クリティーク杉田敦氏インタビュー
「メカノ」「ノード」「リヒター・グールド・ベルンハルト」等の著者評論家の杉田敦さんに、日本の成熟・日本文化の成熟について語ってもらいました。この文章はその内容をまとめたものです。

<未踏の近代性>
 日本は最初からポストモダンの国だという言われ方をよくします。しかし実はそうではなく、あらゆることがしっかりとした近代を通過していない。例えばマーケットひとつ取ってみても健全性がない。そのベースが、非常にあやふやなシステムとして出来上がっている。モダン風なシステムは持っているけれど、実はモダンの真似をしているに過ぎない。これは僕だけではなくて、いろんな人が言っていることです。例えば浅田彰なんかが初期の頃から言っている、子供の資本主義というのもこれに近いことでしょう。

<須賀敦子が50年前に持っていた問題意識>
 最近亡くなった、須賀敦子さんというイタリア文学者がいます。ある著書で、彼女が1950年代のフランス、イタリアに留学していた時の、向こうの聖職者との話が出てくる。そこで聖職者は戦後のヨーロッパで非常に問題になっているのは個人主義だと彼女に言うわけです。個人主義がぶつかりあうところが戦後ヨーロッパの問題になり始めていたと。その時、須賀敦子はこう反論するんです。個人主義が問題をはらんでいるのはよく分かる。しかし、日本が今闘っているのはそのレベルではない。真の個人主義を一回手に入れて、その上でその問題点とか、ものの本質をもう少し実感として持ちたい、という段階なのだ、と。1歩も2歩も10歩も遅れている状態だということを、1950年代に須賀敦子は言っている。その事情は今でも全然変わっていないと思います。

<脱欧州的弁証法>
 まずは、モダンを通過してポストモダンに至り、ポストモダンの中で様々な問題を練磨し、それを更に修正しようという認識を、改めなくてはいけないと思います。モダンの中にさえ、僕らはまだ経験していないものがたくさんある。もしかしたら、これから本当の意味でのモダンを経験するのかも知れない。それが社会システムの一側面の認識として僕の中にある。それがいろいろな形で影響しています。それは、テクノロジー批判という行為にも、強く及んでいます。

 テクノロジー批判という立場とは逆説的ですが、日本は科学技術主義、というか科学技術の世界にどっぷり浸かってみるべきだと思っています。例えば臓器移植の問題。非常に科学技術が進んだ国と言われるけれど、宗教的なバックグラウンドの影響などで、ブレーキがかかる。それは民意とか大衆の意見とか、いろいろな言い方がされる。しかし、それはある意味で、科学技術というものを、自分たちの地や肉にしていないから起きている曖昧な状態だと思います。機械論の超克も同じことだと思います。機械論の超克ということは、僕はそのとおりと思うんです。しかし、機械論そのものに本当にはまってみた経験があるか、というところがそもそも疑問です。一度きちんと検証して、それぞれ内省してみる必要があると思います。ただ、僕らの10歩先に行っている西洋に、先の先を常に見せられてしまう。これから通る景色の先の景色が、あらかじめ密輸入されていて、自分で経験する前に経験させられてしまうところがある。非常にその辺が難しい。
 しかし、いずれにしても、モダンを越えるポストモダンであるとか、機械論の超克など、ある程度、問題点やその乗り越えの方向性は指針として与えられているわけですから、とりあえず一回モダンなり機械論にはまってみるのも、それほど危険な行為ではないと思います。モダンに対するポストモダンの出て来かたとかを認識した上で、もう一回機械論なりモダンなり、自分の拠り所をもう一回作り直してみたらと思います。非常にアンビバレントな言い方ですけれど、ポストモダンを意識しつつ、モダンに身を染めてみろという言い方なんです。

<科学とVOODOO、科学の相対化>
 
例えば、純粋な科学とか論理学の中では、精緻にやっていけば、しっかりと世界が見えてくるという考え方そのものの問題点が、半世紀或いは1世紀前に既に指摘されています。その上で、更にその超克ということが唱えられていたわけです。それはポストモダンの頃にも言われたんですが、例えば1994年に亡くなった、ポール・ファイヤーアーベントという、かなり過激な科学哲学者がいます。

 彼は、科学に代わるものをみんな求めるけれども、代わるものはどこにでもあると言う。“科学に代わるもの”という言う方の中に、科学の真理性とか揺るぎなさ、といった意識がねを張っていると、彼は指摘する。つまり科学に代わるものという言い方をした場合、彼は非常に露悪的な言い方をするけれども、商品取引ルールでも、黒魔術でもいいじゃないかと言う。そういうものと科学は、なんら変らないものだと。僕の考え方としては、その真の姿をある程度認識して、その上でファイアーアーベント的に科学を相対化する、そういう地点に足早にかけていければ、とても幸せだろうと思います。

 このことは、別の世界に目を転じても言えると思うんです。例えばヨゼフ・ボイスという、もう10年くらい前に死んだドイツのアーチストがいます。彼は「拡張された芸術の概念」という言い方をしました。何かというと、それまでモダンアートが拠って立っていた図式を、根本的に壊そうとしたんです。モダン期のアートの成立図式は、アーティストが作品を作ります→ギャラリー/美術館に置かれます→見る・鑑賞者である一般大衆が見にきます、.........といったものです。ボイスはそれを疑うわけです。

 彼は芸術をもっと拡張しようとしました。どのようにかというと、少しナイーブで素朴な視点から超克を考えた。それはアーティストという特殊な才能が存在するのか、というところから考えていくんです。転じて言うと、アーティストという非常に特殊な技術・才能を持った人たちがいるのではなく、すべての人はアーティストなのではないかという疑問なわけです。そして、彼はそれをそのまま、全ての人はアーティストだと言ってしまいます。すると工場で働いている工員さんはどうだとか、看護婦さんはどうだとかいう疑問が出てきます。通常彼らはアーティストではないというのが一般的ですが、ボイスはそこで彼とか彼女とかを排斥するというか、図式の中に入れられないアートの方に問題があるんだという言い方をしました。アートの内省的な自己改革を考えていく。「内省的」というのは、外から与えられるのではなくて、アーティストがということなんです。

<社会彫刻家>
 それまで芸術家は、例えばペインターであればキャンパスの前にいて、絵を描いていればよかった。彫刻家であれば、石膏なり石を削っていた。それに対してボイスは、アーティストは他の素材を相手にするべきだという言い方をし始める。アーティストが彫刻したりペイントしたりして、作品に仕上げていくべきものは、個々の素材ではなく、社会という素材だということに言い換える。それが社会彫刻という言葉になる。

 社会彫刻というのは、ボイスの考え方がシュタイナーの思想に近いこともあり、誤解されることもあるのだけれど、ある意味では極めて真実であると思う。看護婦さんは看護婦という自分の職業を通して社会を彫刻している、工員さんは工員という自分の職業を通して社会を彫刻している。絵を描く人も絵を描くことで社会を彫刻している。絵を描く人だけがアーティストなのではなくて、すべての科学者も工員さんもアーティストになるんだということをボイスは言うわけなんです。その考え方は西洋の美術の中に、非常に深く根を降ろしていくわけです。ひとつには美術館のあり方が壊れて、美術館は外に開いていく。美術展の在り方もどんどん組織を巻き込み、地域社会に根を下ろしていくという、社会との密接な関係を作り上げていきます。

<ボイス以後>
 若手の中にもボイスを継承している人たちがいっぱいいます。まだ20代の非常に若い女性でクリスティーン・ヒルというアーティストは、去年のドクメンタにおいて非常に象徴的でした。開催地のカッセルにブティックを出しだのです。そこで彼女は、みんなが寄付してくれた古着をわずかだけリフォームして販売した。ブティックという、普通の街にあるような一つの機能を、彼女は作品として出すわけです。ある意味では非常にボイスに近い。ボイスが社会彫刻を提唱してから15年から20年くらいたつけれども、非常に強く影響を残している一例がここにも見られる。例えば日本でアートという時、もちろん近代の美術館にアート作品が収められて、それを見に行くことも経験したし、もちろんボイス的なパブリック・アートも経験しました。青山で行われた「水の波紋」のように、開かれた美術展の在り方も経験した。今や日本は、漫画のようなサブカルチャーを取り入れていると外部から評価されるように、どんどん先走っていくわけです。もうあれも経験したこれも経験したというわけです。

 しかしこれも科学などと同じことで、もう一度問い直す必要があると思います。例えばもしアートのそのような形態、いろいろな進化を徹底的に経験してきた場合に、果たして現在の問題点をこういう形で想像しただろうか、と思います。何故かというと、もし経験していたら、初歩的な問題点がこのような形で露出しているだろうか、と思います。例えば、ヨーロッパの忘れ去られたようなちっぽけな国、ポルトガルに行っても、そこには最低限の生きるための食べ物、住居などの要素がクリアされている。むしろ彼らは遅れているというより非常に成熟している様を見せています。アートを例に取ると、表面的な動きは、日本で起きているサブカルチャーを使った表現などを、後追いする形になっている。しかし、それを指して、僕は豊かな時代を経験して、先端的な問題を持っていると考えない方がよいと思うのです。

 ボイスが、例えば看護婦さんや工員を掲げて、彼独得の言い回しの中で捉えたとき、そういった個人個人がある意味である程度クリエイティブなことをやっていたというベースがあると思うんです。ところが、例えば日本の場合、普通の会社に勤めている人たちに対して、本当に自分の100%の能力を発揮してクリエイティブであろうとしているんだろうかという疑問が湧いてくるわけです。日本の場合は、すべての人がアーティストであるという意識を強く持つべきだという、ボイスとは逆向きの問題提起が必要かと思います。ボイスの場合は、すべての人が表現者であり、それに対してアートが近づき、寛容さを見せて、その強要を捨て去るべきであるという、自己改革だった。ボイスの指摘がそのまま素直に日本人としての自分の中に降りてこないのは、一人一人の人間が自分の日常の活動を、アーティストにふさわしい活動として評価できるかという、逆向きの内省がないと思うからなんです。

 そして、その逆向きの内省が何かというと、そもそもそれはボイスなんかの場合でいうと、もともと西洋の社会が持っていた、何を難しいことを言う訳でない、普段の生活レベルの行動を見つめることに他なりません。しかし、残念ながらそれが、僕らにはまだない感じがする。もちろん西洋の文脈に則って、すべてを言うことがよいとは僕は思わない。しかしモダンの問題があり、ポストモダンがあり、そこから先への問題の提示という積み上げ方からは、意識的に飛び降りるべきだと思います。

 インターネットなど、日本ではすぐ流行る。しかし、例えばアメリカだと、電話番号から個人情報が引き出せるところまで行っている。個人データを守るという意識があるにも関わらず、個人データがどんどん出て行くようなシステムがある。それはフランスにもあるしドイツにもある。 小さな国ポルトガルでも、一度アクセスすればほてるの予約などを直接、体系的にできるようなシステムがある。ところが日本には総合的なホテル・ネットワーク作りひとつない。表面的な需要は日本では非常に急速に進む。表面的ではなくて、やるならしっかりやる、やってその先を見るっていうことをやらないと、横滑りだけで相変わらず無反省に、どんどん先へ先へって進んでしまうと思うんです
 ニューヨークやパリ、特にベルリンなどは、東京に比べたら都市としての規模は小さい。そこで質の高い現代美術のギャラリーには、数十軒訪れることができます。人口も非常に少ないのに、それだけの人たちがいて、組織もある。果たしてそれは経済だけの理由にできるのか、或いは土地が高いからという理由にはできないと思う。潜在的なアーティストは東京にもいると思うんです。はからずも別の仕事に就いてしまったけれど、本当はアーティストなんだという人が大勢いないと、そういう状況にはならない。経済はアーティストのバックアップをしているから、東京にもやがてアーティストの人口が増えて、小さなインディビデュアルのキュレーターが出てきて、変なギャラリーができるかっていうと、できないと思うんですよ。

<仕事は表現方法である>
 すごく乱暴な言い方だけど、小さなカフェに行ってもそこのギャルソンはプロっぽいじゃないですか。彼らはアーティストとしてある種の表現をしているのではないかと思えるわけです。 今の日本は、プロ意識自体が形骸化している気がする。例えば、それぞれの職種においての、最低の倫理観が欠如しているとか。もっと個人が自己を見つめれば、純粋なアーティストも結果として生まれてくると思う。個人がそれぞれの立場でクリエイティビティを意識して活動すれば、変わると思います。個人の職場などで、個人として有り体に言えば自分を100%昇華させている...........その人たちのそれぞれが、表現者としての実感を持つようになる。絵を描くことだけだクリエイティビティではないという言い方が、そこで真実味、意味を持ってくると思います。

 芸術理論に、作品が「開かれている」という考え方があります。例えば、何か音楽を聴いたときに、音楽の聞き取り方というのは各人各様である。それまで西洋はどのように考えていたかというと、そこには制作者、アーティスト側の意図があって、それがなるべく相手に伝わるべきだと考えていた。そうではなくて、現代音楽のように、作品と作曲者と演奏者の間で解釈の自由があるいうことを示すことにより、結局は作曲者と演奏者、演奏者とそれを受け取る聴衆との間、すべてのところに自由があるということを意識させたわけです。しかし、結局それもボイスと同じで、本質的なアートに対する受けとめ方ができていないところには、そういう作品の開かれ方という意識は出てこない。各人各様の作品を受け取りたいという世界があるから、初めて作品を開くということが出てくる。

 日本は現在ある映画とかアートに対して、大衆が特定の言説に依存する度合いが非常に高い。そういうところでは、作品が開かれるということも意味を持ってこない。 結局、個々の側面を一つひとつ検証していかないといけないのです。日本人は本当に、西洋的なことで経験していることはわずかです。偽物の西洋文化に浸ったまま、その中で何かを超克して、次のステップに進むということを考えることは非常にナンセンスだと思います。

 エコロジーの場合も、日本の場合のエコロジーというのは、進化主義的な主張に対する批判を一応経験している。けれども、その進化の系譜自体が一種の「フィクションの進化の系譜」のようなものであるため、それは経験したからその先の進化思想の否定としての「持続可能性」とか「エコロジー」とかいうものにまで、ある意味で極めてウソっぽいものがつきまとってくる。

 例えば、そういうウソっぽいもの同士がくっついてしまうことは、さらに滑稽としかいいようがない。科学と精神文化の融合とかいうと、禅とかいう形で日本の独自性として捉えられるけれども、これは複雑系の科学をやっているフランスの人間も言っていたことですが、例えば宗教性などというものは日本人にとって希薄なわけだし、さっき言ったように、科学技術というものに対する取り組み方も、非常に表面的な意識の上に成立している。表面的で、薄っぺらなもの同士の結合とかを平気でやる。

 <期待されるキワモノ像に応えていてよいのか>
 そういうキワモノ的なところに、逆に西洋は期待しているところもあって、それがさらに日本の意識と西洋の意識のギャップを生んだりする。それまでの進化主義的な中での、科学に対する内省的な考え方と、全部がフィクションであるから色々なことをくっつけ合うことに躊躇しない、日本の一部の人との間に非情に親近感が生まれるのは、極めて奇妙に思えます。何かしっかりとした経験がない上で、僕らが理解されたいと思っている足場は、所詮西洋のシステムなわけです。西洋のシステムを前提とした上での日本という意味では、その中である程度の独自性は確立できるかも知れないが、前提自体を組み替えるような、世界のシステムそのものを変えるようには機能しない。世界のシステム自体は西洋的で、そこに組み込まれて行くことがすべてに先行しています。アートもそうだし、何でもそうです。

 現代美術でも、サブカルチャーをモチーフにしている日本のものは、今非常に受けている。しかし、その受け方が日本と全然違う。日本のオタク的なものは、欧米でもよいといわれているけれど、向こうは弁証法的に進化してきたアートの中でのブレークスルーとして期待しているものであり、そこに飛びついたアート批評もある。それに対して日本の場合、弁証法的な進化がフィクションというか、そもそもないわけなので、ある意味では極めてモルモット的なんです。

 ジャパニメーションとか、村上隆みたいなアーティストとかも、モルモット的と言えると思います。自分たちのアートの文脈の中での、純粋な面白さと、弁証法的な進化の中で疲弊していた西洋が、そこに一種のがむしゃらな投機的な期待を寄せるのとでは、根本的に異なるわけです。そこには意識の共有はなくて、ズレしかない。西洋システムの中である程度まで同じように経験してきたという日本の考え方と、向こうが考えている日本とでは、同じようなズレがある。そのズレは、完全に日本が西洋化しないと抜けきらないものかもしれないけれど、それをする必要もないでしょう。
 今の日本のアーティストは、世界をきちんと相手にして、西洋の文脈のアートが受け入れられるのなら、その西洋の文脈の中で自分がどう見られているか、そのギャップをどう見られているのかということをしっかりと認識すべきでしょう。その上で、自分が動いた結果生まれる影響を、もっと純粋に喜ぶべきだと思う。行けない国なんてめったにないのだから、日本の基準がダメなら世界をベースにいろいろ活動のリアクションを実感すればいいと思う。
 ただ、それが意味ある行為になるためには、最低限そのズレを意識しておく必要がある。どんなことでもいいから、世界の中で自分が機能しているという自覚が欲しい。サッカーだったら世界レベルのものすごいシュートを決めてみれば、自覚が生まれると思うんですね。

 僕は、これまでの著作で電子情報テクノロジーをずっと批判しているけれど、日本がまだ主導権を握るかと言われたメインフレイマーたちが何か元気だった、10年から15年前、電子情報テクノロジーに関するすべての先回りした倫理を、日本はあの時に作るべきだったと思う。それを後追い後追いで、テクノロジーをどんどん進めていった。あのときやっていればもっとイニシアチヴを取れたと思います。世界の中で、経済的な面ではダメだけれど、倫理的な面でキラーパスを通すことができたという自覚は生まれるはずです。このようなパスが、あらゆる分野に求められている。もしそれがひとつでもできるようになれば、自然に自分を律していくような形で、同じようなパスが生まれ、より魅力的なシステムができていくと思う。

 電子情報テクノロジーに対する枠組みの提案というのは、そういうひとつのチャンスだったと思う。チャンスを逃した最大の原因は、何回もいろいろなところで書いているけれど、やっぱりコンピュータとか電子情報テクノロジーが出てきたところを見ようとしなかったからです。出自といってもいい。つまり、第二次世界大戦の中でコンピュータが生まれてきたところです。コンピュータは、それまでにも蓄積はあったけれどあの時軍事研究で現実的なものとなった。コンピュータのプロトタイプというのは、正式な文書では書かれていないのだけれど、原爆投下地選定に使われたと言われている。日本の各地の情報をコンピュータに入れて選び出したという説もある。このような出自のものを、野放しにしておく感性というのは、唯一の被爆国としてどうなのか。全面的に電子情報テクノロジーを否定することはともかく、少なくとも何らかの倫理的な枠組みに対する取り組みが生まれて然るべきだった。僕はそれが悔やまれてならないし、ある意味では、まだ遅くないとさえ思います。