人間劇場
炎の仏師・松本明慶


 大仏殿の天井から真っ白い大きな白布がゆっくりと落ちた。その瞬間、 数百人の信者たちが発する大きなどよめきと拍手、そして読経を和する音が大伽藍の中にこだましてきた。 善男善女の眼前にあらわれたのは巨大な木造弁財天であった。  高さ18.5メートル、  15トンもある。 白無垢の木肌を鈍く光らせてゆったりと擱座する弁財天(弁天様)は柔和な眼差しで見下ろしている。 なにしろ眼の高さの位 置だけでもマンションの5階ほどもある。 頭の上には3メートルの宇賀神が乗っている。 宇賀神は豊穣の神で、 この弁財天様は神仏混淆である。 軽く差し伸べた左手のひらには宝を掲げて右手には8メートルを超える長さの宝剣を持っている。その眼を見張るような大きさは世界最大の木造彫刻の名に相応しいものであった。

10月4日、鹿児島県平川町にある帽子山最福 寺境内に新築された大仏殿には最福寺池口恵観法主をはじめ、きらびやかな法衣をまとった高僧たちや日本各地から集まった信者たち、遠く台湾からの参列者などが参加して「最福寺大弁財天像入佛大法会」が開催されたのである。 除幕式のあと、中曲理趣教の読経が続き、式典のハイライト、散華・対揚・護摩作法が行われ、木彫り弁財天に魂がやどった。 ため息が洩れ、身を乗り出して手を合わせる大勢の信者たちの人波に隠れるようにして白無垢の作務着姿の男性が硬く手を合わせて瞑目し、うつむき加減に座していた。

その男性は松本明慶 …この巨大な財天を11年かかって彫り上げた大仏師である。  明慶さんは京都大原野に工房を構え、37年間、仏像製作ひとすじに生きるひとだ。  
 遠く奈良、平安の時代から東大寺大仏殿の四天王像や南大門の仁王像を造った運慶や快慶の流れを組む「慶派」を継承する天才肌の仏師と評されている。 明慶さんが彫った仏像は繊細巧緻を極め、例え手のひらに乗るような小さな仏像でもその姿は大きく見えるという。 広島・福王寺丈六の不動明王、 極楽寺には二丈四尺の阿弥陀如来、大阪・護国寺地蔵菩薩など日本全国に作品が収められている。 明慶さんはいう。木の生命と仏師の心がひとつになった時、はじめて仏が彫れる。

 だから明慶さんは木材を見るのが好きだ。 暇があれば材木市場や香木店を回る。 木が明慶さんに語りかける。木を見ればどんな仏様が彫れるのか即座に感じとれる。 カナダ産のヒバの木を見つけた時、明慶さんは震えがくるほどの興奮を持ったと言う。 なぜなら彼の頭の中には途方もないほどの大 仏製作の構想があったからだ。

 ちょうどその頃、鹿児島烏帽子山最福寺の池口恵観法主から大仏製作の依頼を受けていた。恵観師は型破りのお坊さんであった。
気取 りがなく磊落で、鹿児島だけではなく全国に 大勢の信者たちから慕われていた。

 


 高野山大 学の学生の頃右翼活動をして20日間の留置 所生活を送り、その反省をこめて托鉢修行で全国を歩いたこともあるらしい。高野山大阿闍梨で百万枚護摩供を達成した
密教行者である。 周知のように明治時代に廃仏棄釈の令がでた。鹿児島では政府要人の出身地でもあって徹底的に仏像などが破壊され捨てられた。 そのため鹿児島にはめぼしい仏像が残されなかった。1989年、恵観師はなんとかして最福寺に立派な仏さまを建 立したいと念願していた。  
  人と人の出合いは不思議なものだった。天 才肌の仏師と型破りの僧侶が仏像建立の悲願 で繋がった。最初は丈六の仏像2体の予定であった。明 慶さんは想った。同じ造るなら2体分の予 算と材料で1体を製作したら途方もなくデカい世界一の仏さまが彫れるのではなかろうか。
 二人の構想は一致した。それにしてもかかる費用は制作費だけではすまない。 大仏を収容する大きな大仏殿も必要だ。 大事業だ。 難関は山積している。二人は何度も何度も語り合った。 現存する大仏の中で最も大きいのは東大寺金堂 の大仏で高さは 1 4 メートル85センチである。しかもそれは銅製だ。 通称「奈良の大仏」と呼ばれているものだ。 木造では鎌倉・長谷寺の十一面 観音が9メートル18センチで日本最大だ。台座までいれて18メートルもの木彫り大仏は世界にも例を見ない巨大仏になる。仏さまは大日如来か弁財天さまか。弁財天は知恵と財福、そして音楽の象徴である。世紀末の世に相応しい仏像だということで弁財天に決定した。(以下略)




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