いのちは何よりも尊いもの。
この年になってようやくわかった自分の中での宝。

10代の頃、何度も自殺を考えた。
危険を省みない行動もたくさんした。

自分のいのちがどれほど大切なものなのか、このいのちが消えたらどれだけ悲しむ人がいるか、あたしは全然気づかなかった。

いや、気づこうともしなかった。

自分の人生だから、死のうと生きようと何をしようと自分の勝手だと思っていた。

生きていくうちに、親の気持ちやいろんな人の気持ちが少しだけわかるようになってきた。
ほんの少しだけ。

そして、友人を亡くし、従兄を亡くし、恋人を亡くし、残された者の気持ちを知った。
残して逝かなければならない者の気持ちを知った。
生きていたくとも生きられない悔しさを知った。


生きていることは当たり前なんかじゃないということを知った。

生きていることは当たり前なんかじゃない。
奇蹟だ。

毎日、日々生きていく中で、危険はごく身近にある。
その沢山の危険をくぐりぬけ、あたしたちは生き延びている。

病気、事故、医療ミス、食中毒、殺人、自殺、天災、人災

いろいろだ。


私たちがまだ今も生きているということは、きっと、「お前はまだ生きていろ。」という神様からのメッセージなのかもしれない。

別に、私は宗教とかを信じてはいないけれど、神様がいたらいいな、と思う。
私たちが今生きていることや、今まで生きてきたことが、神様の存在によって意味がつけられるような気がするから。

生きているのにも、死ぬのにも意味があって欲しい。

私たちはただ生まれてきたわけじゃない。
何か理由があってこの世に存在する。

そう思いたいじゃない。
そう思わないとやるせなくなるじゃない。

死ぬ瞬間に、この世に自分が存在した意味を知ることができるとあたしは信じたい。




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