カタリストたちの掲示板 98年1月

98年1月分です。

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カラオケ帰り(^o^)/ (また長くてごめん) 投稿者:ひろき(管理人)  投稿日:01月31日(土)01時53分05秒

「強烈な音楽」の中で「生の意味を」考えてきました(って分かる人にしか分からないな・・・小沢の歌のフレーズです)
中島みゆきと小沢健二を歌い続けた3時間。
間にユニコーンや、JUDY AND MARYや、矢野顕子や、佐野元春やいろいろ入ったけど
1年ぶりくらいのカラオケは気の合う3人だけでの集まりというおかげもあって
すごく充実してました(^o^) こういうカラオケはいいなぁ。
中島みゆきを立て続けに10曲くらい3人全員で熱唱していた・・・(爆)

さて、みなさん本当にありがとうございます。この大上段に構えていて、
かつ繊細で微妙で難しいテーマについて、考えて口に出したかった人が結構たくさんいると知って
すごく嬉しい。いつも笑って、軽やかに、水面下の動きは見せずに生きるのもスマートでかっこいいけど、
泥臭く真剣に考え続け、それを白日の下に晒して生きるのも、実はかっこいいんだと私は思います。

「生と死」というテーマは、昔から大哲学者の人たちもさんざん考えてきて、
恐らく物心つくまで生き延びた人なら百パーセントの人がちらっとは考えたことがあって
それでも誰も答えの出せない難しい問題なんだと思います。
「正解」ってのはきっとないだろうと思うし。
絶対に揺るがない真実なんてのもきっとない。一個人のなかでさえ、時間や経験によって
見えてくる真実は変わってきてしまうし・・・。
でも、今見えているものを常に伝えていくってのはすごく大事なことだと思います。
楽なところで決めてしまわないで、いつも今の真実を見極めるというのは苦しいけど、
それが進歩ってものだと、私は思う。
「事実は1つ。真実は人の数だけ」という名ぜりふもありますが、
こと命については「事実」ってものは「生きてるものはかならず死ぬ」というその一事だけって気がしますね。
そこに見る「真実」の数は本当に人の数だけあって、どれも正解でもなければ誤りでもないと思えます。
「私に見えた真実はこれだっ!」っていうのも、
「私には、分からない」っていうのも全部「真実」だと思うし。
そう簡単に見極められてたまるかって気もする。偉大なる先人たちがずっと考え続けてきて
まだ応えの出せないものなんだぞ、分かるもんか!ってね(^_^)
悩め悩め!そして最後は自分なりの生き様掴んで、胸張って生きればいい。
たかが80年しか人生ないんですぜ、ダンナ。
精一杯真剣に、かつ軽やかに、かつ慎重に、かつ大胆に、
哀しみながら、苦しみながら、それでも生きることを「楽しみ」たいのです、私は。
それもまた一つのありようで、きっとそんな考え自体もガンガン変わっていくんだけどね。
時によって命自体が煩わしくなるときもまだまだあるし、
時によって生の喜びを噛みしめたりするときも、ちゃんとある。
そして、何も感じず、ただ漠然と生きている時間が殆どを占めているのも本当だし。

ともかくも、とりあえずテンションが高くて幸せな今は、
今まで知り合えた人も、まだこれから知り合う人もみんな、幸福でありますように。
と、割と軽やかに、でも誠実に思っています。
幸せなときは世の中に悪意なんてないって思えるもの。(^-^)
My very best wishes to you all! Good Night!


うぅみゅ 投稿者:FM−Z  投稿日:01月30日(金)20時05分57秒

私、やっぱりみなさんのような体験無いから、
どうしても意見としてなんかな、って物になっているかもしれないですね。

うん、でもやっぱり私はここの掲示板に来られた事、そして
ここに書き込んでいる一人になっている事に対し、
なんとも言えない気分になります。


私は、人に迷惑をかけすぎているのが嫌でした。
でも、結局自分一人ではどうする事も出来ずに余計に他の人の手を
わずらわせてしまったりしてしまい、自己嫌悪どころの話じゃ無かった
事があります。
けれど、私はそこで「逃げる」事は選択できなかった。
どうしてもその場から逃げ出したいと思ってばかりだったけれど、
それでも逃げる事が出来なかった。

それが、人に迷惑を掛けてしまった事に対しての罪滅しと思ったのか、
自分さえ我慢すれば事態は収まる、とでも思ったのか、
それはもうよくは覚えていませんが、
とにかく、そうやって自虐的に生きる事で均衡を保っていた時期が
あったと思います。
だから、やっぱり私は「生きて」いたのだと・・・。


う゛ぅん・・・。何が言いたかったのだろう・・・。
やっぱり何か変なので去ります。(だったら投稿しなければいいのに・・・)
それでも、やっぱり投稿せずにはいられないんですよね・・・。

それでわ。


未熟者の戯言 投稿者:水火  投稿日:01月30日(金)18時59分32秒

ここの掲示板って本当にイイですね。ここに来れたことを嬉しく思います。

「生」も「死」も考えても考えてもなかなかまとまらないテーマですよね。(「まとまらない」を
「答えが出ない」と書こうとしたけどそうでもないと思ってるんでやめました)

まだ私は死に目にあったことも生きることに感動したこともない青二才ですが、「生きる理由」
とは「今ここに私が在るから」これひとつで十分だと思ってます。まあ、これは私が今まで
そんなに辛いことにあわずにきたからかもしれませんが。だから私は皆さんの言葉はたぶん
理解できてないんだろうな、とも思います。でも、やっぱ死じゃったりするよりか生きてる方が
絶対にイイと思うんですよ。これは特に「辛くって追いつめられた自殺」に思います。いじめとか
での。死ぬぐらいだったら逃げちゃえばいいって。っていうかこの場合死ぬのも「逃げ」ですか。
死を決意するぐらいだったら、手も足もあるんだ、全生命力使い果たして死ぬまで逃げてみれば
いいんじゃないかって。でも本人そんなこと考えなかったんだろう。私は死ぬより逃げる。ただ
「死ぬ」んでなしに「死」が「迫ってくる」ことってありますよね。これは逃げらんないです。
だからそれは絶対的に怖いです。恐怖と共に生きる。本来ならば私たちはいつ死んでもおかしく
ないということでこれが本当の生き様だとは思っているんですが、忘れてますね。考えたくなくて
逃げている節もあります。私は今いつまで生きられるかわかってしまったとしてもきっと逃げる。
死を見つめてその恐怖を乗り越えたことなんてないから。きっと今私が在るままに生きてしまう。
今の私の生きている理由は「今ここに私が在るから」でかないから。いつか「生きたいから」
怖くても生きていけたらな、と思ってます。

カラオケ行くとまず「ラブリー」歌います。酸欠します。CDは高くて手を出さない不届き者です
が、小沢健二さんは好きです。でわ、また来ます。


生きる? 投稿者:げお  投稿日:01月30日(金)16時40分13秒

生きる・・・。
『死ぬ』ということ事態が自分勝手『生』も自分勝手。
『死』は自然だと思う。
病死だろうと自殺だろうと。

・・・・・・わけわからんこと書いてすみません。
2巻はいつでるのじゃ・・・・・。
西条さんに声つけるとしたらだれがいいのかな・・・・(謎)


時間が・・・ない・・・ 投稿者:碧水  投稿日:01月30日(金)12時34分32秒

ということで、皆様の熱い語りは読みましたが、
それに対する文章を書いている時間が・・・
みなさん、すごく真剣に書き込みをされてて、
ほんと、この掲示板はいいな、すごいなって思います。
そして、その掲示板に書き込みのできる自分を、
すごくうれしく思っています。
みんなに会えて、よかった。
ほんとうにほんとうに、よかった。

都馬さん>ZABADAK好きです〜!! すっごく好き〜!!
     チャカさんは、PSY.Sのチャカさん?松浦さんも?


入れた♪ 投稿者:みく  投稿日:01月30日(金)09時25分55秒

昨日はなぜか相性悪かったみたいではじかれたので・・・。
はい、福岡の人間には一発ですね、TAOさん(笑) そこ、第一志望だった
んですけど落ちちゃって、同じ名前の短大に行きました。

みなさんが真剣に語られていることについてなんですが、今まさに
とっくみあってるテーマで、言葉にすると混乱してきそうだったので、
ROMらせてもらってました。今もまだ、きちんとまとまる状況ではないので、
直接的なことは言えないんですが。
私はまだ、生きてることの素晴らしさを実感として感じたことがありません。
だからそういう方の言葉を聞くと、こんな貧しい自分がこのテーマを扱って
よいものかと迷ってしまいます。後戻り、するつもりもないんですけど。
時々鏡をみて自分の顔が自分の物ではないように思えてぎょっとする
ことがあります。自分はなぜ生きてるんだろう、何者なんだろうって、いつからか
ふと考えるようになりました。それを探すためにものを書いてるような気がします。

この掲示板を読んでいて、みんな意外に生と死について考えてるんだなって
思いました。不安だったり苦しかったり、逃げ出したいものの中で必死にうめいてたり、
でも普段はそんなこと考えてるなんて見せずに笑ってるんですよね。
確か遠藤周作さんの本のなかで、キリストは苦しみから救ってくれなくても、
自分の苦しみを同じように背負ってくれる、自分と一緒に苦しんでくれる、
だからあなたは独りではないというようなことが書かれてあったんですが、
キリスト信者でなくても誰かが同じように辛い思いを抱えて生きてるんだって
思うと、ちょっと勇気がでます。こいつよりはマシだっていうのとは違うん
ですけど、自分は独りだって感じるよりは救われると思うし。

ちょっとずれてますけど、今言えるのはこれくらいです。
こういうことって、普段表に出す機会ないから、身体の奥に沈んでるんですよね。
そういう心に溜まった澱を掻き混ぜたり、吐き出すことのできる掲示板ってすごいです。
ぴろろん、がんばってね♪


死ですか・・・ 投稿者:TAO  投稿日:01月30日(金)05時38分20秒

死ぬことについてかったっていますね・・・
自分は根性がなくて今は、長文がかけないので
自分の心得をひとつ・・・

キリスト教の教えに自分で命を絶つと、
永遠にすくいわこない・・・というような考えがあったと思います。
自分はキリスト教のバプテスト系の学校をでましたので(福岡の人間がみたら一発だな)
辛い時や、悲しい時に冗談めかして自分に言い聞かせてます。
口にして冗談でもだせれば、少しは楽になって、もう一度、がんばってみるか
と言う気になれます。
くだらない気分転換ですが、自分の信じたものを
口に出して(決して自分は信じてはいない)気をまぎわらわすのも
良いもんですよ。
後、自分の友達の女の子が死にたいといった時、
一晩中、話に付き合って次の日に自分が倒れたことがありました・・・
後でその話をしたら笑い話になってた時、
話を聞いてやってよかったと思いました。

以上・・・最近、横着なTAOでした。


今の私が思うこと 投稿者:瑠都  投稿日:01月30日(金)01時43分31秒

はじめましてになります。自宅でネットをするようになり、こちらと七海さんのページを見つけてから、
ずっとROMに徹してきてたのですが、最近皆様が書かれている「生きる」ことと「死ぬこと」について、
ずっと、ぐるぐると思考はするものの、言葉に変えることができずにいたものが、なんだかとても表に
出たがってきたかのように溢れてきたので、初めて書き込むにはちょっと暗くて、しかも、図々しいか
しらと思いつつ、思い切って書いて見ようかと思います。

数年前、学生時代の友人が命を絶ちました。他者の言動や、日常の事象や、何かを心で感じるとき、
それを同じ深さで感じることができると思えた人でした。卒業して、それぞれ別々なところで暮らし、
ほとんど会うこともない日々の中で、年賀状だけのやりとりになっていました。結婚して、幸せに暮ら
しているものと勝手に思いこんでました。それが決して、ゴールではないと知っていたにもかかわらず・・・。
思いもしない形で身内に逝かれた遺族の悲しみは、慰めの言葉を挟む余地もないほどで、それに、私自身も、
彼女の救い手になり得なかった自分自身と、救いを求めずに逝ってしまった彼女への怒りややるせなさが
ひどく身に染みて、行き場のない感情に随分混乱したものです。
でも、そんな気持ちを現実に味わっていながらも、その数ヶ月後には、滅茶苦茶な自分がいました。客観的
に見れば、すごくすごく些細なこと。でも、それが少しずつ積み重なって、私を浸食していって、何かを恨んだり、
誰かを憎んだり、思い知らせてやろうなんて思う自分がいて、それに気づいたとき、自分がとても汚れたように
思えたんです。最も、憎悪すべき者が自分だと・・・・。そこからはもう、あっというまでした。連鎖的に嫌なことが
続いて、それを受け止めることのできない自分はどんどん深みにはまってく。もう、泣くことさえなくなって、普通に
話して笑いながら、救いようのない深淵にいた気がします。闇を見てた。もう、一歩踏み出せば、これ以上汚れず
に済む。これ以上、自分に絶望しなくて済む。だから・・・。(く、くらいな・・・ごめんなさい・・・)でも、そこから、
私は戻って来れた。別にそれは私が強かったからじゃないです。強さとか弱さとかそんな次元じゃない。取り込
まれたら、喰われる。そんな感じの闇でした。
何がきっかけだったのか、今でもそれはわかりません。でも、運命的な何かが、私を振り向かせた。いつもなら
単純に答えることができる自分の好きなモノ。愛しい人たち。ぶつぶつ文句言いながら頑張っちゃてる自分。
ぱあっと、明るくなって、全てが輝きだした。そして、大丈夫だと思った。私はまだ大丈夫。そう思ったら、涙が出た。
その時、初めて、彼女の死を受け止めたことができたような気がしてます。
生きてると、そうそう、思うようにいかないことばかりで、世の中には色々な人が居て、だから、自分は絶対、自殺
しないなんて言えないけど、でも、今の私は好きなモノを積み重ねて生きてる。ポジティブな感情から、自分を認める
ことが始まると思うから・・・。ネガティブな感情はそのまま自分に刃となって返ってくるから・・・。二度と、あの深淵を
覗かないで済むように、好きなこと、やりたいことを貪欲にやっています。
で、私は、自分の中にある闇を受け止めて、迷いながらも、踏ん張って生きてる諒ちゃんが好きだったりします。
初めての書き込みで、こんな暗く、延々と自分のことばかり語ってすいませんでした。でも、書いてみてこその発見て
あるものですね。何かあると書きまくってた学生時代をちょっと思い出しました。では、失礼しましたm(_ _)m。


2度書き。 投稿者:水火  投稿日:01月30日(金)00時22分49秒

すいません。また来ますとかいって帰ってません。詩だのなんだのとあるから気になって
読んできました。個人的にあーゆーのを読むの好きです。なんだかんだいって1番好きな
感じです。イイです。日付も変わったのでこれから過去ログダウンロードして寝ます。でわ。


初めまして。 投稿者:水火  投稿日:01月29日(木)23時34分36秒

初めまして。初めてここに来ました。パソコンがウチに来てもうすぐ1年、ネットはじめて
まだ1ケ月いってないようなとろい人間です。しかしこの2週間あちこちの掲示板見て
まわってんですけど、ここの皆さんすごいです・・・。他のトコと同じノリで昔の見てから・・・
とか思ってたけど挫折いたしました。語り魔とあるだけありますね・・・。ああっ、自称活字中毒
の看板おろさなきゃいけないかな。あああ、挨拶だけにしとこうと思ったのに、またくだんない
こと書いてるよ。グラハは本誌でしか読んでない不届き者ですが、よろしくです。また来ます。


(無題) 投稿者:和月 龍弥  投稿日:01月29日(木)21時28分44秒

とりあえず何にも題名が思い浮かばなかったので無題にしました。
こういう話のできる掲示板はいいと思うし、人の考えをしれてとっても
自分の為になっている気がするから・・・

僕は自殺した人自殺したいと思っている人をすごいとおもったことはないんです実は
自分の考えだとどうしても”世逃げ”としか思えなくて・・
自殺することに対してどうしても”勇気”だと言うのはおかしい
のではないだとうかといつも考えてしまうんです。
自分から生きることを、これから起こる何事からも逃げているのだから
逃げているとしか思えない・・・勝手な解釈かもしれない
でも、自分から命を生きることを放棄してほしくない。

それと今朝のニュースで(知ってる方もいらっしゃるかもしれませんが)
母親が子供3人を道ずれに無理心中したというニュースが
あったんですが・・・一個人として死ぬなら一人で死ねばいい
子供あるいは友達誰かを道ずれにして死ぬなと
遺書を書く余裕(余裕ではないかもしれないが)があるんならその内容を
親もしくは友達に話してみればいい、誰だってちゃんと答えてくれるし
判ってくれるとおもう。
自分では遺書を書くということは誰かに止めてほしいという気持ちがあるのではないか
と思ってしまう、遺書を書いていられるならもう少し時間を使っていろいろ
考えてほしい。
死ぬことがいいことではないいうことを
命をそまつにしないでほしい 無駄にしていい命なんか一つもないのだから

最近では親が子供をせっかん死させたと言う事件を良く耳にする
せっかんなどといってはいるがたんなる暴行であって他に呼び方を
つける必要はないと思う。親のストレスの発散方法にされてる
子供たちの身になって少し考えてみればいいし自分たちが親に暴行
されてたのか
どういう事態になるのか考えてほしい。テレビでも事件が起こるたんび
に多くの番組で報じられているのだから

年明けそうそうからかなりの件数があったのかよく耳にする気が・・・・・
よくない事ばかり広がる世の中って・・・どうしようもないとおもうのは僕だけだろうか?

また、長くかいてしまった・・・ごめんなさい


みゅきゅぅ 投稿者:FM−Z  投稿日:01月29日(木)20時53分50秒

相も変わらず重い話でつながってますね。
私も結局そういう話好きだから、また書き込んでしまうんですよね・・・。(^^;;;

私は、たしかに「自殺」する人は「すごい」と思った事もあります。
やっぱり、先に何があるのか、見当すら付かないような事を
するのはある意味で「勇気のある」事だと思えるからです。
だから、今現在何かを目的として生きているわけでもなく、
そしてまたこの世の中が嫌だからって何をするわけでもなく、
それでも死ぬ事も嫌だからとただ流されるままに生きている
私は一番どうしようもない存在だと考えていました。

だけれど、「今」は「自分」を表現しようと努力している。
それがはたしてどんな事を「意味」するのか、そんな事は分かりません。
しかし、だからと言って「何もしない」でいるよりかは
確実に「何か」が違うと思うのです。
どうも代名詞ばかりで分かりづらい文章になってしまうのですが、
それでもこうしているだけでも「人とは少し違う自分」というものを
いつかは知る事ができると思うのです。

あくまで、私達は「個人」であると思います。
たとえ考え方が似ている人が多くても、また、同じような意見だとしても、
それが「全く同じ」とは言えないと思うのです。
だから、今私はここでこんな書き込みをしているし、
他の人だって同じように(意見は似ていても違う言葉で)ここに
書き込みをしているんだと思います。

だから、人は「生きて」いられるんだと、「今」私は信じています。
(でなければ、今私のやろうとしている事は全て私が信じないでやっている事に
なってしまうから)

そりゃ、いつもいつも、自分の行動を「信じ」ているわけじゃありませんけど、
でも、何かは「信じ」ないと、やっぱり「生きて」いることも
つらくなってしまうのでは・・・そう思います。


結局、文章自体読みにくくなってしまい、尚且つ何が言いたかったのかが
よく分からなかったと思いますが、(自分でもまとまっているとは言いがたい)
この辺で終りにしておきます。(続けてもキリ無いので)

それでわ。


哲学的思考 投稿者:はな  投稿日:01月29日(木)19時46分12秒

 死ぬことに対しての漠然とした不安がある。生きていることの謎にぶつかる。
 私は、いったい何をしているのだろうか。
 
 人は生まれるときには、身体と心が同時に存在するが、死ぬときには、身体だけ
置いていく。
 不思議で不思議で。
 去年、哲学の講義で考えたことだったが、輪廻転生や、前世の記憶について。
 どうしても答えがでなくて、でないから人は生きるのだ、そういうことになった。
 
 自分で決められることでないから、生まれることは。だから、少しでも、自分を
好きになれるようにしたい。
 死を自分でえらぶような生き方は嫌だから。
 だけれど、私が今まで死をえらばなかったのは、勇気がなかっただけなのかもしれない。
 あきらめが悪いだけなのかもしれない。
 もしかしたら、明日私は死ぬのかもしれない、ふとそう思う時がある。
 心臓が痛くなる回数が増えるたびに。
 だけど、朝を迎えてホッとしたりする。
 恐怖をもたずには生きられないこともあるのかもしれない。
 だけど、今はまだ絶対に死ねない。
 それだけは、私のゆずることのできないことだ。
 
 たいしたことはまだ分からないけれど。
 私なりには、毎日を戦っている。
 


一月ぶりっす・・・・ 投稿者:都馬  投稿日:01月29日(木)17時07分53秒

しばらく見ないうちにグラスハートが盛り上がってますね・・(クスクス)幸せ。
今月は休載で悲しいですが、あもい先生目当てに買いました・・・。大好きなのよー。
4月号が待ち遠しいです。

オーヴァークローム本・・・。なんつー嫌な響き。(嫌いなのか自分)(ううん)
でも読みたいので、通販方法見に行こう。大阪在住の身では東京は遠いです。一度行ってみたいのだが・・・。
インテックスは行ったのですが、グラハーは少なかったっす。春は行こうかな・・・。
ワイルドアームズ(プレステのRPGなんですが、超お勧め!面白いです)も欲しい・・・。

「生と死」についてのお話がたくさんありましたが、難しい事ですね。
自分は小説とか書く人なので色々考えた事ありますが、やっぱり生きたもん勝ちかなーと思います。
歴史は生き残った人が書くもんだし、死んだらその時点で永遠だけど。死人にはかなわないし。
自分の死ぬところは自分で決めたいっていうのと、自殺はちょっと違う気がします。
上手くは言えないのですが。
自殺した人の自殺した原因とか理由を詮索するのは嫌いです。憶測したりしてね、
勝手なこというのは死んだ人に失礼だな、と思うから。警察とかはね、仕事だから別だけど。
あとその人が好きだった人たち。好きだったからね、色々考えるのは仕方ないなあと思う。
生きてる方がいいか悪いかは、その人が決める事で。だからもしすごく死にそうにない人で
すごく大好きで大事な人が自身を殺したら。それに足る理由があったんだと信じられるといいな、
とも思うし。でも死んだら嫌だからあたしにだけは先に言ってくれとも思うし。死んだら許さないとも思う。
でもこれもあたしのわがままかなーとも思うし。
何かですね、いろいろな考え方が自分の中で回って、結局最後は自分のわがままに落ち着いてしまうんですよねーこれが。
それがいいのか悪いのか分からなくてまたぐるぐるしてしまう。誰でもそうなのかなあ。(おれだけかも・・)

また、わけの分からない事を書いてしまいまして、すいません(汗)。

P.S 最近ザバダックが好きです。後やっぱりチャカと松浦さまと新居さん・・・。同志求む(こら)




死・・・詩・・・(爆) 投稿者:みよこ  投稿日:01月29日(木)03時44分49秒

こんにちはーっ。
小沢くんのニューシングルは、「1曲+インスト」と聞いた憶えがあるのですが
(CD屋さんにもそう書いてあったような・・・)、どうも3曲入ってる気が
してなりません(笑)。私の思い込みだったのかもしれないけど、多いぶんには
トクした気分♪

死や命について・・・私は、やっぱり(謎)怖い、としか言えない・・・。
皮肉とかじゃなく本気で、自殺できる人に憧れてた事があります。
私は、怖くて・・・絶対出来ないので。いくら追い詰められても。
うーん・・・登校拒否とか犯罪とか、本当はしたいかもしれないのに
怖くて出来ない事、ってたくさんあって。あまり前向きじゃないと判っていながらも、
そういう事が出来るのを「勇気」だと思っていた頃も、そんな昔じゃないです。
今では、「絶対死にたくない」っていうのを「強さ」だと思ってしまえ、
などと自分に言い聞かせていますけど。

ひろきさん、詩、読ませていただきました。
今の話題の内情が分って安心する(なぜか)かも。


長すぎた・・・ 投稿者:ひろき  投稿日:01月29日(木)01時04分15秒

限度というものを考えようね・・・仮にも管理人なんだからさ・・・(爆)
どうも失礼しました。(でもきっと同じこと繰り返す、ごめんなさい〜)

さて、小沢健二のニューシングルが出て実はちょっと幸せに浸っています。
これでアルバムも出してくれたら完璧なんだが・・・。でも出る曲出る曲全部良いから許しちゃおう(^_^)
小沢の歌も、実は私に命を考えさせる大きな要素だったりします。
それは追々ページ本文の方で書けるといいのですが・・・。

でもって、恥ずかしいんですが一応宣伝・・・
FM−Zさんは早くも見つけてくださったようですが、
日常を語るから行けるとあるページに久しぶりに自作のものなどを載せました。
一目瞭然今の重い話の流れに関係があるんですが、・・・。

中見ればばれる(かもしれない)けど、実は私も自殺未遂者です(^_^;;
今でも発作的に死にたいと思うことはあるのよ。偉そうに言ってるけど。
でも実行しないのは「生きたい」気持ちが強いからだと信じてます。バランスの問題かな?
今のところ死んでないから「勝ち」かなって思います。
んでもって「デカンショ」の「ショ」は難しそうだけど、今度とりあえず余裕があったら
チャレンジしてみるか・・・?メモって置こう・・・。

んでは!


重くしちゃったかな・・・? 投稿者:ひろき  投稿日:01月28日(水)23時54分13秒

申し訳ないっす・・・。
こういう重いの苦手な人もいるかとは思うんで、本当はお気楽がいいんだろうけど・・・。
なんかこういうのって照れが入ったりするけど、世の中でちょっとくらいこっ恥ずかしいことを
ストレートに言える場所があってもいいかもなぁって気もします。
会社の飲み会じゃあ、こんなこと言ってたら浮くもんね(苦笑)

生き物の死を考えるとなんだか、いろいろと哀しくなってしまって、
なんで死んでしまうのかなぁって、いつも誰かが死んだとかペットが死んだとか聞くと思ってしまいます。
うちの母なんかは、それがあまりにも哀しいからペットは飼わない方が穏やかでいられるって言いますけど、
でも、それは違うんじゃないかって気もします。
必ず死んでしまうなら、それまでずっと一緒にいて幸せでいられるように
一緒に幸せになるのがペットだと思いたいし・・・。本当は人間のエゴなのかも知れないんだけど。
犬も猫も金魚も亀もウサギもハムスターも蛇もイグアナも野生が一番自然なのかも知れないけど、
でも尻尾振って楽しそうにしてくれたり、ゴロゴロ自分の都合でも構ってくれと要求してきたり
ぽえぽえと寝ている姿見たりして和んだりするのは、きっと悪いことじゃないんだろうなって気がするんです。

生きてると死んでしまう。生まれた瞬間から、もう生き物は全て死へ向かって一直線に進んでいく。
そういう考え方はちょっといやなんだけど、刻一刻と来たるべき死へ近付いてるのはきっと本当だと思うと
じゃあ、なんで生きてるんだろう?とか考えてしまいます。
なんで生きてることにこんなに拘るんだろう、とか、
なんで死を哀しむような機構を神様はつくったんだろう、とか
止めどなく鬱々と、何かの死を知ると思うんです。
もう何十回も考えたことで、それでも応えは出なくて、
多分一生、私の手にはあまる命題なんだろうけど、
とりあえず自分は生きてることに意味を感じるかっていうと、
ふ・・・と気が遠くなるんです。
意味なんてないなぁって。物質として世界のてっぺんから見下ろしたら意味はないなと分かって、
だとしたら、私が生きてることに意味があるとしたら
それは私自身がそれを認めてるからなんだって。
そう思ったら急に自分が愛しいと思えるのです。何ものよりも。
自分が愛しいと、生まれて初めて思えたのは、死の淵から戻った3日後で、
あまりに愛しくて愛しくて、
それはそのまま私をここに存在させてくれている世界への愛に等しいことだと知りました。
うまく説明できないのですが、「己を愛せなければ云々・・・」っていうのは
お為ごかしに聞こえるけど、本当はそう言う意味だったんだって生まれて初めて分かったというか・・・。
あまねく世界に等しく愛を持てる瞬間というのはあるのだと知りました。
それは自分を愛しいと思えなければ起こり得ない感覚だということも知りました。
世界中の色が変わった瞬間でした。生まれて24年目に初めて知ったことだったのです。
今はもうその時の光射すような感覚は記憶としてしか残っていないけれど、
生きてるのは素晴らしいこというのは、絶対に正しいと、その時確信したんです。

だからねぇ・・・なんてんだろう・・・
嫌がる人もたくさんいるだろうし、おせっかいって思う人もたくさんいるだろうし、
信じない人も五万といると分かっているけど、
それでも私は「語らないと」いけないんだって自分で思ってるのです。
小沢のように、その命のすごさを歌にしたりできないし、ダンサーたちのように
体全体で、生きているエネルギーや尊さを表現したりできない。
小説家のようにそれを物語に織り込んで上手に表現したりできない。
絵描きのように、絵で描いて視覚という強い感覚に対して訴えることもできない。
でも、私が一番苦しいくらいに言いたいことって、本当はそれだけで、
そのことを伝える手段っていったら、直接的に言葉で語り倒すしかできなかったんです。
私の言葉はもどかしいくらい力がないんだけど、
絶対生きてることそのものがすばらしいんだって、
そのことは全身で「理解」したことだから、
それだけが私が今までで知った唯一の「ほんとうのこと」だから、
半分以上、自分のため、でも生きるって素晴らしいって分かった時の私は
世界を変えられるってほどに力を持っていたから(大げさだけど、その時は神懸かり的にそう思ってた・・・)
絶対揺るがない信念だったら伝えられるって思うから、伝えないといけないって気がしてるんです。
死ぬことは哀しい。でもって生きることはすばらしいことなんだって。

別にいつもいつも四六時中思ってるわけではないのだけど。
死を目の前に見ると、そんな風に思うのです。

あーあ、また長く重くしてしまった・・・(反省がないらしい・・・)


LOVE WAY 投稿者:西条@テスト中  投稿日:01月28日(水)23時30分34秒

 今晩は。西条です。
 テスト中というと必要になるのが現実逃避で、折角盛り上がっていることだし、
グラスハートのページを作っている人間として沸々と何かを書きたくなった。
 ということで、『LOVE WAYに拠る有栖川真広と才能が捧げる代償』というやつを
書き上げました。とりあえず、ご報告なんですけど、暇な人はいらして下さい。

 あ、生と死に関する論考には『自殺について』ショウペンハウエルをお勧めします。
では。

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/2297/loveway.html


うみゃっ! 投稿者:FM−Z  投稿日:01月28日(水)20時48分57秒

うふふふふ、ひろきさん、詩の方、読みましたよ。
(今日後で時間があったら感想でも送ろうかしら?)

しかし、そこでも「死」に関するような物がありましたね。
(私も昔書いているから、そのうち見せることになると思いますけど)


で、今日はまだまだその関係の書き込みが多いので、
ちょっと「生」について私の思っていた事を少し。

ってわけじゃないんだけど、
瑞瀬架耶さんの書き込みを見て、どうしても書きたくなった事が
あったもので・・・。(うまくまとまるかは不安(^^;;)

単刀直入に言ってしまうとですね、
「私」って一体なんなのかな? って事なんですけど、
つまり、こうして考えている「私」、書き込んでいる「私」が
いる訳ですけど、実際のところその「私」って一体なんなのかな?
って考えると止まらなくなってしまうんですよ。
「私」だって考えているのは「私」ですけど、
本当に「私」なのか、どうして「私」は「私」として
認識しているのか、こんな事を考えている「私」は一体どこからきたのか?
そんな事を考えていたら限り無く考えが広がって、
今「私」がここに「居る」っていう事ですら、
「どうして?」って思えるようになってきて、
それでいて答えなんて見つからなくて、
なんで「私」はこの「私の体」を動かしているのか、
どうして「私」はこんな事をここに書き込んでいるのか、
それすら分からなくなってくるのに、
止める事すら難しくなって来る。


・・・やっぱりここらへんで自主規制しておかないと、
終わらなくなりそうなので、(中途半端に長いだけですが)終わらせておきます。

こんなよく分からない文章を受け入れてくれるこの掲示板に乾杯!
(とうとう壊れたかしら、私)
それでわ。


P.S:私は和月さんのような経験をした事はないですけど、
    やっぱり「自殺」ってよくない、って考えています。
    (それに関しても昔長々と文章にしたので、そのうちお見せします)


生きること。 投稿者:瑞瀬架耶  投稿日:01月28日(水)19時51分20秒

生きるって、何なんでしょうか・・・。
和月さんの書き込みを読んで、そう思いました。
和月さんの書いてらした事に対して、私が何か言っても、
なんか凄く薄っぺらいものになるだろうから、
私には、そういうのってよく分かんないから、
言うべきじゃあないんでしょうが、ちょっとああって思ったことがあったので。
無視して下さって結構なんですが、私も、死にたいなって思ったことは、あります。
そう簡単に思っていいようなものじゃないんでしょうけど、たまに思います。
私の場合、それは、本当に死にたいって思ってるんじゃなくて、
まわりとか、学校とか、友達とか、家族とか、
そういうのが、めんどくさくなって、なんかわけもなく嫌になって、
逃げたいんだろうなって、死にたいって思ってる自分の横で、そう考えてるんですよ。
でも、自殺したいとは思わないんですよね。
なんか、自殺とかの話を、TVとかで聞いたら、もったいないなって思うんですよ。
私は、したくないなって、思うんですよね。
死んで、何かいいことがあるわけじゃあないと思うし。
きっと自殺なんてしたら、後で後悔すると思うから、自分が。

それと、もう一つ、よく思うこと。
何で、「私」は「私」として、ここにいるんだろうって。
不思議なことですよね。
私って、一体何なんだろう?って。
ひろきさんが書いてらしたように、奇跡ですよね。

・・・ああ、よく分からないことを書いてしまったような気がする。
っていうか、私がここに書いた事って、皆さん当然のこととして、
心の中の中にあるかもしれませんが・・・。
なんかごめんなさいって感じかも・・・。
でも、この掲示板、本当にいいですね。


 


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