花巻でのこと
(2003年10月25日〜26日)
和歌山での出来事は僕の心に重く圧し掛かり、
そのことを妻に話さずにはいられませんでした。
旅先だったし、同行者もいた。
遠く離れていたし、もうどうしようもなかったではないか。
そう思いながら、昨日の出来事を話した僕に対して、妻が言ったのは
どうしてそのまま見捨ててしまったのか、という言葉でした。

やはりそうか。
このことを忘れてしまおうとしていた自分はやはり間違っていたんだ。

NOODLESでの夕食から戻った深夜0時過ぎに
僕は夢中で電話をかけていました。
和歌山城天守閣管理事務所、和歌山市役所、保健所。
和歌山市役所にだけ電話が繋がりました。
事情を話し、なんとか保護したい旨を伝えました。

まだそれらしい猫は保健所には送致されていないようでした。
あいにく週末だったため、
状況の確認は翌27日の月曜日になると告げられました。
そのまま僕は翌日の朝、
花巻で行なわれるとある会合に向かいました。

もちろん、心は昨日よりも重くなっていました。
保護しようと心に決めてしまったから、
まずはあの子猫はきちんと保健所に届けられるのだろうか、
この週末を生きて過ごすことができるのだろうか、
あの捕獲のときに怪我をしているのではないだろうか、等々
後から後から不安は湧き上がってきます。
今までで一番辛い旅が始まったのです。
花巻はあの宮沢賢治の郷里です。
僕も「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」「春と修羅」など、
多くの作品が心に残っていました。

新幹線の新花巻駅の周囲は何もありません。
駅前には一軒だけレストランが。
もうお分かりですね。
店の名は「山猫軒」 つまり「注文の多い料理店」です。

パッとしないラーメンを食べ、
向かった温泉ホテルでの会合は翌日11時に終わりました。

12時40分新花巻発の新幹線までの時間、
僕は宮沢賢治記念館に足を向けました。

そして彼の童話の中にはたくさんの動物たちが出てくることに
改めて気づかされたのです。

若くから法華経に帰依し、
高校で生物教師を務め、
晩年は農政に尽力した彼の心情が
そのとき、何故か分かった気がしました。

きっと、人間も含んで他愛もない小さな命を彼は愛したはずだ、と。

僕の心はもう決まっていました。
後は、何とかあの子猫を保護したいというだけでした。
(撮影:SO505i)