西暦 |
月日 |
元号 |
出来事 |
出典 |
1902 |
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明治35年 |
西郷町中井養三郎、はじめて竹島のアシカ漁業に着手 |
新修島根県史(年表篇) |
1902 |
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明治35年 |
実業補習学校を併置す(宇賀) |
運河のある町 |
1902 |
|
明治35年 |
実業補習学校を併置す(別府小学校) |
運河のある町 |
1902 |
|
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明治三十五年五月十日成就の記のあるもの |
【焼火神社棟札】 |
1902 |
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|
奉修繕焼火神社本社拝殿通殿成就 |
【焼火神社棟札杉】 |
1902 |
|
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奉再建焼火神社鳥居壹基成就 |
【焼火神社棟札】 |
1902 |
500 |
明治35年 |
吉田東伍博士が『歴史地理』において、後醍醐天皇の隠岐行在所は島後の国分寺であった、という新説を発表する。 |
黒木村誌 |
1902 |
512 |
明治35年 |
浦郷、美田に漁業組合創設 |
運河のある町 |
1903 |
|
明治36年 |
内藤勝一医師は簸川郡から浦郷病院に医員(後に院長)として赴任以来、約四十年の永きにわたって浦郷村の医療に貢献す |
運河のある町 |
1903 |
226 |
明治36年 |
隠岐国酒造組合を布施村に設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1903 |
300 |
明治36年 |
第五回内国勧業博覧会で隠岐水産組合、名誉銀牌を受く |
新修島根県史(年表篇) |
1903 |
303 |
明治36年 |
隠岐水産組合を西郷町に設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1903 |
401 |
明治36年 |
隠岐四郡町村、蚕業講習所を東郷村に設置、各郡市より入所者を募集 |
新修島根県史(年表篇) |
1904 |
|
明治37年 |
黒木村宇賀尋常小学校と改称 |
運河のある町 |
1904 |
|
明治37年 |
黒木村別府尋常小学校と改称 |
運河のある町 |
1904 |
|
明治37年 |
黒木村尋常高等小学校と改称(美田) |
運河のある町 |
1904 |
|
明治37年 |
波止分校廃止、本校に統合 |
運河のある町 |
1904 |
|
明治37年 |
浦郷村尋常高等小学校と改称 |
運河のある町 |
1904 |
|
明治37年 |
浦郷村尋常高等小学校仮教室となる(赤之江) |
運河のある町 |
1904 |
|
明治37年 |
大分県の漁師がワニ(フカ)をとりに来た(輪島菊一氏談) |
隠岐島前漁村採訪記 |
1904 |
109 |
明治37年 |
隠岐国町村合併、戸長役場位置を定む(4月1日施行) |
新修島根県史(年表篇) |
1904 |
324 |
明治37年 |
隠岐の町村合併に基づく小学校位置及び設置区域指定 |
島根県近代教育史 |
1904 |
500 |
明治37年 |
町村制施行により美田・別府・宇賀村が合併され黒木村誕生。初代村長岩佐久一郎 |
黒木村誌 |
1904 |
500 |
明治37年 |
浦郷村が誕生、村長に今崎半太郎就任する。 |
運河のある町 |
1904 |
501 |
明治37年 |
隠岐国の町村に町村制を施行(内務省令六) |
新修島根県史(年表篇) |
1905 |
|
明治38年 |
各地で小学校に高等科を併置又は補習学校を設置、青年夜学会開設さる |
新修島根県史(年表篇) |
1905 |
|
明治38年 |
喜田貞吉博士が『歴史地理』において「府ノ島」とは島後であり、現在の別府では無いという説を提出。 |
黒木村誌 |
1905 |
|
明治38年 |
日本海海戦により露人死体漂着、手厚く葬り墓をつくる(船越) |
運河のある町 |
1905 |
|
|
奉修繕□櫛□間門命御尊□貳躯 |
【焼火神社棟札】 |
1905 |
|
|
豊□間門命 |
【焼火神社棟札】 |
1905 |
215 |
明治38年 |
竹島を隠岐島司の所管とする件内務大臣より知事へ訓令 |
島根県近代教育史 |
1905 |
222 |
明治38年 |
県、竹島を本県所属隠岐島司所管と定められたる旨告示(告示四〇) |
新修島根県史(年表篇) |
1905 |
527 |
明治38年 |
五月二十七日.二十八日日本海海戦。 |
運河のある町 |
1905 |
527 |
明治38年 |
日本海海戦、我国連合艦隊、露国のバルチック艦隊を日本海に迎え撃ち、当日の戦闘にて完全に壊滅、県下海岸に砲声轟く |
島根県近代教育史 |
1905 |
600 |
明治38年 |
竹島漁猟合資会社(海驢捕獲製造販売) |
新修島根県史(年表篇) |
1906 |
|
明治39年 |
神社廃社一六四、合祀三四六、境内神社に移転二五 |
新修島根県史(年表篇) |
1906 |
|
明治39年 |
波止仮教室開設 |
運河のある町 |
1906 |
|
明治39年 |
浦郷村本郷尋常高等小学校と改称、村立実業補習学校付設 |
運河のある町 |
1906 |
|
明治39年 |
隠岐島農会が溜池築造調査の為技士を淡路・愛知県・千葉県に派遣して研究を進める |
隠岐 |
1906 |
|
明治39年 |
宇賀ー倉ノ谷間の海岸道路完成 |
島前の文化財 |
1907 |
|
明治40年 |
隠岐町村組合立甲種商船学校設立開校 |
新修島根県史(年表篇) |
1907 |
|
明治40年 |
『島根県史』編纂委員の野津左馬之助、別府の黒木御所説を否定。(鰐淵寺僧侶頼源の「送進文書」) |
黒木村誌 |
1907 |
|
明治40年 |
義務教育六年となる |
運河のある町 |
1907 |
|
明治40年 |
黒木村長に中西松次郎就任 |
運河のある町 |
1907 |
|
明治40年 |
6月26日電信取扱開始(別府郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1907 |
|
明治40年 |
(三度)集落の大半を焼失したといわれるが詳細不明 |
|
1907 |
605 |
明治40年 |
皇太子殿下嘉仁親王(後に大正天皇)黒木御所に行啓 |
運河のある町 |
1908 |
|
明治41年 |
神社廃社114、合祀260、境内神社に移転27 |
新修島根県史(年表篇) |
1908 |
|
明治41年 |
県立隠岐商船学校、海軍省から廃艦鎮西の払い下げを受け、寄宿舎に充当 |
島根県近代教育史 |
1908 |
400 |
明治41年 |
西郷町外11村組合立隠岐商船学校を県立に移管 |
新修島根県史(年表篇) |
1908 |
1210 |
明治41年 |
隠岐布施村森田勝太郎、改良木炭製造伝習所開設 |
新修島根県史(年表篇) |
1909 |
|
明治42年 |
波止仮教室廃止 |
運河のある町 |
1909 |
|
明治42年 |
各種集会の召集は書状を以て場所時期要件を示し脚夫を以てこれを配布す。各部落において行わるる集会は大抵書状を用いず使丁をして伝令し中にはラッパ或はホラ貝等を以いて信号するあり。(黒木村) |
知夫郡黒木村情況調査書 |
1909 |
|
明治42年 |
会合の時間厳守に至っては未だ円満を期しがたきが、予定の事項は協議決定、且つ実行し、たいして弊害なし。(黒木村) |
知夫郡黒木村情況調査書 |
1909 |
|
明治42年 |
集会 各種集会の為人民を召集するは大概小組長をして伝達せしめ或は小組長をして引率集合せしむるの方法を執りおりし、もっとも従来人民を召集するには使丁をして大声疾呼せしめ(浦郷村) |
知夫郡浦郷村情況調査書 |
1909 |
|
明治42年 |
「知夫郡浦郷村情況調査書」において国賀を名勝地として紹介 |
|
1909 |
|
明治42年 |
黒木村情況調査書によると、黒木村の医師、村医3、開業医1 |
|
1909 |
|
明治42年 |
の施設の状況は、美田地区に共用のぽんぷ1基 浦郷では本郷にぽんぷ2基、竜吐水2基 三度にぽんぷ1基あった。ぽんぷといっても水鉄砲のようなものであった。 |
|
1909 |
329 |
明治42年 |
隠岐島(竹島を含む)を島庁を置く「島地」に指定さる(勅令五四、4月1日施行) |
新修島根県史(年表篇) |
1910 |
|
明治43年 |
浦郷村と別府村外二村によって「第二種浦郷道改修工事」(宇賀から船越村境まで)完了。 |
黒木村誌 |
1910 |
|
明治43年 |
村立実業補習学校中止(本郷) |
運河のある町 |
1910 |
|
明治43年 |
浦郷村赤之江尋常小学校として独立校となる |
運河のある町 |
1910 |
|
明治43年 |
9月、電信事務取扱開始(美田郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1910 |
|
明治43年 |
6月、3等郵便取扱所として郵便・為替貯金・小包取扱開始(初代局長 竹田才吉)(美田郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1910 |
417 |
明治43年 |
旧四月十七日に大山部落大火 |
運河のある町 |
1910 |
900 |
明治43年 |
岡村理学博士が偶々別府海岸逍遥中に黒木御所下に於てクロギヅタを発見、仍って此の和名を附せらる。 |
島前の文化財 |
1911 |
|
明治44年 |
県水産試験場、知夫郡浦郷村に水産実習所を設置 |
新修島根県史(年表篇) |
1911 |
|
明治44年 |
隠岐町村組合教育会、図書館を設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1911 |
|
明治44年 |
美田の山神溜池(印篭池)竣工 |
隠岐 |
1911 |
315 |
明治44年 |
県立隠岐商船学校廃止 |
新修島根県史(年表篇) |
1911 |
800 |
明治44年 |
隠岐電灯株式会社を西郷町に設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1912 |
|
大正元年 |
宇賀校舎を大字宇賀700番地(倉ノ谷)に移転改築す |
運河のある町 |
1912 |
|
大正元年 |
高等科を置き別府尋常高等小学校と改称 |
運河のある町 |
1912 |
|
大正元年 |
黒木村美田尋常高等小学校と改称(美田) |
運河のある町 |
1912 |
|
大正元年 |
黒木村青年会発足 |
運河のある町 |
1912 |
|
大正元年 |
勝部方策氏が物井に開業したのは明治四十五年のことであった。大正十二年ごろ別府に医院を移転し、子息の勝部玄氏が後を継ぎ昭和57年に玄氏の引退と共に勝部医院も終わる。 |
運河のある町 |
1913 |
400 |
大正2年 |
西郷町外十一村組合立隠岐女子技芸学校設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1913 |
900 |
大正2年 |
第三隠岐丸は第二隠岐丸と衝突沈没する。行方不明、乗客九名、船員一名 |
運河のある町 |
1913 |
920 |
大正2年 |
西郷行第三隠岐丸、本土、隠岐の中間で境港行の第二隠岐丸と衝突して沈没 |
新修島根県史(年表篇) |
1914 |
|
大正3年 |
隠岐島布施村で蒸気機関動力製材所設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1914 |
|
大正3年 |
公設の消防組設置 |
運河のある町 |
1914 |
601 |
大正3年 |
隠岐汽船株式会社、大阪商船会社と協定し、下関、境間隔日航海開始 |
新修島根県史(年表篇) |
1914 |
622 |
大正3年 |
船引運河工事の着工(黒木村・浦郷村共同事業) |
黒木村誌 |
1914 |
911 |
大正3年 |
浦郷村消防組設置 |
|
1915 |
|
大正4年 |
黒木村の牧畑面積2475町(耕地1561町・林地914町)63%:37% |
隠岐牧畑の歴史的研究 |
1915 |
325 |
大正4年 |
衆議院議員選挙に隠岐選挙区渡辺新太郎当選 |
新修島根県史(年表篇) |
1915 |
524 |
大正4年 |
船引運河工事の完成(黒木村・浦郷村共同事業) |
黒木村誌 |
1915 |
600 |
大正4年 |
大阪商船会社、下関、境、西郷線廃航 |
新修島根県史(年表篇) |
1915 |
1225 |
大正4年 |
隠岐島黒木村婦人会結成 |
島根県近代教育史 |
1916 |
|
大正5年 |
イネクロカメムシ隠岐に大発生 |
新修島根県史(年表篇) |
1916 |
|
大正5年 |
八束郡片江村渋谷兼八の発動機付鯖流網漁業成功、八束、簸川、那賀、美濃郡、隠岐で続々発動機付漁船建造、二〇余隻に達す |
新修島根県史(年表篇) |
1916 |
|
大正5年 |
大字美田2068番地(字田原)に新築校舎落成移転(別府小学校) |
運河のある町 |
1916 |
|
大正5年 |
黒木村青年会から青年団に改称 |
運河のある町 |
1916 |
|
大正5年 |
佐倉鶴松黒木村長に就任 |
運河のある町 |
1916 |
|
大正5年 |
簡易保険事務取扱開始(別府郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1917 |
|
大正6年 |
実業補習学校併置(美田) |
運河のある町 |
1917 |
|
大正6年 |
波止分教場設置 |
運河のある町 |
1917 |
|
大正6年 |
電話通信事務取扱開始(公衆電話)(別府郵便局)・浦郷菱浦電信回線により音響通信開始(浦郷郵便局) 電話通話事務取扱開始(浦郷郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1917 |
|
大正6年 |
美田大津に隠木長市医師開業。昭和23年まで |
|
1917 |
511 |
大正6年 |
浦郷村消防組、本郷と西方(赤の江、三度、珍崎) と二部制になる。組員125名 |
|
1917 |
706 |
大正6年 |
皇太子裕仁親王(今上天皇)行啓(軍艦香取で美保湾御着、出雲大社御参拝、松江市御立ち寄り、7日隠岐海士村黒木村に御立ち寄りの上御発艦) |
新修島根県史(年表篇) |
1917 |
822 |
大正6年 |
黒木村役場において、松浦静麿を中心に「黒木村史蹟調査会」発足。(会員は村長・学校長・各区長に加えて安藤猪太朗・近藤倍夫・宇野幸彦など) |
黒木村誌 |
1918 |
|
大正7年 |
石橋鉄工所、隠岐丸、伯洋丸の船用三聯成四五〇馬力蒸気機関作製 |
新修島根県史(年表篇) |
1918 |
|
大正7年 |
魚谷虎太郎.運搬船、淀江賢次.漁船、小仲徳次郎.渡船、を建造、浦郷村における動力付船舶建造の始め |
運河のある町 |
1919 |
|
大正8年 |
村立赤之江実業補習学校を付設 |
運河のある町 |
1919 |
|
大正8年 |
全島で44ケ所の溜池が完成した。(浦郷1・黒木6) |
隠岐 |
1919 |
|
大正8年 |
大正8年には繭移出金額は全島移出金額の30、2%を占め、それまで首位を占めていたスルメ(28、5%)と地位を交替している。 |
隠岐 |
1920 |
|
大正9年 |
隠岐国青年団成立 |
新修島根県史(年表篇) |
1920 |
|
大正9年 |
浦郷村立本郷実業補習学校付設 |
運河のある町 |
1920 |
|
大正9年 |
村立三度実業補習学校付設 |
運河のある町 |
1920 |
|
大正9年 |
隠岐国青年団結成 |
島根県近代教育史 |
1920 |
|
大正9年 |
3月、電話通話事務取扱開始(美田郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1920 |
202 |
大正9年 |
実業補習学校併設(珍崎) |
運河のある町 |
1920 |
323 |
大正9年 |
隠岐蚕糸業同業組合を西郷町に設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1920 |
800 |
大正9年 |
島前電気株式会社が設立される。 |
運河のある町 |
1920 |
821 |
大正9年 |
暴風(隠岐出漁船遭難多し) |
新修島根県史(年表篇) |
1921 |
|
大正10年 |
高等科を置き赤之江尋常高等小学校と改称 |
運河のある町 |
1921 |
|
大正10年 |
字月山より折坂(現在地)に校舎移転(三度) |
運河のある町 |
1921 |
|
大正10年 |
松江で初めて乗合自動車開業される |
運河のある町 |
1921 |
200 |
大正10年 |
黒木村の地主会結成 |
運河のある町 |
1921 |
214 |
大正10年 |
知夫郡黒木村地主会結成 |
新修島根県史(年表篇) |
1921 |
400 |
大正10年 |
隠岐町村組合立女子技芸学校を実科高等女学校に組織変更 |
新修島根県史(年表篇) |
1921 |
400 |
大正10年 |
隠岐町村組合立商船学校(乙種)設立 |
新修島根県史(年表篇) |
1922 |
|
大正11年 |
屋内体操場竣工(美田) |
運河のある町 |
1922 |
|
大正11年 |
三度校校舎半焼 |
運河のある町 |
1922 |
|
大正11年 |
局舎新築移転(浦郷郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1922 |
200 |
大正11年 |
渡辺信行の手により魚の共同販売所開かれる(浦郷) |
運河のある町 |
1922 |
308 |
大正11年 |
クロキヅタが国指定の天然記念物になる |
島前の文化財 |
1922 |
401 |
大正11年 |
県立商船水産学校、隠岐東郷村に開校(西郷町外11村組合立隠岐商船学校と浜田の県水産講習所が合併) |
島根県近代教育史 |
1922 |
1226 |
大正11年 |
島前電気(株)開業、黒木(発)20K |
調査データ |
1923 |
|
大正12年 |
校舎を大字浦郷553.554番地(西ノ上)より大字浦郷421番地(奥ノ谷)へ移転新築す(本郷) |
運河のある町 |
1923 |
|
大正12年 |
三度校舎再建 |
運河のある町 |
1923 |
401 |
大正12年 |
郡制廃止 |
新修島根県史(年表篇) |
1923 |
401 |
大正12年 |
町村組合立隠岐実科高等女学校を高等女学校に組織変更 |
新修島根県史(年表篇) |
1923 |
712 |
大正12年 |
出水(江川増水12m那賀、隠岐で土砂崩れ) |
新修島根県史(年表篇) |
1923 |
1227 |
大正12年 |
船引運河の運営管理組合の解散 |
黒木村誌 |
1924 |
|
大正13年 |
実業補習学校を廃止す(宇賀) |
運河のある町 |
1924 |
|
大正13年 |
実業補習学校を廃止す(別府) |
運河のある町 |
1924 |
|
大正13年 |
学校廃止(青年夜学会を開く)(珍崎) |
運河のある町 |
1924 |
|
大正13年 |
大正13年(1924)より向こう66年28日の期限を限って、周吉郡中村村長木下茂次郎が国との契約において「官公造林」を申請する |
隠岐 |
1924 |
408 |
大正13年 |
隠岐華頂女学院設立 |
島根県近代教育史 |
1924 |
607 |
大正13年 |
浦郷村公設消防組設置 |
|
1925 |
|
大正14年 |
本校舎改築落成(美田) |
運河のある町 |
1925 |
|
大正14年 |
不況により村内の人口流出 |
運河のある町 |
1925 |
|
大正14年 |
政府補助を得て漁獲物販売所を浦郷に設置 |
運河のある町 |
1925 |
|
大正14年 |
美田小学校新築 |
運河のある町 |
1925 |
|
大正14年 |
浦郷村各小学校に少年赤十字団が組織される |
浦郷町誌 |
1925 |
|
大正14年 |
浦郷の本郷で共同販売所が設立され問屋は廃止される |
隠岐島前漁村採訪記 |
1925 |
|
大正14年 |
大正13、4年頃。近藤敏三歯科医師、別府に歯科医院開設 |
|
1925 |
401 |
大正14年 |
黒木村公設消防組発足。才の神以東を一部、以西を二 部とし、組員125名。 出動手当て1円 |
|
1925 |
1000 |
大正14年 |
竹田才吉黒木村長に就任 |
運河のある町 |
1926 |
|
大正15年 |
黒木村の牧畑面積1799町(耕地701町・林地1098町)39%:61% |
隠岐牧畑の歴史的研究 |
1926 |
|
大正15年 |
郵便年金事務取扱開始(別府郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1926 |
504 |
大正15年 |
おおみずなぎどり繁殖地(隠岐中村)天然記念物に仮指定 |
新修島根県史(年表篇) |
1926 |
600 |
大正15年 |
浦郷警察署分署が浦郷警察署として独立 |
運河のある町 |
1926 |
701 |
大正15年 |
隠岐支庁を置く |
新修島根県史(年表篇) |
1926 |
701 |
大正15年 |
郡役所、島庁、郡長、島司廃止 |
新修島根県史(年表篇) |
1927 |
|
昭和2年 |
黒木村青年訓練所を併置す(別府) |
運河のある町 |
1927 |
|
昭和2年 |
校舎を大字浦郷2119番地(字ソツミ)に移転新築す(赤之江) |
運河のある町 |
1928 |
|
昭和3年 |
高等科を置き宇賀尋常高等小学校となる |
運河のある町 |
1928 |
|
昭和3年 |
鳥取県の高校教諭であった久保土美氏が牧畑の論文「隠岐ノ牧畑式ノ研究」を執筆するために西ノ島を来訪、隠岐の牧畑が広く中央に紹介される最初の文献となった。 |
運河のある町 |
1928 |
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昭和3年 |
隠岐汽船の新造船は、観光客を意識したものとして作られる |
隠岐の文化財 |
1928 |
800 |
昭和3年 |
郵便船開始(小中武男氏)(浦郷郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1928 |
918 |
昭和3年 |
隠岐に出水 |
新修島根県史(年表篇) |
1929 |
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昭和4年 |
町村の財政整理緊縮始まる |
運河のある町 |
1929 |
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昭和4年 |
浦郷村信用販売購買組合設立 |
運河のある町 |
1929 |
511 |
昭和4年 |
山陰教育大会を隠岐国西郷町尋常高等小学校において開催 |
島根県近代教育史 |
1929 |
714 |
昭和4年 |
第5回隠岐小学校児童庭球大会を県立商船水産学校において開催 |
島根県近代教育史 |
1929 |
900 |
昭和4年 |
安藤剛黒木村長に就任 |
運河のある町 |
1930 |
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昭和5年 |
黒木村青年訓練所付設(美田小学校) |
運河のある町 |
1930 |
805 |
昭和5年 |
県教育会主催第1回隠岐見学団(教員団・学生団)出発 |
島根県近代教育史 |
1930 |
1111 |
昭和5年 |
浦郷警察署に帝国水難救済会浦郷救難支所が開設される |
浦郷町誌 |
1931 |
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昭和6年 |
隠木長市氏大津に医院を開業、昭和27年まで続く |
運河のある町 |
1931 |
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昭和6年 |
福脇一、鏡谷末次郎により島内に始めてバスが走る |
運河のある町 |
1931 |
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昭和6年 |
隠岐汽船の西郷境間乗船賃、1等(4円50銭)2等(3円)特別3等(2円)3等(1円50銭) |
隠岐島誌 |
1931 |
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昭和6年 |
局舎新築(局長 前田幹)(別府郵便 局) |
郵便局沿革誌 |
1932 |
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昭和7年 |
養蚕業組合設立(隠岐) |
新修島根県史(年表篇) |
1932 |
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昭和7年 |
マツケムシ隠岐に大発生 |
新修島根県史(年表篇) |
1932 |
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昭和7年 |
黒木村信用組合設立 |
運河のある町 |
1932 |
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昭和7年 |
耳浦道路建設 |
運河のある町 |
1932 |
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昭和7年 |
浦郷村、経済更正計画樹立 |
運河のある町 |
1932 |
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昭和7年 |
島根県観光協会の依頼を受けて、俳人河東碧悟桐が国賀を訪れる |
浦郷町誌 |
1932 |
307 |
昭和7年 |
島根県に放送電波が行きわたるようになったのは、全国で17番目の日本放送協会松江放送局が開設されてからであるが、開局当初のラジオ聴取者数はわずか1436人に過ぎなかった。 |
島根県大百科事典 |
1932 |
400 |
昭和7年 |
隠岐丸はじめて松江に入港 |
運河のある町 |
1933 |
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昭和8年 |
[隠岐島誌]出版 |
新修島根県史(年表篇) |
1933 |
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昭和8年 |
浦郷漁業組合新築落成 |
運河のある町 |
1933 |
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昭和8年 |
浦郷警察署新築落成 |
運河のある町 |
1933 |
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昭和8年 |
俳人河東碧悟桐が国賀を訪れた感想を中央公論に発表 |
浦郷町誌 |
1933 |
100 |
昭和8年 |
大山国立公園に出雲、隠岐包含方を松江商工会議所が陳情 |
新修島根県史(年表篇) |
1933 |
400 |
昭和8年 |
隠岐汽船、航路を松江築港に延長 |
新修島根県史(年表篇) |
1933 |
800 |
昭和8年 |
未曽有の大かんばつと暴風により農作物はほとんど全滅 |
運河のある町 |
1934 |
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昭和9年 |
実業補習学校は黒木村実業学校と改称(美田小学校) |
運河のある町 |
1934 |
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昭和9年 |
黒木村に初のがそりんぽんぷ導入 |
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1934 |
300 |
昭和9年 |
本郷小学校に少年消防隊が組織される |
浦郷町誌 |
1934 |
313 |
昭和9年 |
隠岐国分寺境内(中条村)を史蹟に指定、黒木御所(黒木村)を史蹟に仮指定さる |
新修島根県史(年表篇) |
1934 |
500 |
昭和9年 |
建武の中興六百年祭が黒木御所で盛大に挙行される |
運河のある町 |
1934 |
506 |
昭和9年 |
隠岐島小学校教員精神作興大会を県立隠岐高等女学校において開催 |
島根県近代教育史 |
1934 |
600 |
昭和9年 |
島前電気、32K増設。計88K |
調査データ |
1934 |
722 |
昭和9年 |
隠岐島小学校教員の学力補充のための本県主催隠岐島教育講習会を黒木村別府尋常高等小学校において開催 |
島根県近代教育史 |
1935 |
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昭和10年 |
西ノ島の詳しい民俗調査報告書『隠岐島前漁村採訪記』の作成(監修・渋沢敬三) |
黒木村誌 |
1935 |
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昭和10年 |
浦郷本通り付近の絵はがき発行 |
運河のある町 |
1935 |
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昭和10年 |
黒木村青年訓練所を廃止黒木村青年学校別府分教場を置く |
運河のある町 |
1935 |
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昭和10年 |
黒木村、経済更正計画樹立 |
運河のある町 |
1935 |
228 |
昭和10年 |
公設消防組創立10周年を記念して、黒木村消防組特別検閲受検。少年消防隊、女子後援隊も参加した・浦郷消防組、金馬簾一条使用認可 |
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1935 |
400 |
昭和10年 |
紙本墨書後醍醐天皇宸翰宝劔第綸旨一巻、同後醍醐天皇王道再興綸旨一巻(以上出雲大社)・銅印一顆、隠岐国駅鈴二口、附光格天皇御下賜唐櫃一合(隠岐磯村億伎有寿)を国宝に指定される |
新修島根県史(年表篇) |
1935 |
600 |
昭和10年 |
別府〜松江間に水上飛行機による空路開設 |
運河のある町 |
1935 |
1200 |
昭和10年 |
隠岐神社造営決定 |
新修島根県史(年表篇) |
1935 |
1224 |
昭和10年 |
隠岐布施海岸、隠岐知夫湾を名勝に指定、隠岐知夫赤壁を名勝及び天然記念物に指定さる |
新修島根県史(年表篇) |
1936 |
401 |
昭和11年 |
県立隠岐商船水産学校を水産学校と改称(昭和八年4月航海科生徒募集中止) |
新修島根県史(年表篇) |
1937 |
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昭和12年 |
浦郷村は、小若に二歳、三歳馬の育成場と四十ア−ルの運動場を設けて共同育成と調教を行った。 |
運河のある町 |
1937 |
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昭和12年 |
浦郷において市内公衆電話開設、加入者は8人 |
新町建設計画基礎調査 |
1937 |
1015 |
昭和12年 |
浦郷村に市内公衆電話施設が開設される。当時加入者八名 |
浦郷町誌 |
1937 |
1121 |
昭和12年 |
大水凪鳥繁殖地(隠岐黒木村)を天然記念物に指定、隠岐国賀海岸(黒木村、浦郷村)、隠岐白島海岸(中村)を名勝及び天然記念物に指定さる |
新修島根県史(年表篇) |
1938 |
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昭和13年 |
国賀海岸(大字美田字大床、日後、後アンコウジ、ドウド、高谷、カケ、中アラケ、白崎、浦郷村字トノズ、十二尋畑、ガアド、大根ヶ浦、国ヶ、小国ヶ、大木平、赤尾)・大水凪鳥繁殖地を名勝及び天然記念物として指定を受ける |
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1938 |
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昭和13年 |
郵便・電信用として自転車が配備(浦郷郵便局)・電話交換事務取扱開始。郵便、電信用として自転車配備(別 府郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1938 |
500 |
昭和13年 |
徳富蘇峰が来島 |
浦郷町誌 |
1938 |
530 |
昭和13年 |
国賀が、国指定の名勝地に指定される |
島前の文化財 |
1939 |
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昭和14年 |
赤之江の「サカタ踊」が松江放送局からラジオ放送される |
浦郷町誌 |
1939 |
330 |
昭和14年 |
浦郷村消防組金馬簾二条使用認可、 黒木、浦郷両村の消防組、警防団として発足 |
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1939 |
400 |
昭和14年 |
隠岐神社創建、後鳥羽上皇七百年祭執行 |
新修島根県史(年表篇) |
1939 |
401 |
昭和14年 |
戦時体制確立のため警防団令公布(1.25)。4月1日から消防組警防団に改められる。警察の指揮監督下に置かれる。 |
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1939 |
420 |
昭和14年 |
東久迩宮来島 |
浦郷町誌 |
1939 |
426 |
昭和14年 |
四月二十六日,大山部落山林の大火,二十五日夜半から二十七日早朝までもえつづける.島前全消防出動 |
運河のある町 |
1939 |
700 |
昭和14年 |
大干魃にみまわれる |
運河のある町 |
1939 |
809 |
昭和14年 |
隠岐教育会主催後鳥羽上皇御登遐七百年隠岐神社造営記念修・史・読・綴教壇修養会を別府尋常高等小学校において開催 |
島根県近代教育史 |
1940 |
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昭和15年 |
別府の西当佐太郎(当時82歳)が竹島出漁船の概要図を示した。この小船で日本海を安全に航行したという。 |
隠岐 |
1940 |
802 |
昭和15年 |
津波が隠岐島を襲う |
隠岐の文化財 |
1941 |
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昭和16年 |
黒木村浦郷村各学校が国民学校と改称 |
運河のある町 |
1942 |
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昭和17年 |
隠岐島最大の焼火山の梵鐘供出 |
運河のある町 |
1942 |
800 |
昭和17年 |
県下各地で梵鐘供出始まる |
新修島根県史(年表篇) |
1943 |
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昭和18年 |
三度、珍崎両校赤之江校の分教場となる |
運河のある町 |
1943 |
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昭和18年 |
浦郷村赤之江国民学校三度分校と改称 |
運河のある町 |
1943 |
|
昭和18年 |
浦郷村立赤之江国民学校珍崎分校となる |
運河のある町 |
1943 |
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昭和18年 |
黒木村農業会設立 |
運河のある町 |
1943 |
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昭和18年 |
隠岐保健所を黒木村に設置 |
運河のある町 |
1943 |
101 |
昭和18年 |
中国配電へ統合 |
調査データ |
1944 |
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昭和19年 |
黒木村別府国民学校宇賀分校となる |
運河のある町 |
1944 |
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昭和19年 |
別府宇賀両校を統合し黒木村別府国民学校となる |
運河のある町 |
1944 |
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昭和19年 |
浦郷村立青年学校と併設(本郷) |
運河のある町 |
1944 |
900 |
昭和19年 |
隠岐は風水害に見舞われる |
運河のある町 |
1944 |
917 |
昭和19年 |
大風水害(出雲は風害、石見は水害、隠岐は風水害、昨年大災害の復興中途の再来襲で被害を一層大にす) |
新修島根県史(年表篇) |
1945 |
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昭和20年 |
町営旅館開業(現在の鶴陽旅館) |
浦郷町誌 |
1945 |
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昭和20年 |
浦郷・菱浦間水路郵便線路開設(郵便船 正得丸)(別府郵 便局) |
郵便局沿革誌 |