作詞すること


作詞することは一時期私にとって日記を書くこととほぼ同一のことだった。
その時の自分の状況や気持ちがすごく反映されてしまう。
しかし、日記と違うところは、それが少しよそ行きなところ。そして、作り話も書けるところ。
日記は人に見せることはない。自分のためだけに書くもの。しかし、歌詞は人に聞かれ読まれることになる。
いつもノートを持っていた。秘密のノート(笑) ふとした出来事、ふとした想いを忘れないように、その場で書き留めておけるように。ただ、思いついた言葉を羅列していっただけのノート。
言葉の言い回し、いわゆるフレーズ。このニュアンスは書き留めておかないと忘れてしまう。
「たしかこんなことを書きたかった」というイメージだけは覚えていても、肝心なフレーズが出てこない。
日記や、日々の教訓として、自分の心の中にだけとどめておけばいいことならば、言葉の言い回しはどうでもいい。ただ、そのことを心に留めて行動することに意味があるから。
しかし、歌詞は言葉のフレーズが重要な意味を持つ。だから、いつもノートを持ち歩いていた。
ノートを忘れてしまったときは、なんでもいいから何かの紙に書き留めた。だからあの頃、私の持っていた紙の端っこや裏には何かしら書かれていた。偶然人に見られてしまい、顔から火が出そうになったこともしばしばあった(笑)
それを、家でゆっくりと、もしくは放課後の静かな教室で整理して曲を書いていた。
それは、いつも騒いで暴れていて、テンションの高すぎる私の心の静かになる瞬間だった。
涼しくなった夕方の夏の教室。外からは部活をしてる人たちの声。窓から入ってくる風。気持ちよかったなぁ。
あの頃書いた詩は今でもきちんとしまってある。笑ってしまうほど幼いものから、今でもバンドで友人がやってくれてる曲まで。
自分の書いた詩にメロディーがついたとき、我が子が立派に成長したような気持ちになる。すごく感動して嬉しい反面、なんだか自分の生んだものではないような、そんなさびしい気持ちになる。
でも私は、人に聞かせることよりも、何よりも、自分を励ますために書いていたんだよね。


I LOVE MUSICに戻るのさ