ボロハチ奮戦記 第一幕(野望編)




94年5月 公認車検取得と同時に5点式ロールバーを組み込む。

当時ロールバーを入れてる車が少なかったため車のことを知らない友人から「なんで鉄骨詰んでるの?」 うむむぅ‥。

95年11月 茶漉しフィルターの影響か?マフラーから白煙を吹くようになったので、そろそろオーバーホールをと考える。

が、ありふれたオーバーホールじゃつまらないので一念発起し「RSヤス」(86チューンでは有名)に※5.5AGを依頼。

ロングストローク仕様のクランク、CA18(シルビア)用のピストンを組むことにより1800ccにボアアップ。馬力も135PS→200PSへとアップ。これは車重900kgのハチロクではGT-Rにも匹敵するパワーウェイトレシオをマークすることに。

96年1月 「RSヤス」より電話。

完成したのかと思いきやガレージに車が突っ込み、マイカーが巻き込まれたとのこと。見に行くとボンネット部が見事に大破‥。

こんなひどい事故自分でも起こしたこと無いのに‥。

96年4月 半年かけて5.5AGがやっと仕上がる。

試験走行で筑波山に走りに行きターボチューン仕様のRX-7(FC後期型)を追い回せることに感動。

帰りがけに信号待ちで煽ってきたAE92スーパーチャージャーを軽くちぎってみたりする。向こうも相当いじっていたらしく、旧式でしかもFRのボロハチにちぎられたことが相当ショックなご様子。(^^;;

96年7月 忘れもしません。エビスサーキットの走行会で調子に乗ってエンジンぶん回してオーバーレブ‥。

走行終了後にエンジンから「カンカンカン」という異音とともにオイルがエンジンルーム一面に吹き出す。原因は回しすぎによるクランクメタルのかじり。エンジンチューン後、3ヶ月の短い命でした。

教訓:サーキット走行中はラジオのボリュームは絞りましょう‥。(^^;;

97年1月 行きつけのショップ「スピードショップ・サンユー」で車検ともども特別価格でエンジンを載せ直す。その際に載せたエンジンはスーパーチャージャー(AE92後期型)

でも5.5AGのほうが速かったような気がするなぁ。

97年6月 日光サーキット走行会からの帰り道、原因不明のエンジンストール。ガホガホとアクセルを煽りながら通行人の熱い視線を受けつつ帰宅。

こんな車に乗ってるからって誤解しないで〜。エンジンの調子が悪いんだってばさ。

97年8月 騙し騙しで、ガホガホ乗っていたがさすがに渋滞中もガホガホするのは気がとがめるということで、「サンユー」へ修理に出す。

NAの頃なら大体修理個所の検討はついたがSCになってからはさっぱり??な状態。結局アイドルアップセンサーがおかしかったようだが、NAと形が全然違うよ‥。

97年12月 トラストの青マフラーが破損。

一般的にこのマフラーはセンサー取付け部が割れるというトラブルが多いようだが、自分の場合はメッシュ状の継ぎ手部分(稼動部分)から排気漏れするようになった。慣れとは恐ろしいもので、かなり前から排気漏れしていたらしく室内に充満する排気ガスの匂いにも気づかなかった。

知らぬは本人ばかりなり‥。

98年4月 ハチロクのメジャートラブルの中で唯一トラブルが出なかったクラッチ・マスターシリンダーが遂に破損。

高速道走行中にクラッチの繋がりが深目かなと思っていたら、高速を降りた途端にスコンと奥まで入ってしまう。車体の下に潜り込むとクラッチのシリンダーから大量のオイル漏れ。

とりあえず近くのコンビニでサラダオイルを買って注ぎ足しながらなんとか無事?帰宅。

98年7月 やっとこクラッチ・マスターシリンダーを共販で購入し交換。

夏場は暑いから乗りたくないという気持ちがズルズルと修理を引き伸ばしてしまった原因かな?

98年9月

6年間乗ってきたボロハチを唐突に売却。

愛着ある1台だったがスーパーチャージャーに換装して以来、常に「これはハチロクじゃない‥」という疑問を抱いていたことと、生活環境の変化によるものが主因です。

次にハチロクに乗るときはNAで大排気量車には回せないような回転数まで回る、決して速くないけど乗ってて楽しい、そんなハチロクを造りたいと思ってます。ただ、もう現存で程度の良いハチロクって無いんだよね。

ちなみに、ボロハチの売値ですがある有名ショップで45万円でした。某漫画の影響で白黒3drトレノしか売れない昨今、この値段はショップ側も勇気のいる値段だったと思います。売り文句は「すべてのメジャートラブルは経験してるので危ない個所はすべて対策品に交換済み!」かな。(^^;;



  野望編半ばにして第一幕が完結してしまいました。中途半端な終わりかたですみません‥。(^^;;
第二幕(再生編)←(予定)にご期待くださいませ。さていつになることやら。