田村は東・中・西の3組に分けられる(東は美田尻・大山明。中は大津・市部・波止。西組は小向・船越)

黒木村誌

1868

明治元年

幕府時代の庄屋は、公文と改称される(美田村は3組に分かれたので3人の公文をおいた)

黒木村誌

1868

明治元年

宇野忍古彦、安政末年より明治初年まで別府で私塾を開設す。(9才から18才までの男子20人程が常に在塾していたという)

黒木村誌

1868

明治元年

浦郷村人口。総数(1930人)男女別(男947人、女983人)内訳(出家6人、社家1人、百姓1923人)原拠文献(専念寺、常福寺宗門帳)

浦郷町誌

1868

明治元年

浦郷村船総数(95艘)内訳(大船3艘、小渡海船6艘、手安船33艘、トモド船44艘、橋船9艘)原拠文献(浦之郷村御改帳)

浦郷町誌

1868

明治元年

慶応4年の経計では、牛2589匹に対して馬519匹と隠岐の牛馬構成は断然、牛中心となる

隠岐

1868

明治元年

大凶作

1868

226

明治元年

鎮撫使守衛所、隠岐公聞役へ文書を発す

新修島根県史(年表篇)

1868

312

明治元年

神仏混淆を禁ず

新修島根県史(年表篇)

1868

315

明治元年

隠岐国島後池田村の国分寺で庄屋会議

新修島根県史(年表篇)

1868

319

明治元年

隠岐同志派(正義党)三千、松江藩郡代陣屋に迫り、郡代山郡宇右衛門より屈伏書をとる

新修島根県史(年表篇)

1868

319

明治元年

隠岐同志組、総会所を設け、公聞役交代で公務をみる

新修島根県史(年表篇)

1868

319

明治元年

島後の勤王派は西郷の郡代を追放

黒木村誌

1868

429

明治元年

松江藩、隠岐鎮撫のため乙部勘解由をして銃兵を率い渡島せしむ

新修島根県史(年表篇)

1868

500

明治元年

隠岐島後の完全寺住職ら同志組の寺院圧迫を松江藩に告訴

新修島根県史(年表篇)

1868

510

明治元年

松江藩が西郷の陣屋を奪回する

黒木村誌

1868

625

明治元年

松江藩、雨森謙三郎を上京せしめ、隠岐事件の周旋に当らしむ

新修島根県史(年表篇)

1868

717

明治元年

隠岐事件に関し平賀縫殿、乙部勘解由、志立範蔵ら太政官の召出を受く

新修島根県史(年表篇)

1868

828

明治元年

島前は惣会所を設け、船改所を別府に置く。(隊長は船越の安達武太夫・村上新十郎)

黒木村誌

1868

1100

明治元年

隠岐国は鳥取藩の管轄におかれる

黒木村誌

1868

1105

明治元年

隠岐騒動後世情混沌。明治元年11.5松江藩の取締は解かれ、知県事が置かれる明治2.2.27まで鳥取藩の取締となる。(鳥取藩取締)

1869

明治2年

雲石隠とも享保十七年につぐ凶作

新修島根県史(年表篇)

1869

明治2年

宗門人別改を実施

黒木村誌

1869

明治2年

この年、出雲、石見、隠岐とともに大凶作、サイゴン米を輸入貧民一万六千数百人を救助する

運河のある町

1869

112

明治2年

藩札私製禁止

新修島根県史(年表篇)

1869

225

明治2年

隠岐国に隠岐県を置く(太政官達)

新修島根県史(年表篇)

1869

227

明治2年

真木益夫(直人)徴士、隠岐知県事仰付けらる

新修島根県史(年表篇)

1869

300

明治2年

排仏毀釈運動が島後で激化する

黒木村誌

1869

329

明治2年

松江藩役人、隠岐役場帳簿引継に際し責められて荷物と共に抑留さる

新修島根県史(年表篇)

1869

500

明治2年

島後の影響により島前でも排仏毀釈運動がはじまる

黒木村誌

1869

717

明治2年

真木益夫、隠岐県権知事に任ぜらる

新修島根県史(年表篇)

1869

800

明治2年

同志派は隠岐国葬祭式を定めてこれを営む

隠岐島誌

1869

802

明治2年

隠岐県を廃し大森県管轄仰付けらる

新修島根県史(年表篇)

1869

802

明治2年

真木益夫、大森県権知事に任ぜらる

新修島根県史(年表篇)

1869

1027

明治2年

隠岐国目貫村に支庁(裁判所)を置く

新修島根県史(年表篇)

1869

1027

明治2年

隠岐県廃止。大森県管轄になる

黒木村誌

1870

明治3年

島内神社の御神体調査、神社より仏体を取り除く

運河のある町

1870

明治3年

平民に苗字を称することを許可

運河のある町

1870

109

明治3年

大森県を浜田に移し、浜田県と改称(2月4日県下布達)

新修島根県史(年表篇)

1870

120

明治3年

浜田県、道路石仏を破壊頻発につき神仏区別の趣旨は廃仏にあらざるを論達

新修島根県史(年表篇)

1870

820

明治3年

浜田県、宗門改取調差出方布達

新修島根県史(年表篇)

1870

900

明治3年

是月、真木浜田県権知事、免官

新修島根県史(年表篇)

1870

919

明治3年

平民の苗字を称するを許す

新修島根県史(年表篇)

1870

1024

明治3年

佐藤信寛、浜田県権知事に任ぜらる

新修島根県史(年表篇)

1870

1029

明治3年

畑地地租金納

新修島根県史(年表篇)

1871

104

明治4年

寺社領を上地す

新修島根県史(年表篇)

1871

124

明治4年

郵便規則制定

新修島根県史(年表篇)

1871

400

明治4年

数ヶ町村を併せて行政単位として「区」を設置(大行政区制)

黒木村誌

1871

414

明治4年

水若酢神社(穏地郡郡村)、国幣中社に列せらる

新修島根県史(年表篇)

1871

1100

明治4年

廃藩置県により隠岐は出雲各県と合併して島根県と定まったが大反対が起き鳥取県に移される

運河のある町

1872

明治5年

7月1日・別府村の別府・知夫村の郡・海士村の菱浦・崎に島前に初の郵便取扱所設立(別府村公文、近藤与二郎)

黒木村誌

1872

明治5年

隠岐島と本土の郵便運送は期日を要した。例えば東京との書信往復は、20日から30日。はなはだしい場合は2・3か月を要した

黒木村誌

1872

129

明治5年

壬申戸籍実施

黒木村誌

1872

400

明治5年

隠岐は島根県から鳥取県になる

黒木村誌

1872

409

明治5年

庄屋、名主、年寄等を廃し戸長、副戸長と改称

新修島根県史(年表篇)

1873

明治6年

別府校開設される(旧代官所使用)

運河のある町

1873

明治6年

三度小学校珍崎支校創立(三度学校の創立が明治7年で珍崎支校も同年と思われるが不明)

運河のある町

1873

1111

明治6年

後鳥羽上皇神霊還遷の為奉迎使慈光有仲、輿を奉じて隠岐海士村を発船

新修島根県史(年表篇)

1874

明治7年

大行政区制が改正され大小区制が採用される。隠岐は鳥取県第十七大区。美田村他二村は第十七区小一区美田村・別府村・宇賀村となる

黒木村誌

1874

明治7年

宇賀校開設される(物井初座の旧寺堂)

運河のある町

1874

明治7年

美田小学校(大津小山寺)船越学校(万福寺)設立

運河のある町

1874

明治7年

美田小学校波止支校開設

運河のある町

1874

明治7年

浦郷学校創立

運河のある町

1874

明治7年

旧赤之江小学校創立

運河のある町

1874

明治7年

三度学校創立

運河のある町

1874

明治7年

宇賀、美田、波止(美田支校)本郷、赤之江、三度、珍崎(三度学校支校)の各小学校開校。しかし進学率が僅かに16%

運河のある町

1874

明治7年

大行政区制の改正で島内の行政区域は別府村、美田村、宇賀村となり戸長がおかれる

運河のある町

1874

明治7年

浦郷村戸長渡邊一郎氏が伊勢参宮に出掛けて、帰りに舶来の真鍮製の柱時計と洋傘を買って帰って来た。これが浦郷に文化利器の這入った始めで、島民は珍しいがり見物に来た程であった。

浦郷町誌

1874

明治7年

隠岐別府郵便役所を廃し取扱所を設置、目貫取扱所を郵便役所とす

黒木村誌

1874

304

明治7年

区長、戸長を官吏に准ず

新修島根県史(年表篇)

1876

明治9年

宇賀小学校と称す

運河のある町

1876

明治9年

別府小学校と称す

運河のある町

1876

明治9年

宇賀村の宇野藤十はアワビ潜水漁業をおこし、知夫、別府の操業権を得、さらに逐次島前地区全域の潜水漁業権を得て、俵物生産を企業的に開始する

隠岐

1876

821

明治9年

鳥取県は島根県に併合される

黒木村誌

1876

1100

明治9年

隠岐国改租事業終る

新修島根県史(年表篇)

1876

1200

明治9年

第11警察出張所浦江分屯所、浦郷に設置

前野拾遺

1877

明治10年

雲石隠三国より服役の常備兵一五三名

新修島根県史(年表篇)

1877

明治10年

当地の地券発行はほぼ完了

黒木村誌

1877

明治10年

排仏毀釈以来禁止の僧侶の布教が許可になる

運河のある町

1877

明治10年

明治十年前後には、浦郷の本郷に酒屋一軒、塩小売一軒、菓子屋一軒、鍛冶屋一軒、雑貨屋二、三軒、帆船営業者一軒、問屋一軒があった。現在商業に従事する者は三十四軒

隠岐島前漁村採訪記

1877

明治10年

船越の明治十年前後に於ける商工者の数は雑貨屋一、二軒、塩売(安達家)一軒、鍛冶屋一軒、大工一軒、船大工一軒、漢方医者一軒、油屋一軒、桶屋一軒、畳屋一軒、帆船運送業二軒、質屋は明治三十七年に一軒できた。

隠岐島前漁村採訪記

1877

104

明治10年

地租改正により、島後の牧畑のほとんどは山林に地目換えをする。

隠岐牧畑の歴史的研究

1877

328

明治10年

隠岐国改租調了につき新税賦課の義を稟議

新修島根県史(年表篇)

1877

800

明治10年

隠岐国に僧侶の布教を許可

新修島根県史(年表篇)

1877

906

明治10年

県、町村浦小前総代を組長と改称し因伯隠三国に布達

新修島根県史(年表篇)

1878

明治11年

美田村(戸数429・人口2102)別府村(戸数72・人口310)宇賀村(戸数217・人口1022)

黒木村誌

1878

明治11年

牛馬数は美田村(牛559・馬87)別府村(牛23・馬5)宇賀村(牛250・馬56)

黒木村誌

1878

明治11年

船数、500〜200石積(美田村4隻)200石未満(美田村34隻・宇賀村13隻)漁船(美田村227・別府村45・宇賀村120)

黒木村誌

1878

明治11年

隠岐島の各町村は島根県隠岐支庁に「隠岐国町村誌」を提出

島前の文化財

1878

500

明治11年

隠岐国新地券授与を了る

新修島根県史(年表篇)

1878

722

明治11年

「郡区町村編制法」により郡町村制の復活

黒木村誌

1879

明治12年

知夫・海士・周吉・穏地の4郡の総合郡役所が西郷に設けられ、初代郡長に高島士駿(たかしまたけと)来島

黒木村誌

1879

明治12年

郡長高島士駿は廃仏毀釈で政府へ返上した寺院付属地の払い下げを許可される(四郡共有財産となる)

黒木村誌

1879

明治12年

西郷にある四郡役所と各戸長役場を毎月7回の飛脚を使って信書の便を計る

黒木村誌

1879

200

明治12年

隠岐国地籍を内務省に進達

新修島根県史(年表篇)

1879

310

明治12年

隠岐支庁を廃し周吉穏地海士知夫郡役所設置

島根県近代教育史

1879

600

明治12年

第1回通常県会で隠岐国へ巡回学校教師1名設置を可決、若林樸(東京師範卒)を任命

島根県近代教育史

1879

600

明治12年

隠岐4郡組合立隠岐中学設立

島根県近代教育史

1879

628

明治12年

社寺明細帳製式

新修島根県史(年表篇)

1879

1217

明治12年

宇野幸彦、知夫郡美田村戸長に公選される

黒木村誌

1880

明治13年

四等郵便取扱所として通常郵便物の引受、配達事務を行う(初代局長前田邦一)(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1880

104

明治13年

監獄本署を松江に設置し松江、隠岐、米子、杵築等の獄署を監獄支署と改称

新修島根県史(年表篇)

1880

200

明治13年

『出雲国地誌略』『石見国地誌略』『隠岐国地誌略』前後して刊行

島根県近代教育史

1880

703

明治13年

公立隠岐中学校を県立に移管

島根県近代教育史

1881

明治14年

鳥取県境港の植田文平が小型汽船(航輪丸)で月間9航海で隠岐ー本土間の水産物の輸送を開始した。

隠岐

1881

明治14年

四等郵便取扱所として通常郵便物の引受・配達事務を行う(初代局長真野弥三郎)(浦郷郵便局)

郵便局沿革誌

1881

奉再建山神一宇成就

【焼火神社棟札】

1881

118

明治14年

会社方式によって牧畜を経営する「牧牛社」が設立される。総株数300。1株60円。予備金も含め2万1千円の基本金とした

黒木村誌

1881

507

明治14年

区町村会法改正、これにより美田外三村聯合戸長役場発足

1881

808

明治14年

松江裁判所隠岐支庁を西郷港町に新築落成

新修島根県史(年表篇)

1881

900

明治14年

宇賀・別府・美田・崎の4村によって海産物の会社である「海産社」を設立。(21株・3千150円の資本金)

黒木村誌

1881

912

明治14年

鳥取県再置、因幡伯耆を管轄する

島根県近代教育史

1882

明治15年

海士村の渡辺新太郎 玉津丸によって隠岐ー本土間の航路を開発

黒木村誌

1882

明治15年

船越支校廃止美田学校に統合

運河のある町

1882

明治15年

海士小学校赤之江分校と改称

運河のある町

1882

明治15年

海士小学校珍崎支校と改称

運河のある町

1882

620

明治15年

県立隠岐中学校廃止の件の認可

新修島根県史(年表篇)

1882

630

明治15年

隠岐中学校廃止

島根県近代教育史

1882

703

明治15年

本県、隠岐国町村立小学校数を指示

島根県近代教育史

1883

明治16年

高島士駿の提案により、潜水漁法導入の計画をたてる

黒木村誌

1883

明治16年

兵庫県の有田喜一郎 兵庫丸によって隠岐ー本土間を周航

黒木村誌

1883

明治16年

本土側入漁者の行動ははなはだ奪略的で、磯物を窃取し、そのうち石菜花(てんぐさ)は残らず採取された

隠岐

1883

明治16年

兵庫県城崎町の有田喜一郎が隠岐ー本土間をを就航させる

隠岐

1883

116

明治16年

隠岐国製材、近来粗略に流れ挽尻多く従前の声価低落の傾向につき県諭達

新修島根県史(年表篇)

1883

603

明治16年

焼火山の入会地に関して、美田村と海士村・福井村・崎村・知夫村・浦郷村・宇賀村の6村が裁判を起こし、結局入会地は各村所有となる。

浦郷町誌

1883

1025

明治16年

県、隠岐四郡各小学生徒競進会(集合試験)規則を文部卿に稟議

新修島根県史(年表篇)

1884

明治17年

郡区改正が行われ、現在の西ノ島(浦郷・美田・別府・宇賀)は、美田村外三村とされる

黒木村誌

1884

明治17年

隠岐騒動の指導者は明治元年現在の「村勢要覧」を作製した。これは明治17年に編纂され「明治元年村鑑」と称される

隠岐

1884

507

明治17年

明治17年現在の戸長、美田村は宇野幸彦・別府村前田邦一・宇賀村宇野節雄

黒木村誌

1884

700

明治17年

是月、海軍大輔樺山資紀ら内国沿岸実地巡視として来県、隠岐浦郷湾に於て精査

新修島根県史(年表篇)

1884

710

明治17年

本年度より隠岐国航海補助費七ヶ年割支出の件告示

新修島根県史(年表篇)

1884

1119

明治17年

周吉郡西郷に教員講習所開設

島根県近代教育史

1885

明治18年

浦郷警察署分署開設

運河のある町

1885

明治18年

隠岐国に椎茸栽培はじまる

運河のある町

1885

明治18年

隠岐国本土間海底電線の国費架設建議を県会から内務卿に提出

新修島根県史(年表篇)

1885

明治18年

郵便貯金受払事務取扱開始(浦郷郵便局)

郵便局沿革誌

1885

100

明治18年

隠岐町村連合会と松浦斌の共同出資により「隠岐航路」開始(初代船は速凌丸)

黒木村誌

1885

131

明治18年

隠岐航路購入汽船速凌丸、境港に着船

新修島根県史(年表篇)

1885

815

明治18年

隠岐四郡郡長高島士駿、島民の疑惑を受け職を辞す

新修島根県史(年表篇)

1885

1000

明治18年

是月、宮内省より馬種改良のため隠岐西郷池田源治へ青森県五戸産嬉野号下賜、県庁へ南部産栗谷川号下賜

新修島根県史(年表篇)

1885

1005

明治18年

海軍大輔樺山資紀、各港軍備上の要地実視のため来県、参謀本部歩兵大尉中岡黙、隠岐国地理実査の為来県

新修島根県史(年表篇)

1885

1200

明治18年

是月、隠岐国本土間海底電線の国費架設方建議を県会から内務卿に提出

新修島根県史(年表篇)

1885

1200

明治18年

隠岐国椎茸栽培始まる

新修島根県史(年表篇)

1886

明治19年

宇賀簡易小学校となる

運河のある町

1886

明治19年

別府簡易学校となる

運河のある町

1886

明治19年

浦郷学校は海士小学校の分校となる

運河のある町

1886

明治19年

海士小学校三度分校と改称

運河のある町

1886

明治19年

三等郵便局に改称(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1886

800

明治19年

海士・知夫両郡の有志により海士・知夫郡牧牛馬同業組合を設立

黒木村誌

1886

1200

明治19年

海士知夫両郡牧牛馬同業組合設立(本県の嚆矢)

新修島根県史(年表篇)

1887

明治20年

県、昨年コレラ猖獗地の共同飲料水試験

新修島根県史(年表篇)

1887

明治20年

美田尋常小学校となる。現在地へ校舎移転

運河のある町

1887

明治20年

美田簡易小学校となる(波止分校)

運河のある町

1887

明治20年

浦郷簡易小学校を設置する

運河のある町

1887

明治20年

浦郷簡易小学校赤之江分教場と改称

運河のある町

1887

明治20年

浦郷簡易小学校三度分教場と改称

運河のある町

1887

明治20年

浦郷簡易小学校珍崎分教場と改称

運河のある町

1887

明治20年

浦郷の渡辺旅館(大江)が、一般旅館を開業する

浦郷町誌

1887

429

明治20年

隠岐国教育会結成

島根県近代教育史

1887

716

明治20年

松浦斌、四郡町村聯合会の疑惑を受け汽船共有権剥奪、一個営業請負人としての命を受く

新修島根県史(年表篇)

1887

1000

明治20年

隠岐各郡で鯣(するめ)、海鼠(なまこ)、乾鮑製造同業組合結成

新修島根県史(年表篇)

1888

明治21年

隠岐四郡水産物製造組合設立

新修島根県史(年表篇)

1888

明治21年

美田村で養蚕業の振興に取り掛かる

運河のある町

1888

明治21年

漁業組合設立(海士郡、知夫郡)

運河のある町

1888

明治21年

隠岐四郡に水産加工同業者組合設立

運河のある町

1888

410

明治21年

隠岐国に島司を置かる(四郡長事務は島司が管掌)

新修島根県史(年表篇)

1888

507

明治21年

隠岐島庁を西郷に置く

新修島根県史(年表篇)

1888

613

明治21年

市制を施行すべき地並びに町村制を施行せざる島嶼につき内申方(内務省訓令三五三)

新修島根県史(年表篇)

1888

821

明治21年

隠岐私立教育会、操行査定法及び学業操行判定表決定

島根県近代教育史

1889

明治22年

漁業近代化のパイオニア沢野岩太朗氏、浦郷村に生まれる。

運河のある町

1889

116

明治22年

隠岐国、町村制を施行せざる島嶼に指定さる

新修島根県史(年表篇)

1890

明治23年

コレラ騒動が浦郷で発生

運河のある町

1890

明治23年

第3回内国勧業博覧会において隠岐スルメが一等表彰をうける

隠岐

1890

明治23年

為替受払事務(国内・外国)取扱開始(浦郷郵便局)

郵便局沿革誌

1890

114

明治23年

松浦斌(隠岐航路開航の功労者)死す(38)

新修島根県史(年表篇)

1890

600

明治23年

長崎のコレラ蔓延の兆しあり、県、美保関、温泉津、浜田外の浦、西郷其の他主要港湾に船舶検疫所を設く

新修島根県史(年表篇)

1891

明治24年

隠岐四郡聯合町村会、周吉郡八田村に公立実業園設置

新修島根県史(年表篇)

1891

明治24年

別府尋常小学校宇賀分教場となる

運河のある町

1891

明治24年

別府尋常小学校となる

運河のある町

1891

明治24年

美田尋常小学校波止分校となる

運河のある町

1891

明治24年

浦郷尋常小学校増設される(簡易小学校は名称のみ)

運河のある町

1891

明治24年

本郷小学校に使用していた専念寺焼失

運河のある町

1891

400

明治24年

海士郡海士村において犢牛の伝染病発生

新修島根県史(年表篇)

1891

400

明治24年

浦郷・美田・海士の有志ににより「牧業社」が設立(資本金527円)

黒木村誌

1891

1211

明治24年

専念寺全焼

浦郷町誌

1891

1231

明治24年

浦郷村は分離独立し、西ノ島は浦郷村・別府村外二村とされる

黒木村誌

1892

明治25年

隠岐国周吉外三郡高等小学校の分教場設置(美田)

運河のある町

1892

明治25年

新築校舎落成し移転する(本郷)

運河のある町

1892

明治25年

本郷小学校新築落成(元小学校)

運河のある町

1892

明治25年

国内小包開始(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1892

701

明治25年

山陰新聞記事「隠岐産のスルメは、優秀によって、中国商人は商標を見ただけで中身を改めずとも取り引きに応ずる」

隠岐

1892

716

明治25年

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、来島。浦郷、別府、菱浦、西郷に宿泊。

日本瞥見記(下)

1892

829

明治25年

隠岐の小学校位置及び設置区域決定

島根県近代教育史

1892

901

明治25年

隠岐国に町村制を施行しない地方の小学教育規定を実施

島根県近代教育史

1893

明治26年

校舎増築(別府小学校)

運河のある町

1893

明治26年

簡易小学校は廃止され、尋常小学校のみとなる(本郷)

運河のある町

1893

明治26年

浦郷村に赤痢大流行。羅病者五百十五人、死者八十人にのぼる

運河のある町

1893

1014

明治26年

赤痢大流行。十月十四日暴風雨があって仮病舎が破壊して百有余の患者を一時は、自宅に移したりして、混雑を極めたものであった。三度避病舎も転覆した。

浦郷町誌

1894

明治27年

沖取網漁業伝習のため、県教師を招き4月より11月まで石見、出雲、隠岐各地沿海で実地指導

新修島根県史(年表篇)

1894

明治27年

郵便貯金受払事務取扱開始(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1894

700

明治27年

隠岐に赤痢発生、島内各地に広がり総数2300余名

新修島根県史(年表篇)

1894

901

明治27年

衆議院議員選挙に島前から渡辺新太郎当選

新修島根県史(年表篇)

1895

明治28年

鱶(ふか)網漁業は山口県阿武郡山田村の原田儀三郎が山口県庁の技手山根伊右衛門よって隠岐に伝えられた。

隠岐

1895

明治28年

知夫郡に14名の医師が開業していた。漢方医であったと思われる

1895

600

明治28年

隠岐四郡共有汽船第二隠岐丸が大阪で竣工

新修島根県史(年表篇)

1895

1001

明治28年

隠岐汽船株式会社設立、四郡聯合町村会共有の汽船を借受け開業

新修島根県史(年表篇)

1896

明治29年

島後も含めて「隠岐畜産同業組合」を設立

黒木村誌

1896

明治29年

戸長の森脇平作により浦郷に義勇隊を組織、日清戦争後の三国干渉に義憤を盛り上げ志気を昂揚する

運河のある町

1896

明治29年

淡路より鈴木三郎という技術者を招いて、島前海士村で溜池工事を起した。

隠岐

1896

明治29年

代金引換小包・小包郵便物引受配達事務取扱開始(浦郷郵便局)

郵便局沿革誌

1896

300

明治29年

蘆淡水、隠岐にて教育小説を発表

島根県近代教育史

1896

500

明治29年

国学者中沼了三没

運河のある町

1896

826

明治29年

隠岐産牛馬組合設立

新修島根県史(年表篇)

1896

1100

明治29年

西郷町の三好病院院長(船山梅太朗氏)を招いて浦郷病院が開始

運河のある町

1896

1120

明治29年

村立浦郷病院開設

1897

明治30年

隠岐二番鯣、第二回内国水産博覧会で名誉銀牌を受く

新修島根県史(年表篇)

1897

明治30年

浦郷に憲兵屯所開設

運河のある町

1897

明治30年

第2回水産博覧会において一等表彰をうけ隠岐スルメの市場評価は完全に安定した。

隠岐

1898

明治31年

高等科を置き浦郷尋常高等小学校となる

運河のある町

1898

明治31年

隠岐島本土間の海底電線開通

隠岐島誌

1898

501

明治31年

県会議員選挙隠岐は安達和太郎当選

新修島根県史(年表篇)

1898

603

明治31年

中将乃木希典来村浦郷村北辺の視察があった。

浦郷町誌

1898

900

明治31年

隠岐国西郷に呉鎮守府所属海軍望楼台設置

新修島根県史(年表篇)

1899

明治32年

青森県南部地方より種馬五頭購入、仁多、飯石、簸川、美濃、知夫各郡へ一頭宛貸与

新修島根県史(年表篇)

1899

明治32年

宇賀校舎を大字宇賀1124番地(大宇賀)に移転改築す

運河のある町

1899

明治32年

為替受払事務(国内・外国)取扱開始(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1899

明治32年

郵便発信(21578通)着信(37777通)(別府郵便局)

隠岐誌

1899

606

明治32年

島嶼に関する府県行政の特例に関する件

新修島根県史(年表篇)

1899

925

明治32年

県会議員選挙、隠岐は安達和太郎当選

新修島根県史(年表篇)

1900

明治33年

9月20日松江西郷電信回線に接続局として音響通信開始(浦郷郵便局)

郵便局沿革誌

1900

明治33年

小包郵便物引受配達事務取扱開始(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1900

明治33年

郵便発信(25133通)着信(43539通)(別府郵便局)

隠岐誌

1900

奉再建焼火神社本社□通殿拝殿

【焼火神社棟札桧】

1900

310

明治33年

浦郷村に伝染病隔離病棟竣工 病舎2棟、消毒所1棟、物置1棟、死室1棟,事務所1棟

1900

400

明治33年

県、師範学校小学校教員講習科隠岐支所設置(明治35年3月廃止)

島根県近代教育史

1901

明治34年

珍崎小学校、現在地に校舎を移転新築

運河のある町

1901

明治34年

局舎新築(局長 前田周一)(別府郵便局)

郵便局沿革誌

1901

明治34年

郵便発信(27547通)着信(47347通)(別府郵便局)

隠岐誌

1901

100

明治34年

大阪商船、大阪、境線を毎月七回発航とす(10月以降久手臨時寄港)

新修島根県史(年表篇)

1901

701

明治34年

浦郷村と別府村外二村によって「第二種浦郷道改修工事」(宇賀から船越村境まで)着工。

黒木村誌

1901

813

明治34年

大阪商船、大阪、境線の外に大阪、安来線を開始(毎月八回両地発航)

新修島根県史(年表篇)