MADE IN JAPAN! in America by Y. Horiucci mail
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2007/02/11 そんな春まで。

少しはマシになったが、まだ連日、最高気温も摂氏でマイナス8℃とか10℃。朝はもう少し寒い訳で、やはりこの気候ではあんまり外に出歩く気がしない。しかし、仕事のほうでは、先週の西海岸出張に続き今度の水曜からは東海岸出張。この週末はひたすら部屋でゴロゴロ。「地球温暖化は本当か? 宇宙から眺めたちょっと先の地球予測」読了。なかなか読みやすい本。ただ、図版や写真の入れ方が、なぜか昔の秋田書店で出てた中岡俊哉のトンデモ本になんだかよく似てるなあ。

水曜に行くNYは、ここより若干暖かいはずだが、先の予報見るに最高気温も若干摂氏零度を割る模様。中西部から東海岸にかけて、12月〜1月は異様に暖かかったのだが、2月にまとめて揺れ戻しが来たかのよう。もっとも、昨日夕方食事に出た時に気づいたが、日照時間は着実に長くなってきている。寒さの中でも、春は少しずつこちらに近づいてるに違いない。

死に絶えたように全ての葉を落としたForest Preserveの木々が、4月の後半には一斉に芽吹いて鬱蒼たる森林に姿を変えてゆく。毎年自然が繰り返す、死と再生の物語には、まさに息を呑む想いがする。そんな春まで、もう少しだ。




2007/02/08 「不都合な真実」と「環境問題のウソ」

Amazon.comで購入した、「An Inconvenient Truth」のDVD版を見た。日本でもちょうど一部の劇場で公開されているのでは。元米副大統領アル・ゴアが地球温暖化の脅威とそれに対する対策を説くドキュメンタリー。ゴア自身のモノローグと彼が開催しているフォーラムで撮影された映像を取り混ぜ、分かりやすく仕上がっている。日本ではDVDはまだ未発売のようだが、「不都合な真実」として本が出ている。

フォーラムで使用されたデータやグラフもインパクトがある。そして、世界各地、20〜30年前の写真と現在を比較した写真が圧巻。消えたパタゴニア氷河、消滅しかかっているキリマンジャロの万年雪、北極海でも次々に消えてゆく氷河。もしもこれが本当に地球温暖化の影響だとしたら、これは空恐ろしい話ではある。

もっとも、分かりやすくインパクトがあるということは諸刃の剣でもあって、都合のよいデータだけを取捨選択しているのではとの疑念を払拭することはできない。将来予測のシミュレーションも、ある与件を固定するなら、雪だるま式に、一方にどんどん偏って行くのは、自然科学の計算のみならず、将来キャッシュフローの予測や年金数理計算、人口動態の推計など、将来予測を扱う際に誰しも経験する傾向でもある。果たしてこの温暖化仮説はどこまで信頼できるのか。

「環境問題のウソ」(池田清彦/日経BP企画)なる本を検証のために合わせて読んだら、この著者は地球温暖化はウソであると断言している。

地球温暖化を示すというデータには、汐留に超高層ビルが林立して港区の気温が上がったような、局地的City Warmingの影響が入っているのではないか。二酸化炭素と気温の関係ははっきり証明されていない。むしろ太陽黒点が現す太陽の放射エネルギーと気温に相関がある可能性が強い。など、この本の主張を読むに、やはりそっちが正しいのかという気がしてくるのも確か。

確かに、地球温暖化を叫ぶ環境運動家には、眼を三角にして、我こそ正義と自説をふりまわす者も多い気がする。ただ、常識的に考えるに、地球温暖化は起こっていないと主張する科学者のほうが、より公平で曇りの無い眼を持っていると本当に言えるのだろうか。タバコ会社からの巨額の補助金を貰い、タバコが健康に与える被害は大したことがないという研究を発表し続けた科学者がたくさんいることは、「タバコ・ウォーズ」などの本に詳しい。

「地球温暖化は起こっていない」、あるいは「温暖化と二酸化炭素は関係ない」と主張する陣営は、まったくどこの企業の利害も代表していないのか。化石燃料を扱う石油業界は、アメリカにあっては一大ロビー勢力。省エネルギー、環境負荷削減が不利に働く業界は、エネルギー使い放題の大量消費社会アメリカには腐るほど存在する。その点では、地球温暖化(Global Warming)は、もはや科学の問題というより、極めて政治的な問題になりつつある。単純に「地球温暖化は嘘である」と信じ込むのも、これまたあまりにもnaiveだという気がするのだが。

「環境問題のウソ」のp.15、図3。気象衛星から測った対流圏の気温のグラフだが、何事も明快に断言する著者は、このグラフから読み取る気温のトレンドを「それほど上昇している様子はない」と主張する。しかし、このグラフを虚心に見るに、94年頃から、平均値よりも温度が下ブレする月がほとんど消滅し、どの月も常に平均値よりも上にブレ続けているように読み取れるのである。人は自分の見たいものしか見ない。もっとも同じ本で語られる、ダイオキシン問題、外来種問題のウソについての主張は、実に筋の通った話であると思うのではあるが。






2007/02/07 出張から帰還 / 「The man of the year」  

日曜から西海岸に出張。出発の朝、当地の気温は華氏マイナス6度。摂氏ではマイナス21℃。この冬で一番寒かったかもしれない。しかし、昼過ぎのSan Francisco空港は摂氏で18℃くらいだったから、半日にして大変な気温差。

地元チームが出場したSuper Bowlは、西海岸でTV観戦。Bearsはオフェンスがまったく機能せず惨敗。最初のキックオフリターンTDだけは凄かったのだが、スペシャル・チームの健闘だけではやはり勝てない。QB、Rex Grossmanの出来も心配していたのだが、大舞台で勝つまでの力はもとより無いんだなあ。

西海岸のオフィスでは、月曜、火曜と打ち合わせと会議ばかり。朝から晩まで英語の会議というのもやはり疲れる。しかし昨日で一応終了。本日は早朝にホテルをチェックアウトして空港に。レンタカー返して、しばしRed Carpetでネット接続など。フライトは定刻通り。機体は767。エコノミー座席の背にも小さな液晶画面がついてなかなか快適。行きの飛行機では会議に備えて仕事ばかりしてたのだが、一応それも終了。帰りの機内では割とのんびり。「The man of the year」なる映画も見た。

ロビン・ウィリアムス演じるトークショーの人気コメディアンが主人公。かねて政治に不満を抱いていた彼は、独立系の候補としてアメリカ大統領選出馬を決め、政治の停滞を突いて台風の眼となる。一方、全米に導入される新たな電子投票システムを開発した会社では、本番稼動の直前に女性エンジニアがこのシステムの不具合を発見。投票と違った結果が出力されるのだ。彼女はその事実をCEOに報告するが、会社の業績を気にするCEOはその情報を握りつぶす。そして実際の大統領選挙。このコメディアンは、システムの不具合から当選してしまう。そしてその事実を公表しようとした女性エンジニアは会社から追放され、命まで狙われる。一種の政治サスペンス物。

映画で開票を報じるキャスターの、「コメディアンがアメリカ大統領になりました」という放送は、青島幸男、ノック、そのまんま東と、まあ、日本では割とお馴染みの光景か。アメリカでは、ゴアvsブッシュの時に投票処理システムの不備や不正まで取りざたされたことがあるし、素材としては、そもそもあまり荒唐無稽な話ではない。しかし、この映画そのものは、脚本の問題か、妙にリアリティに欠けている。

投票システムに不具合があったとして、メディアが調べる出口調査や世論調査の結果とあまりに違った結果が出れば、どう考えても大騒ぎになるはず。そもそも得票を集計するだけの単純なシステムで、候補者の名前の綴りによって不具合が出るというのも納得行かない。アメリカの大統領選挙は州単位の投票で代議員の獲得をカウントするのだから、全米で同じコンピュータシステムが使われるというのもおかしな話。不具合を発見し、会社から追われた女性エンジニアが、当選を知らされた後のロビン・ウィリアムスに近づくシークェンスにしても、最初にFBIの名前を語ったり、真実味無くあまり感情移入できない成り行き。演じる、Laura Linney 自体は、なかなか好演だし、他にも、クリストファー・ウォーケン、ジェフ・ゴールドブラムなど有名どころを揃えているのだが、映画全体は、どうもイマイチな出来であった。日本では公開されるのだろうか。

フライトはほぼ予定通り空港帰着。日曜から停めてあり、ガチガチに冷え切った駐車場の車に乗り込むと、車内でも息が白くなる。朝までいた西海岸と比較すると、華氏で70度近く、摂氏でも30度ばかり温度が違う。昨日はもっと寒かったらしいから、まだマシになった部類だろうか。1月は例年に比べずいぶん暖かかったのだが、2月になって急に寒さが戻ってきた。



2007/02/03 久々に厳しい寒さが。

今週半ばからずいぶん寒くなり、昨日の夜も気温は華氏で Single Digit。暖冬だったこの冬でいうと一番の冷え込みか。土曜の本日は残務整理でちょっと会社に出勤。車を出す時外気温をチェックすると、摂氏でマイナス15度。これくらいでないとこちらの冬という気がしないのはその通りだが、やはり寒い。

途中、ガス・ステーションにて給油。セルフのスタンドで車から外に出て、クレジットカード出して機械に入れたり、ノズルを給油口に入れたりしてると、さすがに寒さで耳が痛くなる。融雪剤で汚れたフロントグラスを、スタンド備え付けの洗剤とブラシで軽く拭いてみると、薄く延びた洗剤がピシピシと凍る。これまたちょっと懐かしかったり。

土曜午前中のオフィスは、人っ子一人いない。しかし中は暖房が効いてポカポカ。無駄なようだが、この辺りの冬で、土日に暖房切ったら月曜にとても中で働けない。個人の家だって留守中もずっと暖房してるのだから当然は当然。しかし、もっと暖かいところに都市を作ったら省エネになるのだがなあ。

ただ、寒さの感じ方でいうと、昔の駐在時より今回のほうがずっと暖かい。ウィークディについて言うと、前の駐在時は、仕事の時は、金曜以外スーツにネクタイ。一応スーツ姿に見合うコートみたいなのを着てたのだが、ワイシャツにネクタイが結構寒い。今は年中、ビジネス・カジュアルOK。会社の行き帰り防寒具にしても、スキーウェアみたいなのを着ても大丈夫だから、暖かい室内から外に出た時の衝撃度がずいぶん違う。

もっとも、以前読んだ、「そして謎は残った〜伝説の登山家マロニー発見記〜」に掲載されていた口絵写真では、今世紀初頭に活躍したこのイギリス人登山家の服装は、エベレスト登山でも、チョッキこそ着ているものの、今でいうスーツにネクタイ姿な訳であって、さすがイギリス紳士だと思うと共に、白人の体力はこれまた凄いなと思うのでもあった。

本日夜、外に飯食うために出かける時には、気温はさらに下がり、華氏でマイナス2度。摂氏ではマイナス19℃。今夜はもう少し気温は下がるらしい。幸いなことに、明日の朝から西海岸に出張。こちらに戻るのは水曜の夕方。その時までには、少しは暖かくなってくれているとよいのだが。




2007/02/01 「気まぐれコンセプト クロニクル」

Amazon.co.jpから「気まぐれコンセプト クロニクル」 到着。ホイチョイ・プロダクションズの名前を一躍有名にしたこの連載が始まったのが、もう25年以上も前とは。バブル前夜の84年から、バブル全盛、バブル崩壊を経て21世紀へと、全作品から抜粋したまさに「年代記」と呼ぶにふさわしい分厚い本。

ところどころ、昔の流行語やトレンドに注釈がついてるのを見ると、やはり過ぎ去った時の長さというものを痛感するが、この注釈がまた実に面白い。注釈込みで、貴重な歴史史料として成立しているというか。懐かしの年代から最近まで。まるでジェット・コースターで追憶のトンネルを疾走するが如し。実に面白い本だった。

しかし、あの80年代後半からのバブルと呼ばれる時代、私は何やってたんだと思い出してみるに、仕事がやたら忙しく、連日の残業続きで休日出勤も当たり前。スチャラカ楽しく遊んだ記憶があんまりない。もったいなかったとも思うが、その頃の仕事上の貯金で食ってるとも言える訳で。もっとも預金通帳のような残高など無いから、客観的に見たらもう残高は赤になってるのかもしれない。はは。

残業の後、連れ立ってちょっと飲みに行くとすぐに真夜中過ぎ。当時は、店を出てもタクシーなんぞ1台も止まる訳もなく、じゃあ、もう少し飲むかと同じ店にまた逆戻りしたり。ま、今にしてみれば、ホント何やってんのかといった日々だったなあ。




2007/01/28 「失われゆく鮨をもとめて」

「失われゆく鮨をもとめて」(一志治夫/新潮社)読了。

著者がふと尋ねた目黒住宅街にある外見は何の変哲もない寿司屋。しかし著者はここで「世界一幸福な食事」と自ら呼ぶ体験をする。そして「狂気さえも帯びた情熱と探究心」を持つこの店の親方の案内で、日本各地に食材と食文化を探る旅に出るというノンフィクション。

日本全国の漁場で同じように語られるのは、昔はいくらでも獲れた素晴らしい魚介類が、今やほとんど取れなくなっているという危機的な状況。最近の「現代」でも、同じ著者が「本物の寿司が食えなくなる日」として、数ヶ月に渡り、全国各地の寿司種になる魚の漁獲がいかに減っているかの現状をルポしていた。日本の近海漁業については、以前、「聞き書き にっぽんの漁師」という優れた本を読んだこともあるが、やはり語られる現状はほとんど同じ。素材の探求は魚だけでなく、米、酒、味噌などの素材にまで及ぶ。

面白いのは、この本には親方の本名は出てくるが、この寿司屋の店名については、一切書かれていないこと。あえて書いてないことを、私がバラす必要もないのだが、この目黒、住宅街にある寿司屋は、寿司が好きな人なら一度は名前を聞いたことがあるのでは。私自身は未訪。弟子筋の店には行ったことがあるのだが。

この本では一章をあてて、とある師走、とある一夜のこの店の営業の様子を、まるで実況中継するかのように描き出している。

親方の自負と薀蓄が渾然一体となった、ジョーク交じりで饒舌なトークは、まるで何かの芸能の独演会を見るかのよう。寿司種以外に、炊いたり、焼いたり、漬けたりしたツマミや、珍味系があれこれとおまかせで順に供される。厳選した日本酒で楽しんだあとに、「そろそろ鮨屋開店します」と親方の宣言で握りの時間となる。この営業形態は人によって相性があるだろうが、一種歴史ある会員制のサロンのような印象を与える。常連ばかりのところに紛れ込むと結構居心地悪いかもしれぬ。まあ、寿司屋にもいろいろあって、面白いもんだよなあと感じ入ったことであった。





2007/01/26 やっちまったよ一戸建て!!

「やっちまったよ一戸建て!! (1)」(伊藤理佐/文藝春秋)、 「同(2)」読了。週刊文春の巻末ひとコマでもおなじみの漫画家、伊藤理佐が自分の住居用に、「お一人様用の一戸建て」を新築するという快挙をなしとげた際のドタバタを描いたドキュメント漫画。

私自身は、今後の人生において一戸建てを新築する計画はまったくないのであるが、子供の頃、親父が神戸の実家を建てた事を思い出した。そういえば、地鎮祭とか、大工さんに差し入れ持ってったりしたことなど、この本に書かれてあることの一部は記憶がある。施主はもっと大変で、全体の設計、建築材料、ユティリティ関係機器の選定など、決めることが目白押し。しかし、出来合いの建売やマンションを選ぶのとはまた違って、細かいところまで自分の好みを反映できる楽しみがある。そして設計者にしても、施主と打ち合わせを重ねる上で結構な冒険もできる。2階から3階まで吹き抜けのトイレなど、出来合い建売の設計では怖くて提案できないのでは。

著者によれば、一戸建て建築はあれこれ大変だったが、いざ建ててみると「また 家建てたい」と思うのだと。まあ、確かにそうだろなあと、家を建てるという人生の大きなイベントを描くドキュメントとして、実に面白かった。一期一会ではあるが、納得行く設計士や工務店と出会えるというのもまた大事なことなんだろう。




2007/01/25 The State of the Union Address

一昨日の夜はTVで、ブッシュ大統領の、"The State of the Union Address"なんてものを見た。日本語では、米両院議員総会での「大統領一般教書演説」と呼ばれている。 そもそもどんな歴史を持ったものか、事前に、WikipediaでThe State of the Unionのページなど見て勉強。アメリカで教育受けた訳ではないから、アメリカ人なら当たり前のことでも、このへんの常識にはサッパリうとい訳である。

議事堂への入場方法もなかなか独特。大統領の後ろには、上院議長(副大統領)と下院議長(アメリカ史上初めての女性議長である民主党のNancy Pelosi)が座る。

ブッシュ大統領が冒頭、"Tonight I have the high privilege and distinct honor of my own for I get to begin my speech with the words: Madame Speaker!"と、初の女性議長を称える挨拶をすると、議場は全員立ち上がってのスタンディング・オベイションがしばらく鳴り止まなかった。こんなところは、やはりアメリカ人は演出が上手い。

一般教書演説というのは、当面するアメリカの課題について、大統領が大きな施政方針を指し示すものなのだが、例えば民主党議員であっても、その発言に賛同するのであれば、その都度スタンディング・オベイションで賛意を現す。ペロシ下院議長も、大統領の演説の中で何度も立ち上がって拍手を送る。もちろん、イラクへの増派など、賛同できないことに関してはそのまま黙殺。日本の国会では、総理が施政方針演説する時、野党は賛同の拍手どころか野次しか飛ばさないと思うが、このへんが割と違うもんである。

両院議員総会と称されるが、政府閣僚や、軍の幹部も列席している。面白いのはゲスト席があり、大統領夫人が中心に座り、その横にスペシャル・ゲストとしてその時々の話題の人が呼ばれ、大統領のスピーチで紹介されること。

コンゴとアメリカの架け橋、いまやアメリカ市民の元MBAプレイヤーのムトンボ、つい2週間前に地下鉄で人命救助した男性など、次々にスピーチで紹介され、全員のスタンディング・オベイションを受ける。イラク戦争で、瀕死の重傷を受けながらも最後まで戦った兵士として、Tommy Rieman軍曹が紹介を受け、誇らしげに立ち上がると、一際高く、鳴り止まぬ全員からの拍手。ブッシュ大統領の演説でも、イラクへの増派は無視しても、海外でアメリカを守るために戦う兵士達に賛辞を捧げる部分では、ペロシ下院議長も立ち上がって拍手を送っていた。世界最強にして最大の軍事大国アメリカは、栄誉を受けぬ軍隊が自国を守るはずなどないことを、実によく知っている。




2007/01/23 「硫黄島からの手紙」、アカデミー賞ノミネート。

本年のアカデミー賞Best Picture(作品賞)に、「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」がノミネートされたとのニュース。全編日本語で製作されているから、「Foreign Language Film」でもおかしくないのかもしれないが、監督したクリント・イーストウッドが、Directingのほうにもノミネートされているから、まあ、これで整合性があるのだろう。実際に作品賞取ったら一種の快挙ですな。

もっともアメリカでは、下馬評高かった「Dreamgirls」が、ノミネート数では一番なのに肝心の作品賞ノミネートで選外となったことが大きく報道されている。この映画は見てないからなんともいえないが。

「硫黄島からの手紙」は、日本帰国中に見たのだが、感想書くのをすっかり忘れていた。硫黄島の日本軍を指揮して玉砕した栗林忠道中将を扱った大宅壮一ノンフィクション賞受賞作、「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」 も、まだ半分まで読み進めただけ。

同じ著者が今月の文藝春秋で栗林中将の最期について検証しているのだが、「アメリカ軍に投降しようとして部下に撃ち殺された」とか「ノイローゼになって部下に射殺された」などあれこれ異説が飛び交っているのだという。もとより玉砕して真実を知るものはほとんど生き残っておらず、射殺説にしても、他の島の生存者の伝聞情報。本当のところがどうだったのかもはや知るすべはないが、すぐ落ちると考えて殺到した米軍を大変な目に会わせて長期間持ちこたえ、最期に玉砕したという事実は日米双方の戦史の伝えるところ。指揮官としてむしろ米軍側で評価されたというのも確かにその通りと思われるのだが。

本を読了してから映画の感想もまとめて書きたい。

さて、今回のノミネーションでは、助演女優賞候補に日本人がいるのもびっくりしたが、もうひとつ驚いたのは、日本からのUnited機内で見た、「The Queen」が作品賞、主演女優賞などにノミネートされていること。1月4日の日記に感想を書いており、なかなか興味深い映画であったとは思ったのだけれど。しかし、失礼ながら作品賞の対象になるような映画と思っていなかった。まあ、揺れる飛行機の中の小さな画面で見ても、あんまり見たことにならないのはその通り。もっとも、エリザベス2世を演じた、イギリスの女優、Helen Mirren は、確かに名演であったと納得はできるのだが。




2007/01/22 センター試験、英語の問題もやってみた。

世界史に続いて、ふとやる気をおこしてセンター試験、英語の問題もやってみた。日曜の夜、プリントアウトして、ベッドに寝転がりながら。平易な英文であり、分からない単語はない。もっとも、なんだかんだいいつつも、回答には50分くらい。本気の試験でもないし見直しもしてないが、それでも結構時間を食うもんである。プレッシャーがかかった本当の試験なら、時間が気になるだろう。

実際の試験時間は80分なんだそうだが、特に、缶入り飲料の売り上げ推移を問う問題など、問題文に妙なグラフが付随しており、いったい何を聞かれるのか結構あわてた。設問のほうを読んでから問題文のほうを読むべき、というのは受験テクニックの初歩中の初歩であるが、今となってそれをやると、眼と頭がついてゆかず、逆に何が何やら分からなくなる。お酒が入っていたこともあるが、やはり頭の回転は、若い頃と比べると、ずいぶんと落ちていることを実感。あきませんな。はは。

前半で時間を使った受験生にとっては、最後の長文はずいぶん長く感じるだろう。昔の欧州旅行で、お祖父さんがたまたまバルセロナの動物園で出くわした、アルピノのゴリラの話を孫娘に語り、旅行というのは計画立てないところもあってよいのだよなんて語る、なかなか読んで印象に残るよい話なのだが。ただ、大学受験の会場で血走った眼で読んでも、まったく感慨はわかないに違いない。

広告を読み取る問題などは、ちょっとTOEICにも似ている。わざわざ絵まで使って待ち合わせに来る女性の格好を問う問題は、趣向としては面白いが、なんだか無駄な印象もある。

これはやさしいなということで自信満々なのであったが、実際に答え合わせしてみると、後半の文章読解はパーフェクトなるも、序盤のアクセントやら成句問題で、なんと2点問題を3つ、3点問題もひとつ落とし、9点の失点。200点満点の191点。考えてみると、下線引いた内、発音違うのを選べという問題は、受験生の頃からよく落としていた。成句を選ぶ問題でも、ひとつ実際意味を知らなかったのがあり、これは時間全部使って見直ししても、やはり間違ってたかもしれない。いやあ、やはり失点はするもんだなあ。

そういえば、センター試験の英語は、前にも酔狂で解いてみたっけと過去日記検索すると、99年1月17日だった。この時は188点。まあ、いくらアメリカで毎日英語使ってるとはいえ、ネイティブでもなし、ケアレス・ミスもあるから、この程度が限界か。99年の長文読解のひっかけは、実に性格悪い人間の作成だ馬鹿野郎、と今にしても思うのだが、本年の問題は比較的素直な感じが。今度、国語もやってみるか。はは。



2007/01/21 センター試験の世界史Bをやってみた。

今朝から小雪が降っている。外出は止めにして部屋でグータラ。

センター試験の問題が、MSN毎日インタラクティブなどでも公開されているので、果たして本年の問題はいかなるものかと、世界史Bにトライ。

高校での世界史未履修問題が騒がれた時、過去日記にも書いたのは、世界史の常識自体は社会人として必須の教養ではあるのだが、大学受験の世界史は、不必要な枝葉末節の知識を問うだけの、まったく無駄な勉強であるという個人的感想だった。実際にセンター試験の問題やってみても、普通の社会人としての教養の範囲を超えて、これは何じゃと思う選択肢多し。採点してみたら54点。もちろんデマカセで選んだ四択の偶然の正解も含めての話。

受験生の時はハナから世界史は捨てていたので50点を割ったが、それに比べるとちょっと上がった。常識で回答できるアメリカ近代史部分が出題されていたのも助かった。しかし、駿台予備校の得点予測では全国平均が67点なんだそうである。こんな問題で受験生諸君は、よくそんな点が取れるよなあ、と感心。もっとも受験科目は減っているので、世界史を選択するのはよほど腕に覚えのある人間だけなのかもしれない。

各問題の冒頭に置かれる問題文は、なかなかよくまとまった興味深いパラグラフ。しかし肝心の設問は、そこから任意の単語だけを切り出して、それに関する枝葉末節の細かい詰め込み式知識を問うものばかり。問題文に写真まで掲載されているのだが、これは設問に一切関係がない。パラグラフは単に出題する単語を導くための道具に過ぎないのである。その点では、世界史Bに関して最初の問題文は一切読む必要がない。おそらく予備校でもそんな風に指導してるだろう。

では、なぜ、わざわざ設問には一切関係ない問題文を、写真まで入れて掲示してるか。おそらく出題者側が、「枝葉末節の単発的な知識ばかり問うている」という非難をかわし、印象を取り繕うためのごまかしではないのか。すべての設問は互いに何の関係もなく、別に冒頭の問題文無しで十分成立するものばかりなのだから。

今月号の文藝春秋に、「ローマ人の物語」塩野七生が、いつも座右に世界史の教科書を置いていると書いていた。「普通の人間の歴史理解がこの程度しかない」ということを念頭に置いて著作を書くためだと。山川の世界史教科書など、読むだけなら私も昔は好きで、なかなかよくできていたと思う。しかし、あの教科書を通読した程度では、センター試験でよい点を取ることができない、というところにやはり根本の問題があるのでは。

例えば、塩野七生専門のギリシャ・ローマ史にまつわる問題は、今回のセンター試験出題の中で、問28くらい。配点はたったの3点。神聖ローマ帝国、フランク王国という近隣史に広げても、問29、問30が加わって、合計で9点分しか出題がないことになる。世界史というくくりが、あまりにも広範囲すぎるのだ。

TVの情報番組などでコメンテーターが語る「世界史を勉強するのは人間の教養として当たり前」というのは、まことに一種の正論ではあるのだが、高校の履修問題に関連して語る場合には、まずセンター試験の問題を自分で実際に見てから、もう一度正論を述べてほしいと思うところである。





2007/01/20 歌舞伎町の中国人マフィアよ、疑って悪かった。

前回の駐在時に比べれば、ネットの利便性が確実に増している。衛星版日経新聞や週刊誌、1週間くらい遅れてのTVビデオ等は以前から手に入ったが、ネットでの日本語関係ニュースやら、YouTubeでの動画などに関しては、ずいぶんと便利になった。しかし、まあ、やはりすべてのニュースをリニアに追いかける環境にはないので、あれこれ事件があると、その後、何がなにやらよく分からなくなる時もある。最近、日本では、「妹切断」とか「夫切断」とか、むやみに「切断」ニュースが多いよなあ。

などと思いながら「週刊新潮」読んでると、あの外資系勤務夫を妻が切断した事件は、犯人逮捕前の年末に、遺体発見のニュースをTVで見たことを思い出した。週末にいつも行く日本飯屋の寿司カウンタでTV Japan見てると、歌舞伎町で男性の上半身発見というニュース。店の親父と、「この残虐さは日本人の犯行じゃないな」、「そうそう、あれは、中国人マフィアだね」、「なんかの見せしめで、青龍刀で胴体切断して放置したんだよなあ」などと、無責任な会話してたのだった。

そうか、日本人の妻の犯行でしたか。歌舞伎町の中国マフィアよ、疑って悪かった。ははは。ま、週刊誌の記事によると、犯罪の専門家も、最初は、だいたいプロの仕業とのコメント出していたらしい。歌舞伎町に切断死体が転がしてあったら、確かにそう思うよなあ。まあ、あんまり笑い事じゃないわけだが。




2007/01/19 「おんなの窓」〜伊藤理佐を読む。 

酔っ払って結構あれこれ発注した本が、ずいぶんとたくさん、しかも早くAmazonから届いた。まあ、仕事疲れの週末だから、まず気楽なものから。と思って手に取った、「おんなの窓」(伊藤理佐/文藝春秋)がやはり面白い。

週刊文春の巻末ページに連載した1コマ漫画にコメントを書き加えた1冊。文春は日本にいる頃からだいたい毎週買ってるから、連載当初から見てるのだが、追加されたコメントもあわせて読むと2度目でも十分楽しめる。

考えてみると、文春はその昔、「恨シュラン」でサイバラの連載も載せてたし、大田垣晴子を知ったのもこの週刊誌。この本の後書きを見るに、伊藤理沙もすでに連載4年目だと。ずいぶん女性マンガ家の売り出しには功績がある。伊藤理佐も、ついこの前から読み始めたような気がしてたのだが、時の流れるのは早いね。笑いを計算した自虐の中に、カラっとした明るさがあるのがよい。「やっちまったよ、一戸建て」など、数冊一緒に買ったので、この週末はあれこれ読んでみようかと。




2007/01/18 肌寒い受験の春は慌しく行き過ぎて。

そうか、今週末がセンター試験なんだ。

私の年代は、その昔、共通一次試験と言われた時の第一期生。試験会場は、自宅から電車で何駅か離れた市立大学だったのだが、ちょうど駅で高校の同級生と一緒になった。いつも教室であれこれ話してた仲良しだったから、試験前の緊張をほぐすためにつり革につかまって、あれこれまたバカ話をした。

「普通は浪人生のほうが1年余計に勉強してるから強敵だけど、今年は逆やな」
「え、なんで?」
「だって、去年の浪人生は、旧過程の試験に落ちてから、あわてて5教科7科目の試験の準備しとるんや、間に合うはずないがな」
「あ、そら、そうやなあ、我々は最初から、学校でも7科目前提で勉強してるもんな」
「だから、準備万端、浪人生に負けるはずない」
「そしたら、駅から大学まで、現役音頭でも歌いながら行くか」
「なんや、その現役音頭って(笑)。まあ、でも、浪人生にプレッシャーかけて、更に点数上積みの効果あるかもな、わはは」


などアホな放談をしてると、前の座席に座っていたおとなしそうな男が声をかけてきた。「君ら、現役かあ。ええなあ。オレ浪人。でも、ホンマに君らの言う通りや。オレも分かってたから、どうしても去年合格しないと、と頑張ったんやけどなあ」。

これにはこっちもいささか慌てて、「これは、どうもヘンな事言いましてすんません」と謝り、「まあ、大学の定員も大勢あるんですから、我々全員受かってもいくらでも空きありますよ、お互いに頑張りましょう」と駅で別れたが、そういえば彼は首尾よく合格しただろうか。昔々のことなのに、毎年この時期になると思い出したりする。

もうひとつ、どうしても忘れられないのは、高校の同級生が試験最初の日の朝、自殺したこと。これは昔、過去日記にも書いたことがある。ショックだったから、試験中の昼休みにこの知らせを聞いた時の事は今でも忘れない。これも毎年、センター試験の話題を聞くと思い出す。

見知らぬ大学の試験会場で、「大学受験は、人生において単なる通過儀礼に過ぎない」、「俺は必ずこれを切り抜ける」、「そして、生きてる限り、絶対に自殺などしないのだ」と、マークシートを塗りつぶしながら、それだけは繰り返し繰り返し考えていた。まだ春とも呼べぬ肌寒い受験の春は慌しく行き過ぎて、たしか彼女の葬式にも行かなかった。むしろ、行ってはいけないような気さえしていたのも、今になれば遠い記憶の残滓に埋もれ、消えかけている心境なのだったが。

まあ、受験生がこのページを読んでるはずもないのだが、この春に、試験を受ける全ての人の幸運と健闘を、心からお祈りしたい。





2007/01/17 「渋滞学」〜追い越し車線より走行車線のほうが結果的に早い 

「渋滞学」(西成 活裕/新潮社)読了。先日の西海岸出張の際、San Joseの三省堂で購入したのだが、うっかりバッグにしまって忘れていた。しかし読み出すとこれが面白い。アッという間に読み終わってしまった。

渋滞について学問的に調べている人がいるというのは寡聞にして知らなかったが、学際的な学問とも言うべきか。何でも真摯に考え詰めれば学問になるもんだと、そんな感慨もわいてくる本。

高速道路での渋滞原因の一位は、事故渋滞ではなく、「サグ渋滞」であるという興味深い知見から始まって、様々な統計や研究を引用して、世の中に起こる「渋滞」について、その理論的な原因や解消方法などを解説した本。誰でも経験する道路での身近な例から、行列、電車、インターネットの世界や動物の世界など、扱っている領域は実に広く、具体的実例や興味深い知見に満ちている。

赤信号で車が何台も連なっている時、青になった途端に全車がアクセルを踏んで同時にスタートしたら、実にスムースに車が流れるのではと誰しも考えたことがあるのでは。しかし、この本には、そうはならない理由が示されている。逆に、スタートまで1台あたり1.5秒という参考数字が示されており、これを知っていると、前に何台いるかをカウントさえすれば、自分がスタートできる時間が推測できるのだ。

行列で、自分の番があとどれくらいでくるかの簡易な時間推定方法、2車線で渋滞してる場合、追い越し車線より走行車線のほうが結果的に早いという統計など、実際の生活に役立つミニ知識もあれこれ。地下鉄の駅などで、「時間調整のため停車いたします」との放送もよくあるが、調整せずにすぐ発車したほうが後でもっと渋滞を引き起こすという事が理解できると、電車で待つにもストレスを感じることが減少する。そんな面でも実社会になかなか役立つ「渋滞学」である。





2007/01/16 緊張感のない冬 / 「華麗なる一族」リメイク版のキャストを見て

日曜夜から久しぶりに雪が降った。今シーズン積もるのはまだ2度目というのも珍しい。まあ、積もったといって1インチ弱。月曜も小雪がちらつく空模様。しかしそれほど寒くもない。雪が降る日は逆に、それほど気温は下がらないのだ。

本日は朝から気温は下がっており、マイナス11℃。これくらいは寒くないと冬という感じがしないのは事実。それにしても、今年はなんだか異常に暖かい。前回の駐在時は、外に出るとこれは5分と立ってられないなと感じる日が時々あったもんだが。オフィスから外に出る時にも、その前に、車のキイ、(万一の時に戻ってくるから)オフィスのキイ、家のキイなど、安全のためにまず確かめてから外に出たもんだったが、今年の冬はまだそんな緊張感がない。




週刊文春の1ページ広告にも出てたのだが、日本のTVで、「華麗なる一族」リメイク版のTVドラマが始まったのだとか。山崎豊子の原作小説も実に骨太なドラマ。「白い巨塔」も素晴らしかったが、これも名作。そして、1978年製作の「映画版 華麗なる一族」も、DVDで見たことがあるが、これまた実に重厚かつ陰影ある大作だった。リメイクTV版は、こちらでは放送ないのでもちろん見てないのだが、往年の映画版とキャストだけを比べてみての勝手な感想など。

先代から引き継いだ阪神銀行を中心とする万俵コンツェルンを発展させた総帥、万俵大介を演ずるのは、北大路欣也。これは映画版の佐分利信とまあ遜色ないような。ちなみに北大路欣也は映画版では、万俵鉄平に心酔する阪神特殊鋼の部下で、鉄平の妹(映画版では酒井和歌子だったな)に想いを寄せられるエンジニア、一之瀬四々彦を演じていた。これは因縁のカメオ出演ということになるだろうか。

木村拓哉演じる主役の万俵鉄平を映画版で演じたのは仲代達也。木村拓哉は確かに視聴率取れる人気者なんだろうが、何を演じてもキムタクでしかないところがちょっとなあ。飢狼のごとき眼が常に印象的であっても、それぞれに違う人物を演じ分けることができた仲代達也は、そもそも俳優が天職であって、比べるのがもちろん気の毒ではあるのだが。

大介の娘婿であるエリート大蔵官僚は、昔、田宮二郎が演じてたのだが、これは仲村トオルで違和感がない。「白い巨塔」の財前教授でも意外に通用した気もする。妻妾同居の怪物大介の愛人役に関しては難しいところだが、映画版、京マチ子より鈴木京香のほうがよいかもしれない。映画版の京マチ子は、まことに失礼ながら、すでに往年の輝きを失っていたような。大介の妻、万俵寧子役の月丘夢路はむしろ、きちんと成立していたのだが。

東大から日銀、そして民間銀行頭取に天下ったエリートにして鉄平の義父、三雲祥一役は、映画では二谷英明。これがTV版では柳葉敏郎というのだが。天下った銀行の部下からは、影で商売の分からぬ「お公家さま」と面従腹背され、潔癖な理想主義から鉄平の事業上の野望にむしろナイーブなまでに肩入れし、大介の罠にかかり結局自らの地位すら追われることになるこの人物に、黒光りした柳葉はちょっと似合わないような。

影で暗躍して三雲を追い落とす曲者の叩き上げの専務、綿貫千太郎役は映画版では西村晃。この演技も懐かしい。TV版では、笑福亭鶴瓶。意外に腹黒い悪役で通用するかもしない。まあ、どちらにしろ、こちらでは放送ないから、見ようとしたら日本ビデオ屋で借りるしかないのだが、「白い巨塔」以来、久々に見たくなったドラマ。原作がよいと、基本的にそのまま作ってもだいたい成立するから、案外にハズレはないかと思われるのであった。



2007/01/13 DJ OZMA エロ頼みで紅白惨敗 

昨年の大晦日は日本にいたのだが、蕎麦屋で酩酊していたので紅白は見逃した。しかし、最近は便利になったもので、話題になったDJ OZMAは、YouTubeで動画をいくつもチェック。まあ、もともと最初から、「紅白でチンコ出す、本気ですよ」と公言してた訳で、それを北島三郎が一喝したとか、はてまたそれを人気取りに使って最後にマジック仕立てで、北島三郎が出てくるとかのあざとい演出をしてたのだから、本来、NHKがあの演出を知らなかったはずはない。ところが、抗議電話が殺到すると、NHKは知らなかった、すべてDJ OZMAの責任だと言い出した。

まあ、たとえ知らずとも、「任命責任」ってのもあるだろうと思ったが、今週の週刊新潮の「エロ頼みで惨敗、墜ちた紅白に明日はない」という特集を読むと、NHK内部からも、現場は承知の上の演出だったという声が聞こえてきてるのだという。「あの場面はキチっとしたカメラ割で撮られていて動揺のカケラもない」、突発的な異常なら、NHKのカメラマンは、必ず回避行動を取るというのである。

そういえば、以前、中島みゆきが出た紅白、黒部ダムから中継で歌うという場面、中島みゆきが歌詞を間違えたとたん、画面に出ていた歌詞がスっとワイプされて消えたのには感心した。誤りの痕跡をあっという間に消し去る咄嗟の補正はエライもんだなと。あの中継を見ると、確かに承知の上でやってるとしか思えない。しかし、批判が集中すると、すぐに他人に責任をなすりつけるのは、どうにも感心しない幼児的態度。

NHKには、他にちゃんとした見るべき番組はたくさんある。受信料で経営し、スポンサーにおもねる必要がないという立場を生かして、民放がやらない分野での真面目な番組だけに特化し、バラエティやエンターテインメント系からは手を引くのが本来の進むべき道だと思うのだが。



2007/01/11 「神社の系譜〜なぜそこにあるのか」

「神社の系譜〜なぜそこにあるのか」(宮元 健次/光文社)読了。

日本各地の有名な神社は、なぜその場所にあるのか。鹿島神宮、出雲大社、伊勢神宮などの神社の位置を、夏至や冬至の日没、日の出の方向(自然暦)を使い読み解いてゆくと、その並びには明らかな法則がある。神社の位置には、古代からの壮大な「意図」と「仕掛け」が隠されていたのではと問いかける本。

昔の遺跡が、方角的に何らかの法則に基いて配置されているというのは、例えば「レンヌ・ル・シャトーの謎」でも扱われたように、ちょっと「トンデモ」の香りもするのだが、読むとなかなか面白い。東照宮の配置に見る、徳川家康の神への再生の願い、そしてそれは秀吉の秘儀を真似したものだったという呪術的解釈など、まるでSF伝奇スリラーを読んでるかのよう。

買った時には気づかなかったが、この著者は、以前感想を書いた、「仏像は語る〜 何のために作られたのか」の著者である。推古、平安の昔から人々が仏像に見た「救い」や「夢」。戦乱、病苦が襲う苦しみの現世で、一族の繁栄や世の平和、そして心の平安を求め、人々がどんな祈りを仏像に託したかを語り、仏像がどんな運命に翻弄されてきたのかを語るという興味深い本であったが、今回の本はちょっと毛色が違うような。もちろんこちらも面白い。

最後に語られる、靖国神社設立場所の話も興味深い。靖国の原型である東京招魂社は当初上野にあった。ここは彰義隊と官軍が争い火の海となった場所。しかし、靖国神社の創始者にして、日本陸軍の祖、大村益次郎は、靖国設立にあたり、この「亡魂の地」を避け、新しく見晴らしのよい高台の地にこれを求めた。ここ九段の地は、火除け地かつ騎射馬場が置かれた場所で、元来、土地に刻まれた「記憶」が大変希薄な場所であったという。

靖国というのは、確かに一般の他の神社とは違う、一風変わった雰囲気を持った場所である。ジメジメしたり鬱々としたところがなく、何かこう、スポーンと突き抜けたような、晴れ晴れした印象を受ける。

もちろん、参道の広さや鳥居の巨大さから来る印象もある。しかし、この本で場所選定の話を読んで感じたのは、やはり亡霊も怨恨も住まわず、人を呪縛するような記憶が刻まれていない土地の選定が、この神社全体の印象に関連があるのではないかということ。これはという因縁も依り代も無い土地には、霊魂も帰って来ていないのではないか。護国の鬼となって南の海にあるいは陸に散華した若者達の魂が、果たしてどこに行ったのか知るすべはない。しかし三島由紀夫が「英霊の声」で書いたような、地の根の底から響いてくるかのような重苦しい呟きは、どうにもこの場所からは聞こえてこないような気がするのだが。



2007/01/10 海外での日本料理に認定制度導入

日本の農水省が海外での日本料理に認定制度導入を検討なる記事。「国際化」とは一番縁の無い日本のお役所が、外国の日本料理のことなんぞ心配しなくてもよいがなとは思うのだが、この内容そのものはだいぶ前にも報道されてたし、JETROも国外での推奨日本レストランを選定するとかの話も聞いたことがある。

アメリカでは、どういう訳か、韓国人が怪しげな日本食レストランをやってる場合が多い。外側のランチメニューがハングルで書かれてたり、店の名前そのものが日本のセンスでなかったりして、入る前に分かるのだが、「鰻丼を頼んだら酢飯の上に熱いウナギが乗ってきた」とか、「ランチのキツネうどんセットについてる海苔おむすびが酢飯で作られていた」など、やはり日本のセンスとどこか違う部分があちこちに。しかたないっちゃあしかたないんだが。

ま、背に腹は変えられない時に、そんな、コリアン・ジャパニーズも、時折利用したりする。先日行った店は、「幕の内弁当」なるものを頼むと、冷え切った海老の天ぷら一本、骨付きカルビ、肉と同じ台で焼いたと思しい獣肉臭いサーモンの照り焼き、マグロ赤身の刺身3切れ、ウナギの握りとトビッコの軍艦巻各1、それにご飯。こんな物を堂々と出してくる。日本食かと言われると苦しいが、まあ、日本食にインスピレーションを得た別物というか。味噌汁にレンゲを突っ込んで、サラダと一緒にまず最初に持ってくるのもお約束。。スープといえばスープだが。

行きつけの日本食レストランの親父が、一度、この手のコリアン・寿司のカウンタに座り、鉄火巻きを注文した。すると韓国人の職人が、マグロの血合いの部分を入れようとする。親父が「そこは寿司には使わないものなんだ」と教えたら、韓国人職人は、「これがうちの鉄火だ、文句あんなら出てゆけ」と言われた由。

なんでもこの親父の情報では、この近辺に韓国人寿司シェフを養成する韓国人経営のスクールまであり、1ヶ月くらいで一丁上がりで卒業。寿司シェフ認定の証書をくれるのだとか。丸の魚を下ろした経験もほとんど無いし、生の素材扱うノウハウも叩き込まれてない韓国人の寿司シェフの店で、そのうち食中毒起すのではと思ったら、気が気ではないと述べていた。アメリカ人にしたら韓国人経営の「Sushi」も日本人の「Sushi」も区別つくまいから、そんな事故が起こったら日本人経営の店にも、とんだとばっちりがくるのは必至だろう。

しかし考えるに、日本のフレンチやイタリアンのレストランも、隠し味に醤油使ったり、パスタに海苔やら納豆使ったり、日本固有の素材を使ったり、もしもフランスやイタリアの本場から認定に来たら、結構、合格しないところがあるんではないか。どこまでアレンジを認めるかということもあるだろうと思うのだが。そういえば、その昔、フランスからアメリカに転職してきたコンサルタントと仕事したことがあるが、アメリカのフレンチ料理店は一様にダメだと言っていた。本場の味だけを追求しても、アメリカで受けるかどうか分からんだろうし、これがなかなか難しいもんである。





2007/01/08 「エスカレータではどちらに立つか」問題再び

駅などのエスカレータに立つ際、関西では右に立って左を空け、東京では左に立って右側を空ける。日本の中でなぜ違うのかについては、以前の過去日記、「エスカレータのどちらに立つのが国際標準か」であれこれ考察したのだが、せっかくアメリカに来たのに、こちらではどうだか再度検証していなかった。

本日会社にて、日経衛星版の土曜別冊を読んでいたら、「暮らしサプライズ」という記事で、「右か左か片側空けの起源」という特集があった。

これによると、エスカレータ開発の草分け、アメリカのOTISエレベータによれば、右に立って左を空けるのがアメリカ方式。これはおそらくニューヨークの地下鉄で始まった習慣ではとのこと。なぜ左を空けるのかについては、アメリカは車が右側通行で追い越し車線が左であり、その習慣が持ち込まれたものと見る。そもそも車がなぜ右側かについては、馬車の時代にすでにアメリカでは右側通行が普遍的であり、それは御者が右手で鞭を持つため、左側通行だと対面の馬車の鞭と絡んでしまうからだという。(しかし、この説明では、同じく馬車が普遍的だったイギリスで、なんで車が左側通行なのかがよく分からんのであるが)

なぜ大阪がアメリカ方式かについては、やはり以前に推定したように、大阪万博の時にアメリカ式を持ち込んだものとの仮説をこの記事では挙げている。東京は独自に日本の車の左側通行からの連想で右空けになったのではと。

この記事を書いた記者はなかなか仕事熱心で、アメリカの街頭で実際にエスカレータのどちらに人が立つかまで数えている。NYの地下鉄エスカレータでは、左空け282名に対し右空けは34人。やはり右に立って左を空ける人が圧倒的に多い。ただ、シカゴのショッピング・センター・映画館では、左空けが510人、右空けが361名と、あまり極端な差が存在しない。

私個人の観察でも、シカゴ、O'Hare空港のエスカレータでは、まずてんでバラバラに立ち、どちらを空けるかはあんまり決まっていないという印象なのである。もっとも、この空港も、そんなにエスカレータがあちこちにあるわけでなく、第一ターミナルでコンコースCに行く地下道だけでの観察なのだが。やはり、地下鉄があってエスカレータが多い都市と、そうでない都市では、だいぶ「片側空け」の定着率に差があるような気がする。そういえば、Bostonにも地下鉄があったが、こっちはどうだったっけな。今度訪問する機会があれば確認してみなければ。



2007/01/06 NFL Wild Card Game: Seattle Seahawks vs Dallas Cowboys

NFLも、プレイオフに突入している。今週末はワイルドカード・ゲーム。Seattle Seahawks とDallas Cowboysの試合をTV観戦。それぞれのヘッドコーチが、Bill Parcells とMike Holmgrenという、お互いにキャリアある懐かしい知将。しかし、スーパーボウルはどちらも制したことがないのだった。

このゲームは、後半が凄まじかった。ダラスのキックオフ・リターンTD。ダラス自陣エンドゾーン前でのファンブルとセイフティ(これは一瞬、TDだと思ったなあ)。そしてその後、Seahawksが長いパスを決めTDした時点で20-21。残り4分半であり、どうしても2ポイント・コンバージョンが欲しい。しかしそれが失敗して、スコアは20-21のまま。

Cowboysがまた攻めて、残り1分を切ったところでSeahawks1ヤード地点まで。4th Downでフィールド・ゴールに。1ヤードからのFGは普通どう転んでも失敗しない。Seahawksの2ポイント・コンバージョン失敗が勝敗の分かれ目だったなあ、などと呑気にお酒飲んでると、とんでもないことに。

スナップは特に悪くなかったが、ホールダー(ボールを受けてキックできるようにプレイスする役)がボールをファンブル。キッカーはキックできず。しかし、ホールダーはボールを取り上げて自らリカバリーすべく、ゴールールライン向けて走り出す。これがTDになれば凄かったのだが、ゴール前1ヤードで止められ、しかもボールをまたしてもファンブル。そのボールをSeahawksがリカバー。これでほとんど勝負あった。まあ、2秒残したCowboysも一発逆転のロングパス投げるという、最後まで一瞬も息を抜けない展開。NFLでは、時折、こんな凄まじい試合がある。中継の最後に、アナウンサーが、What a game!と。

フィールド・ゴールでスナップされたボールを受けてプレイスするのは、だいたい控えのQBかパンターなのだが、今回、Cowboysで失敗したのは、この試合でも先発してずっとクォーターバックを勤めていた Tony Romo。先発するQBがホールダーやるのは実に珍しい。しかし、Romoは昨年までまったく無名。今シーズン途中から先発して成績上げ先発に定着し、プロボウルに選出されたという選手だから、まだずっとホールダーをやってたのかね。試合後のニュースでは、「All Tony Romo had to do was put the ball down and let Martin Gramatica make a short kick. He couldn't do it」と。彼には多分、今夜眠れないくらいの苦い敗戦に違いない。




2007/01/06 時差ボケが遅れてくる。

元旦から飛行機に乗ってアメリカに戻り、2日から出社して仕事すると、やはり日本風の正月気分にならないのが難点。オーストラリアで年越しした事もあるが、三が日を休むと、それなりに正月気分になるものなのだけど。日本はまた3連休なんだそうで、年初は仕事の調子が出ないだろうなあ。

1日からぐっすり眠れて時差ボケは無いものと思ったら、木曜深夜に目が覚めて、朝方まで眠れないはめに。影響が遅れて出てくるというのは、やはり年のせいだろうか。昨日はお酒飲んで寝たら、今度は朝までグッスリ。これで完全に調子が戻るとよいのだが。



インスタントラーメン発明者、日清食品創業者の安藤百福さんが96歳で逝去。チキンラーメンは、偉大な発明であったと思う。ある意味、あれを超えるインスタントラーメンはいまだに出現していない。カップヌードルも最初に食べた時は妙な味だと思ったが、あれもオリジナリティがあったな。毎日お昼にはチキンラーメンを食べてたそうだが、長寿にも効き目があったのではないだろうか。




2007/01/05 日本滞在中の寿司日記を一気に

ボチボチと書いてたのだが、なかなか終わらないので、日本滞在中の寿司日記他をまとめて怒涛のアップ。次回の帰国まで、寿司日記は当分のお休みだ。当然のことながら、寿司も和食も日本が一番。まあ、しかし、その水準をこちらで望んでも詮無いこと。昨年のことは昨年で終わり。次回帰国するまでは、無い物ねだりせず、日本の思い出を胸にアメリカで手に入るものだけで満足し、心静かなメリケン生活を送って行きたい。<って、いったい何の抱負だよ、オイ(笑)


2006/12/26 新橋「しみづ」

開店と同時に入店すると、「最多来店記録」氏と同席。「まつもと」でも噂を聞いたのだが、ご本人に確認すると、昨年の来店回数大記録を今年はすでに上回ったとか。「まつもと」5回、「久」9回は別にしてのことだから、これまた凄い話ではある。

久しぶりの清水親方とも「久」の話やら、最近の寿司種のことやら、あれこれと雑談。一番弟子だった大典氏は、「まつもと」開店で独立。その次のお弟子さんだった「ストロング金剛」は実家を継ぐとのことで卒業。その下に入った女性のお弟子さん、文ちゃんが、現在では親方補佐のポジションにつく。寿司屋で女性のお弟子さんは珍しいが、受け入れるほうも偉いもんだと思う。店にはもう一名新しいお弟子さんが。京都で和食の修行経験もある「期待の即戦力」だとか。どちらも頑張ってほしいもんである。

この店は、お茶で握りの人もいれば飲む人もいる、「おまかせ」もあれば、種札見て「お好み」のお客さんも多い。握るのは親方だけ。全部の客の相手しながら、つまみも握りも、お酒もお茶の差し替えも、どのお客にもほとんど待つストレス無く出てくるというのは、考えてみると結構凄いことだ。この小さな店で女将さん入れて4名でオペレーションしてた時もあったのだが、女将さんは「新ばし 久」に現状かかりきりとのこと。3名では結構手一杯で忙しそうな感あり。

懐かしの種札を前にして、アメリカ寿司種事情をF氏と雑談。つらつら考えてみるに、向こうでは無いものばかり。いつも通り、お酒を常温で。あとは何も言わずとも適当にツマミが出てくる。

ヒラメは上質の脂が乗って歯応えもよい。塩で食すタコは、甲殻類を茹でた時のような馥郁たる香り。噛み締めると素晴らしい旨みが口中にしみわたる。桜煮になるとこの香りが薄れる。やはり塩のほうが好きだな。アメリカではアフリカの冷凍物が日本経由で入ってきてるだけだから、こんなタコにはお目にかからない。いや、日本ですら、この店のタコを凌駕する店は少ないだろう。シャコは鶴八系独特の漬け込み。これまた懐かしい。サバは皮目を軽く焼霜にしたものと生と両方。脂と旨味が乗って、かつシットリと柔らかい。握りなら生がよいが、ツマミなら炙ったほうが好きだ。

サヨリは軽く一塩当てたもの。干すというより冷蔵庫で軽く風に当てる程度とか。これを炙ると酒によく合う。赤貝はヒモと共に。平貝炙りも懐かしい香りと歯応え。スミイカ。ウニとイクラはぐい飲みに盛り合わせて。イカ塩辛も少し。ツマミと日本酒を堪能。

握りはいつもの通り。マグロ、コハダ、アナゴ、カンピョウ巻。この4種だけに限るなら、この店のが一番好きかもしれない。コハダ、アナゴ、カンピョウ巻については師匠の新橋鶴八も同様に素晴らしいし、アナゴについては與兵衛も捨てがたいのだが。最後に玉子を1貫。レシピは変えてないが、握りに合うよう薄めの焼き方にしたのだと。久しぶりだが、やはり通い慣れた店が一番だと、しみじみと。


2006/12/27 「しみづ」昨夜に続いて今度はお昼に。

久しぶりの日本だし、握りを主体で食べるのもよいかと次の日の昼に予約。しかし飲み物を聞かれてとたんに迷いを生じる。ま、休暇中でもあり、お酒を常温で1本だけもらうことに。昼から調子が出たら困るので、2本目を注文しても出さないように親方に頼んでおく。いったいオレは何やってんだ(笑)。

古いものだという緑色の玉杯を出してもらってチビチビと。「葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲して 琵琶馬上に催す」なんて、昔、漢文の時間に習ったっけ。 「酔いて沙場に臥すとも 君笑うなかれ 古来征戦 幾人かかえる」と続くのだ。日本人は、今の中国人より、ずっと昔の中国人と心が通じ合うと思うな。

ツマミも少しだけ。ヒラメは歯ごたえよく香り高い身肉。塩で食するタコも相変わらず美味い。シャコ漬け込み。平貝炙り。ここでツマミ終了。あとはおまかせの握りを。

まずサヨリ。そしてパキパキした食感のスミイカ。酢と塩の効いた酢飯、そのくっきりした輪郭がよく分かる。ブリは皮目を炙ってヅケにしたもの。天然物の脂は、濃厚だがくどくなく、サラリと口中で酢飯に溶け込むがごとし。マグロは赤身に近い部分から脂の乗ったところまで部位を変えて3貫。どれもシットリとした旨みがあり素晴らしい。コハダはここ独特の強めの〆。なれるとこれが癖になる。サバも〆は強めだが、身肉はあくまで柔らかく口中で溶ける。

赤貝も酢飯と一緒に食するほうが香りが立つような気がする。立派な車海老は茹でたてをしばし置き、室温に戻してから握る。ウニ軍艦、漬け込みのハマグリ。アナゴは1貫を割って塩半分、ツメ半分に。玉子は昨日も食べた薄焼。最後はいつものごとくカンピョウ巻。結構食べたが、テンポよく食べると、結構入ってしまうものなのであった。


2006/12/27「新ばし 久」

夜は、「しみづ」の姉妹店「新ばし 久」訪問。昨夜、場所は「しみづ」で教えてもらったのだが、看板が出ていないから、知らないとうっかり通り過ぎる。元は焼き鳥屋だったとのこと。

開店の案内をもらっていたので是非一度訪問をと考えていた。寿司屋ではなく和洋にこだわらない「居酒屋」がコンセプトとのこと。料理長を務めるのは「しみづ」親方の弟、清水久史氏。何度か「しみづ」でお会いした事があり、もともと洋食系の料理人だと聞いていた。

開店と同時に入ると私が本日最初の客。内部は新装したのだそうで、寿司屋のしつらえとは違うが、一枚板のカウンタがなかなか立派。久史氏と、奥さん、手伝いの若い衆(彼は「しみづ」の新しいお弟子さんの弟だそうである)、そして、「しみづ」の女将さんも、開店以来こちらに総監督(?)として常駐して4名で。

カウンタはしばし私だけ。日本酒、「大七」を常温で飲みつつ、久史氏や「しみづ」の女将さんとあれこれ雑談。久史氏は、アンカレジ日本領事館でシェフをやってたそうで、当時の話など興味深く聞く。領事一家の食事はすべて領事館料理人が作るのだそうで、佐藤優の本を読んでも分かるが、外交官の在外生活もまことに優雅だ。民間企業の海外駐在員の待遇など足元にも及ばない。いやはや。

さて、料理のほうは、まずお決まりの5品が出て、その後に好きなものを頼むというシステム。居酒屋と称するだけあって、日本酒以外に焼酎、ワインなどもあり。食器は「しみづ」コレクションの焼き物から。日本酒を頼むと、籠に入った好きなぐい飲みを選べる。

おきまりの5品は、おから、変り八寸、香箱、お造り、野菜煮物椀。ズワイのメス、香箱ガニは「笹田」でも出たが、ちょうどシーズンだけに結構なもの。お造りは、細切りのタイに塩昆布まぶしたものと〆サバ。仕入れる魚も、サバの〆具合も、ある程度「しみづ」とは変えているとのこと。京野菜の椀は、和食系の出汁ではなく、チキンコンソメがベース。メインに並ぶのは、フライやムニエル、オムレツなど、洋食系なので、後半への移行をスムースにする役割を果たしている。「からさめ」なんてメニューもあったが、春雨にカラスミをまぶした「しみづ」の正月おなじみメニュー。

お好みのほうは、「海老マヨサラダ」と「かすべのムニエル」を選択。それにハマグリのフライがお勧めというので1個追加してみた。「笹田」同様炊飯土鍋で炊き上げる御飯も売り物らしいが、お昼に「しみづ」でさんざん寿司食べたので御飯はスキップ。炊くのに時間かかるだけに、慣れないと注文のタイミングがやや難しいかも。

海老マヨサラダは、車海老を湯がくところから始める。自家製マヨネーズの酸味がフレッシュで美味い。「かすべ」とは、いわゆるエイなのだそうだが、下処理をきちんとすると嫌な匂いはしないとのこと。軟骨部分の食感が香ばしくも面白いムニエル。ハマグリのフライというのは初めて試したが、塩で食すとなかなか美味いもんである。初回なので量が分からず控えめになってしまったが、どれもポーションは少なめ。もう少し頼んでも大丈夫だったな。

当面は、「しみづ」の常連中心に営業する予定のよう。和と洋の気楽なハイブリッドを感じられる居酒屋というコンセプトが面白い。ただ、定着するにはもう少し時間が必要かもしれない。和食の店だと思い込んで入店すると、やや困惑が生じるお客もいるだろう。久史氏の引き出しも数多くあるようなので、反応を見計らいながら試行錯誤でメニューを入れ替えし、人気の定番料理が決まってくると、実によい店になるだろう。洋食屋系のパスタなんかあっても面白いと思うが。寿司屋同様、オープン・キッチンで「さらし」の商売。慣れないと接客もあれこれ大変だと推察するが、2007年も益々頑張っていただきたいもんである。


2006/12/28 再び「笹田」

間を置かず「新ばし 笹田」2度目の訪問。まず生ビールをグラスで、その後、日本酒は「羽前白梅」。本日も予約で満席だが、開始時間がバラけているとか。

いつも通り、まずあれこれ先付けが。アナゴ蒸し寿司。太刀魚南蛮漬けは、焦がした葱の香ばしさが酢に溶けて美味い。コノワタは生の車海老と合えて。子供の頃は、ナマコやコノワタのいったい何が美味いのか怪訝に思ったもんだが、日本酒飲むようになると、これが不思議に美味い。

油揚げと縮みほうれん草のおひたし。殻を外し綺麗に掃除したセイコガニは、内子も濃厚な旨味だが、綺麗に掃除された外子のプチプチ感がよい。5杯くらいもらって飯の上にかけ、開高健が愛好したという「開高丼」にして一度くらいは食してみたいもんである。

お造りは、タイ、〆サバ、皮目を軽く焼霜にした太刀魚。太刀魚は、歯ごたえのある皮目に濃い旨みがあり、炙ることによりそれがまた引き立つ。タイもサバも上質。お椀はノドグロ。独特の軽く甘い脂が品のよい出汁に溶けて、これが美味い。一昔前は、赤ムツ、ノドグロなんて東京で見かけなかった気がするが、流通するようになって結構なことである。

焼き物は、鰆の幽庵焼き。繊維の強い魚だが、噛み締めると深い滋味があふれ出てくる。煮物は、冬定番の京風ミニおでん。海老芋、人参など京野菜にしみた出汁が美味い。その後で焼いた冬筍を肴にお酒フィニッシュ。

〆もこれまた定番、炊飯土釜で炊いたツヤツヤの御飯を、赤だしお新香とともに。おかわりにオコゲをもらうこの幸せ。最後は白玉の冷製ぜんざいで爽やかな煎茶を一服。笹田の年内営業は本日まで。店の掃除をしたら、例年通り29日から修行店におせちの手伝いに行き、30日は徹夜だとか。いよいよ年末だ。美味い物あれこれ食べて実に満足。よいお年をとご挨拶などして店を出る。


2006/12/29 築地「つかさ」

朝から用事があり、大阪まで日帰り往復。年末の関が原は、必ず雪が降っている気がする。新幹線も徐行運転。先日の「まつもと」訪問を入れて、短期間に関西日帰りが2回。結構疲れるもんである。新幹線は前からこんなに乗り心地悪かったっけ。

夕方6時の予約で久々の築地「つかさ」訪問。本日は、カウンタ予約は遅い時間だけとのことでカウンタは私一人。高橋親方と久しぶりにあれこれと雑談しながら。相変わらず快活で腰の低い親方である。早川光氏と一緒に載った雑誌の記事のことやら、「東京いい店うまい店」に掲載されたことなど冷やかしながら。寿司取材の話など聞くとなかなか面白い。高橋親方も「新ばし 久」訪問したそうで、その時の話なども。

いつも通り、日本酒を常温でもらって、ツマミはおまかせで。最初はタコ桜煮。氷見のブリは、よく脂が乗っているのだが、その脂がサラリと口中で溶ける。東京湾のヒラメも実に上質。平貝は炙って。

ここの定番、マグロ脳天スモークは白葱を添えて。マグロの質も勿論よいのだが、スモークによって身肉に旨味が凝縮され、マグロの脂が香ばしく溶けるかのように変化するところがこの仕事の白眉。アナゴは軽く煮上げたものを焼き、七味を添える。小笹系のきじ焼きをヒントにツマミ用新機軸として開発したそうで、寿司種用とはまったく別の仕上がり。香ばしい皮目が美味し。

このへんでお茶に切り替えて握りに。スミイカは、独特のパキパキ感が酢飯によく合う。マグロは赤身から中トロへと部位を変えて。どれもシットリした上品な旨味。コハダはやや軽い〆か。小柱は海苔によく合う爽やかな香り。車海老は茹でたてを。アナゴは以前よりも柔らかくトロリと上がっている。白ウニも実に上質なサラリとした脂。最後にいつもの鉄火巻。マグロと海苔が、この店のツヤツヤと光りスッキリした酢飯に溶けて、これまた実に美味い。またの再訪を約して年末のご挨拶など。


2006/12/30 「しみづ」 で2006年の寿司納め

30日は「しみづ」本年最終日、例年通りお昼から通しでの営業。祇園「まつもと」にもご一緒したAご夫妻と同じ時間で予約を入れて頂いてあったのだ。

まず、常温でお酒もらってツマミを。先日の「まつもと」訪問のことなど、Aご夫妻、清水親方とあれこれ語らいながら。本日の白身はタイ。アメリカで出るタイも日本から持って来てると称するのだが、同じタイとは思えないほどこちらのほうが美味い。まあ当然といえば当然か。塩で食するタコも、香りと歯ごたえが実によい。漬け込みのシャコ。サバはいつも通り皮目を焼霜に。赤貝、ヅケにしたブリ、平貝炙り、ウニとイクラなど、日本酒が進む。最後はお茶に切り替えていつものごとく握りを。これで本年の寿司納め。1年の最後を例年通りここで締めくくることができて実によかった。いつもと同じ店で、同じものが、同じように美味いこの至福。

翌日大晦日の夜も、忘年会に誘って頂いて参加。「最多来店記録」氏、清水親方、女将さん、弟の久史氏ご夫妻、お弟子さん達と、銀座の蕎麦屋にて。9時過ぎからカウントダウン挟んで延々と。燗やら冷の日本酒、そしてシャンペンと、あれこれ飲みつつ語り、食べ、実に賑やかで楽しい年越し。しかし少々飲みすぎたか。結構酩酊してホテルに帰還したのだった。




2007/01/04 往復機内で見た映画の感想など

年末の日本旅行雑感編として、UAの往復機内で見た映画の感想など。

「レディ・イン・ザ・ウォーター」

公開されたのはもうだいぶ前という気がしたな。監督は、「シックス・センス」で衝撃的なデビューを飾ったM・ナイト・シャマラン。第二作の「アンブレイカブル」を見て、少なくとも一発屋ではないと評価したが、結果的には、1.5発屋くらいの監督だったかもしれない。

サスペンスを盛り上げる画面の構成などは巧みで、印象的なショットは多々ある。しかし、行き当たりばったりのストーリーには少々ガックリ。自分の子供相手に話してやったベッドタイム・ストーリーがベースだと、しきりに監督は言ってるのだが、お金を取って大人向けに公開している以上、ベッドタイム・ストーリーであることが作品のつまらなさの言い訳にはならない。監督自らが自作にカメオ出演するのも彼の作品のお約束ではあるのだが、今回の出演時間は洒落の限度を超えている。ディズニーとの監督専属契約は打ち切りになったのだそうだが、この作品見れば確かに納得行くような。


「パイレーツ・オブ・カリビアン〜デッドマンズ・チェスト」

なんだか、説明不足でよく分からん部分があるなと思ってたら、これは第二作だったのだそうで。そういえば、ちょっと前にも、同じジョニー・デップで海賊物やってたが、続編だったのか。いわゆるディズニーの「カリブの海賊」が根底のモティーフだが、SFXを駆使した幽霊船の描写、タコ船長、海の魔物クラーケンやらアクション・シーンなど、どれもなかなかよくできている。しかしまあ、第一作見てないからか、結構意味不明の部分が多かった。

「ダ・ヴィンチ・コード」

個人的には原作読んでたから、一応理解できたが、テンプル騎士団、エルサレム・ソロモン神殿遺跡で発見した隠された至宝、マグダラのマリアとイエスの血脈、ダゴベルト2世とメロヴィング朝、隠された聖杯、などの「トンデモ」系知識がなければ、結構何の話なのか分からないのでは。原作にしても、「レンヌ・ル・シャトーの謎」くらい読んでなければ、なかなかついてゆけない部分あり。ストーリーそのものは原作に大変忠実に作られている。

映画のラスト、星辰の下、パリ、ルーブルのピラミッド下に眠るマグダラのマリアをラングドン教授が幻視するシーンは、なかなか印象的に成立している。しかし、いずれにせよ、アメリカ人のヨーロッパ観光ガイドのようなお話であるから、もっと観光ガイド風に撮影してもよかったと思うが。

Invincible

これは日本では公開されてないのだろうか。職を失い、妻にも去られ、バーテンダーとして暮らす、NFL、フィラデルフィア・イーグルス・ファンの男。そんな時、イーグルスの新監督が、チームの人気集めのために、誰でも参加できる新メンバー募集のトライアウトを開催する。それを受験し、なんと合格した男は、先輩プロ達からの冷たい視線にもめげずに最終選抜まで残り、ついにNFLのレギュラー・シーズン・ゲームにまで出場するという、一種のアメリカン・ドリームを描いたもの。これは実話に基づくものなのだそうで、実際にモデルになったアマチュアはNFLで3シーズン出場したのだという。演出がなかなかツボを押さえており、意外に面白かった。

The Queen

元皇太子妃ダイアナの突然の事故死にあたって、エリザベス女王を初めとする英国王室は、当初完全な黙殺を決め込み、英国民からの大きな非難を受ける。これは、英国新首相に就任したばかりだったブレアが、ダイアナの死を巡って、政府、王室がどのようにそれに対応するかを検討し、英国民の感情と、伝統を重視する王室との板挟みになりつつも、最善の策を取ろうと努力する姿と、君主としての責任を全うしようとするエリザベス女王とのかかわりを描いたドラマ。

一種、王室の中を覗き見するような好奇心を満足させてくれる部分が興味深い。エリザベス2世役の女優は、なかなかのはまり役。その夫、エジンバラ公フィリップも面白い。彼は女王の夫ではあるが、何の決断も求められず、責任もない立場。首相との電話より紅茶が冷めるのを気にしたり、母親が亡くなりショックを受けている孫達について、「まあ、鹿でも撃てば気がまぎれるさ」など、まさに浮世離れした貴族的趣味にあふれる能天気ぶりを発揮。描かれたこの王室の素顔がどこまで本当かどうか知らないけれど、一面のリアルさを感じて面白い。

Wikipediaで調べると、本物のエジンバラ公も、海外訪問時などに、偏見や人種差別ととられかねないおバカで能天気な失言を連発している人物のようだ。オーストラリア原住民には、「まだ槍を投げてますか」。パプア・ニューギニアのイギリス人学生に会っては、「なんとか食われずにここまで来たね」。スコットランドの自動車教習所教官には、「地元の人間がテスト受ける間、いったいどうやって大酒を飲まないようにしておけるんだね」。贈り物を差し出したケニアの女性には、「あなたは女ですよね」と聞いた、などなど。

まあ、しかし、こんなエジンバラ公の言動のみならず、ダイアナ妃やチャールズ皇太子などの行状も考え合わせると、日本の皇室がみんな実に行儀がよく、教養があって真面目で、品行方正だということがよく分かるのであった。




2007/01/02 「インテリジェンス 武器なき戦争」/ 「新ばし 笹田」 

こちらのメリケン人に言わせても、この冬は異様に暖かいのだそうで、本日も夜の帰宅時で、華氏40度後半。これでは東京の冬と変わらない。デンバー辺りはスノー・ストームで大変らしいが、やはりこれは、Gloval warmingのせいか、あるいはエルニーニョによる異常現象か。仕事のほうは平穏ながら、日本風正月三が日の感覚が残ってると、2日、3日と出勤してもやる気が出ない。困ったもんだ。



「インテリジェンス 武器なき戦争」(手嶋龍一・佐藤優/幻冬社)を帰りの機内で読了。

以前、「国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて」を買ったのは、雑誌で読んだ、手嶋龍一との対談が面白かったから。サワリだけ掲載されたその対談が、一冊の本になったもののようだ。インフォメーション(情報)とインテリジェンス(諜報・防諜)の違い、世界各国のインテリジェンスへの取り組みなど、気安い放談ゆえに、逆に興味深い世界を我々に垣間見せてくれる。

スパイ・ゾルゲの実態、大韓航空機撃墜事件の時にもてはやされた「後藤田神話」の嘘、新聞には現れない、地下鉄同時多発テロ以降の英国情報機関の対テロまきかえし戦略など、世界の重大事件の陰に、どれだけインテリジェンス(諜報)活動がかかわっていたのか、実に興味深いエピソードが満載。

もっとも、秘密情報の9割以上は公開された情報の整理で得られるというのは、何度もあちこちで読んだ話で、インテリジェント・オフィサー(諜報員)というのは、別に、MI6の「007」を意味する訳ではない。むしろ、そんな存在は、ごく特殊な任務にしか必要ない、いつでも切り捨てられる末端の存在にしかすぎないのだろう。例えばそれは、「シリアナ」で、ジョージ・クルーニーが演じたCIA工作員のごとく。

対談する両者が、お互いに馴れ合いというか、他人が聞くと、むず痒いような誉め合いをお互いに繰り返しているところは少々興覚めでもあるのだが、それでもなお一読の価値がある本。



そして、東京滞在中の飲食店訪問もボチボチと追加。

2006/12/25 「新ばし 笹田」

久々の訪問だと、店の手狭ささえも懐かしい。この年末は、28日の最終日までほぼ満席だと。事前にアメリカから電話で予約して正解だった。

忘年会と思しき団体が一組と私でほぼ店は一杯。以前は、当日電話しても1名ならほとんど入れたが、最近は難しい時があるとのこと。「最多来店記録」氏もだいたい当日電話が多いので、最近は月一くらいの登場とか。日経「おとなのOFF」に掲載された時の新規客ラッシュの話など笹田氏から。文藝春秋の「東京いい店うまい店〈2007‐2008年版〉」にこの店が新規掲載された話なども。ただ、この本、巻頭の地図にある「笹田」の場所が2筋ばかり南にズレている。飲食ガイド本の地図というのは、そもそもエー加減なのが多いと思うが、大手出版社の古参ガイドにしては珍しい。

最初に生ビール。その後で、「開運 純米 冷やおろし」。飲み口はスッキリしているのだが、きちんと旨味がある。アメリカで飲む日本酒には、なぜか妙な雑味を感じさせるものが多く、こんなバランス取れた酒がない。まあ、輸送や保管の問題だろうか。

まず小さな器で暖かいアナゴ蒸し寿司。セイコガニは内子も立派で、綺麗に掃除され殻に収められた外子のプチプチした口触りも美味い。イカ塩辛は自家製で酒によく合う。焼いた冬筍は香りがよく、サクサクとした食感の中に上品な甘みが広がる。油揚げとほうれん草のおひたしは、昨日の「まつもと」でも先付けに出たのだが、なんでも笹田氏がレシピを教えたとのこと。面白いな。

お造りは、タイ、〆サバ、マグロ。明石のタイは小型だが上質な旨みあり。サバは寿司種とは違う軽めの〆。柔らかい身肉に旨味が溶ける。お椀はアマダイ。上品な出汁がホロホロと崩れんばかりの柔らかい身肉の滋味を引き出す絶妙の塩加減。焼き物は鰆。歯応えと旨味に満ちている。

煮物は、これまた懐かしい京風のミニおでん。野菜は京野菜、小さなさつま揚げも自家製、アクセントにあしらうウズラ玉子も半熟に店で茹でるなど、細かなところまでキチンと手がかかっていることがよくわかる。お椀にしても煮物にしても、出汁は以前のほうが分かりやすい濃さだった気がするが、今回はむしろ以前より淡く感じる。しかし根底にある癖のない旨味だけはしっかりとして、その仄かさの中に素材が際立つような、進化したともいえる素晴らしい出来。

最後はいつも通り、炊飯土鍋で炊いた御飯。香り高くツヤツヤと。お新香赤だしと共に。2杯目は香ばしいオコゲも入れて。これまたしみじみ美味い。日本人ならやはりパンよりご飯ですな。最後は白玉の冷製ぜんざい。久々に美味い物を食べたという実感あり。日本に来てひとつ困るのは、運転しなくていいと思うとお酒が進み、最後は結構酩酊してしまうことか。




2007/01/02 久々の寿司日記でも。祇園「まつもと」

クリスマス休暇を利用して一時日本に帰国していたのだが、元日にアメリカ帰還。日本を1日の午後3時に出ると、10時間以上機上で過ごし、こちらに到着するのがやはり同じ1日の午前11時。実に長い元日だ。異国であっても生活の本拠はいまやこちら。空港に着くと、「ああ、ようやく帰ってきた」という感慨があるのもこれまた前にも経験した不思議な気分。

イミグレーションの係員は、2007年の初勤務だけあってボケている。I-94に一度滞在期間を書いてから、「アッ、間違えた」と汚く訂正。もらってから確かめると、2007年を2008年に書き換えてるはずなのだが、これが汚いのでどうも判然としない。こんなものが正式な滞在許可だと言われてもなあ。移民局控えのほうはバッチ処理されるのだから、ちゃんと08になってると思うんだが。アメリカでこの手の仕事やってる人間の労働力の質は、日本と比べて限りなく低い。まあ、07年末までには少なくとも一度は国外に出るはずだから問題なかろうが。

時差と疲れが出たのか、元日の夜は9時半に寝て、翌朝7時半まで眠り続けた。そのせいか、時差は割と取れたような。今朝から通常通り出勤。



日本帰国中は、久々に寿司屋もあちこち寄って懐かしい味を堪能。忘れないうちに久々の寿司日記をアップしてゆこう。

祇園「鮨 まつもと」初訪問

12月24日は、祇園「鮨 まつもと」訪問のために京都へ。JRの新幹線自動券売機は、アメリカ発行のVisaカードを受け付けない。ロンドンの地下鉄券売機が日本語も選択でき、日本のクレジットカードもそのまま使えたのとはエライ違い。そういえばNEXのプラットホームでも、外国人に成田エクスプレスの指定券はどうやって買うのか聞かれて往生したが、券売機そのものも日本語でしか使えない。JRの国際化も進んでないよなあ。日本に来た外国人は駅で結構立ち往生するだろう。

京都駅からは、タクシーで一路、祇園まで。「鮨 まつもと」は、新橋「しみづ」の一番弟子だった松本大典氏が4月に独立して開店した店。開店が赴任直後の4月だったので、案内もらいながら今まで顔を出せなかった。年末帰国を計画した際、「しみづ」でもよくご一緒したAご夫妻に一緒に予約を取っていただいたのであった。

料亭一力のある祇園花見小路をちょっと横入ったところ。この辺り、いかにも風情のある小料理屋が並び、外国人観光客もしきりに写真を撮っているほど。しかし道のちょっと先にはパチンコ屋があって雰囲気が壊れる。こんなところでパチンコ屋やらなくても。(と思ったが、このパチンコ屋はずいぶん前からあるのだそうで、後からこの辺りに風情ある料理屋が店を開いたというのが正解なようだ)

店の近くでAご夫妻と無事落ち合って入店。久しぶりに再会した松本氏は、どことなく一人前の職人の風格が出てきた。店内は席数にしてはかなり広く、奥には小さな庭を配するなど、ゆったりとして風情あるしつらえ。テーブル席もあるのだが基本的には使わないとか。何度かお目にかかったことのある奥さんも着物姿で女将姿が板についている。手伝いの女性があと1名。あれこれと開店後の話など聞きながら。神奈川育ちなのに関西に移住して結構大変だろうが、お子さんは順応性高く、すでに「関西人化」が進んで言葉が時折分からないとのこと。京都でもすでに常連のお客さんがおり、商売も順調なスタートのようで、実に結構な話。

先付けに油揚げと青菜のおひたし。伏見の酒「まつもと」を常温で飲みつつ、つまみを。「しみづ」と違い、種札がないので、基本的に「おまかせ系」の進行となる。ヒラメは淡路とのことだが実に上質な軽い脂。昆布を当てたサヨリも美味い。タコ桜煮はツメと共に供される。アメリカでこんな質の白身やタコはお目にかかれない。当たり前だが魚はやはり日本だ。

ツマミのサバの皮目を軽く焼霜にするのは「しみづ」風。肉厚で脂が乗りそして柔らかい。握りには生がよいがツマミではこちらが好きだ。平貝と北寄貝も軽く炙り、七味風味で。炙っている時から平貝の香ばしい香りが漂ってくる。その後で塩辛3種もらってお酒をフィニッシュ。ツマミ系も最初は試行錯誤して色々置いたのだが、最近はそれを削る方向で考えていると。まあ、自分でリスクテイクする自分の商売なのだから、お客の反応を見計いながらも、結局は自分の好きなようにやればよい訳で。

ツマミが出されるごとに皿が変わる。最初は「しみづ」流に、ツマミにも握りにも使う皿を軽くふいて次のツマミを置いていたのだが、「京都でそれやったらみんな引くで」と京都のお客にさんざん注意され、その都度皿を変えることにしたと。新富寿司やら新橋鶴八など、昔風を残す江戸前の寿司屋では皿さえ無く、つけ台にツマミもポンと置くから、それに慣れてると気にならないのだが、やはり場所によって文化が違う。実際に商売やってみないと分からないもんだな。

お茶を貰って、握りもおまかせで。握りの皿は「しみづ」に似てると思ったが焼き物ではなく、漆塗りの内側に鉄を仕込んで重くしてあるという凝ったもの。「しみづ」で何度か試験営業で握ってる時から感じたが、松本氏の握りは師匠よりもやや小ぶりで流線型である。

スミイカ、赤身、赤身ヅケ、中トロ、コハダ、皮目を炙ったブリ、車海老、ハマグリ、アナゴなど。最後はカンピョウ巻。随所に脈々と伝わる「しみづ」のDNAを感じるが、酢飯はややマイルドに仕上げてある気がする。とはいえ、もちろん酢はきちんと立っており、関西流の酢飯とはきちんと一線を画する。コハダやハマグリ、アナゴなどの江戸前仕事もきちんとしている。こちらの仕入ルートも探したが、白身以外の素材は、やはりほとんど築地から引くことになったと。地元だけで消費され築地に来ない魚も多いのだろうが、江戸前の寿司仕事に最適の品物が集まるのは、やはり築地だということだろうか。久々に、きちんとした寿司らしい寿司を食して満足なり。 店を訪問する約束も果たせてよかった。また帰国の際には寄りたいもんである。

話は尽きないのだが、あまり長居しても次のお客さんに迷惑がかかる。適当なところで席を立ったが、結果的には2時間以上いたことになろうか。京都に来た目的は「まつもと」訪問だけ。新幹線でその夜に帰京。慌しいが充実した小旅行だった。