私はよく泣きます。
悲しいときも、怒ったときも、感動したときも、悔しいときも、幸せなときも、私は涙を流します。

涙を流すこと自体を恥ずかしいとは思わないし、むしろ我慢してはいけないことだと思うけれど、私が泣くことで周囲の人が困った顔をするときは、申し訳無いな、と思う。

もちろん、時と場合を選ぶし、堪えることもある。
けど、きちんと泣けない人間は、心のどこかが冷たく凍っていってしまうような気がする。
涙はその心の凍った部分が溶けたものだと思う。
だから、泣かなきゃいけないときは、しっかり泣かなきゃいけない。
それができないと、心の凍った部分はどんどん変質して行って、もう元には戻らなくなってしまう。

そして、誰にでもあるのだと思うけれど、私にもある琴線。
それに触れられた時、私は自分をコントロールできなくなる。

私は甘ったれです。
自分が一番つらいと思ってる。
しらふの、頭が正常な時は、そんな風には思わないのだけれど、お酒が入ったり、何か精神的にぎゅーっとなってしまったときは、そう思ってしまう。
そんなのはわかってるんだ。
あたしだけがつらいわけじゃない。
誰しもがつらいんだ。

そう、いつも痛いほど思っているけれど、ふとした瞬間、私は悲劇のヒロインに成り下がる。
なんの前触れもなく、わあわあ泣き崩れてしまうときがある。

ひろの余命を宣告されてからの日々をあたしは忘れない。
あいつは、真剣に生きたのに。
自分に甘えなかったのに。
自分の弱さを受け入れて、人の弱さを溶かしたのに。

なのに、あたしは何をやっているんだ?

私はあいつを忘れるつもりはない。でも、忘れてもいいと思ってる。
人に「忘れる」という機能が備わってる意味がわかるから。

死んだ人間を覚えていなきゃいけないなんて強迫観念を、もし持ってる人がいたら、それは捨てた方が良い。
失礼だよ。相手に。

覚えていなきゃいけないほど忘れやすい存在?
ちがうだろ。

いつも心の中に生きてるだろ?
意識的無意識的に関わらず、ふとした時に、思い出せたらいいじゃないか。
共に過ごした日々はどこにも消えない。

そんな色んなことが、自分なりに分かっているのに、私は自分がコントロールできない。

誰を愛しているのか。
何が大切なのか。
自分はどうしたいのか。

分かってるはずなのに、自分じゃ決められない。
自分じゃ壊せない。


壊すのも壊れるもの簡単。
誰かが言った。

その通りだよ。
そう覚悟できたら、何事にも強く当たれるんじゃないの?

そんないろんなことが頭では分かっているのに、心はついて行かず、今日も自分でも意味が分からない涙を呆然と流す私。

ねえ?ゆりちゃん。
何がそんなに悲しいの?





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