カタリストたちの掲示板 98年7月
98年7月分です。
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こんにちは。 今日も寒いですね(殴)。 外は灼熱の太陽、作業場は極寒。 外ではたらく方々に、 うだるような夏の日差しは容赦なく降り注ぐ。 とことん灼かれて、気分はまるで「Melty Love」 もとい、「Melty Cheese」。 アスファルトという石窯で、とろけるモツァレラチーズ。 ピザピザピザピザ。 そしてわたしはアイスクリーム。 理想はピノか、ハーゲンダッツ。 ジャイアントコーンも、羨望の的。 スキルが足りない今の私は、チョコジャンボもなか。 凍らせたヤクルトよりはマシなのか。 嗚呼、ヤクルトヤクルトヤクルトヤクルト・・・ 今、彼らはセ・リーグで何位なんだい? って、なに壊れているんだか。 すみません。 ちょっと、怪しい詩人になっていました。 それもこれも、暇と空腹と寒さのせいです。 ごめんなさい。 でも、突発で出来た、怪しい文章を誰かに見てもらいたかったんですぅ。 久しぶりに来て、まじめな話題のときにマズイかなと思ったんですけど・・・。 いじめ、私も考えたくないですね。思い出したくない。 いじめたこと、有ります。 傍観したこと、有ります。 いじめられたこと、有ります。 友達をかばったこと、有ります。 そのせいで、今度は自分がターゲットになったことも。 暴力は有りませんでした。 肉体的には。 精神的には、かなりひどかったです。 発端は幼稚園のころ。 小学校にもまだ上がっていない子どもが、どうして思い付くのか 今でもわからない。 なんかへんな書き込みで申し訳ないです。 あやまってばっかりだ・・・。
このまえの書き込みで励ましてくださったみなさま、どうもありがとうございまいた。 すごくうれしいです。とりあえずいまは、ゆっくりおうちで休んで元気を取り戻しつつあります。 いじめ、話題になってますね。私はいじめられたこともいじめたこともあります。 どっちもいやな思い出です。 なにが正しいとかぜんっぜんなくて、小学生ころのいじめって。 嫌だとか気に入らないとか、むかつくとかそれだけだったですね。理由が。こどもだから しょうがないけど、凄く、こどもっぽくて。 大人になってから考えると、大人が思ってるよりもっと短絡的なものだったように感じます。 いじめって。短絡的だからこそひどいんだけど。 あんまり参加したくない話題だなあ。 人間関係がすごくいやになりそうで。いじめとかって、もうずっと忘れられなくて。 そのときの辛さ酷さじゃなくて、その面倒くささが。 いろいろごたごたおこるなら、もう友達とかなんにもいなくっていいや、と思ってしまう。 人間関係は、もう、子どもだって面倒くさいんじゃないかな。 好きとかきらいとか、むかつくとか、いじめとか。 ・・・・・私まだ正常なとこまで回復してないな、この発言・・・・・。 今現在けっこうめんどくさいからかな。
いじめはやっぱり難しいよぉ・・・。 すごくすごくボロが出そうで逃げ出したい話題だ・・・。 どんなボロかって私の人格的にいちばんヤバイ親子関係のボロが・・・。 親と子の関係っての、もう、難しくて・・・ちょうど亮介ちゃんの話とかともダブるんだけど・・・。 私、親の話になると、すごく近視眼的になって冷静じゃいられないので、うまく言えない・・・。 私自身が三十近いこの歳になってまだ、親との関係を良好に保てないからだと思うのだけど・・・。 表面的にはすごく良好なのよ、私と両親って。特に母親かな。 親子の信頼関係については、私が全然うまくできていないので、 弁明も弁解も解説もできないような・・・。 親子関係はネックで、ダメだ。本当にダメ。 私が親を信頼してないとか、そういうのもあって、この歳になって「まだ」台風のど真ん中だから・・・。 私の場合、親に逃げ込めたのは、そのいじめっぽい自体を すでに自分の中で消化してたからなんだよね。酷いよね?って確認取ったら 「酷い」て言われると分かっているから言えたのだと思う。 渦中をとっくに抜けてるからはじめて言えてるわけで・・・。 親、ダメ。トラウマですよ、本当に。 親に言えないの、どこかで「当たり前のこと」って思ってる。 家に帰れないの、当たり前ってどこかで思ってる。 いちばん強い絆だから、かえってダメ。私は家族が怖い。 特に母に弱くて、全然うまく対処できないから、 心理的に私が追いつめられると母親と顔あわせるのもいやだし、 かえって明るくなったりして、踏み込ませたくなくない。 辛かったら辛いだけ、母親には話さない。ごまかして、楽しい話ばかりして、 平気な振りをする。それは心配かけたくないからじゃない。 どうしてだか、ひたすら「いや」。 うまく言えないけど、親ってやっぱダメだわ。鬼門。トラウマ。 この話題に今触れ続けると、壊れちゃうんじゃないかってくらいダメなテーマです。 語り魔の私が完全に尻尾まいてうずくまって降参したくなる、部分ですね・・・。 それでも無理矢理触れてるのは、自分でもヤバイって思ってるからだろうけど・・・。 払拭しないとダメって、思ってはいるから・・・。でもやっぱり壊れそうなんで、退散します。
かきわすれ。 帯裏、見ました。 あれは判らんって高河さん。
私、報復することばかりかんがえてました(笑) いや本当に。格闘技はじめてずっとしてて、私の友人も、当時はお互いが そういうことになっているなんて全然知らなかったのですが、 私と同じ理由ではじめてと言っていました。 彼女の場合は本当にひどかったらしく、上級生の男子に腹を蹴られるとかがもう日常茶飯事だったらしく、 「このままだといつか殺される」、と思っていたそうです。 報復、ってひどいと思うんですけど、 思うに最近のコドモタチというのは「痛み」を知っているのでしょうか。 「心の痛み」もそりゃあとても大切ですよ? でも肉体的な「痛み」も大切だと思うのです。 鉄棒で落ちた、とかじゃなく本当に喧嘩での痛み。誰かに殴られたりした痛み。 それを知ったらまた違ってくるのではないですかね。 私の師匠にあたる人なんかもよく言ってましたけれど、 「喧嘩をおおいにすればいいんだ。 それで行き過ぎだ、と思ったら周りの大人が止めればいい。 そうすれば「加減」知る。」 私の人生の師匠の言葉です。 私にとって家庭よりも学校よりもこの人が逃げ場でした。この人がいたから今まで生きてこれたのだと 今でも思っています。 時間がなくなりました。 尻切れで申し訳ないですけれど、また月曜日にでも。 ではお達者で。
ここってほぼ月イチでディープな話題がメインになりますね。 だから私はここへ通っていると言えなくもないのですけど。 いじめ、ということで。 経験はあると言えばあるし、ないと言えばない。 FM−Zさんの言っておられることに関係していると思うのですが。 いじめの境界線の引き方によっては私の経験はいじめの範囲に入るのじゃないかな、と。 今考えるとあれはいじめだったのかなぁ、と思う程度のことです。 机をひっくリ返されただとか、土の塊(石じゃないです)を投げつけられただとか、まあかわいいものだったので。 それでも幼かったせいもあって、当時は結構つらかったです。 「なんで」「どうして」という気持ちを毎日抱いていました。 感情は内へ内へと向けられていて、相手に向ってそれをぶつけることはできませんでした。 その理不尽さに怒れるようになったのは後のことです。 そのときは帰ったら毎日母に泣き言を言っては慰めてもらっていました。 母もよく我慢できたなあ。 人の泣き言や愚痴なんて、聞くのは嬉しくないのにね。 邪険にしたりせず、母が話を聞いてくれたおかげで今の私はいるのだと思います。 家というシェルターがあったからこそ、乗り切れたのだと最近よく考えます。 いじめに関する報道を見聞きする度に。 その時は、世界が物凄く小さくなってしまっていて、学校と家とその二つしか見えていなかった。 だから家で冷たくされていたら、逃げ場なんて無かったと思います。 家族に何も話さずに我慢している人や自殺したりした人のことを聞くと、どうしてだろうと思う。 「心配をかけたくない」という気持ちは分からないでもないけど、私はそうして乗りきった訳だから。 「死ぬまで気付かなかった」という親たちの言葉を聞いても思う。 まさか気付かなかったということはないだろうと。 親でさえ気付かないのに、教師が気付く訳がないだろうと。 甘えるな、と思う。子供の様子ぐらいちゃんと見とけよ。他人のせいにするな。 相談もしてもらえなかった、自分たちを恥じろ。 こう書くと不快になる方もいらっしゃるでしょう。 私は実際のところ、そういうキツイ経験をしていないので、身勝手なことを言っているだろうとも思います。 でも、私は思うんです。 世界は広い。学校だけが全てじゃない。逃げ場はあるんだ。 確かにそうでしょう。 けれどある程度の年齢になるまでは、学校という存在はとてつもなく大きいのです。 1日のうち、約7時間自分を拘束している存在。 それに太刀打ち出来るほど、子供が長い時間を過す場所といったら家庭しかないのではないでしょうか。 人と人との関係において、何よりも大切なのは「どれだけ長い時間共に過すか」だと、私は思います。 質より量です。はっきりいって。 カウンセラーと呼ばれる人達がどれだけ寄ってみても、長い時間を共に過した家族にはかなわないと思う。 もちろん例外はあるでしょうけど。 最後の最後に自分を受け入れてくれる場所というのは家庭しかないと思います。 もっと家族に頼ってもいいのじゃないかと思うのですよ。 悲しい報道を耳にする度にね。 それからもう一つ。 年を経る毎に自分の中で許容できる量というのは増えていくと思います。 小さかったころ、あんなにつらかったことが、今では笑い話になる。 「あんなこともあったな」って私の机をひっくり返した友達に言える。 そういう風に、いつかはなるのじゃないかと。 今こうやって語っていることも、あと50年もしたら笑い話です。きっと。 今はもう、昔どうしてあんなことがつらかったのかさえ分からない。 だけどそれは心が鈍くなったということではなくて。 許せるだけの、笑えるだけの余裕が生まれてきたのではないかと思います。 だからつらくて仕方がないときは逃げてもいい。 とりあえずその時を乗り切ることが何より大事です。 そのつらいことのほとんどは時間がなんとかしてくれると思います。 成長する努力を忘れたら駄目だけどね。 私が考えていることは甘いかもしれない。 「なんでそんなに簡単にいえるのよ馬鹿!」って思った人もいるかもしれない。 ごめんなさい。 本当には分かってないかもしれない。 物事の表面だけを見て、偉そうなことを言ってるかもしれない。 でも今私が考えていて、言えることはこのくらいです。 これを読んで傷か痛んだりしたら、本当にごめんなさい。 今はこれしか言えません。もう少し頭が冷えたら、もう一度来ます。
私は、いじめたことがあります。 集団で、その子を追いつめました。 理由は、その子が私たちをいじめようとしたからです。 悪口を書いた紙を教室に置いたり、作った図工の作品にイタズラされたり。 ちょっとクラスで人気のある子と仲良くなったら、そうなりました。 その子が何かをするたびに、私たちは嫌な思いをして。 嫌な思いはいつか爆発して。 どうして、とか、ふざけるのもいいかげんにして、とか。 本人に言うようになったのです。 みんな、一人一人、自分のされたことに対して、言うようになって。 結局、その子は一人ぼっちになりました。 でも、自業自得としか思いませんけれど。 授業中にいきなり泣き出して、先生にみつかって、それで、「いじめられて いるんです」と言ったみたいで。 一人一人、呼び出されたのは、私たち。何もしらないのに、その時の担任は 私たちを責めた。最低だと言った。どうしてあなたはそうなの?とまで。 卒業制作を傷つけられた悲しみは?友達にありもしない悪口を書いた紙を 渡された怒りは?私物を捨てられた戸惑いは? 何もしらない教師は私の性格を非難して、「先生は悲しい」といって、泣いた。 そして、私たちは理解されなかったことと、いいつけたその子を憎んだ。 敵意を持った。 やめて、と言えば泣いて先生にいうから、無視した。 すぐにその子は絶えられなくなって、ある日私たちの前に立って。 「どうして、いじめるの?」と泣きながら言ってきた。 「あんたがしたことを考えたら?」と言った。 その次の瞬間、彼女は手首にカッターをあてて、「死んでやる」と言った。 「死ぬくらいなら、やらなきゃ良かったじゃないか」 それは今でもそう思うし、殴ったりしてきた彼女を本当には許せない。 だけど、私たちは、彼女を殺すことまではできずに、形だけの和解をした。 そして、卒業して、中学に進んで、忘れたように生活をした。 心の許容量は人によって違うのだから、たとえ計れたとして、同じ重さの苦しみ とかを心にのせられても、感じる重さは違うと思います。 そして、消化できる量も違うと思います。 だから、私は「まだまだそんなの甘い」とか言われると腹がたちます。 それは多分みんなの言ってる、人の心は見えるわけがないから、というのと 同じなのかな? 長くなりましたけれど。
はじめまして、みなさん。若木未生ファン歴7年ぐらいのものです。 よろしくお願いします。 ところでいきなりですが、私は小学生の頃いじめをしたことがあります。 それはグループでやったわけではないのですが(みんなで誰かをムシすると いうことがあったかもしれませんが、それはあまり記憶にないので・・・) たしか小2の時でした。彼女は背の順で並んで私のすぐ前の子に対してでした。 小学校の頃とかは集会などがある時に、一度廊下に並んでそれから 体育館に向かってたのですが、そういう時にその子の足を踏んだり 腕をつねっていたりしていたのです。理由は自分でもよく分かりませんでした。 ただ彼女が何も言わずにずっと耐えていたのが、よけいにイライラして たまりませんでした。なんで何も言わないの?と思い、その行為を止めることが 出来ませんでした。それがいつ終わったのかは覚えていません。半年も続くことは なかったと思います。その後中学に上がってもその子とはほとんど口を聞きませんでした。 卒業して、高校は別々になりました。いじめの問題についていろいろ知識が増えました。 TVなどで取り上げられたり、本などで見るうちに、自分が昔どれほど醜いことを していたのかに気づきました。家はそんなに離れていなかったので1年に2、3回は 彼女のことを見かけました。ずっと謝りたいと思っていました。でも結局話し掛けることも 出来ませんでした。私は彼女に声をかける勇気が出ず、気づかないふりをして いつもやり過ごしていました。 でもいじめという言葉を見るたびに、いつも彼女のことを思い出し、当時彼女がどう 思っていたかを考えてイヤな気持ちをになっていました。できることなら 小学生の頃の自分に会って殴り付けてでもやめさせて、謝らせたいぐらいでした。 結局短大に入り他県の学校に行っていたので彼女を見ることもなくなりました。 そして、成人式の時に同じ町内なので彼女もきっと来るので今度こそは絶対に謝ろうと 気合を入れました。成人式の日の夜、同窓会の会場で彼女に会い謝りました。 ホントにごめんね。ずっと謝りたかった。私って最低だった。ホントにごめん。 彼女はいいよと笑ってくれました。そんなのもう気にしてなかったよ、と。 胸がすっとしました。彼女が本当はどう思っていたかにしても、謝ったことで自分の中で 一つケリをつけることが出来ました。私が彼女に謝ったのは、彼女に対して本当に悪かった と思う気持ちと同時に、自分が楽になりたかった気持ちもありました。結局は自分のため だったのか?と今でも思う時があります。もし彼女が許してくれなかったとしても 謝ったぞ、ということだけで自分だけでも楽になりたかったのかもしれません。 彼女にイヤガラセをしていた時から13年以上もたつのに自分の中の自己中で醜い イヤな部分は無くなっていないんだと思います。 この事はこれからも一生忘れることはありません。いじめについての話があるたびに 思い出します。自虐的になるわけではないんですけど、 思い出して自分って最低だったな・・・と思います。 もう誰に対してもあんな事をしたくないな、と思うんです。 でもやっぱりキライな人に対して優しくすることは出来なくて キライだと思う人には近づかないようになりました。 人の陰口をたたきたくなかったからです。近づかなければムカつくこともない。 文句があるなら本人に目の前で言うか、そうでなければ口に出すな。 そういう風にしていて、高校の時は人の悪口いわなくてエライね、などと 友達に言われました。でも全然えらくないんです。口に出さないだけで イヤだなって思っていることには変わりがないんですから・・・ このキライな人との関係を完全に絶ってしまうやり方が正しいのかどうかは わかりませんが、私に出来るのはこれしかありませんでした。 人を傷つけないために、自分が傷つかないために。 それはそれでまた別の問題を作ってしまったのですけど・・・ なんだかはじめてのくせにすごく長い書き込みになって どうもすみませんでした。ホントは私すごく楽天家なのに(^^;) では、お邪魔しました
ほんのちょっと目を離した気分なのにたくさんのことが。 えーと、まずあいさつからします。 >琴矢さん、鮭(藤井)さん、雫さん、咲哉さん、まみこさん はじめまして。とーこといいます。よろしくおねがいします。 >いじめについて 私、ゼミで犯罪心理学やってたんです。この前も いじめについて発表してた人がいました。 「もっと辛い人がいる」は他人がよくゆうなぁと思います。 人の心の強さの度合なんて親でも恋人でも全ては理解できないと思う から。兄弟でも親に同じことを言われて受ける衝撃ってのは ちがうんだし。その場の空気に敏感だったり、さらにそこから妄想 で傷ついたり、心の豊かさはわからない。 でも。その「もっと辛い人がいるんだから頑張りなさい」 っていうのは、辛い人にどうしても強くなって欲しくて、その人が どれだけ辛いかっていうのを解ってあげたいことよりも あなたひとりじゃないのよって言いたかったのかもしれないですね。 世界はそんなに狭くないって。その人が傷つくのを自分のように感じて その人に悲しい思いをしてほしくないって何とか勇気ずけたかったのかも しれない。もしかしたらね。 そう伝わるとは限らないですけど。 「何よ知ったかぶって!」「わからないくせに」かもしれないけど 「そうか!がんばろう」かもしれない(笑) だから、ほんと軽々しく言って欲しくないし私も言わないって思ってます。 それに頑張る人も「あの人の方が辛いから」なんて 自分での”辛い気持ち”を知ってるのに踏み台みたいにはしてほしくない。 (せめて一緒にがんばれたら・・・くらいね) それでも、そんな簡単なものじゃないんですよね。 だからみんな”オーラバ”読んでジレンマになるんですよね。(笑) あ〜長々と!もうネタバレ解禁の時間だ! でも、人の心がある限り続くと思います。(あら?どこかで) たくさんの気持ち読めていろいろな意味でよかったです。 でわでわ
「いじめ」って、認識だと思うんですよね。FM−Zさんがいってることと近いのかなぁ、とも思うんですけど。 よく、いじめの話で、シカトってのがあると思うんですけど。 私、人を無視したり、無視されたりっていうの、ある一定の年齢の子たちなら、誰にでも経験があることだと思うんですよね。 私も、小学校の時、無視されてたこともあるし、無視したこともある。でも、それをいじめだと思ったことは一度もなかった。 別に、辛くなかったわけじゃないです。ただ、それは、学校生活の中に、当然のことのように組み込まれてたから。 で、もうそれは、全然過去のことになってた頃に、小学校の頃にいじめにあってた人の話になって。 そのいじめの内容っていうのが、“シカト”だったんです。 それを聞いたときに、あぁ、そんなもんなんだなぁって思ったんです。上手くいえないですけど。 暴力をともなったものとかお金の問題とか、明らかにいじめって呼べるものもあるかもしれないですけど、 私はそれは、既に“いじめ”ではなく、“犯罪”だと思うし。 咲哉さんが書いてらした「人間が一番つらい事って、存在を無視される事」っていうの、私も聞いたことがあります。 結局、自分の存在を肯定してもらえなければ、人間って生きてけないんですよね。 私はいじめにはあったことないけど、自分の存在自体を否定されてるっていうのは、あります。 で、それが続いてるうちに、なんか、いじめで自殺する人の気持ちが分かる気がしたんですよね。 その人の行為や言葉は些細なものであったとしても、そこにある悪意が、きついんです。 存在の否定が、肯定を上回ったときに、人は死のうと思うのかもしれないなぁって、思いました。 なんか、よく分かんないですね(^_^;;; 冷静に考えてるつもりでも、実は全然冷静になれてないかもしれないです。 しかも、なんか矛盾してる気もするし(^_^;;;
はじめまして。まみこと申します。 なんだか、みなさん真剣に語っておられる所に 入ってきてすみません。 このページはインターネット始めてすぐチェックしていたのですが 掲示板に参加するのは初めてです。 インターネットを始めて間もない初心者ですがよろしくお願いします。 「烈光2」の話を私もしたいよー、と思っていたのですが、 また明日にします。 だって、明日は! これからちょくちょく顔を出そうと思っていますので よろしくお願いします。
いじめはいつ思い出してもやっぱりきついです。 皆さん書いていらっしゃいましたが、「もっと辛い人がいる」とか、「これくらい 他の人に比べれば」というのはわたしも好きではないし、ついそういうふうに考えがちでは ありますが、でもやっぱり何だか変だよとおもいます。その「もっと」の基準は何だろう?、と。 その人の心の限界なんて、そのひと自身にも完全にはわからないのに。自分をだまして だましてしてゆくことも、できてしまう場合もあるくらいだし。 わたしが受けたのはことばの暴力というものでしたが、今でもその言葉は、身体のどこかに 引っかかって、わたしの行動を制限することがあります。 嫌な言い方とおもうといいながら、あえてこの表現を使えば、「この程度で悩んだらだめだ」 といえるくらいのものかもしれない。でも、やっぱり、わたしが痛いと受け止める言葉と、 他の人が痛いと受け止める言葉が、全部同じな訳はないから、だからわたしはやっぱり、 辛かったんだ!、と今でもいいます。今も辛いよ、ともいいます。 そして、わたしは無視する側に立ったことも有ります。自分では1度だけと信じているけど、 影でもっと傷ついた人がいたかもしれないけれど。ただわたしはその相手とは今でもずっと 親友です。彼女に無視されたことも有ります。それでも。それは、お違い無視しながら、 そうしている自分自身も無視すること傷ついていたから、だからちゃんとお違い乗り切って、 ずっと友人でいられたとおもっているし、その経験があったから、今いじめについて、 言葉にしてみようとおもえるのかもしれないです。 ひろきさんが書いてらした、「逃げなさい」は嬉しかったです。 ほらね、ちゃんとこう言ってくれる人がいるんだよ、とあの頃の自分に教えてあげたい。 ちなみに、いまだにいじめられた理由は分かりません。こういうところが相手の神経を 逆なでしたのかもしれないんですが(^^;; よく、「次の日学校へ逝くと雰囲気が違って」というのが有りますよね。まさにそれで、 学校帰り、違うバスに乗って、駅で再開するまでのおよそ30分で、まったく態度が違いました。 蓄積されたものがあったのかもしれないけど、人間って、こんなにあっという間に変わるんだ、 とおもって、それが一番恐かったです。 言いたいことや考えていることが本当はいっぱいあるのに、それをちゃんと言えなくて、 いまだに相手の様子を伺っている自分にきづいたときが一番辛い。わたしはどうしてこの人を ちゃんと信じられないの?と思う。情けないです。 それでもやっと、10年経って過去のこととして、そう思いはじめていたのですが。 最近いろいろとまた、生活をかき乱されています。おなじひとに。 それでもわたしは負けないぞ、という気持ちがあるだけ、今は大丈夫ですけれど。 わたしが頑張れるように見守ってくれた友人もがいることを自覚していますし、いまは。 結論がないままですが・・・(^^;;、皆さんいっしょに前に進みましょうね、休み休みでも、 ということだとおもいます。今の自分が言いたいのは。 NOZOMIさん>辛いことは話せるときがくるまで、自分が大丈夫って思えるまで、 何も言わなくていいとおもうです。そして、そういうものを目をそらさずに書いて 行こうとする若木さんてやっぱりすごいとイクミも思います(^0^) ひろきさん>はい!(勢いよく手を上げるいくみ。笑)・・・なにがって、「役不足」と 「役者不足」です。わたしも創龍伝で覚えましたー。
いじめなんて、下手に話題振ったんで、みんなの書き込みが長いぞ! ええと。 みんなの声読んだけど、やっぱりNOZOMIは胸が痛くて何も話せないよ。 今日、その犯罪心理学の授業のテストを越えたんだけど、 やっぱりその手の関連の記述問題はあんまり書けなかった。 なんでって、やっぱり、いくつになっても思い出したくないモンは 自然と口が発言拒否するんだよっ・・・ううう。 そういうのって、やっぱり一番恐ろしいモンだから、 (人の悪意ってやつが) だから、それに挑んだ若木さんはすごいでしょ、っていいたかっただけなのーhttp://www4.justnet.ne.jp/~k-tomoya/moonstudio/index.html
語り好きの私がここで熱い語りになる題材で一番語れない題材が きたようですね・・・。 実際に、私も「いじめ」って遭った事がないから (もしかしたらいじめられかけた事はあったかもしれないけど) 本当の意味でこの件について語るのは無理に近いような気がします。 だから、敢えてここは反感買うのを覚悟の上で、 昔考えていた私の考えを書く事にします。 「いじめ」って騒がれるようになる前から「いじめ」っていうのは あった。でも、その騒がれる前の「いじめ」と騒がれるようになった後の 「いじめ」、何か違いがあるんだろうか? ぶっちゃけた事を言ってしまえば、「いじめ」って言うのは 「いじめられる側」の気持ちの問題って事もある。 (もちろん、こそこそ陰湿な「いじめ」まできてしまうとそうも言えないかもしれないが) 最近騒がれている「いじめ」のうち、 同じような経験をしてもそれを「いじめ」と取っていない人が何人いるだろうか? そう思わずにはいられなくなるような事もある。 もちろん、これは「いじめられた」事が無い人間だからこそ言える意見なのだろう。 そして、無意識のうちに「いじめていた」事がある可能性がある人間だからこその 意見なのかもしれない。 それに、人それぞれ考え方も何もかも違うのだから、 同じような状況でも対処できる人と出来ない人がいるのは確かな事なんだろう。 ・・・このままではまとまらない。 もう一つの極論を書いて終わらせよう。(長いけど(^^;;) 信頼できる人、自分を変えさせてくれる人、自分を認めてくれる人に 出会えた人間は、強いのだと思う・・・。 そんな人に出会えなかった人が、「いじめ」という状況に 埋もれていってしまうのではないか、と思う。 だって、人は一人じゃ生きていけないから・・・
いじめ・・・難しいですよね。 私もけっこう前にいじめらしきものには遭ったんですけど、どこの誰がやっているのか 全然分からなくてちょっと怖かったですね。いじめがひどくなる前に転校してしまったというのもあるんですけど。 でも、こういうのってなかなか親なんかには相談しづらいものがあるんですよね。 親は分かってくれないからというのとは違って「心配させたくない」という気持ちがあるんですよ。 その気持ちの中にもまた、もしこのことを話したら自分が今いるこの生活が壊れてしまうのではないか という怖さがあるんですよ。だから話せなかった。 そいう風に思う人も何人かいるんじゃないかな? なんかなに言ってんだか分かりませんね。まあ、ただこれを言いたかっただけです。
わたしは小学校の頃、半年だけいじめに遭いました。 理由は簡単。虫をつかんだ男の子に触られたから。 そんな理由でクラスのひとみんなに無視されました。 もともと仲の良かった子にも無視されたけど、いじめを中心になってやってくる子が いないときは優しくしてくれました。 しょうがないな、とおもう。まだちいさいし、弱かったから。 その友達はね。 いじめを中心になってやってくる子はたぶん注目されたかったんだと思う。 わたしは入ってなかった女の子のグループ10人くらいの中にその子はいて、 わりとみそっかす的な扱いを受けていて、そのグループの行動の中心をとることは なかったんだけど、わたしをいじめることで、自分が注目されているんだ、 と思ったみたい。 寂しかったんだろうなあ、注目されたかったんだろうなあ、と今は思えるけど 当時はその仕打ちにわたしも、頭きまして「わたしを無視するなら、こっちだって」 って態度をとって、相手にしませんでした。 そしたら、学年変わってクラスがえしたら、わたしをいじめてた子と一緒になった けど、いじめられることはなくなりました。 わたしの強い態度が効いたんじゃなく、単にアキただけだと思うけど。 でも、後から聞いた話でその子は卒業間近のとき、いじめられてたみたい。 わたしは知らなかったけど。 わたしは、自分のしたことはどんなことでも必ず自分に帰ってくると信じてるので きっとそういうことなんだろうなあ。とおもう。 人間が一番つらい事って、存在を無視される事、らしいです。 だから、いじめる側は自分の存在が無視されないように、予防線で他の子を いじめるのかな、なんておもいます。 もっと違う事にエネルギーを向けられたらいいのに。 あ、あいさつもせずに長々と・・・もうちょっと消化できたらまたきます。 私情が入ってしまって、この話題は難しいです。もう、辛くはないけど。
藤井さんはじめ、初心者のみなさん、○の中に数字を使う文字や多くの記号は機種依存文字と言って、 同じような環境(DOS/VのWINDOWSとかMACとかの機種ね)の人にしか読めない文字なので、 この先は使わないように気をつけてください。(^_^) でも、間違えたからって気にしないでくださいね、誰もが通る道ですから。 それより、最初に言わないでごめんなさい。 うっかりお教えするのを忘れました。(ディープな話に先に食いついちゃって(^_^;;) あと、これはすでにご存じのようですけど半角のカナもインターネット上では 文字化けの原因になりますのでご注意。「。」や「、」や中点(「・」)、 さらには鍵かっこの半角なども「半角カナ」です。 詳しくはこの掲示板の下にある「次のページ」ボタンを何度か押して遡った 7月17日頃のうらはまみゆきさんの機種依存文字に関する書き込みを見てみてください。 (タイムリーな話題だわ) ってことで、お休みなさい、みなさん。
文月さんはじめまして!七海さんのところではお会いしてますよね、確か・・・。 (私七海さんのところでは殆どROMなのですが・・・) いじめのフォロー・・・これもまた難しい問題ですよね。 教師という職業の人が負っている馬鹿馬鹿しい枷みたいなものも世の中にはあるし、 なんだか「いじめ」の問題をつきつめると、日本って国の文化から、政治から、仕組みまで 遡らないとならない気がして気が重ーーくなってくるんです、私。 救えるものなら、救いたい。 私がもし母親であるなら、「学校なんて行かないでもいい」と子供に言えるようにはなりたい。 あるいは一緒に闘えるようにはなりたい。でも、子供が信頼してくれなかったら、 いじめられてることに気付かないうちに子供が自殺なんかしたりしたら、 どうしていいのか分からない。 なんだか、本当に、深い深い、日本という国の持つ傷や歪みが、いちばん弱い「子供」の世界に 吹き出してる気がするんです。 いじめって言っても、他人を傷つける目的じゃない「からかい」ってのは多分あるけれど、 いわゆる相手を傷つけ、雁字搦めに追いつめる「いじめ」ってものがない子供の世界というのは 現実にあるから、私はたまたま海の向こうでそういう楽園みたいなものを 見てきているから、なんだか、すごくすごく、歪んでいる日本の学校とか社会を見てて 息苦しくなるんですね。 そりゃあ、人間関係の悩みはもちろんその「楽園」にもあったけど、 帰国して最初に受けた迫害に、まず呆気にとられて、日本という国が好きで 自分が日本人であることを誇りに思っているのに、どうにもならないほど 日本って国がダメな気がして哀しかった。今も哀しい。 もし、目の前に「いじめ」にあってる人がいるならば、そしてその人が これを読んだりしているならば、「逃げなさい」と言いたい。 逃げることは恥じゃない。逃げる先がどこにあるかって? 親元に逃げなさい。親が無理解で、親を信用できないなら、 世の中にはカウンセラーって言う人もいる。まったく赤の他人で助けてくれる人がどこかにいる。 必死の言葉を聞いてくれる人はいると思う。きっと。 ごめんね。はっきりとは言えなくて。 でも、そういうところもあるんだよ。って教えてあげたいし、 もし私があなたの隣にいるなら、抱きしめてあげるから、逃げていいよって言いたいのね。 学校の世界と家庭しか知らないってことの恐ろしさってありますよね。 そこからはみ出たら二度と先がないような恐怖って、大学出るまであった。 でも、思う以上に世の中の許容範囲って広いんですよね。 でも、いちばん標準の軌道を通ってきた私じゃ、言っても説得力ないんだけど・・・。 難しいな、やっぱり「いじめ」は、語ろうにも私の能力や知識や誠意とかを ずっと超えてたところに根っこのある問題で、考えると苦しいです。 どうにかしたいのに、できない苦しさと、深すぎるせいで足をつっこめない怖さがある。 結局辛い子たちの苦しさを和らげてあげることはできないし、 全てのいじめられている子たちの受け皿になんてなれないから無責任なこと言えないし・・・。 いじめてる側の子の受け皿にもなりきれない。一人じゃ無理。 社会全部じゃないと、やっぱり無理。大人が歪んでるから子供も歪むんだと思うけど、 大人の歪みなんてますます手に負えないし、日本の国と、そこに育ってしまっている 歪んだ社会に至っては、もう歯車の一員だからどこがどう歪んでいるのか認識するのも難しい。 いじめの問題やら、青少年犯罪の話やら、異常犯罪の話やらは、本当に考えるとブルーになります。 どうにもできん・・・って。無力すぎると思うし、でもアクションを起こす勇気もないのね。 そこにジレンマがある。 なんだか、日本という国の上に本来あるべきじゃない異質な文化が無理矢理のっかっているが故の 歪みのような気がして、これを正すにはどこかの歴史から正さないとならない気がして 暗澹たる気持ちになってしまうんですよ・・・。誰がこんな日本にした?みたいな・・・。 よく分からないんですが・・・。 って、長いな。でもって、「役者不足」ってのは、高校生くらいの時に、 田中芳樹先生著、「創竜伝」で続にーさんに言われて以来間違えられない言葉です(笑) この経緯で「役不足」と「役者不足」の語用を覚えた人手を挙げて!>はいっ!(笑)
ひろきさん、回答ありがとうございますう。 なんかもう、わかんないことばっかで、些細なことでいちいち(凄いわ素敵だわ!!)と大騒ぎで す(ばか)。全然文明人じゃないな自分。 烈光2を読む前に友人に話を聞いたりネタバレ掲示板覗いてた私としては、読了後の自分の感覚が 書き込みされてる皆さんと微妙にズレてるのに気づいて。 うまく言えないけど、たとえば、皐のぶつけてくる言葉や感情に感応したり、亮介の思いに同調し たり、っていうことがあるから、読んでて泣けてきたり、衝撃を受けたり、痛く感じたりするんだ なあ、と。 自分がもう、そういう読み方を出来ない/していないことに気づかされました。 だから、物足りないのかな。 ネタバレ解禁が31日だそうで。あと2日ですね。 突っ込んだデーィプな話(自分必ずしも若木信奉者じゃないですが)にお付き合いただける方いら したら、こっそりメール送ってください(笑)。お待ちしています。 「もっと辛い人がいる」って考え方、いじめだけじゃなくて。 何でもそう、自分より以下(って言っていいのかわかんないが)を見て、現状に安心するって考え 方は厭だと思う。そんなネガティヴな生き方はしたくないと思う。自分、幸いにして、いじめには あったことがないので、何か言えるとしたら、それだけ。 まあささん>ネタバレ解禁日楽しみですね(うふ)。身体はなんとか……大丈夫だと、思いたい今 日この頃。ありがとございます。
文月夕(ふづき・ゆう)です。ここではまだ新顔ですね。 いじめの話題出てたので、参加させて下さい。 ええと、私は結構その手の経験はあるほうかな、と思います。 転校2回したというのもあったし、そうでなくとも私はいろいろと目立つ異端児だったので。 深刻なことにならなかったのは、家族に絶対の信頼を置いていたこと、学校外活動をしていて そこに受け入れてくれる友人がいたこと、があったからでしょうか。 学校が自分の世界のすべてだったら、きつかっただろうなと思います。 いじめというものが絶滅するとは、残念ながらちょっと思えないけど、親や教育者が気をつけることで 早期発見すること、いじめた側に悪いことだと理解させることなら出来ると思う。 鉄壁のポーカーフェイスも、クールなそぶりも、人間関係への無関心も、口の悪さも。 元々の性質じゃなかった。素養はあったと思う。でもこれはむしろ、自分が傷つかないように身につけた処世術。 そういう自分を嫌いじゃないです。 でも気軽に恋愛できなくなったことに、過去の経験が響いてないとは言えないから。 いじめ……というか、異端者を目ざとく見つけて排除しようとする子供社会の怖さを、 大人が理解してフォローしないといけないなあと思うのです。 自分でも、私みたいな人間があまり増えたら人類滅ぶぜって思っちゃうんですもの。 支離滅裂で済みませんでした。 追伸・ひろきさま。どうでもいいことですが、役者不足という言葉をきちんと(役不足、でなしに) 使っていらっしゃるのがなんとなく嬉しいです(笑)。http://www.ipe.tsukuba.ac.jp/~s970499
帯裏って、烈光の女神2巻の帯の裏側にいる青い人のことですね? うーんと、私は「おお、こんなところに皐が!」と最初に帯をめくったときに思ったのですが、 「Angel Smile」の掲示板で雪説もたくさん上がっているみたいですね。 私は雪というのは言われるまで考えつかなかったのですが、どうでしょうね?