『神道集』の神々

第二十八 地神五代事

一は天照太神である。 伊弉諾・伊弉冊尊の太子である。 今の伊勢大神宮である。 日本国の大棟梁である。
二は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊である。 この神は天照太神の太子である。
三は天津彦彦火瓊瓊杵尊である。 これは天忍穂耳尊の太子である。 母は栲幡千千姫である。 これは母は高皇産霊尊の娘である。 天下を治めること三十一万八千五百四十二年である。 始めは日向国高千穂峯に天下り、その後は同国宇解山に住まれた。 この尊の御代に、天から明鏡三面と霊剣三腰が天下った。 その三面の鏡は、一面は伊勢太神宮に在り、一面は大和国日前社に在り、一面は内裏に留まる、今の内侍所である。 次に三腰の剣は、一腰は大和国布流社に在り、一腰は尾張国熱田社に在り、一腰は内裏に留まる、今の宝剣である。 この二つの宝は世の末まで内裏守護の宝と成った。
四は彦火火出見尊。 これは瓊瓊杵尊の太子である。 母は木花開耶姫である。 これは大山祇神の娘である。 天下を治めること六十三万七千八百九十二年である。 御陵は日向国高尾山に在る。
五は鵜羽葺不合尊、また彦波鸕鷀尊と号する。 母は豊玉姫である。 海童の第二の娘である。 天下を治めること八十三万六千四十二年である。 御陵は日向国吾平山に在る。 以上を地神五代という。 この尊の第四の御子が出現された。 これは人王の始めの帝の神武天皇である。

天照太神

『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段[LINK]には、
「伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議て曰はく、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり、何ぞ天下の主たる者を生みざらむ」とのたまふ。是に、共に日神を生みまつります。大日孁貴と号す〈一書に云はく、天照大神といふ。一書に云はく、天照大日孁尊といふ〉。此の子光華明彩みひかりうるはしく六合くにの内に照り徹る。故れ二神喜びて曰く、「吾が息多ありと雖も、未だかくくしびあやしき児有らず、久しく此の国に留めまつるべからず。自づから当に早に天に送りて、授くるに天上の事を以てすべし」。是の時に、天地、相去ること未だ遠からず。故、天柱を以て、天上に挙ぐ」
とある。

第五段一書(一)[LINK]には、
「伊弉諾尊の曰はく、「吾、御寓あめのしたしらすべきうづの子を生まむと欲ふ」とのたまひて、乃ち左の手を以て白銅鏡を持りたまふときに、則ち化り出づる神有す。是を大日孁貴と謂す。右の手に白銅鏡を持りたまふときに、則ち化り出づる神有す。是を月弓尊と謂す。又首を廻して顧眄之間みるまさかりに、則ち化る神有す。是を素戔嗚尊と謂す」
とある。

第五段一書(六)[LINK]によると、伊弉諾尊は黄泉から帰った後、筑紫の日向の小戸の橘の檍原に至って禊除をした。 八十枉津日神などの九神を生んだ後、
「左の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて天照大神と曰す。復右の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて月読尊と曰す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて素戔嗚尊と曰す。凡て三の神ます」
とある。

『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には、
「伊弉諾・伊弉冊二神の尊、左の手に金鏡を持ちてめがみを生す。右の手に銀鏡を持ちてをがみを生す。名を日天子・月天子と曰す。是、一切衆生の眼目と坐す。故に、一切の火気、変じて日と成り、一切の水気、変じて月と成る。三界を建立するは、日月是也。時に、瀛都鏡・辺都鏡を国璽尊霊と為して、日神・月神自ら天宮に送て、六合を照らし給ふ」
とある。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊

『日本書紀』巻第一(神代上)の第六段[LINK]には、
「素戔嗚尊、天照大神の髻鬘みいなだき及び腕に纏かせる、八坂瓊の五百箇の御統を乞ひ取りて、天真名井に濯きて、𪗾然さがみに咀嚼みて吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる神を、号けて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と曰す。次に天穂日命〈是出雲臣・土師連等が祖なり〉。次に天津彦根命〈是凡川内直・山代直等が祖なり〉。次に活津彦根命。次に熊野豫樟日命。凡て五の男ます。是の時に、天照大神、勅して曰はく、「其の物根を原ぬれば、八坂瓊の五百箇の御統は、是れ吾が物なり。故、彼の五の男神は、悉に是吾が児なり」とのたまひて、乃ち取りて子養したまふ」
とある。

第六段一書(一)[LINK]には、
「素戔烏尊、其の頸に嬰げる五百箇の御統の瓊を以て、天渟名井、亦の名は去来之真名井に濯ぎ食す。乃ち生す児を正哉吾勝勝速日天忍骨尊と号す。次に天津彦根命。次に活津彦根命。次に天穂日命。次に熊野忍蹈命。凡て五の男神ます」
とある。

第六段一書(二)[LINK]には、
「素戔嗚尊、持たる剣を以て天真名井に浮寄けて、剣の末を囓ひ断ちて、吹き出つる気噴の中に化生る神を、天穂日命と号く。次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊。次に天津彦根命。次に活津彦根命。次に熊野豫樟日命。凡て五の男神ます」
とある。

第六段一書(三)[LINK]には、
「素戔嗚尊、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊を含みて、左の手の掌中に著きて、便ち男を化生す。則ち称して曰はく、「正哉吾勝ちぬ」とのたまふ。故、因りて名づけて、勝速日天忍穂耳尊と曰す。復右の髻の瓊を含みて、右の手の掌中に著きて、天穂日命を化生す。復頸に嬰げる瓊を含みて、左の臂の中に著きて、天津彦根命を化生す。又、右の臂の中より活津彦根命を化生す。又、左の足の中より熯之速日命を化生す。又、右の足の中より熊野忍蹈命を化生す。亦の名は熊野忍隅命。其れ素戔嗚尊の生める児、皆已に男なり。故、日神、方に素戔嗚尊の元より赤き心有るを知りて、便ち其の六柱の男を取りて、以って日神の子として、天原を治しむ」
とある。

同書の第七段一書(三)[LINK]には、
「素戔嗚尊、乃ち轠轤然ももくるるに、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊の綸を解き、瓊音ぬなとも瑲瑲に、天渟名井に濯ぎ浮く。其の瓊の端を囓みて、左の掌に置きて、生す児を、正哉吾勝勝速日天忍穗根尊。復右の瓊を囓みて、右の掌に置きて、生す児を、天穂日命。此出雲臣・武蔵国造・土師連等が遠祖なり。次に天津彦根命。此れ茨城国造・額田部連等が遠祖なり。次に活目津彦根命。次に熯速日命。次に熊野大角命。凡て六の男ます」
とある。

『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には、
「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 天照大神、八坂瓊曲玉を捧げて、大八州に於て本霊鏡と為す。火珠所成の神也」
とある。

『太平記』巻二十五の「伊勢より宝剣を進る事 附黄梁夢の事」[LINK]には、
「神璽は天照太神、素盞烏尊と、共為夫婦みとのまぐはひありて、八坂瓊の曲玉をねぶり給ひしかば、陰陽成生して、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊をうみ給ふ。此玉をば神璽と申す也」
とある。

天津彦彦火瓊瓊杵尊

『日本書紀』巻第二(神代下)の第九段[LINK]には、
「天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女栲幡千千姫を娶きたまひて、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生れます。故、皇祖高皇産霊尊、特に憐愛めぐしとおもほすみこころを鐘めて、崇て養したまふ。遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主とせむと欲す」
「高皇産霊尊、真床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆ひて、降りまさしむ。皇孫、乃ち天磐座を離ち。且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯に天降ります」
とある。

第九段一書(一)[LINK]には、
「天照大神、思兼神の妹万幡豊秋津媛命を以て正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に配せまつりて妃として、これを葦原中国に降しまさしむ」「且将に降しまさむとする間に、皇孫、已に生れたまひぬ。号を天津彦彦火瓊瓊杵尊と曰す。時に奏すこと有りて曰はく、此の皇孫を以て代へて降さむと欲ふとのたまふ」
「皇孫、是に、天磐座を脱離ち、天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、天降ります」
とある。

第九段一書(二)[LINK]には、
「高皇産霊尊の女、号は万幡姫を以て、天忍穂耳尊に配せて妃として降しまつらしめたまふ。故、時に虚天に居しまして生める児を、天津彦彦火瓊瓊杵尊と号す。因りて此れの皇孫を以て親に代へて降しまつらむと欲す」
「天津彦火瓊瓊杵尊、日向の槵日の高千穂の峯に降到りまして」
とある。

第九段一書(四)[LINK]には、
「高皇産霊尊、真床覆衾を以て、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に裹せまつりて、則ち、天磐戸を引き開け、天八重雲を排分けて、降し奉る」
とある。

第九段一書(六)[LINK]には、
「天忍穂根尊、高皇産霊尊の女子栲幡千千姫万幡姫命、亦は云はく、高皇産霊尊の児火之戸幡姫の児千千姫命といふ、を娶りたまふ。而して児天火明命を生む。次に天津彦根火瓊瓊杵根尊を生みまつる。其の天火明命の児天香山は、是れ尾張連等の遠祖なり」「高皇産霊尊、乃ち真床覆衾を用て、皇孫天津彦根火瓊瓊杵根尊に裹せまつりて、天八重雲を排被けて、降し奉らしむ。故、此の神を称して天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊と曰す」
とある。

第九段一書(七)[LINK]には、
「高皇産霊尊の女天万栲幡千幡姫、一に云はく、高皇産霊尊の児万幡姫の児玉依姫命といふ。此の神、天忍骨命の妃と為りて、児天之杵火火置瀬尊を生みまつる。一に云はく、勝速日命の児天大耳尊。此の神、丹舃姫を娶りて、児火瓊瓊杵尊を生みまつるといふ。一に云はく、神皇産霊尊の女栲幡千幡姫、児火瓊瓊杵尊を生みまつるといふ」
とある。

第九段一書(八)[LINK]には、
「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女天万栲幡千幡姫を娶りて、妃として児を生む。天照国照彦火明命と号く。是尾張連が遠祖なり。次に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊
とある。

『大和葛城宝山記』[LINK]には、
「天津彦彦火瓊瓊杵尊 神勅に曰く、「天杵尊を以て中国の主と為せ」。玄龍車・追真床の縁の錦の衾〈今の世に、小車の錦の衾と称するは是の縁也〉、八尺流大鏡、赤玉の鈴、草薙剣を賜はりて寿ぎて曰く、「嗚乎、汝杵、敬みて吾が寿ぐを承れ、手に流鈴を把り、御無窮無念を以てせば、爾の祖吾、鏡中に在り」と宣たまはく。凡そ中国の初、万の物を定むるに霊有る所の草樹を以て、言魔神と称ひて兢み扇る。今杵を以て之に就くるの故に、名づけて皇孫杵独王と称ふ也。今の世に曰ふ、伊勢の国山田原に坐します止由気太神の相殿に坐します也」
とある。

彦火火出見尊

『日本書紀』巻第二(神代下)の第九段[LINK]には、
「時に彼の国に美人有り。名を鹿葦津姫と曰ふ〈亦の名は神吾田津姫。亦の名は木花之開耶姫〉。皇孫、此の美人に問ひて曰はく、「汝は誰が子ぞ」とのたまふ。対へて曰さく、「妾は是、天神の、大山祇神を娶きて、生ましめたる児なり」とまうす。皇孫因りて幸す。即ち一夜にして有娠みぬ。[中略]則ち火を放けて室を焼く。始めて起る烟の末より生り出づる児を、火闌降命と号く〈是隼人等が始祖なり〉。次に熱を避りて居しますときに、生り出づる児を、彦火火出見尊と号く。次に生り出づる児を、火明命と号く〈是尾張連等が始祖なり〉。凡て三子ます」
とある。

第九段一書(二)[LINK]には、
「時に皇孫、因りて宮殿を立てて、是に遊息みます。後に海浜に遊幸して、一の美人を見す。皇孫問ひて曰はく、「汝は是誰が子ぞ」とのたまふ。対へて曰さく、「妾は是大山祇神の子。名は神吾田鹿葦津姫、亦の名は木花開耶姫」とまうす。因りて白さく、「亦吾が姉磐長姫在り」とまうす。皇孫の曰はく、「吾汝を以て妻とせむと欲ふ。如之何」とのたまふ。対へて曰さく、「妾が父大山祇神在り。請はくは垂問ひたまへ」とまうす。皇孫、因りて大山祇神に謂りて曰はく、「吾、汝が女子を見す。以て妻とせむと欲ふ」とのたまふ。是に、大山祇神、乃ち二の女をして、百机飲食ももとりのつくゑものを持たしめて奉進る。時に皇孫、姉は醜しと謂して、御さずして罷けたまふ。妹は有国色かおよしとして、引して幸しつ。則ち一夜に有身みぬ。[中略]則ち其の室に入りて、火を以けて室を焚く。焔初め起る時に共に生む児を、火酢芹命と号す。次に火の盛なる時に生む児を、火明命と号く。次に生む児を、彦火火出見尊と号す。亦の号は火折尊
とある。

第九段一書(三)[LINK]には、
「初め火焔明る時に生める児、火明命。次に火炎盛なる時に生める児、火進命。又曰はく、火酢芹命。次に火炎避る時に生める児、火折彦火火出見尊
とある。

第九段一書(五)[LINK]には、
「天孫、大山祇神の女子吾田鹿葦津姫を幸す。則ち一夜に有娠みぬ。遂に四の子を生む。[中略]則ち火を放けて室を焚く。其の火の初め明る時に、躡み誥びて出づる児、自ら言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火明命。吾が父、何処にか坐します」とのたまふ。次に火の盛なる時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火進命。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。次に火炎の衰る時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火折尊。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。次に火熱を避る時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は彦火火出見尊。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ」
とある。

第九段一書(六)[LINK]には、
「天孫、又問ひて曰はく、「其の秀起つる浪穂の上に、八尋殿を起てて、手玉も玲瓏もゆらに、織経る少女は、是誰が子女ぞ」とのたまふ。答へて曰さく、「大山祇神の女等、あねを磐長姫と号ふ、おととを木花開耶姫と号ひ、亦の号は、豊吾田津姫とまうす」、云々。皇孫、因りて豊吾田津姫を幸す。則ち、一夜にして有身めり。皇孫疑ひたまふ、云々。遂に火酢芹命を生む。次に火折尊を生みまつる。亦の号は彦火火出見尊
とある。

第九段一書(七)[LINK]には、
「天杵瀬命(天之杵火火置瀬尊)、吾田津姫を娶りて、児火明命を生みまつる。次に火夜織命。次に彦火火出見尊といふ」
とある。

第九段一書(八)[LINK]には、
「此の神(天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊)、大山祇神の女子木花開耶姫命を娶りて、妃としたまひて、児を生ましむ。火酢芹命と号く。次に彦火火出見尊
とある。

鵜羽葺不合尊(彦波鸕鷀尊)

『日本書紀』巻第二(神代下)の第十段[LINK]には、
「彦火火出見尊、因りて海神の女豊玉姫を娶きたまふ。[中略]豊玉姫、天孫に謂りて曰さく、「妾已に娠めり。当産こうむとき久にあらじ。妾、必ず風濤急峻からむ日を以て、海浜に出で到らむ。請はくは、我が為に産室を作りて相持ちたまへ」とまうす。[中略]後に、豊玉姫、果して前の期の如く、その女弟いろど玉依姫を将ゐて、直に風波を冒して、海辺に来到る。臨産時に逮びて、請ひて曰さく、「妾、産まむ時に、幸はくはな看ましそ」とまうす。天孫猶忍ぶること能はずして、竊に往きて覘ひたまふ。豊玉姫、方に産むときに竜に化為りぬ。而して、甚だ慙ぢて曰はく、「如し我を辱めざること有りせば、海陸相通はしめて、永く隔絶つこと無からまし。今既に辱みつ。将に何を以てか親昵しき情を結ばむ」といひて、乃ち草を以て児を裹み、これを海辺に棄てて、海途を閉じて俓に去ぬ。故、因りて以て児を名づけまつりて、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と曰す」
とある。

第十段一書(一)[LINK]には、
「時に豊玉姫、八尋の大熊鰐に化為りて、匍匐ひ逶虵もごよふふ。遂ひに辱められたるを以て恨として、則ち、俓に海郷に帰る。其の女弟玉依姫を留めて、児を持養さしむ。児の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と称す所以は、彼の海浜の産屋に、全く鸕鷀の羽を用て草にして葺けるに、甍合へぬ時に、児即ち生れませるを以ての故に、因りて名づけたてまつる」
とある。

第十段一書(三)[LINK]には、
「(豊玉姫は)則ち八尋大鰐と化為りぬ。而も天孫の視其私屏かきまみしたまふことを知りて、深く慙恨みまつることを懐く。既に児生れて後に、天孫就きて問ひて曰はく、「児の名を何に称けば可けむ」といふ。対へて曰さく、「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と号くべし」とまうす。言ひ訖りて、乃ち海を渉りて俓に去ぬ」
とある。

地神五代

『日本書紀』等には「地神五代」に相当する呼称は無いが、平安時代末期までには人皇以前を「天神七代」「地神五代」として定式化するようになった(例えば、藤原資隆『簾中抄』上の帝王御次第の条[LINK])。

『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には、
「天神七葉は、過去の七仏。転じて天の七星と呈はる。地神五葉は、現在の四仏に遮那を加増して五仏と為す。化して地の五行神と成る
とある。

天津神である天照大神を「地神」とする理由について、北畠親房『神皇正統記』[LINK]には、
「天照太神・吾勝尊は天上に留り給へど、地神の第一、第二に数へたてまつる。其の始は天下の主たるべしとて生れ給し故にや」
とある。

また、一条兼良『日本書紀纂疏』巻第二(神代上之二)[LINK]には、
「日輪は、火珠の成る所、径五十一由旬、周囲百五十三由旬、厚六由旬零十八分、[中略]日天子等の居る所の宮殿なり。風に由て運行して、一昼一夜、四大洲を遶る」「倶舎論に云く、日・月・衆星、何に依て住する、風に依て住す。謂る諸の有情の業増上力にて、共に風を引き起し、妙高山の空中を遶り、旋環して、日等を運持して、停墜せざらしむ。彼の住す所、此を去ること四万踰繕那、持双山の頂、妙高山の半に斉し」
とある。
仏教的世界観では、須弥山頂を境に「天」は二層化される。 すなわち、須弥山頂以上の諸天を空居天、山頂以下の三十三天と四王天を地居天とする。 従って、日月等の宮殿は須弥山より低い地居天に属することになる。 『日本書紀纂疏』は、仏教のいう空居天・地居天という概念を以って、天神・地神を対置的に定位し、天照大神を日天子とみなし、それが須弥山の中腹にあることから、天神の下位に位置づく地神とした。
(二藤京「『日本書紀纂疏』における帝王の系譜」[LINK], 高崎経済大学論集, 49巻, 3・4合併号, pp.139-152, 2007)

神武天皇

『日本書紀』巻第二(神代下)の第十一段[LINK]には、
「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、其の姨玉依姫を以て妃としたまふ。彦五瀬命を生しませり。次に稲飯命、次に三毛入野命、次に神日本磐余彦尊。凡て四の男を生す」
とある。

第十一段一書(一)[LINK]には、
「先づ彦五瀬命を生みたまふ。次に稲飯命、次に三毛入野命、次に狭野尊、亦は神日本磐余彦尊と号す。狭野と所称すは、是、年少くまします時の号なり。後に天下を撥ひ平げて、八洲を奄有す。故、復号を加へて、神日本磐余彦尊と曰す」
とある。

第十一段一書(二)[LINK]には、
「先づ五瀬命を生みたまふ。次に三毛野命、次に稲飯命、次に磐余彦尊、亦は神日本磐余彦火火出見尊と号す」
とある。

第十一段一書(三)[LINK]には、
「先づ彦五瀬命を生みたまふ。次に稲飯命、次に神日本磐余彦火火出見尊、次に稚三毛野命」
とある。

第十一段一書(四)[LINK]には、
「先づ彦五瀬命を生みたまふ。次に磐余彦火火出見尊、次に彦稲飯命、次に三毛入野命」
とある。

同書・巻第三(神武天皇即位前紀)[LINK]には、
神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四子なり。母を玉依姫と曰す。海童の少女なり。天皇、生れましながらにして明達さかし。意礭如みこころかたくつよくます。年十五にして、立ちて太子と為りたまふ」
とある。

日向国高千穂峯

参照: 「神道由来之事」日向国高千穂峯

同国宇解山

参照: 「神道由来之事」日向国宇解山

伊勢太神宮

参照: 「神道由来之事」内宮

大和国日前社

大和国は紀伊国の誤記である。
参照: 「神道由来之事」紀伊国日前社

内侍所

参照: 「神道由来之事」内侍所

大和国布流社

参照: 「神道由来之事」大和国布流社

尾張国熱田社

参照: 「熱田大明神事」熱田大明神

日向国高尾山

高尾山は高屋山の誤記である。
参照: 「神道由来之事」日向国高屋山

日向国吾平山

参照: 「神道由来之事」日向国吾平山

日向三代の治世年数

『日本書紀』巻第三(神武天皇即位前三十七年[B.C.697])[LINK]には「天祖の降跡あまくだりましてより以逮このかた、今に一百七十九万二千四百七十余歳」とある。

日向三代の各治世年数は『日本書紀』には見られないが、平安時代末期までには具体的に定められた。
『倭姫命世記』[LINK]には、
「(天津彦彦火瓊瓊杵尊)天下を治しめすこと三十一万八千五百四十三年」
「彦火火出見尊、天下を治しめすこと六十三万七千八百九十二年」
「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、天下を治しめすこと八十三万六千四十二年」
とあり、『神道集』とは瓊瓊杵尊の治世年数に一年の差異が有る。

【参考】地神五代の異説

『曽我物語(真名本)』巻一には、
「それ、日域秋津島と申すは、国常立尊より以来、天神七代・地神五代、都合十二代は神代としてさて置きぬ、地神五代の末の御神をば早日且居尊と申す。御代に出て御在して本朝を治らせ給うこと七千五百三十七年なり。その次の御代に出で給ふ御神をば大和日高見尊と申す。本朝を治らせ給ふこと十二万八千七百八十五年なり。その次の御代に出で給ふ御神をば早富大足尊と申す。本朝を治むこと七千五百十二年なり。その次、その次の御代に出で給ふ御神をば鵜羽葺不合尊と申す。本朝を治むこと十二万三千七百四十二年なり。その後、神代七千年の間絶えて、安日といふ鬼王世に出て治むること七千年なり。その後、鵜羽葺不合尊の第四代の御孫子神武天王世に出でさせ給ひ、安日が代を諍ひし時、天よりこ霊剣三腰雨り下つて安日が悪逆を鎮め給ひしかば、天王勲をなしつつ、安日が部類をば東国外の浜へ追ひ下さる。今の醜蛮と申すはこれなり。この神武天王、人代百王の始めの帝として本朝を治め給ふこと九十七年なり」
とある。