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3月に入ってから急に寒さが戻ってきた。会社の帰り、バス停の明かりで本を読んでいると、手がかじかんだ。
赤瀬川原平「全面自供!」(筑摩書房)を読んでいたら、絵を買いたくなった。
学生の頃は、海外旅行すると、訪れた街の美術館にはだいたい足を運んだ。最近はあまり見ていないけれど、その頃は、現代美術もけっこう見ていた。赤瀬川原平の若い頃の話を読んでいると、ふと、現代美術の絵を、家の壁に掛けてみるのもいいなと思った。何かを描いた具象の絵ではなく、模様のような抽象の絵がいい。
ウェブで中西夏之の絵を見ていたら、ほしくなった。わが家の居間の壁に、あんがい似合うような気がする。実物は、想像以上に大きいから、壁からはみ出してしまうかもしれないけれど。フォンタナのキャンバスに切れ目を入れた絵もいいかなと思う。
いったいいくらぐらいするものなのだろうか、見当もつかない。自動車を買うぐらいだったら、絵を買う方が楽しそうな気もする。
赤瀬川原平の小説を書き始めた頃の話を読んでいると、そろそろ、自分で小説を書いてみようかなという気持ちにもなってきた。小説を読むのもいいけれど、自分で書くのも楽しそうだ。
長いものは書けそうにないけれど、短いものだったら書いてみようかなと思う。日記では、文章は書き流しているけれど、ひとつのテーマをもう少し掘り下げて見るのも、ちがったおもしろさがあるように思う。
自分の小説を書くためのウォーミング・アップに、久しぶりに翻訳をしてみるのもよいかなと思っている。ジョイスの「ダブリンの人びと」から短編をどれか訳してもいいし、つれあいから頼まれたままになっているサリンジャー「フラニーとゾーイー」に挑戦してもいいかなと思う。
なるべく単純で、気取っていない、大げさではない、そんな小説が描けたらいい。
私の会社では、5月の連休の中日を休日にする代わりに、繁忙期の2月、3月の土曜日を隔週で出勤日にしている。昨日の土曜日は、出勤日だった。
会社の帰りに、つれあいと飯田橋で待ち合わせ、神楽坂の鮨屋に行った。近所に行きつけの鮨屋があるといいと思い、探していた。ここの鮨屋に行くのは二度目だったけれど、なかなかいい。
今日は、時間が遅かったせいか、カウンター席はいっぱいで、テーブル席だった。
まずは、おまかせお造り盛り合わせをつまみにして、冷酒をいただく。平目、鰺、赤貝、帆立、中とろ、鯛の昆布〆。平目のような薄味の魚は、酢飯に乗せるより、刺身で味を確かめながら食べた方がおいしいと思う。
握りは、1.5人前の盛り合わせを注文した。海胆、〆鯖、貝柱、中とろ、巻物。気が付くと、300mlの冷酒が2本あいていた。
メニューがないので、お勘定するまで値段がわからなかったから、少しどきどきしたけれど、良心価格だっが。行きつけの鮨屋になると思う。店の名前は秘密。
鮨屋の脇の横町に入ったところにあるカウンターだけのバーに入った。ひさしぶりにスコッチ・ウィスキーを注文した。
一時期、シングル・モルトのウィスキーをあれこれ飲み比べていた。スコッチ・ウィスキーで主流なのは、スコットランドのなかのハイランド地方や島嶼部(アイランド)でつくられているものであるが、私が好きなのはローランド地方のものである。ハイランドやアイランドのウィスキーは、癖があり、野性的な味のものが多く、ローランドのウィスキーは、甘めで軽い味のものが多い。飲み比べ始めた頃は、通ぶって癖の強いものを飲んでいたけれど、結局、自分は、ローランドのあっさりしたウィスキーが好きだということがわかった。
最近、シングル・モルトのウィスキーもすっかり定着して、たいていのバーには、メジャーなローランドやアイランドのウィスキーが置いてあるようになった。しかし、ローランドのウィスキーは傍流だということもあり、そもそも種類が少ないし、あまり輸入されていないらしい。
バーテンダーに、ローランドのウィスキーはないかと尋ねたところ、置いていないという。ハイランドのなかでも甘めのSpringbankという銘柄を薦めてもらった。久しぶりに飲むので、ストレートだときついかなと思い、半分ずつ、ストレートとトワイス・アップ(ウィスキーと水が1対1)の二種類を作ってもらった。
ひさしぶりのシングル・モルトは、しみじみおいしかった。ストレートの方がおいしかった。
今朝、ヤンキース対ブルージェイズのオープン戦をNHK−BSで中継していた。
今シーズンのヤンキースの補強は、勝つために必要な選手を獲得するということではなく、オールスターチームを作るようなスタイルだった。もう、連覇していた頃のような、緊張感があるチームではなくなったと思っている。だから、今シーズンは、あまりヤンキースを見る気持ちになれないと思っていたが、それでも、やはり、いざオープン戦の中継があると、新戦力をチェックしようという気になり、主力選手が交代する3打席目ぐらいまで、見てしまった。
今年のヤンキースの打線は、ほんとうに強力だ。かつてのヤンキースは、必要なところで必要な点を取っていたものの、強力打線ではなかった。実際、打撃成績の数字自体は、それほど飛び抜けていたわけではなく、貧打という印象すらあった。しかし、今シーズンの打線は、掛け値なしにすごい。ロフトンは、もうベテランだから、一年を通じてどの程度活躍できるかわからないけれど、アレックス・ロドリゲスとシェフィールドは、間違いなく相当打ちそうだ。ジーター、松井、ポサーダは、相変わらず安定している。シーズンが始まれば、バーニーも戻ってくる。
ジオンビーは、レギュラー・シーズンではそれなりの成績は残しているけれど、ポストシーズンの厳しい場面になると、どうも頼りにならない。結局、頼りになるのはジーター、バーニー、ポサーダというメンバーである。そして、松井は、頼りになる方のメンバーの一員になったように思う。アレックス・ロドリゲスやシェフィールドはたしかに、すばらしいが、この二人が、ジオンビーのようになるのか、ジーターやバーニーのようになるのか、今の段階ではよくわからない。しかし、それは贅沢な心配というもので、打線の方はまずは問題なさそうである。
今日のところは、一線級のピッチャーがでてこなかったから、よくわからなかったけれど、やはり、投手の方に問題がありそうだ。先発投手ローテーションは、ペティート、クレメンス、ウェルズが抜けた穴を、なんとかトレードで埋めることができた。しかし、今年も左のセットアッパーと、マリアーノ・リベラが怪我をしたときの代わりのクローザーでは苦労しそうだ。厳しい場面で使えそうなリリーフピッチャーが、リベラ一人という状態では、心細い限りである。
今シーズンのヤンキースは、これだけ豪華なメンバーが揃っているのだから、見ていて楽しいのは間違いない。私はチケットをとれなかったけれど、東京ドームの開幕戦を見に行くことができる人は、ラッキーだ。しかし、ヤンキースがワールドシリーズで優勝できるかというえば、レギュラー・シーズンに入ってしばらく様子を見なければわからないと思う。個々の選手が優れていれば優勝できるのであれば、かつてのインディアンスがワールドシリーズを勝っていたはずだ。はたして、ヤンキースがチームとして機能するのか、しないのか、不安半分という気持ちである。
今日、祖母の一周忌の法事があり、白山上の一音寺に、親戚が集まった。ご住職の読経、講話のあとは会食になった。
会食のはじめに、私の父親が挨拶をしたが、また「牛」の話をしていた。祖父が大切にしていた「牛」という題名の処世訓の本のことである。祖父の九回忌の時にも、同じ話をしていた。私が「牛」をもう一度読みたいのだけれども探しても見つからないと言ったところ、もとの祖父の家に住んでいる伯母が、今でもその家にあるということを教えてくれた。今度、実家に戻ったときに、ぜひ読まなければならない。
会社の同僚から借りた酒井順子「負け犬の遠吠え」(講談社)を読んだ。酒井順子は、1966年生まれというから、私とほぼ同年代である。私は知らなかったが、つれあいに聞くと、大学在学中からオリーブにエッセイを書いていて、有名な人だという。
このエッセイは、「狭義には未婚、子ナシ、三十代以上の女性」「つまりまぁ、いわゆるふつうの家庭というものを築いていない人」であるところの「負け犬」について書かれたものである。私とつれあいで回し読みをして、ずいぶん笑わせてもらった。
既婚と未婚のどちらが勝ちで負けなのかはよくわからないけれど、三十代になると「ふつうの家庭を築く人たち」と「ふつうの家庭を築かない人たち」がはっきり分かれて、その間には相互に理解できない深い溝ができるということは、なんとなくわかる。その違いがはっきりするのは、三十代になってからだけれども、実際には、もっと若い頃からこの二つの種族は分かれて始めていると思う。
酒井順子自身は、もちろん、「狭義には未婚、子ナシ、三十代以上の女性」「つまりまぁ、いわゆるふつうの家庭というものを築いていない人」の方である。自分たちのグループを、「負け犬」と呼んでいるけれど、これはあくまでも自虐的ギャグであって、そういった自分の生き方には肯定的だという印象を受けた。傲慢ですらあるかもしれない。知的に書かれているから、うまくぼかして書かれているけれど。それが、いちばんあからさまに書かれている部分はここだと思う。
・・・負け犬形成に欠かせないもう一つのエッセンス、それが「含羞」というものです。
・・・
・・・負け犬からすると、勝ち犬というのは人生のある時点で一回、結婚という目標を達成するために、恥を捨てた人に見えるのです。
それはつまり、狙いを定めた男性の前で酔ったフリをしたり、「お見合いしろって親から言われているの」とか「妊娠したかもしれない」とか「料理が得意なの」などと嘘をついてみたり、泣き落としをしたり、一オクターブ高い声で話したり、経歴詐称したり、一人では生きていけないフリをしたり、それなのに婚約が整った後は急に強健を発揮しだしたり。
負け犬には、それらの行為が恥ずかしくてできません。友人知人が、それらの手練手管を使っているのを見ると、いたたまれない気分になってしまうのです。
たしかに、未婚の勝ち犬気質の人たちは、あさましくて怖い。結婚してしまえば、怖さはなくなる。美しさもなくなるけれど。酒井順子は、将来結婚することがあるかどうかは別として、決して「勝ち犬」のようになりたくないと思っている。
この本を貸してくれた人は、この本を笑えるかどうかは、現在幸せかどうかのバロメーターだといっていた。しかし、「負け犬」という言葉を使っているものの、自分の生き方に肯定的だから、いわゆる「負け犬」気質の人が読めば、元気がでてくるような本ではないだろうか。
この本で、私の印象にいちばん残った部分を引用する。
・・・日本にはまだ、市井の負け犬達がシンパシィを寄せる最後の大物が控えていることを、忘れてはなりません。してそのお方とは、紀宮様A.K.A.(アズ・ノウン・アズ)サーヤ。
私は天皇ご一家の集合写真を見ると、サーヤの姿に自分の姿を重ねずにはいられないのでした。サーヤの二人の横にはそれぞれの妻と子が寄り添っているのに、サーヤは端の方に一人で立っている。何かの行事の際には、サーヤより前に兄の妻達が並んでいる。親戚の集まりにおける自らのいたたまれない立場、というものを渡井は思い出さずにいられません。
・・・
その思いは、平成十五年の歌会始における、雅子様と紀宮様の歌を読み比べてみて、ますます強まったのでした。「町」というお題で詠まれた雅子様のお歌は、
「いちやう並木あゆみてであふ町びとにみどり児は顔ゑみてこたふる」
というもの。母親としての喜びが強くあらわれています。そしてサーヤのお歌は、
「音やすべてやみたるごとし北国の町にしんしんと積もりゆく雪」
・・・・嗚呼、何をか言わんや。北の町で雪を静かに見つめているサーヤの肩に、私はそっと手を置きたくなるのです。
が、しかし、雪を眺めていたサーヤの心は、きっと満ち足りていたと思うのです。静かに降り積む雪の美しさを、心ゆくまで味わっていらしたに違いない。
酒井順子のサーヤへの思い入れは、読んでいて気持ちがいい。しかし、印象に残ったポイントはそこではない。
天皇一家は、実によく日本人を象徴していると思う。そのなかで、「紀宮」という存在はどのような意味を持っているのか、今ひとつよくわからないでいた。これを読み、彼女の存在意義がわかった。
父親は、名家の跡取り息子である。祖父は、激動の時代を生きぬいてきた人で、存在感が大きかったから、父親は頼りなく思われていた。跡を継いで十数年が過ぎ、最近では、ようやく当主らしく、しっかりしてきた。母親は財産家に生まれ、気位が高い。嫁ぎ先の家のしきたりにぶつかり苦労することも多かった。父親は、祖父と違い、優しいタイプである。家のしきたりと妻の間を取り持ってきた。
勉強はできず、オタクがかった次男は、要領が良く大学時代の同級生とあっさり結婚してしまった。まじめで、責任感が強く、人柄がよい長男は、やぼったいこともあって縁遠かった。しかし、最後には、おどろくような才媛と結婚することができた。次男の夫婦は子供に恵まれたが、長男夫婦はなかなか子供ができなかった。長男の妻は、高齢出産で娘を生むことができた。
父親はそれまでの家のしきたりである子育てから決別し、母親が自らの手で子育てすることにした。長男は、自分が積極的に子育てに関わるようになった。長男夫婦は二人で子供を連れて、公園デビューもした。その子は、物おじをせず、誰に対しても手を振ってくれる。
天皇一家の生活は、衆人環視の終わりのない連続ドラマ、いわば「トゥルーマン・ショー」のようなものである。「渡る世間は鬼ばかり」を上品にしたドラマと言えるかも知れない。皇室ファンの人たちは、上品でありながらも、自分たちと同じような悩みや問題を抱えているドラマ「天皇一家」を楽しんでいる。
ドラマ「天皇一家」のなかで、サーヤは、どのような役柄だったのか、どうもよくわかってなかった。しかし、「負け犬の遠吠え」を読み、彼女のドラマのなかでの位置がはっきりわかった。三十代未婚の娘という役柄だったのだ。「天皇一家」には、無駄な登場人物はいない。
さて、話は変わる。
ここのところ、大正文学を読みつつある。志賀直哉、広津和郎、宇野浩二、横光利一、川端康成と読んできた。そして、大正時代の最大の作家、芥川龍之介に取りかかろうと思っている。
芥川龍之介には、親近感を感じる。時代の差はあるけれど、自分とは、階層、地域、文化が近いと思う。以前にも引用したことがあるけれど、広津和郎「新編同時代の作家たち」(岩波文庫)のなかで、芥川に対して感じる親近感について書いている。
ただそれほど平生は深いつきあいをしていないのに、何かの会合で会う事があると、よく彼は「おい、君、一緒に並ぼう」といっては好んで私と隣り合わせに腰を下ろした。それは同じ年代に東京の中学生だったために、二人の言葉に共通なものがあったからかも知れない。高等学校には高等学校の言葉があり、大学には大学の言葉がある。そして中学には中学の言葉がある。彼と私とは同じ中学ではなかったが、しかし同じ年代に東京で中学生活を送ったというところから、ヤンチャな物のいい方が何の註釈なしにお互いに通用する。その言葉で無遠慮に話し合う事は、たしかに気易くて一種の快感なのである。
「大道寺信輔の半生」(「河童・或阿呆の一生」新潮文庫に所収)のなかで「信輔は彼と育ちが似寄った中流階級の青年には何のこだわりも感じなかった。」と述べているが、私も同じ東京の中流階級育ちとして芥川には親近感がしている。
芥川は、田端に長いあいだ住んでいたが、これは、私の実家の隣町である。私の祖父、祖母は、芥川とごく近所に住んでいた時期がある。漱石は、今、私が住んでいる雑司ヶ谷の近所の文豪だが、芥川は実家の近所の文豪である。
彼の作品については、実に平凡な感想であるのだけれども、「非常に上手く、よくできているけれど、どこか物足りない」と感じている。恐らく、芥川自身も、同じような感想、批評は、聞かされていたのだろう。芥川は、「文章と言葉」(「芥川龍之介全集 第十回」(岩波書店)所収)にこのように書いている。
僕に「文章に凝りすぎる。さう凝るな」といふ友だちがある。僕は別段必要以上に文章に凝つた覚えはない。文章は何よりもはつきり書きたい。頭の中にあるものをはつきり文章に現したい。僕は只それだけを心がけてゐる。・・・はつきりしない文章にはどうしても感心することは出来ない。
芥川が「頭の中にあるものをはつきり文章に現したい」と考えていることが、彼の作品の「物足りなさ」を生んでいるように思う。
例えば、「枯野抄」(「戯作三昧・一塊の土」(新潮文庫)所収)である。芭蕉の死を巡る弟子達の心理を描いた小説である。心理の分析は鋭く、分析の結果はわかりやすくはっきりと表現されている。よく出来た短編小説である。しかし、描かれていることは、芥川が頭の中で分析したもの以上でも以下でもないような印象を受ける。そこが物足りなく感じる。
「羅生門」(「羅生門・鼻」(新潮文庫)所収)の冒頭、下人が羅生門で所在なさげに雨宿りしている。
・・・下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰(にきび)を気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
「面皰(にきび)を気に」していたことによって、下人の優柔不断な気持ちがよく表現されている。確かに上手い。しかし、いかにも優柔不断さを表現するために、その技巧として、この表現がこの場所に置かれているような印象を受ける。
志賀直哉も、その文章の上手さはよく語られる。しかし、文章に凝りすぎるという批判をされることはない。それは、志賀直哉は、技巧を使った跡を見せないように文章を彫琢するからだと思う。それに比べると、芥川は、技巧の跡は歴然と残っている。彼の意識としては、「頭の中にあるものをはつきり文章に現したい。僕は只それだけを心がけてゐる。」のだろうけれども、結果として「文章に凝りすぎる」という印象を与えてしまう。
ここまで否定的なことを書いていたけれども、芥川が嫌いなわけではない。特に、随筆、随筆風の小説、評論は、おもしろい。日記を書いていると、「蜜柑」(「蜘蛛の糸・杜子春」(新潮文庫)所収)のような随筆風の小説が書ければいいと思うけれど、難易度が高くて決してて書くことができない。
また、最晩年の作「歯車」(「河童・或阿呆の一生」(新潮文庫)所収)は、ぎりぎりまで追いつめられた人間の精神のありようが示され、技巧を超えた迫力が感じられる。軽々しく「おもしろい」とは言えるような小説ではないが、印象深かった。物足りないという感じはしない。
まだ芥川の作品を十分読み込んだ訳ではないから、はっきりしたことは言えない。もう少し読み進んでみたところで、また、感想を書きたい。
1月の日記でマンションの前の坂道を下ったところの家の早咲きの梅について書いた。今日、その家にある桜の花がほころびかけていた。
昨日、家に帰ると、ちょうど、BSで小津安二郎の「浮草」のラストシーンをやっていた。
二代目の中村鴈治郎と京マチ子が、三等列車のボックスシートに隣り合わせに座っている。鴈治郎はおちょこを持っており、京マチ子が小瓶からお酒を注ぐ。鴈治郎は、じつにおいしそうに、そして、しあわせそうにおちょこを空ける。京マチ子も、鴈治郎のそんな顔を眺めて、じつにしあわせそうである。腐って臭いが立ちそうな強烈な色気にくらくらした。とにかく、インパクトが強い場面だった。
このシーンを見ていたら、列車の連想のためか、「男と女」のラストシーン、アヌーク・エーメとジャン・ルイ・トランティニアンがプラットフォームで抱き合うシーンを思い出した。この二人もずいぶん色気があるけれど、鴈治郎と京マチ子は、色気ではこの二人に勝っている。
「遊びも芸のこやし」という言葉があるが、鴈治郎は、たしかに遊びが芸のこやしになっている。鴈治郎の、あの、関西のどうしようもない遊び人というキャラクターは、他に代わりがいない。
お家芸というのだろうか、遊びと個性は、息子の鴈治郎、孫の翫雀にしっかりと受け継がれている様子である。鴈治郎が芸者を連れ込んでフォーカスされたホテルで、翫雀もしっかりフォーカスされてしまうとは、すばらしすぎる。扇千景の腹の据わり方もいい。
つれあいは、勝新太郎も「遊びも芸のこやし」というタイプで、いろいろと武勇伝があるけれど、鴈治郎に比べれば、あまりもてなかったのではないか、といっていた。そんな気もする。勝新太郎は、ナルシシストすぎるように思う。勝新太郎と中村玉緒は、変わり者同士がくっついた夫婦のように見える。たしかに、鴈治郎に比べると色気は足りないように思う。
3月末締め切りの仕事が多いこともあって、この時期になると毎年不眠気味になり、寝付きが悪かったり、夜半に目が覚めることがある。眠れない時、目をつぶっていると、仕事の段取りのことが次から次へと頭に浮かんでしまい、ますます興奮してしまう。そんな時には、枕元のスタンドの灯りをつけて、本を読むことにしている。本を読んでいると、頭のなかがすっきりとして、気が付くと本を開いたまま寝ていることもある。
今朝も5時頃に目が覚めた。灯りを付けて、昨日の夜に読みかけていた志賀直哉「暗夜行路」(新潮文庫)の続きを読み始めた。以前は、7時過ぎになっても薄暗かったけれども、最近では、6時を過ぎるとうっすらと明るくなってくる。もう、春分である。
しかし、今日は、朝から雨が降り、寒かった。最近さぼっていたジムに行こうと思っていたけれど、おっくうになってやめることにした。4月になると、私の勤めている会社が、ベネフィット・ワンという福利厚生のアウトソーシング会社と契約することになっている。今通っているフィットネスクラブも、ベネフィット・ワンを通じて利用券を買えるようだ。会員をやめて、利用券を使って通おうと思っている。週に1回のペースだったら、会員になるより安いようだ。他のフィットネスクラブも試してみようと思う。
今、芥川龍之介を読み進めている。切支丹ものを集めた「奉教人の死」(新潮文庫)、キリストの生涯をたどった「西方の人」「続・西方の人」(「侏儒の言葉・西方の人」(新潮文庫))、「芥川龍之介全集 第十巻 随筆」(岩波文庫)を読んだ。
こんなことを私を書くのもおこがましいけれど、彼はほんとうに文才があると思う。彼の随筆、例えば、「野人生計事」「澄江堂雑記」などを読んでいると、今、彼がウェブ・ログを作ったら、さぞや人気が出るだろうと思う。一節、一節が、短くて、気が利いている。
「続野人生計事」の「十四 東京田端」はこんな感じである。
時雨にぬれた木木の梢。時雨に光ってゐる家家の屋根。犬は炭俵を積んだ上に眠り、鶏は一籠に何羽もぢつとしてゐる。
庭木に烏瓜の下つたのは鋳物師香取秀真の家。
竹の葉の垣に垂れたのは、画家小杉未醒の家。
門内に広い芝生のあるのは、長者鹿島龍蔵の家。
ぬかるみの路を前にしたのは、俳人瀧井折柴の家。
踏石に小笹をあしらつたのは、詩人室生犀星の家。
椎の木や銀杏の中にあるのは、−夕ぐれ燈籠に火のともるのは、茶屋天然自笑軒。
時雨の庭を塞いだ障子。時雨の寒さを避ける火鉢。わたしは紫檀の机の前に、一本八銭の葉巻を銜へながら、一遊亭の鶏の画を眺めている。
詩のボクシングで、島田雅彦対サンプラザ中野の勝負を見たことがある。このときの島田雅彦がすごかった。勝負は、10ラウンドに分かれいて、それぞれのラウンドにテーマがあり、お互いに詩を朗読しあう。島田雅彦は、それぞれのテーマに応じた多彩な10編の詩を朗読した。自由自在に言葉を操っていた。島田雅彦に文学者の実力を感じた。恐らく、芥川龍之介であれば、島田雅彦以上に、見事に詩のボクシングをやってのけるに違いない。
「芥川賞」は、まさに、芥川龍之介の名にふさわしい賞だと思う。彼が「羅生門」「芋粥」(「羅生門・鼻」(新潮文庫)所収)でデビューしたときに、芥川賞があったとしたら、彼がもらうべき賞だ。斬新で、スタイルがあり、完成度が高く、商業性もあり、そして、将来性がある。歴代の受賞者を眺めていると、芥川龍之介以上に芥川賞にふさわしい人はいない。
彼が今生きていて、自分が雑誌の編集者だったら、いろいろな企画を芥川龍之介に持ち込みたくなるだろうと思う。ウェブログを書いてもらう。芥川であれば、思いの外乗り気になって、編集者が企画した以上のものを書きそうだ。雑誌の売り上げや、読者の反応も気にしてくれそうだ。
その一方で、古参の編集者は、雑誌は売れるかも知れないけれど雑多な企画を持ち込むのではなく、じっくりと小説に取り組ませる環境を作るべきだと考え、苦々しく感じるように思う。
読むほどに、芥川龍之介は上手いと思う。きりしたん文書の文体を使った、いちれんの切支丹ものは、よくできている。おもしろい。しかし、やはり、物足りない感じをぬぐえない。
彼が小説のなかで創造した人物たち、「奉教人の死」(「奉教人の死」(新潮文庫)所収)の「ろおれんぞ」、「きりしとほろ上人伝」(「奉教人の死」(新潮文庫)所収)の「れぷろぼす」よりも、芥川龍之介本人の方が興味深いように思える。
芥川は、「澄江堂雑記」「十六告白」のなかで、このように書いている。
「もつと己の生活を書け、もつと大胆に告白しろ」とは屡諸君の勧める言葉である。僕も告白せぬ訳ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の体験の告白である。けれども諸君は承知しない。諸君の僕に勧めるのは僕自身を主人公にし、僕の身の上に起こった事件を臆面もなしに書けと云ふのである。・・・第一に僕はもの見高い諸君に僕の暮らしの奥底をお目にかけるのは不快である。第二にさう云ふ告白を種に必要以上の金と名を着服するのも不快である。たとへば僕も一茶のやうに交合記録を書いたとする。それを又中央公論か何かの新年号に載せたとする。読者は皆面白がる。批評家は一転機を来したなどと褒める。友だちは、いよいよ裸になったなどと、−考へただけでも鳥肌になる。
私は、いわゆる自然主義の作家、作品は好きではない。告白と小説の価値は関連がないと考えている。あからさまな告白をしてほしいかったというわけではない。彼の小説が、彼の体験や思考を反映してるのは間違いない。しかし、それでも、やはり、彼自身について語ってほしかった。実際、告白的な要素が強い最晩年の作「歯車」(「河童・或阿呆の一生」(新潮文庫)所収)には、心を揺さぶられる。
志賀直哉「暗夜行路」(新潮文庫)は、そのあとがきで、次のように書いている。
モデルに就いて。主人公謙作は大体作者自身。自分がそういう場合にはそう行動するだろう、或はそう行動したいと思うだろう、或は実際そう行動した、というような事の集成と云っていい。
「暗夜行路」は、志賀直哉の自伝的小説であるが、虚構の部分も多い。例えば、父親との不和は実際にあったことだが、その原因については、虚構に置き換えられている。「暗夜行路」では、「僕の身の上に起こった事件を臆面もなしに書」いているわけではないが、志賀直哉自身の行動、思考はそのまま反映されている。
芥川龍之介が、自伝的小説として書き始め途絶した「大道寺信輔の半生」(「河童・或阿呆の一生」(新潮文庫)所収)に、気に掛かる部分がある。
大道寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。・・・彼は勿論こう言う町々に憂鬱を感ぜずにいられなかった。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小綺麗な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。・・・
彼の生まれた本所は汚い町だったから、憂鬱に感じていた。しかし、小綺麗な町はさらに不快だったという。
レトリックとしては、印象的である。しかし、彼が子供の頃、本当に、本所の町の汚さに憂鬱を感じていたのだろうか。疑問を感じる。
どんなに汚く、惨めな土地であっても、そこに生まれ育った子供は、不快感を感じるものだろうか。その土地の外の世界を知ってはじめて、自分の出生地が汚く、惨めなことを知り、そうして、自分の土地に不快感を感じ、憂鬱になる。
さまざまな土地を知って、比較ができる大人であれば、「大道寺信輔の半生」に書かれたように感じるのは不自然ではない。しかし、それほど生活圏が広くない子供が、あのように感じるものだろうか。「自分がそういう場合にはそう行動するだろう、或はそう行動したいと思うだろう、或は実際そう行動し」たように書くより、小説のレトリックことを優先しているように思える。そういったところが、「大道寺信輔の半生」に、芥川の小説に、物足りなさを感じさせるのではないか。
「暗夜行路」に、このように書かれたところがある。
・・・彼は何という事なしに気持の上からも、肉体の上からも弱ってきた。心が妙に寂しくなって行った。・・・弾力を失った彼の心はそれで少しも引き立とうとはしなかった。只下へ下へ引き込まれていく。「心の貧しき者は福なり」貧しきという意味が今の自分のような気持をいうなら余りに惨酷な言葉だと彼は思った。今の心の状態が自身これでいいのだ、これが福になるのだとはどうしても思えようと彼は考えた。若し今一人の牧師が自分の前に来て「心の貧しき者は福なり」といったら自分はいきなりその頬を撲りつけるだろうと考えた。心の貧しい事程、惨めな状態があろうかと思った。実際彼の場合は淋しいとか苦しいとか、悲しいとかいうのでは足りなかった。心が只無闇と貧しくなった−心の貧乏人、心で貧乏する−これ程惨めな事があろうかと彼は考えた。
キリスト教徒は、志賀直哉の「心の貧しき者は福なり」という言葉への解釈は、誤っており、浅薄なものだと思われるのではないか。
芥川龍之介の「西方の人」(「侏儒の言葉・西方の人」(新潮文庫)所収)は、キリスト教徒ではない近代人である芥川のイエス像を表現したものである。近代合理的な立場からのイエスの解釈だから、この作品も、キリスト教徒から見れば納得できるものではないだろう。しかし、よく考えられ、広い教養に裏付けられているものだから、浅薄という印象はしないだろう。
けれども、私は、志賀直哉の言葉を興味深く感じる。彼は常に、自分が具体的にどのように生きるべきか、という観点から考えている。キリスト教の理解が深くなくとも、そのとき、彼は、彼の「心の貧しさ」という問題に真っ向から向かい合っていたことがわかる。
「西方の人」にも、他の芥川の小説とおなじ、教養主義のおもしろさと、あきたらなさがある。芥川の人生と、教養主義的なイエス解釈には、切実なつながりがあるように思えない。もちろん、芥川龍之介に言わせれば、小説の価値は、作家の人生との関わりで決まるものではない、ということになるのだろうけれど。
自分が、この芥川のあきたらない部分に強くこだわりを感じているのは、そこに自分と似ている部分を見ているからだと思う。この日記には、志賀直哉のように、ストレートに自分の人生と結びつくようなことを書いていない。頭の中で作り上げたようなことを書いている。
芥川は、「歯車」のなかで、このように書いている。
・・・僕はベッドの上に転がったまま、「暗夜行路」を読みはじめた。主人公の精神的闘争は一々僕には痛切だった。僕はこの主人公に比べると、どのくらい僕の阿呆だったかを感じ、いつか涙を流していた。
志賀直哉は、あらゆることを自分の人生に結びつけて考えている。そして、自分の人生を自分で築き上げている。それに比べると、どれだけ教養的なことを頭に詰め込んだところで、小賢しいことを書いたところで、結局のところ、阿呆に過ぎない。
昨日、実家で自動車を借りて、三田で用事を済ませた後、帰りがけに、麻布の日進ワールドデリカテッセンという食品スーパーに寄ってきた。
この日進ワールドデリカテッセンは、麻布界隈の大使館に勤めている外国人を対象としたお店である。最近は、高級スーパーマーケットが増えたけれど、この店は、高級スーパーではなく、ただのアメリカのスーパーマーケットのようだ。品揃えを眺めているだけで、実に楽しい。
ウェブサイトを見てはじめて知ったのだけれども、経営者は、日進畜産工業という食肉加工会社で、ホテルなどにも食肉を卸しているようだ。だから、この店の食肉売り場は充実している。
牛、豚、鶏の肉だけではなく、ラム、七面鳥、そして、ウサギの肉まである。また、量が、日本サイズではない。冷蔵ケースに巨大な冷凍肉のかたまりがごろごろしている。値段も、100g単位ではなく、1kg単位で書いてある。あまりにも巨大すぎて、二人暮らしのわが家では、なかなか買えるものがない。
牛乳を売り場も、ふつうの牛乳は奥に並んでいて、手前の取りやすいところにはローファットミルクが並んでいる。
ビール売り場が充実していて楽しい。サミュエル・アダムスが6本入りケースで売られているのを始めて見た。思わず買ってしまった。アボガド・ディップとナチョも仕入れた。
家に帰ってから、ディップとナチョをつまみに、サミュエル・アダムスを飲みながら、「フォレスト・ガンプ」のDVDを見た。なんだか、アメリカに旅行して、近くのスーパーで仕入れたビールとつまみで、ケーブルテレビでも見ているような気分になった。
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