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							| 「内藤笙子の憂鬱」 
 
 内藤笙子が写真部に入部してから二週間が経った。大好きな蔦子様にあこがれて、蔦子様と一緒にいたくて勢いで入ってしまったようなものだけど、蔦子さまは笙子の面倒をよく見てくれた。放課後は二人で体育館やグラウンドに行き、いろいろな部活の写真を撮ってまわった。笙子のカメラはお姉ちゃんのお古のデジカメだったけど、蔦子さんは「まず撮影することが大事」と言ってそんなことは気にしていないようだった。笙子はそんな日々が楽しくてしかたがなかった。
 そんなある日の放課後。
 「蔦子さま!」
 「どうしたの笙子ちゃん?」
 「お父さんが」
 「お父さんが?」
 「来月カメラ買ってくれることになったんです!」
 「良かったじゃない。二週間説得しつづけたんだっけ」
 「はい。フィルムのやつが欲しいって言って」
 蔦子さまは部室の棚のフィルムが入ったファイルを整理している。
 「これで蔦子さまと同じ土俵に立てます」
 「同じ土俵?とんでもない。ビシビシしごいてあげるからね」
 「はい!」
 笙子は元気よく返事をした。蔦子さまは笑っていた。笙子は、こんな蔦子さまの笑顔が大好きだった。でも、この二週間で、ある違和感を蔦子さまに感じるようになったのも確かなことだった。違和感。受け入れがたいような、許せないような。でも笙子は、この感情が何であるかはっきりと理解できなかった。どうしてだろう。大好きなのに。
 
 
 
 新しいカメラは重くて、扱いにくかった。小型のデジカメに慣れた笙子の手にあまる代物だ。
 「これでも昔と比べると随分良くなっているのよ。軽いし。」
 と蔦子さまは言い、フィルムを入れるのを手伝ってくれる。
 「慣れよ慣れ。これが傷だらけになるまで、使い込んでみてはじめてわかることだわ」
 「そう・・いうものなんでしょうか」
 「そのとおり。だから最初はうまくいかないかもしれないけど、心配しないで。ね。なにしろあなたには、写真部のエースがついているんだから」
 「はい!」
 元気よく返事する笙子だったが、何か心に引っかかるものがあった。でもそれが何かわからない。蔦子さまからの違和感はまだ消えていない。だからと言ってそれはいつもあるわけではではなく、時々笙子の気持ちを重くさせるのだった。重いカメラ。レンズの輝き。写真部の”エース”。
 「今日はグラウンドに行ってみましょうか。久しぶりにテニス部でも撮ってみるかなぁ」
 蔦子さまは立ち上がり、
 「行きましょ」
 「はい」
 笙子も蔦子さまの後について放課後の部室を出た。
 
 
 
 軽快な音とともにボールが行き交う。テニスコートだ。今日は試合形式で練習しているようだ。
 「テニスはボールが小さいし意外と動きが速いから、撮影の前によく見て目を慣らしておくといいわ」
 「はい」
 笙子は蔦子さまの後をついて歩く。蔦子さまはいくつかあるコートを見回すと、
 「あ、桂さんだ」
 と言って小走りになった。笙子も走る。カメラの重さが、首のストラップごしに伝わってくる。撮影にはフットワークも重要なのだと、笙子はこのとき悟った。写真部って、もしかしたら運動部なみにきついのかもしれない。
 蔦子さまはもう位置についていて、一人の生徒にレンズを向けていた。きっとその人が桂さまなのだろう。桂さまはこれからまさにサーブを打たんとするところで、ボールを投げ上げると大きく伸び上がって背をそらし、一気にラケットを振り下ろしボールに叩きつける。一連の動作は流れるようできれいだった。
 笙子は蔦子さまが桂さまのサーブをカメラに収めるのを見た。このときは、あの違和感はなかった。
 笙子が蔦子さまの隣に立つと、蔦子さまは、
 「笙子ちゃん、桂さんもう一発打つわよ」
 と言ってまたカメラを構える。笙子もカメラを構え、今度はファインダーの中で桂さまの動きを見た。桂さまが大きく背をそらすと、ボールが勢いよく飛び出し、相手はボールを拾えない。笙子は動きを追うのがやっとで、シャッターを押すどころではなかった。
 「う・・・美しい」
 笙子は蔦子さまがつぶやくのを聞いた。
 カメラを下ろすと桂さまはガッツポーズで飛びはねていて、ショートカットの髪もはねるほどだ。練習試合は桂さまが勝ったようだった。桂さまがコートから出てくると、蔦子さまは桂さまの前に飛び出してシャッターを何度も押している。
 「あら、蔦子さん」
 声をかけられると蔦子さまはカメラを下ろし、
 「桂さん、良かったわよ」
 と答えるけれど、またカメラを桂さまに向ける。
 「汗だらけだし、髪も乱れてるからちょっと待ってくれる?」
 「その汗がいいのよ。髪の乱れがいいのよ。美しいわ」
 桂さまは勝って気分がいいのか、そう言いながらも蔦子さまの邪魔はしなかった。
 その汗がいいのよ。髪の乱れがいいのよ。それを聞いたとき、笙子にあの違和感が走った。
 桂さまはコート脇のベンチに座ると、タオルで汗を拭きながらこちらを見た。
 「蔦子さん、こちらの方は?」
 「新入部員」
 蔦子さまは笙子の肩をぽんぽんとたたいた。
 「初めまして。一年菊組、内藤笙子です。よろしくお願いします」
 「笙子さんね。私は二年藤組の・・・そうね、「桂さん」と呼んでくれればいいわよ」
 「はい、桂さま。」
 「ま、「さん」でも「さま」でもどっちでもいいけどね。」
 そう言って桂さまはスポーツドリンクを飲み干した。
 「桂さん、立ってるところを撮りたいんだけどいいかしら?」
 「いいわよ」
 桂さんが立ち上がると、蔦子さまは
 「桂さんの足ってかっこいいわ」
 と言ってカメラを構える。桂さまは気分がいいのか、蔦子さまの方に片足を出してポーズをとる。テニス部のユニフォームはスカートが短いから、足がほとんど全部露出している。蔦子さまは足を中心にした構図にしたいのか、その場でしゃがんだ。その時、また笙子に違和感が走った。
 「テニスやってると足太くなっちゃうけど」
 「鍛えられてるところがいいんじゃない」
 蔦子さまは何枚か撮った後、
 「じゃ今度は後から」
 と言って立ち上がる。
 「今日は注文が多いわねえ」
 とか言いつつも、桂さまは後ろを向いて足を少し開き、片手を腰に当て振り返る。もう一方の手は頭の後ろ。もはやテニスとは無関係なポーズだが、蔦子さまはアングルや構図を変えひたすらシャッターを切る。
 「桂さん、ありがとう。いい写真が撮れたわ」
 「あとで写真頂戴ね」
 「もちろん。それじゃ」
 「ごきげんよう」
 笙子も頭を下げて、テニスコートを後にした。
 「笙子ちゃん、気がついた?」
 クラブハウスへ戻る道で、蔦子さまが楽しげに聞いてくる。
 「何のことでしょうか?」
 「桂さんってね、お尻の形も綺麗なのよ」
 その時、笙子は自分が感じていた違和感の正体を理解した。
 
 
 
 笙子は憂鬱だった。こんなこと誰に話したらいいんだろう。蔦子さま本人に面と向かって言えないし。蔦子さまをよく知っている二年生って誰だろう。やっぱり新聞部の真美さまだろうか。それとも紅薔薇のつぼみの祐巳さまだろうか。祐巳さまの写真はたくさん見ていたので、あまり他人のような気がしない笙子だった。とりあえず真美さまに聞いてみよう。笙子は新聞部へ向かった。
 放課後、新聞部のドアをノックすると
 「どうぞ」
 と声がしたので中にはいった。中には真美さまと日出実さんしかいないようだ。
 「真美さま」
 「どうしたの笙子ちゃん。深刻な顔して」
 真美さまは空いている椅子に笙子を座らせて、自分も隣に座る。
 「あの、蔦子さまのことなんですけど」
 「蔦子さんがどうかしたの?別に変な様子とかなかったけど」
 「私の思い過ごしかもしれませんが、」
 そこで笙子は息を吸って、一気に言った。
 「蔦子さまって、オヤジくさくありませんか?できればそれをやめてもらいたいんです」
 「そういう言い回しは初耳だわ」
 真美さまは不思議そうな目で笙子を見る。
 「確かに蔦子さんは大人だけどね。普通の高校二年生とは違うと思うよ。いろいろなものの見方ができるし」
 「いろいろなものの見方?」
 「そう。本人は女子高生なのに、少年の立場からだったり、それこそ大人の男性の視点から見たりとか。」
 「・・・・・・」
 「だから捕らえどころがなかったりするけど、蔦子さんってそういう人よ。尊敬してるわ。いろいろな立場で物を見るって、難しいことなのよ」
 「そうですか。ありがとうございます。」
 「まだ不満な感じね」
 「そ、そんな事は」
 「まだ蔦子さんとのお付き合いは始まったばかりでしょう。そのうちわかるときが来るわよ。なあんだ、そんなことかって。」
 「そんなものなんでしょうか」
 「そんなものよ。」
 「笙子ちゃん、蔦子さんのこと好き?」
 「・・・はい」
 「それなら大丈夫よ。安心して」
 なんだか真美さまにはうまく言いくるめてられてしまったような気もするけど、少しだけ肩が楽になった笙子だった。
 
 
 
 紅薔薇のつぼみこと福沢祐巳さまは、蔦子さまが多分一番多く撮ってる人。この人も、蔦子さまのことをよく知ってるかもしれない。でも、つぼみだし、こんなことで相談できる筋合いはないと思ったけれど、他に方法を思いつかない。笙子は思い切って話を聞いてみようと思った。だって、蔦子さまのことを早く理解したかったから。
 一時間目と二時間目の休み時間に、思い切って二年松組に行ってみた。教室の後の入り口から中を覗いてみたが、祐巳さまの姿は見当たらない。そのとき、笙子は突然肩を軽くたたかれ、飛び上がりそうになった。
 「笙子ちゃん、どうしたの」
 蔦子さまだった。そういえば、蔦子さまは祐巳さまと同じクラスだったっけ。
 「あの、福沢祐巳さまとお話がしたいんです。」
 「祐巳さんね。ちょっと待ってて」
 蔦子さまは教室に入っていくと、程なく祐巳さまと一緒に戻ってきた。なぜか、真美さまも一緒だ。
 「ごきげんよう笙子ちゃん、茶話会以来ね。」
 「ごきげんよう祐巳さま」
 「話って、何かな?」
 と祐巳さまが言うけれど、蔦子さまも真美さまもその場をうごかない。これじゃ話ができない。でも、「蔦子さま、真美さま、席を外して」と言う勇気もなかった。祐巳さまにご迷惑をかけるわけにも行かないし。こうなったら、ここで話をするしかない。
 「実は、蔦子さまのことなんですが」
 笙子は仕方がなく口に出した。すると、蔦子さまと真美さまは、
 「あら。じゃ私はこの辺で」
 「私も失礼するわ」
 と言って立ち去った。祐巳さまと笙子だけがその場に残される。
 「笙子ちゃん、」
 祐巳さまが話しかけてくる。
 「多分笙子ちゃんの話は長くなりそうだから、お昼休みにしましょう。お弁当を持って、薔薇の館に来てくれるかな」
 
 
 
 今笙子の前に向かい合って座っているのは、藤堂志摩子さま、福沢祐巳さま、島津由乃さまの三人。昼休みの薔薇の館、二階の会議室。
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。なんだか話がどんどん大きくなって行くようで、笙子は少し怖くなった。目の前にいるのは、白薔薇さまと紅薔薇のつぼみ、黄薔薇のつぼみなのだから。
 「まあ、食べながらお話しましょ」
 祐巳さんはお弁当の包みを解く。
 「私たちのことはいいわよね?」
 由乃さんが確認をとる。
 「はい、茶話会でお世話になりましたから。志摩子さまに祐巳さま、由乃さまですよね。」
 「あなたは一年菊組の内藤笙子さんよね。」
 「はい。そうです。よろしくお願いします。」
 祐巳さんは早速ご飯にお箸をつけている。
 「何でも蔦子さんのことで相談なんですって?」
 志摩子さまが話し掛けてくれるけれど、
 「まず、祐巳さまにお伺いしたいんです。」
 祐巳さまは箸を置き、笙子のほうを見る。
 「蔦子さまって、蔦子さまって、・・・オヤジくさくないですか?」
 「へっ?」
 「もっとひどい言葉にすれば、「いやらしい」と言ってもいいです」
 「うーん」
 と祐巳さんは考えていたが、
 「そんな風に思ったことはないなあ」
 と答える。
 「蔦子さんは確かに大人で、いろいろなことを知っているけど。志摩子さん、由乃さん、どう?」
 祐巳さまは志摩子さまと由乃さまにも聞いてくれるけど、二人とも首を横に振る。
 「蔦子さんといえば隠し撮りとか不意打ちのほうが問題のような気がするけど、それに抵抗はないの?」
 「ないです」
 即答する笙子に、
 「さすが一番弟子!」
 由乃さんがおどけて言う。
 「いい写真がたくさんありましたから」
 「なるほどねぇ」
 「話を戻しましょうか」
 志摩子さまは箸を置いた。
 「どういうときに笙子さんはそう思うの?」
 「いつもじゃないんです。写真を撮ってるときに時々なるんです。私それがいやで」
 「どんな写真を撮ってるときなの?」
 「その・・・普通の写真じゃなくて、女っぽい写真を撮ってるときとか」
 昨日の桂さまのことが思い出される。
 「そういう時蔦子さんがオヤジくさく見えると」
 「はい」
 志摩子さまは考え込んでいる。
 「それ、ジェラシーじゃないの?」
 由乃さまが言う。
 「自分以外の、別の女性の女性らしい写真を蔦子さんが撮るのが気に入らないんでしょ?」
 「いえ、決してそういうわけでは」
 「いえ、そうよ。あなたは蔦子さんのこと、好きなんでしょ?」
 由乃さまの追及に、笙子はどう答えようか迷う。
 「笙子ちゃんは蔦子さんのこと好きにきまってるじゃない、ねえ」
 今度は祐巳さんだ。茶話会で笙子と蔦子さまを引き合わせた張本人。逃げ切れない。笙子は小声で答えた。
 「・・・はい」
 「ほら!」
 「ちょっと由乃さん、あんまり笙子ちゃんをいじめないでくれる?」
 祐巳さんが助け舟を出してくれる。
 「蔦子さんがほんとうにそうなっている可能性はないかしら?」
 これは志摩子さまの意見。
 「本当に、ですか?」
 笙子は驚いて聞き返す。
 「たとえば、男性を撮るとき、女性を撮るとき、花を取るときで、蔦子さんの心構えが違っているの。それをあなたが感じ取っているんじゃないかしら。だから、蔦子さんは女性を撮るときは少し男性っぽくなっていて、いいえ、男性でもない女性でもない中性かもしれないけど、普通の女子高生じゃない立場になっているの。それを女子高生である私たちが見ると、蔦子さんは女子高生じゃない何かに見える、というわけ」
 確か真美さまも、蔦子さまはいろんな立場に立てる、と言っていたのを笙子は思い出した。説得力のある説だ。
 志摩子さまは続けて、
 「もしそうだとすると、笙子さんは蔦子さんのすぐ近くにいることになるわね。とても近く。だからそんなことを感じるんだわ。でもそれは蔦子さんのポリシーだと思うから、否定してはいけないわ。受け入れてあげなくちゃ。」
 祐巳さまはひとしきり頷いた後で、
 「蔦子さんってさ、「生涯独身」とか言ってたじゃない」
 「聞いたことある」
 由乃さんが同意する。
 「孤高の蔦子さんのすぐ側にいられるなんて、すごいことだと思うけどな。蔦子さん、笙子ちゃんに別にもっと離れてろ、とか、後は自分でやってね、はいそれじゃ、とか言わないでしょ」
 「はい。よく面倒みてもらってます。つまづいてると付き合ってくれます。蔦子さまはとてもやさしくて、恐縮してるぐらいです。」
 「決まったわね」
 由乃さんがウィンナーをつつきながら、
 「武嶋蔦子、会って三週間で笙子ちゃんに落される」
 「あの、落されるって」
 「決まってるじゃない。姉妹のことよ。あなたはもうじき蔦子さんの妹になるに違いないわ。笙子ちゃん自身もそう思うでしょ?」
 「そんな・・・それは蔦子さま次第です」
 「と言うことは、あなたは妹になりたいのね」
 しまった、と笙子は思ったが既に遅かった。きっと顔が赤くなってしまっているに違いない。
 「だからあんまり笙子ちゃんをいじめないでちょうだいよ」
 祐巳さまが笑っている。
 志摩子さまも微笑みながら、
 「笙子さんは蔦子さんのすぐ近くにいるんだから、他の人、たとえは私たちには見えない蔦子さんのいやな部分も見えるかも知れないわ。でもそれを嫌悪するんじゃなくて、きちんと受け止めてあげて。そこをうまくできれば、いい姉妹になれると思うわ」
 「志摩子さんまで」
 志摩子さまは「ふふふ」と笑ってから、
 「でも全部は受け止めきれないから、無理することはないのよ。蔦子さんは笙子さんにとっては大きい存在だから。それに、疑問に思うことは蔦子さんに聞いてもいいと思うの。蔦子さんは大人だから、笙子さんとちゃんと向き合ってくれると思うわ」
 正論だ。志摩子さまの言うことは正しい。しかし笙子の疑問は全てなくなったわけではなかった。笙子が無言でたくあんをこりっとやったとき、祐巳さまが言った。
 「私たちとのやり取りでは、もし正解が出てたとしても納得できないでしょ。そういうものよね。だから、蔦子さんに直接ぶつけてみなよ。「オヤジくさいのいやなんです」って」
 「そんな」
 「大丈夫。蔦子さんそんなことで怒ったりしないから」
 「そうでしょうか」
 「それはこの福沢祐巳、紅薔薇のつぼみが保証するわ。これでも蔦子さんとの付き合い長いんだから」
 「はあ」
 笙子は自分のお弁当箱に目を落す。お弁当箱の中はいつのまにか空になっていた。
 
 
 
 「蔦子さーん」
 放課後の写真部の部室のドアを開けて、真美さんが勝手に入ってくる。そして、蔦子の隣の椅子に勝手に座る。
 「笙子ちゃん、動き出したわね」
 蔦子はため息をつきながら、
 「ちょっと様子が変だなって思ってたんだ」
 「笙子ちゃんは?」
 「今日は顔は出したけど、考えを整理したいことがあるからって、帰った」
 「そう」
 真美さんは椅子を蔦子に近づける。
 「私のところに来たわよ、笙子ちゃん」
 「なんて言ってた?」
 「蔦子さんはオヤジくさいって」
 「そうきましたか」
 まあ、身に覚えがないわけでもない。女性を撮る時はそうしてるから。
 「それで?」
 「できればやめて欲しいって。どうする?」
 「やめない。これはテクニックと言うかポリシーだから」
 「そうよね。それが蔦子さんよね」
 「いつかはこういう衝突があるな、とは思っていたけど」
 「別にたいしたことないわよ。わたしなんか「築山三奈子のバカヤロー」って思いながら、何度も記事書いたもん」
 蔦子は笑った。真美さんも笑っていた。
 蔦子は涙を拭きながら、
 「笙子ちゃん、今日の昼休み、祐巳さん達と話したみたい。祐巳さんが教えてくれた」
 「「達」って」
 「志摩子さんと由乃さん」
 「だんだん大げさになってきたわね」
 「でも志摩子さんがうまく説得してくれたって。」
 「それで解決したの?」
 「してない。笙子ちゃんは直接私のところに来るって、祐巳さんが言ってた」
 「ふうむ」
 真美さんは頬杖をつく。
 蔦子は両手を頭の後ろに置いて、
 「撮影技法にはいろいろあって、その好みの問題でしかない、とわかってくれるといいけど」
 真美さんは頬杖をついたまま、
 「笙子ちゃんは賢いからわかってくれるって。でもさ、蔦子さんをオヤジくさい、なんて初めて聞いたわ」
 「私たちはさ、作業に熱中すると服装や髪の乱れなんか気にならなくなっちゃうでしょ」
 「それはあるわね」
 「それにあの子、懐にすっと入ってくるんだよね。知らないうちに」
 「蔦子さんはそういうのいやじゃないの?」
 「笙子ちゃんに限っては、平気」
 「懐に入るのか。だからそういう細かいことに気づくんじゃない?」
 「多分、そういうことなんだろうなあ」
 真美さんは上体をまっすぐ伸ばした。少し間を置いて、
 「ねえ、これってさ、のろけ?」
 「え?」
 蔦子は上体を戻して聞き返す。
 「懐、のあたりから。よく気がつく妹をほめる姉みたい」
 蔦子は真美さんを見て、
 「そ、そんなことないわよ」
 と言うけれど、思わず横を向いてしまう。
 「姉妹になっちゃいなよ。蔦子さんのあんなに近くにいられるのって笙子ちゃんしかいないって。姉妹はいいわよ、蔦子さん。姉持ち、妹持ちのわたしが言うんだから間違いないって」
 そう言って真美さんは蔦子の肩をバシバシたたいた。
 
 
 
 笙子は何をどういう順番で話せばいいのか、結局決められなかった。だから、自分の気持ちを正直に蔦子さまにぶつけてみることにした。祐巳さん達は大丈夫だと言ってくれたけど、そうでなくてももうこの方法しかない。
 「蔦子さま」
 笙子の声が放課後の写真部の部室に響く。視線の先には蔦子さま。
 「わたし、気になってることがあるんです。」
 「何でも聞くから、話してごらんなさい」
 蔦子さまの声はいつものように優しい。
 「蔦子さまって、女性の写真を撮るとき、あの・・・オヤジくさくなりますよね」
 「うん。そうしてるから」
 笙子は驚いた。これでは、このやり取りは終わってしまう。あんなに悩んだのに。
 「なぜ、そうするんですか」
 「そのほうが被写体をいい状態で撮影できるから。中年男性のグラビアカメラマンになったつもりで撮るのよ。そのほうが場が盛り上がったりして、被写体のいい表情を引き出せるから。まあ、テクニックの一つね」
 テクニック。笙子は桂さまのことを思い出す。確かにそんな感じだった。
 「でもいつもやってるわけじゃないのよ。集合写真とかだと、やらないわね」
 桂さまがサーブを打つとき、蔦子さまは美しいと言った。そのときは、確かにオヤジくさくはなかった。
 真美さま、祐巳さま、志摩子さま、由乃さま。みんなの言うことは正しい。蔦子さまは、場合によって自らオヤジになっていたのだった。それはテクニック。そんなことも理解できず、嫌悪していた。自分の小ささが、とても恥ずかしかった。
 「蔦子さま、ごめんなさい。私、オヤジな蔦子さんがどうしても嫌だったんです」
 「わかるよ。その気持ち。でも理解してくれるかしら?あなたも撮影する立場をこなしていけば、きっとわかってくれると信じてる」
 「はい・・・・・。」
 99%は理解したつもりの笙子だったが、1%だけ、どうしてもまだ納得できない。なぜなのか、わからないけれど。
 「まだ納得してないな。こうしてやるっ」
 蔦子さまは手に持っていたネガの入ったファイルを机におき、笙子に抱きついてきた。
 「きゃっ」
 「あなたが最後まで納得できないのは、私達の距離がとても近いからよ。だから、これだけは慣れてもらわなきゃ困るんだけど」
 蔦子さまが耳元でささやく。
 「とても近いって」
 「姉妹みたいにね」
 「蔦子さま!」
 「私たちはまだ正式な姉妹じゃないけど、もうそういう関係なんだわ。私たち、もうどうしようもないのよ。戻れないの。だから、わかって」
 「はい・・・」
 笙子はそこで、胸のつかえが完全に取れた気がした。最後は蔦子さまに押し切られちゃったけど、もう、いいの。蔦子さま、大好き。
 
 
 
 「中島みゆきって知ってる?」
 蔦子さまは椅子に座り、突然話を振ってくる。
 「はい、ドラマとか、NHKの番組で」
 笙子は蔦子さまの隣の椅子に座って答える。
 「デビュー直後にレコードジャケットの写真を撮ったんだけど、写真写りが悪かったんだって」
 「私みたいじゃないですか」
 「ふふふ、そうね。ジャケットの写真写りは売上に影響するから、メイクを変えたり、照明を変えたりしたんだけど、結局ダメだったの」
 「それでどうしたんですか」
 「カメラマンを変えた」
 「そうなんですか!」
 「でもどのカメラマンも、中島みゆきを綺麗に撮れなかった」
 「で、どうなったんですか」
 笙子は蔦子さまの腕を思わずつかんでしまう。
 「最後にやってきたカメラマンは、動物専門のカメラマンだった。で、それがうまくいった」
 「そんな!」
 「びっくりした?それ以来、中島みゆきの写真は、その動物専門のカメラマンが撮っているのよ。今も」
 「面白いお話ですね」
 「被写体とカメラマンには、相性があるのよ。だから、できるだけ多くの被写体を取れるように、カメラマンも努力しないといけないんだわ」
 「それが、あの」
 「そう。あなたがオヤジくさいと言ってたやつ。あれもその一つ」
 やっぱり蔦子さまはすごい。私の大好きな人が、こんなすごい人だなんて。
 笙子は並んで座ったまま蔦子の腕を取り、体重をあずけた。蔦子さまも無言で笙子を受け止めてくれる。
 蔦子さまと会えてよかった。それに、姉妹ってこんな感じなのかな、と笙子は思った。
 すると、蔦子さまが、
 「姉妹ってこんな感じなのかしらね」
 とつぶやいた。
 笙子は幸せだった。
 この時間が、ずっとずっと続いたらいいのに。
 
 
 
 (おしまい)
 
 
 
 
 あとがき
 
 どうも浜野黒豹です。今回は、蔦子さまと笙子ちゃんを対立させてみよう、というところから話を作りました。
 普通に喧嘩しても面白くないので、「オヤジくさいのいやん」にしてみました。蔦子様ラヴな私としては蔦子さまのオヤジくさいところはもはやチャームポイントなのですが、笙子ちゃんとしては憧れのひとがそうなのはちょっと許せなかったようです。
 蔦子さんは確か本編でも「変態さん」とか言われてたことがあるような気がしますが、それはストーキング撮影についてだったと思うので、今回はそっち方面は取り上げていません。それを除けば、蔦子さんをオヤジだ、と思ってる人は女子校であるリリアンの生徒にはいないと思います。多分。共学だとまた変わってくると思いますが。
 また、本当はもう少しだけ長いお話になる予定だったんですが、書いてる内にいい感じによりが戻ってしまったので、その後のエピソードを一つ削って次回作のネタにすることにしました。
 ちなみに、ラストに出てくる中島みゆきのエピソードは実話です。ついでに言うと、私のサイト名「寒水魚」、サークル名「STUDIO歌姫」などは、中島みゆきの歌やアルバムタイトルからとられたものです。中島みゆきは私の原点のひとつなのです。
 
 
 
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