西暦 |
月日 |
元号 |
出来事 |
出典 |
1946 |
|
昭和21年 |
浦郷町の各学校が浦郷町国民学校と改称 |
運河のある町 |
1946 |
1000 |
昭和21年 |
黒木村長安藤剛辞任 |
運河のある町 |
1946 |
1100 |
昭和21年 |
浦郷村に町制施行 |
運河のある町 |
1946 |
1100 |
昭和21年 |
浦郷村開村以来の村長今崎半太郎辞任 |
運河のある町 |
1947 |
|
昭和22年 |
黒木村別府小学校宇賀分校と改称 |
運河のある町 |
1947 |
|
昭和22年 |
黒木村の各学校が黒木村立小学校と改称 |
運河のある町 |
1947 |
|
昭和22年 |
黒木村立黒木中学校設置され美田小学校に併設 |
運河のある町 |
1947 |
|
昭和22年 |
浦郷町立浦郷中学校設置され本郷小学校に併設 |
運河のある町 |
1947 |
|
昭和22年 |
引揚者、復員者で町村の人口は急増 |
運河のある町 |
1947 |
|
昭和22年 |
桜井伊勢太朗氏が率先して浦郷町観光協会を組織し、事務所を自宅において開設する |
浦郷町誌 |
1947 |
400 |
昭和22年 |
新選挙法による初の町村長選挙。浦郷町長に大浜一義、黒木村長に前野鶴若当選 |
運河のある町 |
1947 |
430 |
昭和22年 |
消防団令公布、警防団廃止 |
|
1947 |
826 |
昭和22年 |
浦郷町消防団設置条令制定。9.1施行団員130人分団 4 ・8.28黒木村消防団設置条例制定。8.29日施行 団員156人 分団 2 |
|
1947 |
1200 |
昭和22年 |
天皇陛下島根県下巡視、隠岐島町村代表松江までお出迎え |
運河のある町 |
1947 |
1200 |
昭和22年 |
三度、珍崎に電話開通 |
運河のある町 |
1947 |
1223 |
昭和22年 |
消防組織法公布。警察の所管から分離 |
|
1948 |
|
昭和23年 |
境港・西郷間水路郵便線路開設(隠岐汽船)(別府郵便局)・境西郷間水路郵便線路、浦郷菱浦間水路郵便線路開設(浦郷郵便 局) |
郵便局沿革誌 |
1948 |
218 |
昭和23年 |
浦郷町と黒木村が共同して消火挺を建造する |
浦郷町誌 |
1948 |
400 |
昭和23年 |
隠岐高校開校 |
運河のある町 |
1948 |
500 |
昭和23年 |
浦郷、黒木農業協同組合創立 |
運河のある町 |
1948 |
1228 |
昭和23年 |
浦郷町では消防艇を新設建造し配備する |
|
1949 |
|
昭和24年 |
国賀観光の観光船の開始(重谷乙郎氏) |
運河のある町 |
1949 |
|
昭和24年 |
浦郷、美田、黒木漁業協同組合創立 |
運河のある町 |
1949 |
|
昭和24年 |
国立水産試験場浦郷分場創設。 |
浦郷町誌 |
1949 |
|
昭和24年 |
岡田新聞取次店の新聞取扱部数。朝日新聞140部・毎日新聞140部・島根新聞200部・山陰日日新聞6部・その他22部。 |
浦郷町誌 |
1949 |
|
昭和24年 |
隠岐島ラジオ普及率9.2% |
たちあがる隠岐 |
1949 |
626 |
昭和24年 |
黒木発電所80K増設、52K撤去。計136K |
調査データ |
1950 |
|
昭和25年 |
黒木村立宇賀小学校として独立校となる |
運河のある町 |
1950 |
|
昭和25年 |
黒木中学校建設、位置問題で紛糾 |
運河のある町 |
1950 |
|
昭和25年 |
隠岐島ラジオ普及率12.1% |
たちあがる隠岐 |
1950 |
400 |
昭和25年 |
町立浦郷病院は医療関係法の改正によって、町立浦郷診療所に改められる |
|
1951 |
|
昭和26年 |
昭和26年の隠岐汽船の欠航日数は101日 |
隠岐牧畑の歴史的研究 |
1951 |
400 |
昭和26年 |
浦郷町長に村尾誠一郎当選、黒木村長に前野鶴若当選 |
運河のある町 |
1951 |
501 |
昭和26年 |
中国電力設立 |
調査データ |
1951 |
800 |
昭和26年 |
赤之江漁港、浦郷漁港が第四種漁港に指定されたのは昭和二十六年八月のことで、昭和四十二年三月に赤之江地区もこの区域内に編入された |
運河のある町 |
1951 |
800 |
昭和26年 |
西ノ島・中ノ島間ケーブル布設 |
調査データ |
1951 |
829 |
昭和26年 |
黒木発電所160K増設、80K撤去。計216K |
調査データ |
1952 |
|
昭和27年 |
美田尻に独立校舎を新築落成(黒木中学校) |
運河のある町 |
1952 |
|
昭和27年 |
由良に独立校舎を新築落成移転(浦郷中学校) |
運河のある町 |
1952 |
|
昭和27年 |
山本英医師が勝部医院の出張所の形で大津に開業、昭和四十七年まで開業 |
運河のある町 |
1952 |
|
昭和27年 |
三度ひかり保育所新築開設 |
運河のある町 |
1952 |
|
昭和27年 |
この頃まで船大工は仕事場に寝泊まりしていた。船主との契約はほとんどが口約束であった。 |
隠岐島の民俗 |
1952 |
|
昭和27年 |
菱浦・別府線市外電路回線開設(別府郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1952 |
|
昭和27年 |
美田大津に山本英臣医師開業 |
|
1952 |
|
昭和27年 |
浦郷漁港の整備開始、修築は昭和28年離島振興法が制定されてから |
前野拾遺 |
1952 |
100 |
昭和27年 |
黒木村森林組合設立 |
運河のある町 |
1952 |
1001 |
昭和27年 |
浦郷町史発行 |
運河のある町 |
1953 |
|
昭和28年 |
浦郷漁協、巾着網操業はじまる |
運河のある町 |
1953 |
|
昭和28年 |
義宮殿下ご来島、黒木御所をご見学 |
運河のある町 |
1953 |
|
昭和28年 |
浦郷・知夫・別府間託送水路郵便線路開設(郵便船 正得丸)(別府郵便局)・ 浦郷知夫別府間専用水路郵便線路開設(浦郷郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1953 |
200 |
昭和28年 |
韓国が竹島の領有を発表、竹島領有問題起きる |
運河のある町 |
1953 |
203 |
昭和28年 |
浦郷警察署警備船浦風進水、 |
|
1953 |
700 |
昭和28年 |
山陰放送がラジオ放送開始 |
島根県大百科事典 |
1953 |
715 |
昭和28年 |
離島振興法の制定 |
運河のある町 |
1954 |
|
昭和29年 |
三度分教場独立す |
運河のある町 |
1954 |
|
昭和29年 |
浦郷町立三度小学校として独立校となる |
運河のある町 |
1954 |
|
昭和29年 |
雨天体操場兼講堂を新築落成(黒木中学校) |
運河のある町 |
1954 |
|
昭和29年 |
隠岐島ラジオ普及率25% |
たちあがる隠岐 |
1954 |
501 |
昭和29年 |
隠岐丸、十二年ぶりに夜間就航 |
観光の事始め |
1954 |
900 |
昭和29年 |
県畜産共進会を浦郷で開催、このとき台風15号に見舞われ被害続出 |
運河のある町 |
1954 |
1213 |
昭和29年 |
三度簡易水道新設 |
運河のある町 |
1955 |
|
昭和30年 |
三度新校舎落成 |
運河のある町 |
1955 |
|
昭和30年 |
美田保育所開設 |
運河のある町 |
1955 |
|
|
焼火神社西門大鳥居壹基新築成就之□ |
【焼火神社棟札】 |
1955 |
|
|
焼火神社本殿拝殿改築並修繕成就之□ 権殿外附属造當物一切 |
【焼火神社棟札】 |
1955 |
|
|
奉寄進焼火山権現御□前施入檀那息□延命如意吉祥□ |
【焼火神社棟札】 |
1955 |
|
|
奉修不動尊護摩息□延命□□ |
【焼火神社棟札】 |
1955 |
203 |
昭和30年 |
トモドが、国指定の重要民俗資料になる |
島前の文化財 |
1955 |
400 |
昭和30年 |
隠岐高等学校島前分校開設(定時制) |
運河のある町 |
1955 |
400 |
昭和30年 |
浦郷町長に村尾誠一郎再選、町議選挙。黒木村長に吾妻常男当選、村議選挙。 |
運河のある町 |
1955 |
908 |
昭和30年 |
第1次特別検閲 浦郷町、黒木村 |
|
1956 |
|
昭和31年 |
波止分校校舎改築 |
運河のある町 |
1956 |
|
昭和31年 |
一教室増築(本郷小学校にあった元浦郷中学校の職員室移転)(珍崎) |
運河のある町 |
1956 |
|
昭和31年 |
中居進医師浦郷診療所に赴任現在に至る |
運河のある町 |
1956 |
|
昭和31年 |
船越簡易水道新設 |
運河のある町 |
1956 |
|
昭和31年 |
波止簡易水道新設 |
運河のある町 |
1956 |
|
昭和31年 |
新聞の普及率:隠岐島は四九%=四六七五戸 |
たちあがる隠岐 |
1956 |
|
昭和31年 |
隠岐島ラジオ普及率32%(全国平均68%) |
たちあがる隠岐 |
1956 |
|
昭和31年 |
珍崎小学校が石炭ストーブ開始 |
調査データ |
1956 |
400 |
昭和31年 |
四月・黒木村・浦郷村電気点灯数。黒木=一○三五・浦郷=九三九(戸数七三二・八七五) |
たちあがる隠岐 |
1956 |
400 |
昭和31年 |
電灯普及率・島は無電灯戸数は一○一五戸 |
たちあがる隠岐 |
1956 |
500 |
昭和31年 |
隠岐高等学校島前分校全日制となる |
運河のある町 |
1956 |
900 |
昭和31年 |
浦郷町、黒木村町村合併を県に申請 |
運河のある町 |
1957 |
|
昭和32年 |
西ノ島町の各学校は西ノ島町立小学校・中学校と改称 |
運河のある町 |
1957 |
|
昭和32年 |
西ノ島町立浦郷中学校と改称屋内体育館新築落成 |
運河のある町 |
1957 |
211 |
昭和32年 |
町村合併により、西の島町発足 |
|
1957 |
221 |
昭和32年 |
2月11日、浦郷町黒木村の合併により西ノ島町発足。新町長に村尾誠一郎当選、町議選挙。新町建設計画を策定。 |
運河のある町 |
1957 |
426 |
昭和32年 |
西の島町消防団条例制定。5.13施行団員306人 分団4 |
|
1957 |
600 |
昭和32年 |
小向及び市部簡易水道竣工 |
運河のある町 |
1957 |
621 |
昭和32年 |
黒木発電所300K増設。計516K |
調査データ |
1957 |
700 |
昭和32年 |
西ノ島において昼夜送電実現 |
運河のある町 |
1957 |
700 |
昭和32年 |
浦郷中学校屋体完成 |
運河のある町 |
1957 |
701 |
昭和32年 |
島前地区供給時間延長(24時間送電) |
調査データ |
1957 |
900 |
昭和32年 |
西ノ島町連合婦人会結成 |
運河のある町 |
1957 |
1000 |
昭和32年 |
浦郷漁協の小若倉庫焼失 |
運河のある町 |
1957 |
1000 |
昭和32年 |
全町に国民健康保険事業を開始 |
運河のある町 |
1958 |
|
昭和33年 |
美田小学校が石炭ストーブ開始 |
調査データ |
1958 |
|
昭和33年 |
崎水路郵便線路開設(郵便船 増栄丸)(別府郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1958 |
|
昭和33年 |
国賀道路着工 |
前野拾遺 |
1958 |
300 |
昭和33年 |
大津簡易水道竣工 |
運河のある町 |
1958 |
613 |
昭和33年 |
黒木御所が、県指定の史跡になる |
島前の文化財 |
1958 |
800 |
昭和33年 |
黒木村森林組合、西ノ島町森林組合と改称 |
運河のある町 |
1958 |
900 |
昭和33年 |
赤灘灯台点灯 |
運河のある町 |
1958 |
1200 |
昭和33年 |
町内で一畑バス運航開始 |
運河のある町 |
1959 |
|
昭和34年 |
島前、島後間航路第五隠岐丸が就航 |
運河のある町 |
1959 |
|
昭和34年 |
島前〜島後間に第5隠岐丸就航(隠岐汽船) |
調査データ |
1959 |
|
昭和34年 |
西ノ島町観光協会が設立される。 |
|
1959 |
|
昭和34年 |
安藤歯科医院開業 |
|
1959 |
300 |
昭和34年 |
日本海テレビ放送開始 |
島根県大百科事典 |
1959 |
400 |
昭和34年 |
戦後はじめて島前地区より県議会議員に大浜一義当選 |
運河のある町 |
1959 |
600 |
昭和34年 |
浦郷診療所新築 |
運河のある町 |
1959 |
700 |
昭和34年 |
西ノ島町観光協会設立 |
運河のある町 |
1959 |
700 |
昭和34年 |
合併以来二ヶ所あった役場を統一し浦郷西庁舎を本庁とする。東部地区住民ならびに美田地区一部住民の反対が強まり約1年間、区嘱託事務の返還など町政への非協力が続く |
運河のある町 |
1959 |
1000 |
昭和34年 |
日本放送協会松江放送局がテレビ放送を開始した |
島根県大百科事典 |
1959 |
1001 |
昭和34年 |
10月1日現在、西ノ島の電話加入者は浦郷局92・別府局56合計148局 |
新町建設計画基礎調査 |
1959 |
1029 |
昭和34年 |
県、東京の辻氏に竹島問題で訴えられる |
観光の事始め |
1959 |
1100 |
昭和34年 |
シオン保育所開設認可 |
運河のある町 |
1959 |
1200 |
昭和34年 |
新町建設審議会を設置 |
運河のある町 |
1959 |
1200 |
昭和34年 |
山陰放送がテレビ放送開始 |
島根県大百科事典 |
1960 |
|
昭和35年 |
この頃「一銭渡し」が無くなる |
運河のある町 |
1960 |
|
昭和35年 |
浦郷診療所に歯科を設置 |
運河のある町 |
1960 |
|
昭和35年 |
大山、美田尻、別府簡易水道竣工 |
運河のある町 |
1960 |
|
昭和35年 |
町道三度〜赤之江線工事はじまる |
運河のある町 |
1960 |
|
昭和35年 |
浦郷の牧畑はこの年には、耕作しないようになった。 |
隠岐牧畑の歴史的研究 |
1960 |
|
昭和35年 |
浦郷診療所に金田医師を迎え歯科設置 歯科医師の確保困難になり昭和39年から一時廃止 |
|
1960 |
600 |
昭和35年 |
新町建設審議会小中学校の統合答申 |
運河のある町 |
1960 |
700 |
昭和35年 |
浦郷・別府の電話局統合促進を議決 |
運河のある町 |
1961 |
|
昭和36年 |
国賀ドント節レコ−ド発売 |
運河のある町 |
1961 |
|
昭和36年 |
美田港大津物揚場建設工事、赤之江漁港整備はじまる |
運河のある町 |
1961 |
|
昭和36年 |
年月は確認できないが、この頃近藤歯科医院廃止 |
|
1961 |
200 |
昭和36年 |
西ノ島町長に村尾誠一郎再選、町議選挙 |
運河のある町 |
1961 |
613 |
昭和36年 |
十方拝礼(しゅうはいら)が、「美田八幡田楽」として県指定の無形文化財になる |
島前の文化財 |
1961 |
1000 |
昭和36年 |
黒木飛行場を再開 |
運河のある町 |
1961 |
1200 |
昭和36年 |
新町建設計画(調整案)可決 |
前野拾遺 |
1962 |
|
昭和37年 |
大山に山火事、消防団全員出動 |
運河のある町 |
1962 |
|
昭和37年 |
たくひユースホステル開始 |
調査データ |
1962 |
|
昭和37年 |
西ノ島の電話局は統合され、浦郷局となる |
運河のある町 |
1962 |
113 |
昭和37年 |
西ノ島町商工会は、会員60人・役員21人・職員3人で発足 |
運河のある町 |
1962 |
124 |
昭和37年 |
黒木発電所500K増設。計960K |
調査データ |
1962 |
400 |
昭和37年 |
黒木発電所増設、電力制限緩和、定額制から従電制へ |
運河のある町 |
1962 |
1100 |
昭和37年 |
県道西ノ島線、倉ノ谷〜宇賀間の改良成る |
運河のある町 |
1962 |
1200 |
昭和37年 |
身障者連絡協議会発足 |
運河のある町 |
1963 |
|
昭和38年 |
離島草地開発事業はじまる |
運河のある町 |
1963 |
|
昭和38年 |
三度漁港の改修はじまる |
運河のある町 |
1963 |
|
昭和38年 |
国賀道路完成 |
運河のある町 |
1963 |
|
昭和38年 |
浦郷の牧畑で耕作が姿を消す |
隠岐 |
1963 |
|
昭和38年 |
国賀観光定期船の運行開始 |
前野拾遺 |
1963 |
410 |
昭和38年 |
隠岐、島根半島、三瓶山が大山国立公園に編入され、大山隠岐国立公園となる |
運河のある町 |
1963 |
500 |
昭和38年 |
おきじ丸就航 |
運河のある町 |
1963 |
1200 |
昭和38年 |
島内交通の利便確保のため、島前三町村で渡船事業を計画し、内航船「しまじ」を福島造船に発注 |
|
1964 |
|
昭和39年 |
隠岐民謡観光キャラバン隊結成 |
運河のある町 |
1964 |
|
昭和39年 |
島前内航船事業組合設立 |
運河のある町 |
1964 |
|
昭和39年 |
議会において観光課設立を提案(3月19日) |
|
1964 |
|
昭和39年 |
10月、電報配達業務浦郷郵便局へ統合(美田郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1964 |
500 |
昭和39年 |
島前〜島後間航路休止 |
運河のある町 |
1964 |
500 |
昭和39年 |
国民年金還元融資を受け、国民宿舎国賀荘が完成。定員100名(昭和44年に増築して定員135名となる) |
運河のある町 |
1964 |
526 |
昭和39年 |
日吉神社の庭の舞・神の相撲が県指定の無形文化財となる |
島前の文化財 |
1964 |
600 |
昭和39年 |
しまじ進水(13.61t.定員30名) |
|
1964 |
616 |
昭和39年 |
津波が隠岐島を襲う |
隠岐の文化財 |
1964 |
800 |
昭和39年 |
美田港(船引運河)改修工事始まる |
運河のある町 |
1964 |
1100 |
昭和39年 |
みしま進水(14.29t.定員30名) |
|
1964 |
1107 |
昭和39年 |
西の島町議会で島前内航船事業組合を設立を議決 |
|
1965 |
|
昭和40年 |
島前広域行政推進協議会発足 |
運河のある町 |
1965 |
|
昭和40年 |
由良農道工事施工 |
運河のある町 |
1965 |
|
昭和40年 |
大浜町長が初めて、漁業・観光・牧畜を西ノ島町産業振興の3本柱とする、と姿勢方針演説で発表。 |
調査データ |
1965 |
|
昭和40年 |
県が国賀浜に国賀浜休憩所を建設。最初の観光施設。 |
調査データ |
1965 |
|
昭和40年 |
隠岐空港開設 |
|
1965 |
100 |
昭和40年 |
しまじ、みしま、両船就航により1日2便となる。 |
|
1965 |
127 |
昭和40年 |
島前内航船事業組合設置を県知事に申請 |
|
1965 |
200 |
昭和40年 |
西ノ島町長に大浜一義当選、町議選挙。 |
運河のある町 |
1965 |
300 |
昭和40年 |
国賀びらき行事はじまる |
運河のある町 |
1965 |
302 |
昭和40年 |
島前内航船事業組合設置が許可される |
|
1965 |
400 |
昭和40年 |
隠岐高等学校島前分校は隠岐島前高等学校として独立 |
運河のある町 |
1965 |
400 |
昭和40年 |
浦郷水産会館竣功 |
運河のある町 |
1965 |
531 |
昭和40年 |
しまじ、みしまの船舶賃借契約、運航委託契約の取交。 組合管理者、大浜一義(西の島町長)契約相手方 しまじ・灘 忠好氏。みしま・島前汽船運送有限会社取締役社長福山栄次郎 |
|
1965 |
800 |
昭和40年 |
隠岐空港と米子空港との航路開始 |
運河のある町 |
1965 |
800 |
昭和40年 |
NHKテレビで隠岐がはじめて全国に紹介される(スタジオ102) |
運河のある町 |
1965 |
1100 |
昭和40年 |
焼火山にNHKテレビ中継所完成する |
運河のある町 |
1965 |
1209 |
昭和40年 |
黒木発電所500K増設。計1460K |
調査データ |
1966 |
|
昭和41年 |
耳浦林道改修工事はじまる |
運河のある町 |
1966 |
|
昭和41年 |
別府港改修工事始まる |
運河のある町 |
1966 |
200 |
昭和41年 |
日本消防協会から、最高栄誉である表彰旗が授与さる。(隠岐で初め |
|
1966 |
300 |
昭和41年 |
島根半島と浦郷を結ぶ国賀観光航路の開設を運輸大臣に申請 |
運河のある町 |
1966 |
400 |
昭和41年 |
本郷幼稚園開設 |
運河のある町 |
1966 |
400 |
昭和41年 |
浦郷中学校、県中学野球大会で優勝 |
運河のある町 |
1966 |
401 |
昭和41年 |
本郷幼稚園開設 |
前野拾遺 |
1966 |
531 |
昭和41年 |
焼火山にある銅鐘が、県指定の有形文化財となる |
島前の文化財 |
1966 |
900 |
昭和41年 |
浦郷診療所に歯科復活。日本歯科大学と契約、昭和 年まで交替派遣。以後医師確保ならず一時廃止 浦郷診療所、隠木医師退職により医師一名体制になる浦郷診療所に小笠原医師を迎え歯科診療復活、昭和5 年 月まで |
|
1966 |
1210 |
昭和41年 |
しまじ、みしまの損失補填のための助成金交付覚書取交。 組合管理者、山田関次郎(知夫村長) |
|
1967 |
|
昭和42年 |
航路権取得のための折衝続く。その間なだよし丸(灘 忠好)運航 |
|
1967 |
203 |
昭和42年 |
第2次特別検閲 |
|
1967 |
300 |
昭和42年 |
西ノ島町を国賀町に町名変更の話題持ち上がり議会で検討 |
運河のある町 |
1967 |
300 |
昭和42年 |
赤之江が浦郷漁港に編入 |
前野拾遺 |
1967 |
518 |
昭和42年 |
しまじの船舶賃貸契約を解除(不採算などいろいろな事情により、使用されないという経緯があった) |
|
1967 |
900 |
昭和42年 |
隠岐観光株式会社設立 |
運河のある町 |
1967 |
900 |
昭和42年 |
島前三町村の教育委員会を統合し県下初の統合教委、隠岐島前教育委員会発足する |
運河のある町 |
1967 |
900 |
昭和42年 |
中学校の敷地造成に陸上自衛隊109施設大隊来町 |
運河のある町 |
1967 |
1000 |
昭和42年 |
皇太子殿下、同妃殿下(現天皇・皇后)行啓。国賀、黒木御所をご見学 |
運河のある町 |
1968 |
|
昭和43年 |
珍崎簡易水道工事竣功 |
運河のある町 |
1968 |
|
昭和43年 |
珍崎小学校が石油ストーブ開始 |
調査データ |
1968 |
109 |
昭和43年 |
第3次特別検閲 |
|
1968 |
300 |
昭和43年 |
中学校を名目統合,西ノ島中学校発足(浦中は西校舎・黒中は東校舎) |
運河のある町 |
1968 |
700 |
昭和43年 |
統合中学校の建設に着手 |
運河のある町 |
1968 |
700 |
昭和43年 |
黒木村史発行 |
運河のある町 |
1968 |
800 |
昭和43年 |
しまじ丸就航 |
運河のある町 |
1968 |
1218 |
昭和43年 |
町に消防自動車初めて配置(浦郷1班) |
|
1969 |
|
昭和44年 |
黒木御所碧風館開館 |
運河のある町 |
1969 |
|
昭和44年 |
町道波止線工事はじまる |
運河のある町 |
1969 |
|
昭和44年 |
物井簡易水道工事竣功 |
運河のある町 |
1969 |
|
昭和44年 |
西ノ島町交通指導員設置 |
運河のある町 |
1969 |
|
昭和44年 |
ホ−ムヘルパ−制度発足 |
運河のある町 |
1969 |
|
昭和44年 |
島前老人ホ−ム竣功開設 |
運河のある町 |
1969 |
|
昭和44年 |
鬼舞(おにまい)スカイライン開通 |
調査データ |
1969 |
|
昭和44年 |
島前〜島後間に「しげさ」が就航(隠岐島町村組合) |
調査データ |
1969 |
|
昭和44年 |
国賀レストハウスが国賀海岸に建設され、民間に貸与。 |
調査データ |
1969 |
|
昭和44年 |
機動車(オートバイ)配備(別府郵便局)・機動車配備(浦郷郵便局) |
郵便局沿革誌 |
1969 |
|
昭和44年 |
交通指導員設置 |
前野拾遺 |
1969 |
200 |
昭和44年 |
町長に安達武夫就任,町議選挙この年から議員定数18名になる |
運河のある町 |
1969 |
300 |
昭和44年 |
国賀港の改良工事始まる |
運河のある町 |
1969 |
400 |
昭和44年 |
知夫、海士、周吉、穏地の四群が合体して隠岐郡となる |
運河のある町 |
1969 |
600 |
昭和44年 |
新船[しげさ]就航し島前〜島後間航路が隠岐島町村組合で再開される |
運河のある町 |
1969 |
1100 |
昭和44年 |
山陰中央テレビ(テレビ専業局)開局 |
島根県大百科事典 |
1969 |
1120 |
昭和44年 |
本町、初の観光客の自殺者発見。島根鼻で火葬 |
観光の事始め |