『神道集』の神々
第二十八 地神五代事
一は天照太神である。
伊弉諾・伊弉冊尊の太子である。
今の伊勢大神宮である。
日本国の大棟梁である。
二は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊である。
この神は天照太神の太子である。
三は天津彦彦火瓊瓊杵尊である。
これは天忍穂耳尊の太子である。
母は栲幡千千姫である。
これは母は高皇産霊尊の娘である。
天下を治めること三十一万八千五百四十二年である。
始めは日向国高千穂峯に天下り、その後は同国宇解山に住まれた。
この尊の御代に、天から明鏡三面と霊剣三腰が天下った。
その三面の鏡は、一面は伊勢太神宮に在り、一面は大和国日前社に在り、一面は内裏に留まる、今の内侍所である。
次に三腰の剣は、一腰は大和国布流社に在り、一腰は尾張国熱田社に在り、一腰は内裏に留まる、今の宝剣である。
この二つの宝は世の末まで内裏守護の宝と成った。
四は彦火火出見尊。
これは瓊瓊杵尊の太子である。
母は木花開耶姫である。
これは大山祇神の娘である。
天下を治めること六十三万七千八百九十二年である。
御陵は日向国高尾山に在る。
五は鵜羽葺不合尊、また彦波鸕鷀尊と号する。
母は豊玉姫である。
海童の第二の娘である。
天下を治めること八十三万六千四十二年である。
御陵は日向国吾平山に在る。
以上を地神五代という。
この尊の第四の御子が出現された。
これは人王の始めの帝の神武天皇である。
天照太神
『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段[LINK]には
伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議て曰く、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり、何ぞ天下の主たる者を生みざらむ」とのたまふ。
是に、共に日神を生みまつります。大日孁貴と号す。〈一書に云はく、天照大神といふ。一書に云はく、天照大日孁尊といふ〉
此の子光華明彩、六合の内に照り徹る。
故れ二神喜びて曰く、「吾が息多ありと雖も、未だかく霊に異しき児有らず、久しく此の国に留めまつるべからず。自づから当に早に天に送りて、授くるに天上の事を以てすべし」とのたまふ。
是の時に、天地、相去ること未だ遠からず。故、天柱を以て、天上に挙ぐ。
第五段一書(一)[LINK]には
伊弉諾尊の曰く、「吾、御寓すべき珍の子を生まむと欲ふ」とのたまひて、乃ち左の手を以て白銅鏡を持りたまふときに、則ち化り出づる神有す。
是を大日孁貴と謂す。
右の手に白銅鏡を持りたまふときに、則ち化り出づる神有す。
是を月弓尊と謂す。
又首を廻して顧眄之間に、則ち化る神有す。
是を素戔嗚尊と謂す。
とある。
第五段一書(六)[LINK]によると、伊弉諾尊は黄泉から帰った後、筑紫の日向の小戸の橘の檍原に至って禊除をした。
八十枉津日神などの九神を生んだ後、
左の眼を洗ひたまふ。
因りて生める神を、号けて天照大神と曰す。
復右の眼を洗ひたまふ。
因りて生める神を、号けて月読尊と曰す。
復鼻を洗ひたまふ。
因りて生める神を、号けて素戔嗚尊と曰す。
凡て三の神ます。
とある。
『古事記』上巻[LINK]には
(伊邪那岐命が)是に左の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は天照大御神。
次に右の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は月読命。
次に御鼻を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は建速須佐之男命。
[中略]
此の時、伊邪那岐命大く歓喜ばして詔りたまはく、「吾は子生み生みて、生の終に、三貴子得たり」とのりたまひて、即ち其の御頸珠の玉の緒もゆらに、取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は、高天原を知せ」と、事依さして賜ひき。
とある。
『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には
伊弉諾・伊弉冊二神の尊、左の手に金鏡を持ちて陰を生す。
右の手に銀鏡を持ちて陽を生す。
名を日天子・月天子と曰す。
是、一切衆生の眼目と坐す。
故に、一切の火気、変じて日と成り、一切の水気、変じて月と成る。
三界を建立するは、日月是也。
時に、瀛都鏡・辺都鏡を国璽尊霊と為して、日神・月神自ら天宮に送て、六合を照らし給ふ。
とある。
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
『日本書紀』巻第一(神代上)の第六段[LINK]には
素戔嗚尊、天照大神の髻鬘及び腕に纏かせる、八坂瓊の五百箇の御統を乞ひ取りて、天真名井に濯きて、𪗾然に咀嚼みて吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる神を、号けて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と曰す。
次に天穂日命。〈是出雲臣・土師連等が祖なり〉
次に天津彦根命。〈是凡川内直・山代直等が祖なり〉
次に活津彦根命。
次に熊野豫樟日命。
凡て五の男ます。
是の時に、天照大神、勅して曰く、「其の物根を原ぬれば、八坂瓊の五百箇の御統は、是れ吾が物なり。故、彼の五の男神は、悉に是吾が児なり」とのたまひて、乃ち取りて子養したまふ。
第六段一書(一)[LINK]には
素戔烏尊、其の頸に嬰げる五百箇の御統の瓊を以て、天渟名井、亦の名は去来之真名井に濯ぎ食す。
乃ち生す児を正哉吾勝勝速日天忍骨尊と号す。
次に天津彦根命。
次に活津彦根命。
次に天穂日命。
次に熊野忍蹈命。
凡て五の男神ます。
第六段一書(二)[LINK]には
素戔嗚尊、持たる剣を以て天真名井に浮寄けて、剣の末を囓ひ断ちて、吹き出つる気噴の中に化生る神を、天穂日命と号く。
次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊。
次に天津彦根命。
次に活津彦根命。
次に熊野豫樟日命。
凡て五の男神ます。
第六段一書(三)[LINK]には
素戔嗚尊、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊を含みて、左の手の掌中に著きて、便ち男を化生す。
則ち称して曰く、「正哉吾勝ちぬ」とのたまふ。
故、因りて名づけて、勝速日天忍穂耳尊と曰す。
復右の髻の瓊を含みて、右の手の掌中に著きて、天穂日命を化生す。
復頸に嬰げる瓊を含みて、左の臂の中に著きて、天津彦根命を化生す。
又、右の臂の中より活津彦根命を化生す。
又、左の足の中より熯之速日命を化生す。
又、右の足の中より熊野忍蹈命を化生す。亦の名は熊野忍隅命。
其れ素戔嗚尊の生める児、皆已に男なり。
故、日神、方に素戔嗚尊の元より赤き心有るを知りて、便ち其の六柱の男を取りて、以って日神の子として、天原を治しむ。
第七段一書(三)[LINK]には
素戔嗚尊、乃ち轠轤然に、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊の綸を解き、瓊音も瑲瑲に、天渟名井に濯ぎ浮く。
其の瓊の端を囓みて、左の掌に置きて、生す児を、正哉吾勝勝速日天忍穂根尊。
復右の瓊を囓みて、右の掌に置きて、生す児を、天穂日命。此出雲臣・武蔵国造・土師連等が遠祖なり。
次に天津彦根命。此れ茨城国造・額田部連等が遠祖なり。
次に活目津彦根命。
次に熯速日命。
次に熊野大角命。
凡て六の男ます。
とある。
『古事記』上巻[LINK]には
速須佐之男命、天照大御神の、左の御みずらに纒せる八尺勾璁の五百津のみすまるの珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、天之真名井に振り滌ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。
亦右の御みずらに纒せる珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、天之菩卑能命。
亦御鬘に纒せる珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、天津日子根命。
亦左の御手に纒せる珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、活津日子根命。
亦右の御手に纒せる珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は、熊野久須毘命。〈并せて五柱〉
是に天照大御神、速須佐之男命に告りたまはく、「是の後に生れませる五柱の男子は、物実、我が物に因りて成りませり。故自ら吾が子なり。先に生まれせる三柱の女子(多紀理毘売命・市寸島比売命・田寸津比売命)は、物実、汝の物に因りて成りませり。故乃ち汝の子也」
如此詔り別けたまひき。
とある。
『古語拾遺』[LINK]には
素盞嗚神、日神〈天照大神〉に奉辞せむと欲して、天に昇ります時に、櫛明玉命迎へ奉りて、献るに瑞八坂瓊曲玉を以てす。
素盞嗚神、之を受けて、転じて日神に奉りたまひ、仍て、共に約誓して、即ち其の玉に感ひて、天祖吾勝尊を生しましき。
是を以て、天照大神、吾勝尊を育ひ、特に甚だ鐘愛し、常に、腋の下に懐きたまひ、称して腋子と曰ふ。
とある。
『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 天照大神、八坂瓊曲玉を捧げて、大八州に於て本霊鏡と為す。
火珠所成の神也。
とある。
『太平記』巻二十五の「伊勢より宝剣を進る事 附黄梁夢の事」[LINK]には
神璽は天照太神、素盞烏尊と、共為夫婦ありて、八坂瓊の曲玉をねぶり給ひしかば、陰陽成生して、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊をうみ給ふ。
此玉をば神璽と申す也。
とある。
天津彦彦火瓊瓊杵尊
『日本書紀』巻第二(神代下)の第九段[LINK]には
天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女栲幡千千姫を娶きたまひて、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生れます。
故、皇祖高皇産霊尊、特に憐愛を鐘めて、崇て養したまふ。
遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主とせむと欲す。
高皇産霊尊、真床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆ひて、降りまさしむ。
皇孫、乃ち天磐座を離ち。
且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯に天降ります。
第九段一書(一)[LINK]には
既にして、天照大神、思兼神の妹万幡豊秋津媛命を以て正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に配せまつりて妃として、これを葦原中国に降しまさしむ。
且将に降しまさむとする間に、皇孫、已に生れたまひぬ。
号を天津彦彦火瓊瓊杵尊と曰す。
時に奏すこと有りて曰く、「此の皇孫を以て代へて降さむと欲ふ」とのたまふ。
故、天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種の宝物を賜ふ。
又、中臣の上祖天児屋命・忌部の上祖太玉命・猨女の上祖天鈿女命・鏡作の上祖石凝姥命・玉作の上祖玉屋命、凡て五部の神を以て、配へて侍らしむ。
因りて、皇孫に勅して曰く、「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」とのたまふ。
已にして降りまさむとする間に、先駆の者還りて白さく、「一の神有りて、天八達之衢に居り。其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺余り。当に七尋と言ふべし。且口尻明り耀れり。眼は八咫鏡の如くして、鞄然赤酸醤に似れり」とまうす。
即ち従の神を遣して、往きて問はしむ。
時に八十万の神有り。
皆目勝ちて相問ふこと得ず。
故、特に天鈿女に勅して曰はく、「汝は是、目人に勝ちたる者なり。往きて問ふべし」とのたまふ。
天鈿女、乃ち其の胸乳を露にかきいでて、裳帯を臍の下に抑れて、咲噱ひて向きて立つ。
是の時に、衢神問ひて曰はく、「天鈿女、汝為ることは何の故ぞ」といふ。
対へて曰はく、「天照大神の子の所幸す道路に、如此居ること誰そ。敢へて問ふ」といふ。
衢神対へて曰はく、「天照大神の子、今降行すべしと聞く。故に、迎へ奉りて相待つ。吾が名は是、猨田彦大神」といふ。
時に天鈿女、復問ひて曰はく、「汝や将我に先だちて行かむ。抑我や汝に先だちて行かむ」といふ。
対へて曰はく、「吾先だちて啓き行かむ」といふ。
天鈿女、復問ひて曰はく、「汝は何処に到りまさむぞや。皇孫何処に到りましまさむぞや」といふ。
対へて曰はく、「天神の子は、当に筑紫の日向の高千穂の槵触峯に到りますべし。吾は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到るべし」といふ。因りて曰はく、「我を発顕しつるは、汝なり。故、汝、我を送りて致りませ」といふ。
天鈿女、還詣りて報状す。
皇孫、是に、天磐座を脱離ち、天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、天降ります。
果に先の期の如くに、皇孫をば筑紫の日向の高千穂の槵触峯に到します。
第九段一書(二)[LINK]には
高皇産霊尊、因りて勅して曰く、「吾は天津神籬及び天津磐境を起し樹てて、当に吾孫の為に斎ひ奉らむ。汝、天児屋命・太玉命は、天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、亦吾孫の為に斎ひ奉れ」とのたまふ。
乃ち二の神を使して天忍穂耳尊に陪従へて降す。
是の時に、天照大神、手に宝鏡を持ちたまひて、天忍穂耳尊に授けて、祝きて曰く、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡とすべし」とのたまふ。
復、天児屋命・太玉命に勅すらく、「惟爾二の神、亦同に殿の内に侍ひて、善く防護を為せ」とのたまふ。
又勅して曰く、「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」とのたまふ。
則ち高皇産霊尊の女、号は万幡姫を以て、天忍穂耳尊に配せて妃として降しまつらしめたまふ。
故、時に虚天に居しまして生める児を、天津彦彦火瓊瓊杵尊と号す。
因りて此れの皇孫を以て親に代へて降しまつらむと欲す。
故れ天児屋命・太玉命、及び諸部の神等を以て、悉皆に相授く。
且服御之物、一に前に依て授く。
然して後に、天忍穂耳尊、天に復還りたまふ。
故、天津彦火瓊瓊杵尊、日向の槵日の高千穂の峯に降到りまして、脅宍の胸副国を、頓丘から国覓ぎ行去りて、浮渚在平地に立たして、乃ち国主事勝国勝長狭を召して訪ひたまふ。
対へて曰さく、「是に国有り。取捨勅の随に」とまうす。
第九段一書(四)[LINK]には
高皇産霊尊、真床覆衾を以て、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に裹せまつりて、則ち、天磐戸を引き開け、天八重雲を排分けて、降し奉る。
時に、大伴連の遠祖天忍日命、来目部の遠祖天槵津大来日を帥ゐて、背には天磐靫を負ひ、臂には稜威高鞆を着き、手には天梔弓・天羽々矢を捉り、及び八目鳴鏑を副持、又頭槌剣を帯き、天孫の前に立ちて、遊行き降来りて、日向の襲の高千穂の槵日の二上峯の天浮橋に到りて
第九段一書(六)[LINK]には
天忍穂根尊、高皇産霊尊の女子栲幡千千姫万幡姫命〈亦は云はく、高皇産霊尊の児火之戸幡姫の児千千姫命といふ〉を娶りたまふ。
而して児天火明命を生む。
次に天津彦根火瓊瓊杵根尊を生みまつる。
其の天火明命の児天香山は、是れ尾張連等の遠祖なり。
高皇産霊尊、乃ち真床覆衾を用て、皇孫天津彦根火瓊瓊杵根尊に裹せまつりて、天八重雲を排被けて、降し奉らしむ。
故、此の神を称して天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊と曰す。
時に、降到りましし処をば、呼ひて日向の襲の高千穂の添山峯と曰ふ。
第九段一書(七)[LINK]には
高皇産霊尊の女天万栲幡千幡姫。〈一に云はく、高皇産霊尊の児万幡姫の児玉依姫命といふ〉
此の神、天忍骨命の妃と為りて、児天之杵火火置瀬尊を生みまつる。
一に云はく、勝速日命の児天大耳尊。此の神、丹舃姫を娶りて、児火瓊瓊杵尊を生みまつるといふ。
一に云はく、神皇産霊尊の女栲幡千幡姫、児火瓊瓊杵尊を生みまつるといふ。
第九段一書(八)[LINK]には
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女天万栲幡千幡姫を娶りて、妃として児を生む。
天照国照彦火明命と号く。是尾張連が遠祖なり。
次に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊。
とある。
『古事記』上巻[LINK]には
爾に天照大御神・高木神の命以ちて、太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に詔りたまはく、「今葦原中国を平け訖へぬと白す。故言依し給へりし隨に、降り坐して知しめ看せ」とのりたまひき。
爾に其の太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の答白したまはく、「僕は、降りなむ装束せし間に、子生れ坐しつ。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命。此の子を降す応し」とまをしたまひき。
此の御子は、高木神の女、万幡豊秋津師比売命に御合ひまして、生みませる子、天火明命、次に日子番能邇邇芸命〈二柱〉にます。
是を以て白したまふ随に、日子番能邇邇芸命に詔科せて、「此の豊葦原水穂国は、汝知さむ国と、言依さし賜ふ。故命の随に天降ります可し」とのりたまひき。
爾に日子番能邇邇芸命、天降りまさむとする時に、天之八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国を光す神、是に有り。
故天照大御神・高木神の命以ちて、天宇受売神に、「汝は手弱女なれども、いむかふ神と面勝つ神なり。故専ら汝往きて問はむは、『吾が御子の天降りまさむと為る道を、誰ぞ如此て居る』と問へ」と詔りたまひき。
故問はせ賜ふ時に、答へ白さく、「僕は国神、名は猨田毘古神也。出で居る所以は、天神の御子天降坐すと聞きつる故に、御前に仕へ奉らむとして、参ゐ向へ侍ふぞ」とまをしたまひき。
爾に天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命、并せて五伴緒を、支り加へて、天降りまさしめたまひき。
是に其のをきし八尺の勾璁、鏡、また草那芸剣、亦常世思金神・手力男神・天石門別神を副へ賜ひて、詔りたまへらくは、「此の鏡は、專ら我が御魂として、吾が前を拝くが如、いつき奉れ、次に思金神は、前の事を取り持ちて政を為たまへ」とのりたまひき。
此の二柱の神は、ささくしろ伊須受能宮に拝き祭る。
次に登由宇気神、此は外宮の度相に坐す神なり。
次に天石戸別神、亦の名は櫛石窓神と謂し、亦の名は豊石窓神とも謂す。
此の神は御門の神なり。
次に手力男神は佐那県に坐せり。
故其の天児屋命は、中臣連等の祖、布刀玉命は、忌部首等の祖、天宇受売命は、猨女君等の祖、伊斯許理度売命は、作鏡連等の祖、玉祖命は、玉祖連等の祖なり。
故爾に天津日高日子番能邇邇芸命、天之石位を離れ、天之八重多那雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天浮橋に、うきじまり、そりたゝして、竺紫の日向の、高千穂之久士布流多気に天降り坐しき。
故爾に天忍日命・天津久米命、二人、天之石靱を取り負ひ、頭椎之大刀を取り佩き、天之波士弓を取り持ち、天之真鹿児矢を手挟み、御前に立ちて仕へ奉りき。
故其の天忍日命、此は大伴連等が祖、天津久米命、此は久米直等が祖也。
とある。
『大和葛城宝山記』[LINK]には
天津彦彦火瓊瓊杵尊 神勅に曰く、「天杵尊を以て中国の主と為せ」。
玄龍車・追真床の縁の錦の衾、〈今の世に、小車の錦の衾と称するは是の縁也〉八尺流大鏡、赤玉の鈴、草薙剣を賜はりて寿ぎて曰く、「嗚乎、汝杵、敬みて吾が寿ぐを承れ、手に流鈴を把り、御無窮無念を以てせば、爾の祖吾、鏡中に在り」と宣たまはく。
凡そ中国の初、万の物を定むるに霊有る所の草樹を以て、言魔神と称ひて兢み扇る。
今杵を以て之に就くるの故に、名づけて皇孫杵独王と称ふ也。
今の世に曰ふ、伊勢の国山田原に坐します止由気太神の相殿に坐します也。
とある。
彦火火出見尊
『日本書紀』巻第二(神代下)の第九段[LINK]には
時に彼の国に美人有り。
名を鹿葦津姫と曰ふ。〈亦の名は神吾田津姫。亦の名は木花之開耶姫〉
皇孫、此の美人に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのたまふ。
対へて曰さく、「妾は是、天神の、大山祇神を娶きて、生ましめたる児なり」とまうす。
皇孫因りて幸す。
即ち一夜にして有娠みぬ。
皇孫、未信之して曰く、「復天神と雖も、何ぞ能く一夜の間に、人をして有娠ませむや。汝が所懐めるは、必ず我が子に非じ」とのたまふ。
故、鹿葦津姫、忿恨みまつりて、乃ち無戸室を作りて、其の内に入り居りて、誓ひて曰く、「妾が所娠める、若し天孫の胤に非ずは、必当ず焦け滅びてむ。如し天孫の胤ならば、火も害ふこと能はじ」といふ。
則ち火を放けて室を焼く。
始めて起る烟の末より生り出づる児を、火闌降命と号く。〈是隼人等が始祖なり〉
次に熱を避りて居しますときに、生り出づる児を、彦火火出見尊と号く。
次に生り出づる児を、火明命と号く。〈是尾張連等が始祖なり〉
凡て三子ます。
第九段一書(二)[LINK]には
時に皇孫、因りて宮殿を立てて、是に遊息みます。後に海浜に遊幸して、一の美人を見す。
皇孫問ひて曰く、「汝は是誰が子ぞ」とのたまふ。
対へて曰さく、「妾は是大山祇神の子。名は神吾田鹿葦津姫、亦の名は木花開耶姫」とまうす。
因りて白さく、「亦吾が姉磐長姫在り」とまうす。
皇孫の曰く、「吾汝を以て妻とせむと欲ふ。如之何」とのたまふ。
対へて曰さく、「妾が父大山祇神在り。請はくは垂問ひたまへ」とまうす。
皇孫、因りて大山祇神に謂りて曰く、「吾、汝が女子を見す。以て妻とせむと欲ふ」とのたまふ。
是に、大山祇神、乃ち二の女をして、百机飲食を持たしめて奉進る。
時に皇孫、姉は醜しと謂して、御さずして罷けたまふ。妹は有国色として、引して幸しつ。
則ち一夜に有身みぬ。
故、磐長姫、大きに慙ぢて誰ひて曰はく、「仮使天孫、妾を斥けたまはずして御さましかば、生めらむ児は寿永くして、磐石の有如に常存らまし。今既に然らずして、唯弟をのみ独見御せり。故、其の生むらむ児は、必ず木の花の如に、移落ちなむ」といふ。
一に云はく、磐長姫恥ぢ恨みて、唾き泣ちて曰はく、「顕見蒼生は、木の花の如に、俄に遷転ひて衰去へなむ」といふ。此世人の短折き縁なりといふ。
是の後に、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見たてまつりて曰さく、「妾、天孫の子を孕めり。私に生みまつるべからず」とまをす。
皇孫の曰く、「復天神の子と雖も、如何ぞ一夜に人をして娠せむや。抑吾が児に非ざるか」とのたまふ。
木花開耶姫、甚だ慙ぢ恨み、乃ち無戸室を作りて、其の内に入り居りて、誓ひて曰く、「吾が所娠める、是若し他神の子ならば必ず不幸けむ。是実に天孫の子ならば、必ず当に全く生きたまへ」といひて、則ち其の室に入りて、火を以けて室を焚く。
焔初め起る時に共に生む児を、火酢芹命と号す。
次に火の盛なる時に生む児を、火明命と号く。
次に生む児を、彦火火出見尊と号す。
亦の号は火折尊。
第九段一書(三)[LINK]には
初め火焔明る時に生める児、火明命。
次に火炎盛なる時に生める児、火進命。又曰く、火酢芹命。
次に火炎避る時に生める児、火折彦火火出見尊。
第九段一書(五)[LINK]には
天孫、大山祇神の女子吾田鹿葦津姫を幸す。
則ち一夜に有娠みぬ。遂に四の子を生む。
故吾田鹿葦津姫、子を抱きて来進みて曰さく、「天神の子を、寧ぞ私に養しまつるべけむや。故、状を告して知聞えしむ」とまうす。
是の時に、天孫、其の子等を見して嘲ひて曰く、「妍哉、吾が皇子、聞き喜くも生れませるかな」とのたまふ。
故、吾田鹿葦津姫、乃ち慍りて日はく、「何為れぞ妾を嘲りたまふや」といふ。
天孫の曰く、「心に疑し。故、嘲る。何とならば、復天神の子と雖も、豈能く一夜の間に人をして有身ませむや。固に吾が子に非じ」とのたまふ。
是を以て、吾田鹿葦津姫、益恨みて、無戸室を作りて、其の内に入居りて誓ひて曰く、「妾が娠める、若し天神の胤に非ずは、必ず亡せよ。是若し天神の胤ならば、害るること無けむ」といふ。
則ち火を放けて室を焚く。
其の火の初め明る時に、躡み誥びて出づる児、自ら言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火明命。吾が父、何処にか坐します」とのたまふ。
次に火の盛なる時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火進命。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。
次に火炎の衰る時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火折尊。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。
次に火熱を避る時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は彦火火出見尊。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。
第九段一書(六)[LINK]には
天孫、又問ひて曰く、「其の秀起つる浪穂の上に、八尋殿を起てて、手玉も玲瓏に、織経る少女は、是誰が子女ぞ」とのたまふ。
答へて曰さく、「大山祇神の女等、大を磐長姫と号ふ、少を木花開耶姫と号ひ、亦の号は、豊吾田津姫とまうす」、云々。
皇孫、因りて豊吾田津姫を幸す。
則ち、一夜にして有身めり。
皇孫疑ひたまふ、云々。
遂に火酢芹命を生む。
次に火折尊を生みまつる。亦の号は彦火火出見尊。
第九段一書(七)[LINK]には
天杵瀬命(天之杵火火置瀬尊)、吾田津姫を娶りて、児火明命を生みまつる。
次に火夜織命。次に彦火火出見尊といふ。
第九段一書(八)[LINK]には
此の神(天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊)、大山祇神の女子木花開耶姫命を娶りて、妃としたまひて、児を生ましむ。
火酢芹命と号く。次に彦火火出見尊。
とある。
『古事記』上巻[LINK]には
是に天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に、麗き美人の遇へるに、爾ち「誰が女ぞ」と問ひたまひき。
答へ白したまはく、「大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売」と謂したまひき。
「又汝が兄弟有りや」と問ひたまへば、「我が姉石長比売在り」と答白したまひき。
爾詔りたまはく、「吾汝に目合せむと欲ふは奈何に」とのりたまへば、「僕は得白さじ。僕が父大山津見神ぞ白さむ」とまをしき。
故其の父大山津見神に乞ひに遣はしける時に、大く歓喜びて、其の姉石長比売を副へて、百取の机代の物を持たしめて、奉出だしき。
故爾に其の姉は、甚と凶醜きに因りて、見畏みて、返し送りたまひて、唯其の弟木花之佐久夜毘売のみをのみ留めて、一宿婚はしつ。
爾に大山津見神、石長比売を返したまひしに因りて、大く恥ぢて、白し送りたまひける言は、「我が女二り並べて立奉れる由は、石長比売を使はしてば、天神の御子の命は、雨零り風吹けども、恒なること石の如く、常堅に不動に坐しませ。亦木花之佐久夜毘売を使はしてば、木の花の栄ゆるが如、栄え坐さむと、うけひて貢進りき。此るに今石長比売を返して、木花之佐久夜毘売独り留めたまひつれば、天神の御子の御寿は、木の花のあまひのみ坐しなむ」とまをしたまひき。
故是を以て今に至るまで、天皇命等の御命長くはまさゞるなり。
故後に木花之佐久夜毘売、参出て白したまはく、「妾妊身るを、今産む時に臨りぬ。是の天神の御子、私に産みまつる可きにあらず故請す」とまをしたまひき。
爾詔りたまはく、「佐久夜毘売、一宿にや妊める。是は我が子に非じ。必ず国神の子にこそあらめ」とのりたまへば、「吾が姙める子、若し国神の子ならむには、産むこと幸からじ。若し天神の御子に坐さば幸からむ」と答白して、戸無き八尋殿を作りて、其の殿内に入りまして、土以て塗り塞ぎて、産ます時に方りて、其の殿に火を著けてなも産みましける。
故其の火の盛に焼ゆる時に、生れませる子の名は、火照命、〈此は隼人阿多君の祖〉、次に生れませる子の名は、火須勢理命、次に生れませる子の御名は、火遠理命、亦の名は天津日高日子穂穂出見命。〈三柱〉
とある。
鵜羽葺不合尊(彦波鸕鷀尊)
『日本書紀』巻第二(神代下)の第十段[LINK]には
(彦火火出見尊が海神の宮から)将に帰去りまさむとするに及りて、豊玉姫、天孫に謂りて曰さく、「妾已に娠めり。当産久にあらじ。妾、必ず風濤急峻からむ日を以て、海浜に出で到らむ。請はくは、我が為に産室を作りて相待ちたまへ」とまうす。
[中略]
後に、豊玉姫、果して前の期の如く、その女弟玉依姫を将ゐて、直に風波を冒して、海辺に来到る。
臨産時に逮びて、請ひて曰さく、「妾、産まむ時に、幸はくはな看ましそ」とまうす。
天孫猶忍ぶること能はずして、竊に往きて覘ひたまふ。
豊玉姫、方に産むときに竜に化為りぬ。
而して、甚だ慙ぢて曰く、「如し我を辱めざること有りせば、海陸相通はしめて、永く隔絶つこと無からまし。
今既に辱みつ。将に何を以てか親昵しき情を結ばむ」といひて、乃ち草を以て児を裹み、これを海辺に棄てて、海途を閉じて俓に去ぬ。
故、因りて以て児を名づけまつりて、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と曰す。
第十段一書(一)[LINK]には
豊玉姫従容に語りて曰さく、「妾已に有身めり。風濤壮からむ日を以て、海辺に出で到らむ。請ふ、我が為に産屋を造りて待ちたまへ」とまうす。
是の後に、豊玉姫、果して其の言の如く来至る。
火火出見尊に謂して曰さく、「妾、今夜産まむとす。請ふ、な臨ましそ」とまうす。
火火出見尊、聴しめさずして、猶櫛を以て火を燃して視す。
時に豊玉姫、八尋の大熊鰐に化為りて、匍匐ひ逶虵ふ。
遂ひに辱められたるを以て恨として、則ち、俓に海郷に帰る。其の女弟玉依姫を留めて、児を持養さしむ。
児の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と称す所以は、彼の海浜の産屋に、全く鸕鷀の羽を用て草にして葺けるに、甍合へぬ時に、児即ち生れませるを以ての故に、因りて名づけたてまつる。
第十段一書(三)[LINK]には
豊玉姫、天孫に謂して曰さく、「妾已に有娠めり。天孫の胤を、豈海の中に産むべけむや。故、産まむ時には、必ず君が処に就でむ。如し我が為に屋を海辺に造りて、相待ちたまはば、是所望なり」とまうす。
故、彦火火出見尊、已に郷に還りて、即ち鸕鷀の羽を以て、葺きて産屋を為る。
屋の甍未だ合へぬに、豊玉姫、自らに大亀に馭りて、女弟玉依姫を将ゐて、海を光して来到る。
時に孕月已に満ちて、産む期方に急りぬ。
此に由りて、葺き合ふるを待たずして、徑に入り居す。
已にして従容に天孫に謂して曰さく、「妾方に産むときに、請ふ、な臨ましそ」とまうす。
天孫、心に其の言を怪びて窃に覘ふ。
則ち八尋大鰐と化為りぬ。
而も天孫の視其私屏したまふことを知りて、深く慙恨みまつることを懐く。
既に児生れて後に、天孫就きて問ひて曰く、「児の名を何に称けば可けむ」といふ。
対へて曰さく、「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と号くべし」とまうす。
言ひ訖りて、乃ち海を渉りて俓に去ぬ。
とある。
『古事記』上巻[LINK]には
是に海神の女、豊玉毘売命、自ら参出て白したまはく、「妾已くより妊身るを、今産むべき時に臨りぬ。此を念ふに、天神の御子を、海原に生みまつる可きにあらず。故参出到つ」とまをしたまひき。
爾即ち其の海辺の波限に、鵜の羽を葺草に為て、産殿を造りき。
是に其の産殿未だ葺き合へぬに、御腹之急忍へがたくなりたまひければ、産殿に入り坐しき。
爾に産みまさむとする時に、其の日子に白したまはく、「凡て佗国の人は、産む時に臨れば、本国の形に以りてなも産生むなる。故妾も今本身に以りて、産みなむ。妾をな見たまひそ」と言したまひき。
是に其のを奇しと思ほして、其の方に産みたまふを竊伺たまへば、八尋和邇に化りて、匍匐ひ委蛇ひき。
即見驚き畏みて、遁げ退きたまひき。
爾に豊玉毘売命、其の伺見たまひし事を知らして、心恥しと以為ほして、其の御子を生み置きて、「妾恒は海道を通して、往来はむとこそ欲ひしを、吾が形を伺見たまひしが甚と怍しきこと」と白して、即ち海坂を塞きて、返り入りましき。
是を以て其の産れませる御子の名を、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂す。
とある。
地神五代
『日本書紀』等には「地神五代」に相当する呼称は無いが、平安時代末期までには人皇以前を「天神七代」「地神五代」として定式化するようになった(例えば、藤原資隆『簾中抄』上の帝王御次第の条[LINK])。
『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には
天神七葉は、過去の七仏。転じて天の七星と呈はる。
地神五葉は、現在の四仏に遮那を加増して五仏と為す。化して地の五行神と成る。
とある。
天津神である天照大神を「地神」とする理由について、北畠親房『神皇正統記』[LINK]には
天照太神・吾勝尊は天上に留り給へど、地神の第一、第二に数へたてまつる。
其の始は天下の主たるべしとて生れ給し故にや。
とある。
一条兼良『日本書紀纂疏』巻第二(神代上之二)[LINK]には
日輪は、火珠の成る所、径五十一由旬、周囲百五十三由旬、厚六由旬零十八分。
上に金縁有り、其の上に復た金銀琉璃玻琍珂等有り、四角を秀成す。
日天子等の居る所の宮殿なり。
風に由て運行し、一昼一夜、四大洲を遶る。
月輪は、水珠の成る所、径五十由旬、周囲百五十由旬、厚六由旬零十八分。
其の上に復た金銀琉璃玻琍珂等有り、四角を秀成す。
月天子等の居る所の宮殿なり。
仏教に依らば則ち四王天を指す也。
倶舎論に云く、日・月・衆星、何に依て住する、風に依て住す。
謂る諸の有情の業増上力にて、共に風を引き起し、妙高山の空中を遶り、旋環して、日等を運持して、停墜せざらしむ。
彼の住す所、此を去ること四万踰繕那、持双山の頂、妙高山の半に斉し。
とある。
二藤京「『日本書紀纂疏』における帝王の系譜」[LINK]には
仏教的世界観では、世界には有情世間と器世間があり、有情が前世の業によって、器世間に輪廻転生すると見る。
器世間は、天・地上・地下に分けられるが、須弥山頂を境に「天」は二層化される。
すなわち、須弥山頂以上の諸天を空居天、山頂以下の三十三天と四王天を地居天とするのである。
したがって、日月等の宮殿は須弥山より低い地居天に属することになる。
『纂疏』にいう「依仏教則指四王天也」とはこれである。
要約すればこうなる。
すなわち、日月の宮殿は四大洲を基準にして見れば、地面を離れた上空にあるのだから、当然、天界といえる。
しかし、その天界は、いまだ須弥山中腹にある地居天にすぎない。
要約すれば、『纂疏』は、仏教のいう空居天・地居天という概念を以って、天神・地神を対置的に定位し、アマテラスを『倶舎論頌疏』にいう日天子とみなし、それが須弥山の中腹にあることから、天神の下位に位置づく地神としたのである。
とある。
(二藤京「『日本書紀纂疏』における帝王の系譜」, 高崎経済大学論集, 49巻, 3・4合併号, pp.139-152, 2007)
神武天皇
『日本書紀』巻第二(神代下)の第十一段[LINK]には
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、其の姨玉依姫を以て妃としたまふ。
彦五瀬命を生しませり。
次に稲飯命、次に三毛入野命、次に神日本磐余彦尊。
凡て四の男を生す。
第十一段一書(一)[LINK]には
先づ彦五瀬命を生みたまふ。
次に稲飯命、次に三毛入野命、次に狭野尊、亦は神日本磐余彦尊と号す。
狭野と所称すは、是、年少くまします時の号なり。
後に天下を撥ひ平げて、八洲を奄有す。
故、復号を加へて、神日本磐余彦尊と曰す。
第十一段一書(二)[LINK]には
先づ五瀬命を生みたまふ。
次に三毛野命、次に稲飯命、次に磐余彦尊、亦は神日本磐余彦火火出見尊と号す。
第十一段一書(三)[LINK]には
先づ彦五瀬命を生みたまふ。
次に稲飯命、次に神日本磐余彦火火出見尊、次に稚三毛野命。
第十一段一書(四)[LINK]には
先づ彦五瀬命を生みたまふ。
次に磐余彦火火出見尊、次に彦稲飯命、次に三毛入野命。
とある。
同書・巻第三(神武天皇即位前紀)[LINK]には
神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四子なり。
母を玉依姫と曰す。
海童の少女なり。
天皇、生れましながらにして明達し。
意礭如くます。
年十五にして、立ちて太子と為りたまふ。
とある。
『古事記』上巻[LINK]には
是の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、姨玉依毘売命に娶ひまして、生みませる御子の名は、五瀬命。
次に稲氷命。
次に御毛沼命。
次に若御毛沼命。
亦の名は豊御毛沼命。
亦の名は神倭伊波礼毘古命。〈四柱〉
故御毛沼命は、波の穂を跳みて、常世国に渡り坐し、稲氷命は、妣の国と為て、海原に入り坐しき。
とある。
日向国高千穂峯
参照: 「神道由来之事」日向国高千穂峯
同国宇解山
参照: 「神道由来之事」日向国宇解山
伊勢太神宮
参照: 「神道由来之事」内宮
大和国日前社
大和国は紀伊国の誤記である。
参照: 「神道由来之事」紀伊国日前社
内侍所
参照: 「神道由来之事」内侍所
大和国布流社
参照: 「神道由来之事」大和国布流社
尾張国熱田社
参照: 「熱田大明神事」熱田大明神
日向国高尾山
高尾山は高屋山の誤記である。
参照: 「神道由来之事」日向国高屋山
日向国吾平山
参照: 「神道由来之事」日向国吾平山
日向三代の年数
『日本書紀』巻第三[LINK]には
(神日本磐余彦尊は)年四十五歳に及りて、諸の兄及び子等に謂りて曰はく、「昔我が天神、高皇産霊尊・大日孁貴、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまへり。是に火瓊々杵尊、天関を闢きて雲路を披け、仙蹕駈ひて戻止リます。[中略]皇祖皇考、乃神乃聖にして、慶びを積み暉を重ねて、多に年所を歴たり。天祖の降跡りましてより以逮、今に一百七十九万二千四百七十余歳。[以後略]」
とある。
日向三代の各年数は『日本書紀』には見られないが、『倭姫命世記』[LINK]には
(天津彦彦火瓊瓊杵尊)天下を治しめすこと三十一万八千五百四十三年
彦火火出見尊、天下を治しめすこと六十三万七千八百九十二年
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、天下を治しめすこと八十三万六千四十二年
とあり、『神道集』とは瓊瓊杵尊の治世年数に一年の差異が有る。
【参考】地神五代の異説
『曾我物語(真名本)』巻一[LINK]には
それ、日域秋津島と申すは、国常立尊より以来、天神七代・地神五代、都合十二代は神代としてさて置きぬ、地神五代の末の御神をば早日且居尊と申す。
御代に出て御在して本朝を治らせ給うこと七千五百三十七年なり。
その次の御代に出で給ふ御神をば大和日高見尊と申す。
本朝を治らせ給ふこと十二万八千七百八十五年なり。
その次の御代に出で給ふ御神をば早富大足尊と申す。
本朝を治むこと七千五百十二年なり。
その次の御代に出で給ふ御神をば鵜羽葺不合尊と申す。
本朝を治むこと十二万三千七百四十二年なり。
その後、神代七千年の間絶えて、安日といふ鬼王世に出て治むること七千年なり。
その後、鵜羽葺不合尊の第四代の御孫子神武天王世に出でさせ給ひ、安日が代を諍ひし時、天よりこ霊剣三腰雨り下つて安日が悪逆を鎮め給ひしかば、天王勲をなしつつ、安日が部類をば東国外の浜へ追ひ下さる。
今の醜蛮と申すはこれなり。
この神武天王、人代百王の始めの帝として本朝を治め給ふこと九十七年なり。
とある。