二荒山神社 栃木県日光市山内 式内論社(下野国河内郡 二荒山神社〈名神大〉)
下野国一宮
旧・国幣中社
現在の祭神
二荒山神社[男体山] 大己貴命
[女峰山] 田心姫命
[太郎山] 味耜高彦根命
末社・日枝神社大山咋命
本地
日光三所権現新宮(男体山)千手観音
滝尾(女峰山)阿弥陀如来
本宮(太郎山)馬頭観音
末社山王七社釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来・十一面観音・地蔵菩薩・普賢菩薩・千手観音
白山三所十一面観音・聖観音・阿弥陀如来
荒脛巾薬師如来地蔵菩薩
三宮普賢菩薩・十羅刹女
一宮文殊菩薩
日満大日如来
小玉殿一字金輪仏頂
飯室大勢至菩薩
鹿嶋十一面観音
属星御前釈迦如来如意輪観音
十万金剛童子普賢菩薩
碩山阿閦如来

「神道集」巻第五

日光権現事

そもそも日光権現は、下野国の鎮守なり。 往昔に赤城大明神と沼を諍ひつつ、唵佐羅麼を語たまひし事は、遥に遠き昔なり。 二荒山は正に本地垂迹顕したまふ事は、人王四十九代、光仁天王の末、桓武天王の始、天応二年辛酉、延暦の初、勝道上人と云ふ人登山して、一大伽藍を建立せり。 今の日光山これなり。
[中略]
ここに先づ日光山と申すは、男体・女体御在す。 先づ男体は本地千手観音なり。 この仏はこれ無垢三昧の力を以て、地獄道の苦患を救ひたまふ菩薩なり。
[中略]
女体は本地は阿弥陀如来なり。 この仏はこれ観仏経に、若称仏名物者、除百千劫煩悩重障と云へり。

「日光山縁起」

天神地祇ひかりを秋津すにやはらげ、宗廟社稷あとを瑞穂国にたれつゝ、八百万神あまねく四海八埏のかためとなり、三千余座いづれも五畿七道のまぼりとなり給て、鎮護国家の宗神として済生利物の善巧ましますといへども、東山道下野国日光山満願大菩薩の利生、ことに余社にすぐれり。 其本地を訪へば、妙観察智の所変、施無畏者の応跡なり。 等覚妙覚の位を辞て、男躰・女躰のかたちをあらはし給へり。
[中略]
かたじけなくも権現は、下野国にては日光三所と現じ給ひ、常陸国にては鹿嶋大明神とあらわれ給ひぬ。 過去にては夫婦となり給ひしなり。 人のいみじくなるをそねみまづしきをわらふものを利益すばからず、貧窮孤独のものをあはれむべし、とのちかひなり。 抑雲上といふ鷹は本地虚空蔵菩薩是なり。 阿久多丸といふ犬は地蔵菩薩、今は高尾上とあらはれ給き。 青栗毛といふ馬は、かたじけなくも太郎大明神、馬頭観音の垂跡なり。 有宇大将は男躰権現、本地千手観世音、朝日の君は女躰権現、阿弥陀如来の化身也。

「大千度行法縁起」

日光山満願寺ハ普門示現の神境仏乗相応の霊場なり。 神護慶雲のむかし勝道上人深く観音の妙智力を仰 遠く人なき境に入創て黒髪山乃頂にのぼりたるとき 地主神明忽然と顕現玉ひて倶に人法を擁護すへしと神勅ありき。 地主神明とハ  新宮男体権現大己貴尊  滝尾女体田心姫尊  本宮太郎権現味耜高彦根尊 にして千手弥陀馬頭の等妙二覚の応用大黒弁財多門の福智三天の権化なり。 これを日光三社権現と申奉る。

「日光山御本地」

男体(千手)  女体(阿弥陀)  太郎大明神(馬頭)  星宮(虚空蔵)  荒脛巾(薬師或地蔵)  三宮(普賢十羅刹女)  一宮(文殊)  十八王子(十一面)  山王(惣名)  赤倉(薬師)  三笠(文殊)  日満(大日)  小玉殿(金輪)  飯室(勢至)  鹿嶋(十一面)  深沙大王  属星御前(尺迦或如意輪)  温泉(如意輪)  十万金剛童子(普賢)  碩山(阿閦)  白山三所(十一面、正観音、阿弥陀)  山王七社(大宮尺迦、二宮薬師、聖真子阿弥陀、客人十一面、十禅師地蔵菩薩、三宮普賢、八王子千手)  十八王子  三笠(文殊)  赤磴(薬師)  大真子(虚空蔵)  小真子(地蔵)  妙見(龍樹)  前二荒(得大勢)  小補陀羅(多聞天)  黒檜(軍荼利)  専女(大日)  帝尺(尺迦)  小太郎(准胝仏母)  白根(十一面)  雪山(不動)  小白根(正観音)  鈴巓(妙音)  鉢山(大威徳)  温泉(如意輪)  三宮(普賢)

植田孟縉「日光山志」巻之一

三仏堂[LINK]

三仏堂 新宮鳥居の北の方にあり。 往古金堂と称するは是なり。 山内にての大堂、銅葺、赤塗、正面十八間、横間十四五間、日光三社の本地堂、千手観音は新宮の本地なり。 馬頭観音は本宮の本地、各座像八尺五寸。 阿弥陀は滝尾の本地。長九尺五寸。 是は慈覚大師当山に登り、寺院建立の砌、此尊像を彫造し給ふものなり。 此堂内乾の隅に、勝道上人の木像を安置し、艮の方に軍荼利明王の木像をも安す。

同巻之二

新宮権現[LINK]

新宮権現拝殿 三仏堂と相双ぶ。 銅葺、赤塗、四方縁、大床、舞台造、四方揚蔀、六間に七間許。
本社 南向、八棟造、五間四方、銅葺、総赤塗、正面三扉黒塗、向拝に正体の額を掲ぐ。 また梁間に金色の鰐口三つ掲ぐ。
[中略]
本社祭神は大己貴命なり。 本地千手観音。 例祭三月朔月・二日なり。 延年の舞とて、古式執行せり。 神輿本社迄渡御。 別所は安養院。 又御宮の社家六人の内にして一臈なるもの、社務を司ることなり。
抑当社日光三社権現は、普門示現の神境、仏乗相応の霊場なるに仍りて、神護景雲のむかし、勝道上人深く観音の妙智力を仰ぎ、遠く無人の境に入りて、遂に黒髪山の嶺に登り給ふ時、地主神明忽然として現れ給ひて、倶に人法を擁護すべしと、神勅を蒙り給ふ。 地主神明と申し奉るは、男体権現大己貴命、女体中宮田心姫命、本宮権現は味耜高彦根命にてまします。 本地は千手・弥陀・馬頭 応用、大黒・弁天・毘沙門の福智徳三天の権化なり。 是を日光三社権現と申し奉る。
[中略]
其後弘仁年中、弘法大師登山して、専三密五智の秘法を弘め、また嘉祥年中、慈覚大師陟り給ひ、双べて遮那・止観の両業を弘め給ふ。 其砌当社を再営し給ひけり。 当山の古縁起には、三神始て勧請の事は開山上人四本龍寺にすみ給ひし時、精舎の東南に初て勧請し給へり。 其後遷宮の事ありしに仍りて、御神たびたびすさみ給ひし事、旧記に見えたり。 最初上人三神の霊像を安置の社地は、大河に接せし丘地にして、時々洪水逆浪し、社頭終には危からん事を思惟し給ひ、御遺弟道珍・教旻・千如らと相議して、天長年中社殿を小玉殿の東に移し給へり。 其後二十余年を経て、嘉祥三年座主昌禅、輪下の尊鎮・法輪等と議せられ、法華・常行の二堂の後は、東西中院の中央に当りて、勝地此所に過ぐべからずとて、即遷宮し奉り給ふといへり。 (其頃法華・常行の二堂の後とあるは、今の仏岩也。社地は今の御宮内、鐘楼の辺に当れり。) 此時始て四本龍寺の旧社を本宮と称し、遷宮の社頭を新宮と号し奉るといふ。

別所[LINK]

抑滝尾は、弘仁十一年七月二十六日、弘法大師始て当山に下著し給ひ、先四本龍寺の室に入り給ひ、上人の遺弟教旻・道珍等、其余の徒を伴ひ、滝尾に到り給ふに、滝有りて乱糸に似たりとて、是より白糸の名起れりとぞ。 嶺を亀山と名附け給ふ。 其形の伏亀に似たるを以てなり。 空海和尚、境地の霊区なるを感じ給ひ、大杉のもとに庵を結び、壇を設けて、仏眼金輪法を修し給ふ事一七日夜、池中より一白玉出現す。 是則天輔星なりとて祀り給ひ、小玉殿と称する是なり。 又も勤行せられしに、天より一白玉降りて、水上に浮び、我は妙見星なり。 公が請に仍りて今来下せり。 此所は我が住所にあらず、此嶺に女体の霊神いませり、此地に祝ひ奉るべし、我をして中禅寺に安住せしめば、末代迄人法を守護せしむべしと、語り畢りて見えず。 依て中禅寺に崇め奉らる。 また尊星の告によりて修法し、霊神の影向を請ひ給ふに、忽霊神化現し給ふ。 其貌天女の如く、端正美麗、金冠瓔珞を以て荘厳に飾り、其身扈従の侍女、前後を圍繞し、僮僕左右に充満し、異香紛紜として、霊神出現の尊容を拝し、心願満足す。 即崛上に社殿を造立して勧請し奉り、手書題額し「女体中宮」と云々。 道珍に室を附与し、是より道珍を以て滝尾上人の元祖とす。
[中略]
拝殿 銅葺、三間に四間、黒漆、上蔀外赤塗、縁側高欄附なり。
中門 素木造、板葺、左右玉垣、矢来の内に矢篠を栽ゑたり。
本社 巽向、銅葺、二間に三間、大床造、三扉黒塗、滅金飾、正体の額三面、鰐口三つ掲ぐ。 玉垣の内は丸小石を敷きたり。 総赤塗、向拝造、彩色彫物、高欄、二重垂木、方七八間許。
祭神 田心姫命の垂迹 本地阿弥陀仏。 鎮座は人皇五十二代、嵯峨天皇の御願所にして御造立といふ。
[中略]
本地堂 本社より西の方、二間四面、赤塗、橡葺。 弥陀・観音・勢至の三尊を安ず。 恵心僧都の作なり。

同巻之四

中宮祠[LINK]

三社権現本社 銅葺、総赤塗、南向、二間に三間、大床造、箱棟、滅金かな物、高欄彫物彩色、正面三扉、黒塗、鰐口三つ掲ぐ。 瑞籬四辺を折廻し、是も赤塗、正面と東の方に門あり。 此内庭に玉石を敷けり。 勝道上人弘仁七年教旻・道珍等を伴ひ、登山し給ひける時に、男体山の頂上にて、三神の影向を拝し給ひ、下山の時、麓に社殿を造立し給ふとあるは、当社のことなり。 是則三社鎮座の草創といふ。
[中略]
拝殿 銅葺、総赤塗、四方縁有り、五間に六間、地蔵尊を安ず。
本地観音堂 拝殿より西の方。 銅葺、赤塗、本尊千手大士立木の像、一丈六尺素木、勝道上人の作。 堂内の左右は四天王の像を安ず。 坂東十八番の札所なり。

秋里籬島「木曾路名所図会」巻之六

日光[LINK]

〇新宮の鳥居 御額「正一位勲一等日光大権現」と書す。 一品宮公寛法親王の真翰なり。
○三仏堂  当山一の大伽藍。 本尊は弥陀仏。長九尺五寸。千手観音・馬頭観音、をのをの長八尺五寸、慈覚大師の御作也。 日光三社大権現の本地堂なり。 又堂内乾の隅に、勝道上人の御影あり。艮の方に軍荼利明王の像あり。 それより一町程下れば
〇常行堂 本尊は宝冠の弥陀・四菩薩、後に摩多羅神立ち給ふ。 此堂に頼朝公の御骨を収め給ふとて、俗に頼朝堂と呼ぶ。 抑此堂は人皇五十九代宇多天皇の御宇、寬平五年の草創なり。
〇法華堂 本尊普賢菩薩。鬼子母神・十羅刹女・三十番神・伝教大師の御影あり。 此堂のはじめは、人皇五十三代淳和天皇の御宇、天長二年の建立也。 堂内に伝教大師御筆の法華経一部納めたり。
[中略]
○新宮大権現は八棟造にして、前に拝殿あり。 日光大権現と称し奉る。 祭神は大己貴命、本地は千手観音なり。 社は仁明天皇御宇、嘉祥年中、慈覚大師の御創建なり。 凡此国中の大社なるよし、〔東鑑〕にも見えたり。 此権現の御利益、五穀豊饒・福寿円満の御神なり。 神宝に禰々切丸太刀・せのぼりの太刀・柏太刀、いづれも五尺余ありて霊剣なり。 [中略] 其外什宝あまたあり。 中にも勝道上人此権現へ御対面の時、衣の袖に書せたまふ御神詠も、此社に収まれり。 毎歳三月二日祭礼なり。 二月二十八日より三社の神與拝殿に飾り、供奉の産子は妓芸を前日より稽古し、その日に至りて衣裳をかざり、諷ひ舞ふ。 その所作興ありて神慮をいさめ奉る。 神興は本宮へ神幸なる也。 また三仏堂の前にて延年の舞といふ事あり。 一山の衆徒中出勤なり。 さて当社を出でて右の方に
〇金剛堂あり。
〇慈覚堂 素木造なり。本尊慈覚大師の御影、ならびに三十番神・不動尊を安ず。
〇御供所あり。
○新宮別所安養院 文殊の像・千手の像あり。常行堂の東方にあり。
○新宮末社
〇十八王子
〇毘沙門 長五尺許。運慶の作。
〇山王社
〇阿弥陀堂 慈覚大師の作なり。
〇三尊石 此石に大千度行者草鞋を納むる所なり。
〇大黒堂 運慶の作なり。
〇十王堂
〇地蔵石 右の方滝尾の道に入る。新宮より滝尾まで十二町余あり。 小坂を登り、中程に
○薬師堂 此所より霊泉涌出す。これをもつて眼を洗へば、陰忽に晴るといふ、これによつて目洗薬師となづく。
○行者堂 坂のとまりにあり。本尊役小角尊也。前に道心寮あり。
〇石橋あり。これを筋違橋といふ。これより二便禁制の所なり。 それより一町ほど行く
○山王社 向拝造なり。前に鳥居あり。此社は嘉祥年中、慈覚大師の御建営なり。
〇不動堂 本尊明王・二童子。共に運慶の作なり。此向ふは滝尾といへる飛泉なり。 石階を登りて中程に
〇三笠赤倉明神の石造の祠あり。 左の方に、
○坂中石不動尊あり。
○熊野杉とて箸供養の場あり。 その坂の上は
○御別所 此所にて日光責とて、食物を望む者あれば、其食物をあたへ、強ひ責むる事なり。 かるがゆゑに捻棒なとの責道具、あまた壁にかけ置きたり。又大煙管などもあり。 都て別所別所はいふに及ばず、坊中町中にても此事あり。 他所より来りて初て年をとる人は勿論、左なくても御代参の諸侯方、大せつの客来ヘは、馳走のため飯を強る古例なり。 又日光の御領地にて、養子・婚礼・新宅などの祝儀には、必日光責を行ふ。 これ此所にゆゑある事にて、其人のため甚祈祷となるといひつたふ。 いにしへ氏家の地蔵素麺を所望してせめられし所は此別所なり。 滝の向を素麺谷といふ。
〇正観音堂 本尊長五尺余。ならびに三十番神。 側に、
○採灯護摩所 本尊石像不動尊。これは入峯の僧徒執行せらる護摩にて、霊験あり。 いづれの別所にてもこれあるなり。
〇石鳥居 此右の方に釣鐘あり。常は撞かず。 向に
○楼門 表に二王、裏には風雷の二神を置けり。 額は弘法大師の御筆にて「女体中宮」とあり。 此の門を入りて拝殿あり。
○御本社滝尾大権現  祭神田心姫命、本地は阿弥陀如来なり。 向拝造の御社なり。 抑人皇五十二代嵯峨天皇の御願にて御造営あり。 凡当山のあらたなる奥儀は、当社にとゞめたりといへり。 偖御神宝には、弘法大師の御筆の左剣右剣の不動尊、同筆の石摺の名号、秘尊の二王、そのほか奇作の面、これは天より降りしといふ。 火の出づる玉・水の出づる玉、なほ宝品数々あり。 御本社西の方に
〇千手堂 宝形造、本尊長六尺余、弘法大師の御作。
○本地堂 本尊阿弥陀・観音・勢至の三尊仏。 恵心僧都御作にて、日本に三体の本尊なり。 同所後の方に
○根本祠 小祠なり。 これより西の方への道すじ
〇子種石 前に鳥居あり。子のなき人、此石に祈るときは、かならず霊応有といふ。 其より
〇酒泉池 此池、亘七尺ほどあり。むかし、此所より酒涌出るといひ伝ふ。今において酒の香ある泉わき出る。 此中にいます石造の社は弁財天女なり。
〇三本杉 本社の後にあり。めぐりに石の垣あり。三社の神木にて、日光の立始よりありしといふ。 いづれも大木なり。中の一株は枯れて植継なり。
[中略]
○地蔵堂 宝形造にて、此所を仏岩といふ。 本尊は座像にて、運慶の作なり。 ならびに勝道上人の御影、同十弟子達の影を安す。 上人は地蔵薩埵の再誕なればとて、此所に立ち給ふ、故に開山堂ともいふ。 裏に
〇上人の廟所 弟子両人の墓あり。上人の御骨は、中禅寺上野島に納まれり。
○御産宮 向拝づくり。当社は本地普賢菩薩なり。此所にて妊身の女、立願すれば安産す。 同所のわきに
○白山権現 本地十一面観世音。 扨これより坊舎の前を通りて本宮に出づる。
○小玉堂 鳥居・拝殿あり。当社は星の化神也。此神の御事、神秘なれば知る人なし。 これより一町ほど行きて、本宮の境内に入り、石橋を渡りて素木造の堂あり。
〇四本龍寺 宝形造。本尊は千手観音、ならびに五大尊・勝道上人を安置す。 当山開闢の時、上人こゝに住居したまふ旧跡なり。
〇三層塔 本尊釈迦・文殊・普賢を安ず。
○御本社 拝殿あり。祭神味耜高彦根命。本地仏は馬頭観音なり。 大同三年、勝道上人、此所に勧請し給ふ。 当社は宇都宮と御一躰といふ。 又宇都宮の社伝は大己貴命といふ。 当社御神は、専武運長久弓箭の御護神なり。 神威いちじるし。 下野の大社なり。 神宝は、神明の御作の十一面観音、中将姫蓮の糸にて織れる仏画の切枝、珊瑚珠等、其外しなじなこれあり。 末社には
○弁天堂并に十五童子。
○鹿島社
〇本地堂馬頭観音
〇山王社
〇稲荷社
〇採灯護摩所石像・不動・大日・薬師を安ず。
〇鳥居ありて
〇三十番神堂 それより
〇別所 此所にも日光責の道具をかけ置り。 別所の内柱にかけし面は、十一面観音を表して、観音の尊体なり。 惣じていづれの別所にも長床の間といふて、秘密の護摩修行の間あり。 其ほとりの柱みな仏体を表して建置り。 故に穢不浄の者入る事叶はず。 不思議なる事多し。 此別所の西の方、森の内に
○三宮 本地普賢菩薩。
〇一宮 熊野権現。本地文殊菩薩。 此両社は御旅所の上に立てり。

補陀洛山中禅寺[LINK]

○湖水 長さ三里、幅二里、あるひは一里半許の所もあり。 四面に繁樹修竹あつて、湖上を覆ふといへども、其落葉ひとつも水面に浮まず。 底至て深けれども、魚鱗ひとつもすまず。 都て此山中に大湖三つあり。 其外小き湖四十八湖あり。 かゝる高山の巓に、数多湖水ある事、奇異の霊地なり。
[中略]
○不動堂 本尊五大明王。
〇妙見祠 又夫玉の宮とも云ふ。 前に拝殿あり。 本地龍樹菩薩なり。
○立木観音堂  本尊千手観音、長一丈六尺。ならびに四天王の像あり。 開基勝道上人、立木を其儘にて彫刻し給ふ尊像。 坂東十八番巡礼所なり。 詣人開帳を頼むには、別所の僧へいひ入れば開扉あるなり。 凡他国に例なき霊像なり。五大尊の像、弘法大師の御作。 又勝道上人の御影あり。
○御本社 拝殿あり。 当社大権現は日光三社の本社にて、本地は弥陀・千手・馬頭。延暦年中の御造立なり。 神宝は蘇悉地経一巻・金字の法華経一部・八葉鏡一面・水牛の香炉・象牙の篳篥一管・海龍王の赤衣一領・善無畏三蔵の菩提子の珠数、勝道上人御誕生のとき天より降たる錫杖、其外品々あり。 毎歳正月四日武射祭とてあり。社司登山して、上州赤城の方にむかつて箭をはなつ。赤城は当社の神敵なりといふ。此箭赤城明神の扉にたつ。産子ども、此日矢ぬきの餅といふを祝詞して、かの矢を抜といへり。これによつて赤城の産子、此山へ登れは、山荒るゝといふ。 本社のひがしの方に、男体山に登る道あり。此所に碑あり。往昔、弘法十師補陀洛山の記これあり。 中古泯亡す。しかるを准三后公弁法親王再興し給ふなり。
○男体山 又黒髪山ともいふ。 此山に登るに、道巍々として積雪多く、寒風肌に徹る。
○三社権現 山頂に立せ給ふ。 四十八日の行にて、毎年七月七日、此峰に登る。 此時、七月朔日より中禅寺別所に籠り、一七日があひだ、種々の行ありて登山し、三社を拝し奉る。 信心厚き人奇異の霊験を得るなり。

「社寺縁起伝説辞典」

二荒山神社(小林宣彦)

 『日光山縁起』は、聖武天皇の御代、有宇中将の登場から始まる。 中将は才芸忠勤優れ、帝の覚えがよかったが、鷹狩りを好み、御遊や興宴には出なかったため、帝の勘気を被り、青鹿毛という馬、阿久多丸という犬、雲の上という鷹だけをお供に、都を立ち退いていった。
 七日程で二荒山にやって来た中将は、山菅を橋として川を渡り一夜を過ごした。 さらに、那須、白河の関を越えて陸奥に入ると、立派な屋敷に着いた。 そこは朝日長者の住む屋敷であった。 中将は朝日長者に仕えようと考えたが、長者には十四歳の美しい姫君がいたので、中将は姫君に求婚し、長者屋敷で一緒に暮らすことになった。
 それから六年が過ぎ、あるとき中将は母が亡くなる夢を見て、都まで会いに行くことにする。 朝日の君は「つまさか川の水を飲むと二度と妻に会えなくなるといいますから、けっして飲まないでください」と中将に注意する。 また、帯を結んで、二人が別れることがあったら帯がほどけると契りをたてた。 そして中将は、青鹿毛・阿久多丸・雲の上だけを供に旅立つが、途中の妻離川の水を飲んでしまい、病にたおれてしまう。 中将は、都の母に宛てた文を青鹿毛に、朝日の君の宛てた文を雲の上にそれぞれ届けさせるが、ついに二荒山で客死する。 朝日の君は、帯がほどけたのを見て不安になり、中将の後を追っていると、妻離川で雲の上から文を受け取る。 そして、雲の上に返事を託して中将のもとに飛び戻させる。 また青鹿毛も都にたどり着き、文を見た中将の弟の有成少将が急ぎやって来たがすでに間に合わない。 傍らに朝日の君の文があるのを見た少将は、青鹿毛に乗って朝日の君と妻離川で出会う。 これ以後、妻離川を「あふくま川」と呼ぶようになった。
 有宇中将が亡くなって炎魔王宮に来ると、門の外に、母親と朝日の君も来ていた。 母親と朝日の君は非業ゆえに現世へ帰されることになったが、浄皰梨の鏡で有宇中将の善悪業をはかると、中将の前世は二荒山の猟師であった。 猟師とその母は山に入って暮らしを立てていたが、ある日、猟師は鹿とあやまって母を射殺してしまった。 「二荒山の山神となって世の貧窮を助けたい」という猟師の宿願を果たさせるため、炎魔王は有宇中将を蘇らせる。 猟師は有宇中将、猟師の母は青鹿毛、猟師の子は雲の上、猟師の妻は阿久多丸として生まれ変わっていたからである。 中将が蘇生した後、朝日の君は馬頭御前という御子を産んだ。 この御子は青鹿毛の生まれ変わりである。 中将は上洛して昇進し、大将となる。 馬頭殿は七歳で上洛して帝に拝謁し、十五歳で少将、その後中納言となった。
 中納言が朝日長者を訪ねたときに一夜召した女房は、男の子を産んだ。 三歳のとき、初めて中納言のもとに見参するが、醜い容貌だったので、都へは上洛させてもらえず、奥州の小野というところに住み暮らした。 小野猿丸と申し、天下無双の弓の名人であった。 有宇中将は、大将となってまもなく神となり、下野国に鎮まったが、上野国の赤城大明神と、湖水の境界をめぐって、たびたび軍を繰り返した。 日光権現(=有宇)が鹿嶋大明神と軍の評定をすると、鹿嶋神は日光権現の孫である猿丸大夫によって本意をとげるようすすめる。 そこで日光権現は猿丸をおびき寄せて合戦の助力を請い、猿丸はそれを了承する。 そして合戦が行なわれ、日光権現は大虵、赤城大明神は百足となって出現する。 敵を待ちかまえていた猿丸が矢を放つと、百足の左眼に深々と突き刺さり、百足は退却する。 日光権現の敵を退けた猿丸は、権現の御子である太郎大明神と一緒に下野国を守るため日光山の神主となる。 やがて一匹の靏があらわれ、その左の羽には馬頭観音、右の羽には勢至菩薩がのっていた。 靏は女人に変わり、「馬頭観音は太郎大明神、勢至菩薩は汝の本地である」と猿丸に告げた。 雲の上の本地は虚空蔵菩薩、阿久多丸の本地は地蔵菩薩で、青鹿毛は太郎大明神の垂迹で本地は馬頭観音、有宇中将は男体権現の化身で本地は千手観世音菩薩、朝日の君は女体権現の化身で本地は阿弥陀如来であるとする。
 また同縁起では、日光三所権現は常陸国では鹿嶋大明神としてあらわれるとするが、その理由を男体権現(=有宇)と女体権現(=朝日の君)が夫婦であったためと述べている。
 その後、太郎大明神は、下野国河内郡小寺山に遷り、若補陀落大明神と号し、朝敵の征伐に神力を発揮し、朝廷と幕府の尊崇を受けたと記す。