ラベンダーの香りに

あれ〜、ここどこなんだろう。

ふと気がついたらなんか、原っぱみたいなところに一人で立ってた。辺りは殆ど真っ暗。 後ろを見ると街灯りは見えるから、どうやらあっちから来たことは間違いないみたい。 周りを見回していたら少しずつ自分の置かれた状況が判ってきた。確か、さっきまで男と一緒だったのよね。 そうそう、夕飯奢らせようと同僚誘ったらちゃっかりホテルの最上階のバーかなんかに連れてってくれて、 うまいこといい気分にさせてくれちゃったりなんかして。

ちょっといい男だったもんだから油断してたのよね。その後そいつの部屋までついてっちゃって・・・ そいつがシャワー浴びてるうちに我に帰って、流石にちょいとやばいな〜なんて思ったから部屋を飛び出しちゃったんだっけ。 その後どう歩いてきたのか覚えてないな〜。うーん、私としたことがちょっと・・・っていうか、大失敗?

でもまぁ、後戻りするのもなんだか癪だし、きっとここは公園かなんかよね、なんて思いながらまた歩き出したんだけど。 我ながら、よくここまで歩いたもんだって感心しちゃうわよ。ブランデーなんか飲んだもんだから真っ直ぐ歩けないのよね。 おまけに9cmのピンヒールなんか履いてるもんだからヒールが砂利に埋まりそうになるし。 千鳥足って言うのかな、そう言えば千鳥ってどんな鳥だっけ、なんて考えてたりして。ホント、なにやってるんだか。

それでも頑張って歩いてたらなんだかいい匂いがしてきたのよね、ラベンダーかなんか、そんな香り。 ラベンダーの季節じゃないし、気になるから見に行こうかなぁ。でも芝生の奥の方から匂ってくるのよね。 うーん、立ち入り禁止って書いてあるわけじゃないし、芝生に入っちゃおうっと。そうなったらヒールで歩くのもめんどうね。 えーい、脱いじゃえ♪

夜露に濡れた芝がひんやりしていい感じ。漂ってくるラベンダーの香りも気持ちいいし。そうだ、匂いの元を確かめなくっちゃね。 うーん、こっちの方だと思うんだけど芝生の奥はそのまま森になってるみたい。何もなさそうなんだけどなぁ。 そう思いながらなんとなく歩いているうちに随分奥まできちゃった。ほんとにどこなんだろうなぁ。 あ、あれなんだろう。木の根元になんか置いてある。きゃ〜、可愛いクッションじゃない。

その大柄なクッションは、いい感じに木に凭せてあった。これはもう、座るっきゃないわよね。 私のため、じゃないかもしれないけど誰かが座れるように置いてあるっぽいもの。 それに、肝腎のラベンダーの香りはこのクッションから漂ってきているみたいだし。 指にぶら下げてたヒールを放り出して、崩れるようにクッションに座りこんじゃった。

やっぱり脚が限界っぽいなぁ。しばらくは立てそうにない感じ。こうしてみると、結構大きいクッションよね、この上で丸まって寝られそう。 これって手作りっぽいなぁ。刺繍された花がちょっと微妙に曲がってたりするのがなんだかそれっぽい。 あれ? クッションが大きいから気付かなかったけど、こんなところに綺麗にラッピングした袋があったのね。

後から考えたら警戒してもよかったかもって思えるんだけど、そのときはもう、 なんだかそうするのが当たり前みたいな感じがして私はその袋を手にしてた。 丁寧に結んだらしいリボンを解いたら、中からまたいい香りがしてきた。ぶどうの香り、ううん、これはバニラの香り。 一体誰がなんの為に用意したんだろう。クッションとクッキー、きっと可愛らしい女の子よね、なんて思いながらクッキーを一齧り。

うーん、美味し♪香りもいいし、焼き加減もばっちりだし。ホント、ここに来る誰かの為に心をこめたのね〜。 って思ってふと気付く。私ってばその大事なクッキーを食べちゃってるの? 悪いことしちゃったかなぁ。 でもでも、こんな夜中に出しっぱなしじゃクッキーだって夜露で湿気っちゃう。その「誰か」が来ないのがいけないんだ。 こんな美味しいクッキー駄目にしちゃうなんて、勿体無くてできないじゃない?

なんだか酔っ払いらしい見事に自己中な理屈。だけど、勿論そのときにそんなこと気付くわけないのよね。 クッキーを食べてたらほわ〜んとなんだかいい気持ちになってきちゃって、クッションに寝っ転がるって言うか丸まって。 そのままなんにも考えられなくなって、目も閉じて……・・・

うーん、なんだか眩しいなぁ。

電気つけっぱなしで寝ちゃったかなぁ? 昨夜どうしたんだっけ〜。 頭重いなぁ。今何時なんだろ。目覚まし鳴ってないよね〜。うん、だから未だ寝てていいんだ。 うーん…… なんだろ、声が聞こえる。またお隣の子供かなぁ。もっと近くかな? 「あんただれ」って、あんたこそ誰よ…… って、誰!

今から思えば我ながら情けない顔をしていたと思う。だって、陽の射さないアパートにいる積もりなのに周りは一面の緑。 おまけに中学生くらいの女の子が思いっきり不機嫌そうな顔でこっち睨んでるんだもん。

「あんただれよ。なんで私のクッションで寝てるのよ。」

あぁもう。そうぽんぽん言われたって考えられないわよ。私だってわかんないんだから… こっちも負けずに不機嫌な顔になってくる。

「五月蝿いわね。私、低血圧なのよ。」

って、お約束の言い訳だけど案外効いたみたい。少しは気にしたのか取り敢えず口は閉じてくれた。 そっかぁ。見渡したら思い出してきたぞ。匂いに釣られてここに来て、クッキーを食べて…… あっちゃぁ、この子のだったのかぁ。まずいなぁ。なんか言い訳言い訳。あ、それとも知らん顔しようかな…

私の視線に釣られて女の子も視線を動かす。

「あ〜、クッキーまで食べちゃったんじゃない。さいて〜。」

げ、ばれた。まっず〜(大汗)。

「ごめんね〜、でも湿気ちゃったら勿体無いからさ。」

結局私の口から出たのは開き直りの言い逃れ。でも一応は謝ってはいるよね。うん。

それにしてもこの子、結構可愛いな。眉なんかこう、寄せたりなんかしなければもっとね。って、私の所為か。 それじゃ、責任取らないとね。それに、誰のためのクッキーなのか知りたいしね♪

「ね、クッキー食べちゃったのは謝るから機嫌直してよ。でさ、なんでクッションとクッキーを用意しておいたのか教えてくれない?」

そしたらこの女の子、ってちょっと言い難いわね。後で判ることなんだけど、彼女「緋夏」って名前なんでその積もりで。 で、緋夏ちゃん、ちょっとマジ顔になって教えてくれた。

「満月の晩にクッキーを用意しておいたら、妖精がやってきて悩みを解決してくれるって書いてあったから……」

そっかぁ、昨日は満月だったのね。いつが満月かなんて、普段ぜんぜん気にしないもんねぇ。 それにしても、私は妖精かぁ。ちょっと董が立ってるっぽくない? って、人が頷きながら聞いてたら…

「でもダメだぁ。こんなおばさんじゃ悩みが増えそ。」

むっかー。でも食べたこっちが悪いんだから我慢我慢。

だけどとっても乙女チック。ホント、可愛いんだから♪ それにしても悩みかぁ。私もこの子くらいのときには悩みがあったよねー。あ、おまけで嫌なことも思い出しちゃった。 まいっか、それより今は緋夏ちゃんの悩みを聞いてあげましょ。他人に話せばすっきりするかもだし。

「ねぇ、よかったらお姉さんに話してみない?」

「うん……」

「悩みはばっちり解決、ってわけにはいかないかも知れないけど、聞いてみなきゃ判らないじゃない?」

「うん……」

うーん、手強い。流石に初対面じゃダメかな。

「あのさ、私、好きな人がいるの・・・」

あらら、やっぱり悩みは男の子か。一度話し始めたら緋夏ちゃん、あとは吹っ切れたみたいに話してくれた。 それによれば、ご多分に漏れず卒業していった先輩に恋しちゃったらしい。 で、卒業式の日に打ち明けたらOKしてもらったらしいんだけど。 お決まりのように携帯の番号交換して、それから毎日のように電話で話をして。って、巧くいってるんじゃない。 青春してるな〜。

処が問題はそこから。彼のほうは卒業すれば入学するわけで、忙しいのか卒業式以来会ってないらしい。 それで、やっと今度のお休みにデートすることになったらしいんだけど 問題はデートの場所。彼の家に遊びに来ないかって話らしい。

「でね、お家の人は出掛けちゃうらしいのね。いきなりお家の人に会うのもやだけど、 先輩と二人っきりになるって言うのもなんだか不安じゃない? だからって、 二人っきりになるのは嫌だ、なんて言ったら先輩のこと信じてないみたいだし…… 」

私はその話を聞いてさっき思い出し掛けた嫌なことを、今度ははっきり思い出していた。 未だ今よりは少しだけうぶだった(え?)私は緋夏ちゃんとおんなじ状況で先輩に強引にされちゃったのよね。

思えば男運の無さはあんときからだったのかぁ。そう思うと腹立つなぁ、あの男。 それからは好きになる男みんなそういうタイプで、なんだか「私」を見てくれた人なんていなかったみたい。 私はもう、手遅れみたいなものだけど緋夏ちゃんにそんな思いをさせるわけにはいかないわよねぇ。

そんなこと考えていたら顔に出てたのか緋夏ちゃん、「あ、やっぱりまずいっぽい?」って聞いてくる。

「そーねぇ、その先輩もそうだって言うわけじゃないけど、高校生くらいの男の子って、興味全開でしょ? ちょっとねぇ… そうだ、『初めてのデートなんだからどこかに連れてって』ってお願いしてみたら? それなら疑ってるっぽくないしね。」

そしたら緋夏ちゃん、パッと明るい顔になった。やっぱりこの子は笑顔が似合うわ♪

「お姉さんいいこと言うじゃない、伊達に年取ってないわね。」

…こらこら、一言余計だ(苦笑)。

「私もいろいろあったからね。あなたくらいのときにも、ね。」

「ふーん、そうなんだぁ。でもよかった♪妖精じゃないけど相談に乗ってもらえて。 早速先輩に電話するね。」

「あ、私、緋夏です……」

やっぱり今の子って行動力あるっていうか、便利ねぇ。ポケベルとは訳が違うわ。

……って、電話ながーい。 うまいこといってるみたいだけど、ねぇ…

なんか、また眠くなってきちゃったな。緋夏ちゃんの笑い声が子守唄みたいで……

はっ、また寝ちゃったぁ。

ふっと気がついたら辺りは柔らかい光に包まれていた。 あれ? 緋夏ちゃんは? それに、ここってどこ?

「ん、気がついた?」

え? 誰?

「呑ませすぎちゃったのかな、よく寝てたよ。」

え? え? 今までのことって夢だったの?

「なんだかきょとんとしているなぁ。僕と話をしたことも思い出せないかな?」

そう微笑む男は……そうだ、昨夜の男。 あれ? 私、逃げ出しちゃったんじゃなかったっけ? ラベンダーの香りのクッションとクッキーに緋夏ちゃん… 全部夢だったの? ちょっと混乱してきた。リアルな夢見てたんだなぁ。

「ぼーっとしてるね。ちょっと冷めたけどこれ飲んでごらん。」

男はラベンダーの香りのカップを私に差し出した。 あれ? ラベンダーの香り? あれは夢の中だった筈だよね?

「ラベンダーのハーブティー、飲むって言うから淹れてたら寝ちゃうんだから。」

あれ? そうすると私ってば寝惚けてたのかしら。 ヒールは? 脱いでるよねぇ。夢と現実がごっちゃごちゃだぁ。

「私、あなたがシャワー浴びてる間に逃げ出す夢見てたわ。」

「惜しいな、潰れ気味のあなたがお湯に浸かれるようにと思ってお湯は張ってたけど。」

「その夢で、ラベンダーの香りがするクッションで居眠りしちゃった。」

「そっかぁ、なんだか凄く安心しきって寝てたみたいだから起こしそびれちゃったよ。」

やだ、寝顔見られたんだわ。「もしかして、ずっと見てたの?」

「ん、ごめん、可愛い寝顔だったからつい、ね。」

やだやだ、そんなこと言われたら頬が赤くなりそうで、意識しちゃうから余計に熱い。 隠れるわけもないけど抱えるようにカップを持って、カップに顔を伏せるようにして お茶を飲む。はぁ〜、まいったな〜。 全くさぁ、この人ったら。酔い潰れた女なんて、普通は適当にほっぽり出すものよ。 それをちゃんとここまで連れてきてくれて、お風呂にお茶なんて気を使ってくれて。 そう思ったら胸の奥できゅんとした。やばいってば。

だけど、この人ってこんな感じだったかしら。なんかこう、もっと冷たい感じだと思ったけど。 凄く優しい目が、まぁるい眼鏡越しに見える。冷たい目に気障な眼鏡をしてると思ってたのに・・

「やっとちゃんと僕を見てくれたね。」

彼を見つめたまま考え事してたらいきなりこんなこと言われた。

「えっ? いつもちゃんと見てるけど?」

「そうでもないよ。仕事のときも今日の食事のときも、チラッとしか見てくれてないよね。」

・・・そうだったんだ。私、自分ではちゃんと見てた積もりだったんだけど。

「それに目が生き生きしている。いい夢見たんだね。」

うん、この人は私のことちゃんと見ててくれるんだ。

「私、あなたのこと好きだわ。」

あれ、私何言ってんだろ。今までそんなこと考えてもいなかったのに。

……でも判ってる、それが私の素直な気持ち。 私、夢の中で緋夏ちゃんに会ったお蔭で素直になれたみたい。

「ありがと♪でもびっくり。あなたがそういってくれるとは思わなかった。」

って、なに? どう言う意味? 怪訝な顔をしたのが判ったのか、彼は

「あなたは臆病だと思ってた」と答えて私の隣に腰を下ろした。 私、もう真っ赤だ。

「な、なによ〜。まじまじと見ないでよ〜」

「ありがとう。ほんとに。僕もあなたのこと大好きです。」

え〜!? うそ、こっちが夢だったりして。だって私、好きだなんて言われたことない……

気がついたら私、彼に抱きついていた。彼に抱き締められて何も考えられなくなる。 彼の腕の中はなんだかとっても気持ちがよくって、なにもかもどうでもよくなる。 お茶のカップ、どこに転がったかな、飲み終わっててよかった。 そんなことが頭に浮かんで、後はなんにも考えられなくなって……

'03/06/15 by 清水悠