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							| コペルニクスとコロンブス 
 
 笙子はふと目を窓の外にやる。 薔薇の館の二階の会議室からは、春の木々の緑と、中庭を歩く生徒たちと、クロームの窓のフレームが目に入るけれど、さっき別れた蔦子さまはもう見えない。蔦子さまは今頃、どのあたりにいるのだろう。誰を撮っているのだろう。
 三年生になって、蔦子さまは写真部の部長になった。写真がうまい人は他の部員にももちろんいるし、誰が一番、という訳でもないし、うまい順に部の役職が決まるわけでもない。で、
 「山百合会に一番顔が利くのは、蔦子ちゃんでしょ」
 という前部長の一声で部長の件は確定したのだった。
 しかしこれは誰が見ても順当なところであり、疑問を挟む余地はない、と言っていい。
 「山百合会の紹介は簡単ですが新年度第一号でやりましたので、次は各部活動の紹介をしていきたいのですが」
 日出実さんの声がして、笙子は視線を会議室に戻す。
 新聞部の真美さまは編集長を日出実さんに譲った。これまた順当であり、誰もが認めるところである。日出実さんは茶話会以来の活躍ぶりで、すっかり有名人の仲間入りをしている。
 しかし、でも、でもね、笙子が写真部の副部長というのは、どんなもんなのよ、と自分で思わないでもない。
 「写真のうまい順に決まるわけじゃないし、別にいいでしょ」
 「二番目に顔が利くのは、笙子ちゃんよね」
 「蔦子ちゃんといつも一緒にいられるわよ」
 まあ、卒業したお姉さま方にそんな話で言いくるめられた、と言えばその通りなんだけれど。
 「どう思います、紅薔薇様」
 由乃さまの声が静かな会議室に響く。笙子は由乃さまのことをよく知っているから特に気後れなんかはしないけれど、日出実さんと一緒に来た新聞部の新人、浩子ちゃんは完全に圧倒されている。張り詰めているわけではないけれど、この会議室の空気の中に、由乃さまの声はまっすぐに鋭く響いていく。
 「それでいいと思いますよ、黄薔薇様」
 そしてやわらかい笑みを浮かべた祐巳さまのこの貫禄はどうだろう。初めて祐巳さまを生で見たあの日、フライング参加したバレンタインイベントでは、今にも泣きそうな弱々しさだったのに、今や映画に出てくるどこかの国の大統領みたい。
 「ではかわら版では各部活動の紹介が先で、山百合会の紹介はその後、という流れですね?」
 日出実さんの声も立派なもので、あまり日がたたないのにすっかり堂に入っている。浩子さんはというと、上半身が硬直していて、視線だけが祐巳さまと由乃さまの間を泳ぎ、そして志摩子さまにたどり着く。わたしも初めてここにきたとき、こんな感じだったのかしら。
 「それでは、この件は決定とします。」
 そう言うと白薔薇様こと志摩子さまは一度だけ目を伏せ、また顔を上げる。ゆるく巻いた髪が揺れ、放課後の日差しが髪に巻きつき、通り過ぎる。
 「じゃ、笙子さん写真はお願いね」
 「はいっ」
 しまった、志摩子さまに見とれていた。声が裏返っちゃった。
 「ふふ」
 滑らかな細い指先をそろえて口元に持っていき、笑む志摩子さま。相変わらずの美少女ぶりだけど、みんなで行った遊園地デートの会以降、変なうわさが出ている、という。被害者が広がっているとも聞くけれど、何のことだか笙子にはよくわからない。志摩子さまは志摩子さま。一応、今のところは。
 
 
 
 「さて本題に入りましょうか」
 由乃さまの声があからさまに楽しそうなので笙子は複雑な気持ちになる。大事な話ってなんだろう。日出実さんは浩子ちゃんを先に部室へ返した。まだ秘密の話だから、最初は少人数でスタート、なんだとか。
 「あの蔦子さんを落とそうってんだから、ただ事じゃすまないわよ」
 あの、由乃さま、本気でとっても楽しそうなんですけど。
 「大事な話って、そのことなんですか?」
 「そうよ。蔦子さんの妹になるためのすばらしい方法を考えついたのよ。だから笙子ちゃんに教えなくちゃいけない、と思ってね」
 「由乃さん」
 ちょっと心配そうな表情の祐巳さまは、紅薔薇さまから祐巳さまに戻っている。
 「そういうことはお二人にお任せしたら?」
 ちょっとうつむいて言う志摩子さまに、由乃さまは、
 「荒療治で幸せになった人には、是非協力して欲しいものだわ」
 と言葉を返す。祐巳さまはばつが悪そうに笑うけれど、当の志摩子さまは、
 「・・・荒療治・・・?」
 と首をかしげ、いまいち解せない様子。その刹那、笙子の視界から志摩子さまが消える。何かが笙子に飛びついてきた。
 「☆●△!!!」
 悲鳴をあげる笙子の前に、ゆっくりと二条乃梨子さんが歩み出る。そして笙子のほうに手を伸ばして何かをつかみ、持ち上げる。
 「志ー摩子さん」
 「ふふ」
 笙子の体にかかった力が消え、志摩子さまの顔が笙子の視界に入る。笑顔が美しく巻いた髪に半分隠れているけれど、こんな無邪気な志摩子さまの笑顔を、笙子は初めて見る。
 「また被害者が出ましたか」
 菜々ちゃんの声が部屋の隅のほうから聞こえてくる。見ると落ち着き払った様子ですわり、紅茶をすすっている。
 「志摩子さん、みんなで行った遊園地デート、あれからなんか吹っ切れちゃったみたいで」
 取り繕うように笑って祐巳さまが言い、
 「すみませんうちの姉がご迷惑を」
 乃梨子さんは声が棒読みだ。
 「志摩子さんが実は抱きつき魔だってこと、内緒にしてよ、笙子ちゃん」
 由乃さまは人差し指を突き出して笑う。
 「はあ」
 「まあ、あのときのことを思い出したんでしょうね、さ、どうぞ」
 瞳子さんが紅茶を持ってきてくれる。あのとき、というのは、瞳子さんが大活躍した、いわゆる「マリア祭の宗教裁判」のことだ。
 「とうとう笙子さんもやられた、と」
 日出実さんが大げさにメモを取るまねをする。
 「全く、志摩子さんのせいで話が進まないじゃないの」
 と由乃さまが言うけれど、その志摩子さまはまったく気にしない様子でカラカラと笑っていて、まるであのギリシャ彫刻の人みたい。
 なんだか、とっても、素敵。
 ・・・びっくりしたけど。
 
 
 
 事件の謎解きをする探偵のようにもったいぶって話す由乃さまは、どう見ても黄薔薇さまではなく由乃さまにしか見えない。
 「蔦子さんに、笙子ちゃんを姉妹にしろ、といくら言っても、効果はないわ」
 少人数のはずなのに、ここには八人もいる。こういう状態でそういう話題ははっきり言って誰かに抱きつきたいくらい恥ずかしいんですけど、由乃さま。
 「だから自分からスールにするよう仕向けるのよ」
 ああ、そんな方法があれば、と笙子は天を仰ぎ、美しい天井の装飾文様を目で追いかける。
 「時間はかかるけど、簡単な方法があ・・・ちょっと笙子ちゃん」
 いつの間にか身を乗り出して由乃さまの両手をつかんでいる自分に気づき、笙子はあわてて椅子に座りなおす。
 「す、すみません」
 「抱きつかれるかと思ったわよ」
 「で、どうやれば?」
 祐巳さまは声を出して笑い、志摩子さまのクスクスがカラカラになる。
 「聞くのよ。蔦子さんと笙子ちゃんはスールですか、って。何度も何度も、いろんな人が寄ってたかって」
 笙子は首をかしげる。
 「あんまりそれが続くと、蔦子さんも説明が面倒になって、そうです、って言うわよ」
 なんかどうもあまり納得できないような気もするんですけど。
 「コロンブスの卵、ってやつよ。コペルニクス的転回、とも言うけど」
 笙子は頬を膨らませてみせる。
 「まあまあ、笙子ちゃん」
 由乃さまは笑って、
 「でもね、」
 窓から遠くに目をやる由乃さまは、
 「蔦子さんは鋭いから、これが陰謀だってことに気づくわけよ」
 長く編んだ由乃さまの三つ編みを、夕方の日差しが光って走る。
 「わたしたち友人からの、メッセージにもね」
 由乃さまは笙子に向き直り、まっすぐ笙子を見つめる。切りそろえた前髪の向こうの瞳が優しい。
 「意地を張らなくてもいい、感じたとおりにすればいい、ってね」
 そこいるのは、紛れもなく素敵な黄薔薇様だ。
 「伝わるわよ、きっと」
 もう、泣きそう。
 
 
 
 わたしと笙子ちゃんは姉妹ではない。笙子ちゃんはいろいろな意味でものすごくかわいいけれど、わたしたちは姉妹ではない。もしそうなったら、わたしは笙子ちゃんを特別扱いして・・・
 「蔦子さまー」
 元気のいい一年生が三人走ってくる。そして蔦子の前に来ると、
 「ごきげんよう、蔦子さま」
 「はい、ごきげんよう」
 蔦子はそのまま三人の写真を一枚撮る。
 「ありがとうございます!」
 一年生たちは顔を見合わせて笑う。
 「あの、蔦子さま」
 「なあに?」
 いやな予感がする。一年生はわたしと笙子ちゃんの関係に詳しくないとはいえ、最近何かが変だ。
 「笙子さまは蔦子さまの妹なのですか?」
 やっぱり。
 「いいえ、違うのよ」
 「えーお似合いなのに」
 「ねえー」
 もはや蔦子は苦笑するしかない。これでいったい何度目だろう、この質問は。もう説明するのも面倒な気がしてきた。何しろ一年以上言い続けているわけだから。
 「すみません変なこと聞いて」
 「いいのよ。慣れっこ」
 蔦子が舌を出して見せると、安心したように一年生たちは笑い、
 「ごきげんよう」
 と言って去っていく。
 慣れっこ。
 本当に?
 蔦子は思わす立ち止まり、走り去る三人の一年生を見つめる。あたりが突然暗くなり、暗闇に一人立っている蔦子がどこか遠くから見える。刹那のクロームの輝きは、フラッシュバックの予兆。
 今や素敵な紅薔薇様となった祐巳さんが、無邪気に教えてくれた。
 「お姉さまと二人で旅行に行ったの」
 それを聞いたとき、何かが蔦子の中で決定的に変わった。終わった、と言ってもいい。何かが───言葉にするのも恥ずかしい、おぞましい感情が───どこかへ行ってしまった。
 祐巳さん、わたしね、本当は───現実のあなたじゃなくて、フィルムの中のあなたを愛していたの。現実のあなたを愛することは許されないから。ファインダー越しの想いなどまやかしだと思い知らされたときは、もう現実のあなたは祥子さまと一緒に遠くへ行ってしまった後。いずれそうなると最初からわかっていたことなのに。横恋慕のごまかしに写真を使って、あなたの魅力のおこぼれで夢をみていただけ。
 そして無数のクロームの球体があたりに充満していき、光が強くて何も見えない。
 「蔦子さま!」
 「うわっ」
 蔦子の周囲は見慣れたリリアンの銀杏並木に変わっている。カチリ、という音はなかった。
 「どうしたんですか?何か心配事ですか?」
 そう言って笙子ちゃんはするっと腕を組んでくる。巻き毛が揺れ、心配そうな瞳が蔦子の目をまっすぐ見つめている。蔦子はできるだけ平静を装い、
 「なんでもないの、ちょっと考え事をね」
 「あまり元気がなさそうですけど」
 「哲学的なことだから」
 笙子ちゃんはうつむいて、でも腕にはちょっと力を入れてきて、
 「それなら、わたしはあまりお役に立てませんね」
 本当に笙子ちゃんは面白い子だ。写真に写りたがらないために、わたしの悪い癖、ファインダー越しに何でも見る、という技を使わせない人が役に立たないわけがない。
 「お願いがあるのよ、笙子ちゃん」
 カメラ無しで現実に立ち向かうために。
 「しばらく、そばにいてくれないかな?」
 笙子ちゃんは蔦子の前に回りこむと両手を腰に当てて少し前かがみになり、
 「何を言ってるんですか。わたしたちはいつも一緒ですよ。元気出してください!」
 そう言うとまた蔦子の腕をとって歩き出す。
 「笙子ちゃん」
 「会議も終わりましたし、部室に戻りましょう。そして一緒に帰りましょう。ね、蔦子さま」
 そう、それがいい。今日がわたしの新しいスタートの日、なのかも知れない。
 それは、写真写りの悪い女の子が持ってきたプレゼント。
 「あ、蔦子さま!」
 「笙子さん!」
 通りすがりの二年生たちが声をかけてくる。
 「ごきげんよう」
 笙子ちゃんが応え、蔦子はカメラを持ち上げて振ってみせる。
 「スールになるのはいつですか!」
 「え」
 蔦子は言葉に詰まるが、笙子ちゃんは全く気にしない様子で、
 「大きなお世話!」
 と言って笑っている。
 そうか。
 そんな未来も、悪くないかもしれない。
 笙子ちゃんと一緒なら。
 スールじゃないっていちいち説明するのも、そろそろ疲れてきたことだし。
 
 
 
 (おしまい)
 
 
 
 
 あとがき
 
 ごきげんよう。
 ここまでお読みいただきありがとうございました。
 
 今野先生!
 私たちは、(あえて「たち」とする(笑))は、三年生の薔薇さまになって偉そうにしている祐巳さんや由乃さん、志摩子さんの話が読みたいんです!
 もちろん新入生が主人公でかまいません。私たちは祐巳たちの内情、成長過程を知っていますから、それと薔薇様然とした振る舞いのギャップを楽しみたいんです!
 ということで「マリア様がみてる」の続きを、よろしくお願いします!先生!!
 
 
 
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