『神道集』の神々
第二十八 地神五代事
一は天照太神である。 伊弉諾・伊弉冊尊の太子である。 今の伊勢大神宮である。 日本国の大棟梁である。二は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊である。 この神は天照太神の太子である。
三は天津彦彦火瓊瓊杵尊である。 これは天忍穂耳尊の太子である。 母は栲幡千千姫である。 これは母は高皇産霊尊の娘である。 天下を治めること三十一万八千五百四十二年である。 始めは日向国高千穂峯に天下り、その後は同国宇解山に住まれた。 この尊の御代に、天から明鏡三面と霊剣三腰が天下った。 その三面の鏡は、一面は伊勢太神宮に在り、一面は大和国日前社に在り、一面は内裏に留まる、今の内侍所である。 次に三腰の剣は、一腰は大和国布流社に在り、一腰は尾張国熱田社に在り、一腰は内裏に留まる、今の宝剣である。 この二つの宝は世の末まで内裏守護の宝と成った。
四は彦火火出見尊。 これは瓊瓊杵尊の太子である。 母は木花開耶姫である。 これは大山祇神の娘である。 天下を治めること六十三万七千八百九十二年である。 御陵は日向国高尾山に在る。
五は鵜羽葺不合尊、また彦波鸕鷀尊と号する。 母は豊玉姫である。 海童の第二の娘である。 天下を治めること八十三万六千四十二年である。 御陵は日向国吾平山に在る。 以上を地神五代という。 この尊の第四の御子が出現された。 これは人王の始めの帝の神武天皇である。
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
『日本書紀』巻第一(神代上)の第六段[LINK]には素戔嗚尊、天照大神の第六段一書(一)[LINK]には髻鬘 及び腕に纏かせる、八坂瓊の五百箇の御統を乞ひ取りて、天真名井に濯きて、𪗾然に咀嚼みて吹き棄つる気噴の狭霧に生まるる神を、号けて正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊と曰す。 次に天穂日命。〈是出雲臣・土師連等が祖なり〉 次に天津彦根命。〈是凡川内直・山代直等が祖なり〉 次に活津彦根命。 次に熊野豫樟日命。 凡て五の男ます。 是の時に、天照大神、勅して曰く、「其の物根を原ぬれば、八坂瓊の五百箇の御統は、是れ吾が物なり。故、彼の五の男神は、悉に是吾が児なり」とのたまひて、乃ち取りて子養したまふ。
素戔烏尊、其の頸に嬰げる五百箇の御統の瓊を以て、天渟名井、亦の名は去来之真名井に濯ぎ食す。 乃ち生す児を正哉吾勝勝速日天忍骨尊と号す。 次に天津彦根命。 次に活津彦根命。 次に天穂日命。 次に熊野忍蹈命。 凡て五の男神ます。第六段一書(二)[LINK]には
素戔嗚尊、持たる剣を以て天真名井に浮寄けて、剣の末を囓ひ断ちて、吹き出つる気噴の中に化生る神を、天穂日命と号く。 次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊。 次に天津彦根命。 次に活津彦根命。 次に熊野豫樟日命。 凡て五の男神ます。第六段一書(三)[LINK]には
素戔嗚尊、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊を含みて、左の手の掌中に著きて、便ち男を化生す。 則ち称して曰く、「正哉吾勝ちぬ」とのたまふ。 故、因りて名づけて、勝速日天忍穂耳尊と曰す。 復右の髻の瓊を含みて、右の手の掌中に著きて、天穂日命を化生す。 復頸に嬰げる瓊を含みて、左の臂の中に著きて、天津彦根命を化生す。 又、右の臂の中より活津彦根命を化生す。 又、左の足の中より熯之速日命を化生す。 又、右の足の中より熊野忍蹈命を化生す。亦の名は熊野忍隅命。 其れ素戔嗚尊の生める児、皆已に男なり。 故、日神、方に素戔嗚尊の元より赤き心有るを知りて、便ち其の六柱の男を取りて、以って日神の子として、天原を治しむ。第七段一書(三)[LINK]には
素戔嗚尊、乃ちとある。轠轤然 に、其の左の髻に纏かせる五百箇の統の瓊の綸を解き、瓊音 も瑲瑲に、天渟名井に濯ぎ浮く。 其の瓊の端を囓みて、左の掌に置きて、生す児を、正哉吾勝勝速日天忍穗根尊。 復右の瓊を囓みて、右の掌に置きて、生す児を、天穂日命。此出雲臣・武蔵国造・土師連等が遠祖なり。 次に天津彦根命。此れ茨城国造・額田部連等が遠祖なり。 次に活目津彦根命。 次に熯速日命。 次に熊野大角命。 凡て六の男ます。
『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 天照大神、八坂瓊曲玉を捧げて、大八州に於て本霊鏡と為す。 火珠所成の神也。とある。
『太平記』巻二十五の「伊勢より宝剣を進る事 附黄梁夢の事」[LINK]には
神璽は天照太神、素盞烏尊と、とある。共為夫婦 ありて、八坂瓊の曲玉をねぶり給ひしかば、陰陽成生して、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊をうみ給ふ。 此玉をば神璽と申す也。
天津彦彦火瓊瓊杵尊
『日本書紀』巻第二(神代下)の第九段[LINK]には天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女栲幡千千姫を娶きたまひて、天津彦彦火瓊瓊杵尊を生れます。 故、皇祖高皇産霊尊、特に憐愛 を鐘めて、崇て養したまふ。 遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、葦原中国の主とせむと欲す。
高皇産霊尊、真床追衾を以て、皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆ひて、降りまさしむ。 皇孫、乃ち天磐座を離ち。 且天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、日向の襲の高千穂峯に天降ります。第九段一書(一)[LINK]には
天照大神、思兼神の妹万幡豊秋津媛命を以て正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に配せまつりて妃として、これを葦原中国に降しまさしむ。
且将に降しまさむとする間に、皇孫、已に生れたまひぬ。 号を天津彦彦火瓊瓊杵尊と曰す。 時に奏すこと有りて曰く、「此の皇孫を以て代へて降さむと欲ふ」とのたまふ。 故、天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種の宝物を賜ふ。 又、中臣の上祖天児屋命・忌部の上祖太玉命・猨女の上祖天鈿女命・鏡作の上祖石凝姥命・玉作の上祖玉屋命、凡て五部の神を以て、配へて侍らしむ。 因りて、皇孫に勅して曰く、「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。行矣 。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」とのたまふ。
皇孫、是に、天磐座を脱離ち、天八重雲を排分けて、稜威の道別に道別きて、天降ります。 果に先の期の如くに、皇孫をば筑紫の日向の高千穂の槵触峯に到します。第九段一書(二)[LINK]には
高皇産霊尊、因りて勅して曰く、「吾は天津神籬及び天津磐境を起し樹てて、当に吾孫の為に斎ひ奉らむ。汝、天児屋命・太玉命は、天津神籬を持ちて、葦原中国に降りて、亦吾孫の為に斎ひ奉れ」とのたまふ。 乃ち二の神を使して天忍穂耳尊に陪従へて降す。第九段一書(四)[LINK]には
是の時に、天照大神、手に宝鏡を持ちたまひて、天忍穂耳尊に授けて、祝きて曰く、「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡とすべし」とのたまふ。 復、天児屋命・太玉命に勅すらく、「惟爾二の神、亦同に殿の内に侍ひて、善く防護を為せ」とのたまふ。 又勅して曰く、「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」とのたまふ。 則ち高皇産霊尊の女、号は万幡姫を以て、天忍穂耳尊に配せて妃として降しまつらしめたまふ。 故、時に虚天に居しまして生める児を、天津彦彦火瓊瓊杵尊と号す。 因りて此れの皇孫を以て親に代へて降しまつらむと欲す。 故れ天児屋命・太玉命、及び諸部の神等を以て、悉皆に相授く。 且服御之物、一に前に依て授く。 然して後に、天忍穗耳尊、天に復還りたまふ。 故、天津彦火瓊瓊杵尊、日向の槵日の高千穂の峯に降到りまして
高皇産霊尊、真床覆衾を以て、天津彦国光彦火瓊瓊杵尊に裹せまつりて、則ち、天磐戸を引き開け、天八重雲を排分けて、降し奉る。 時に、大伴連の遠祖天忍日命、来目部の遠祖天槵津大来日を帥ゐて、背には天磐靫を負ひ、臂には稜威高鞆を着き、手には天梔弓・天羽々矢を捉り、及び八目鳴鏑を副持、又頭槌剣を帯き、天孫の前に立ちて、遊行き降来りて、日向の襲の高千穂の槵日の二上峯の天浮橋に到りて第九段一書(六)[LINK]には
天忍穂根尊、高皇産霊尊の女子栲幡千千姫万幡姫命〈亦は云はく、高皇産霊尊の児火之戸幡姫の児千千姫命といふ〉を娶りたまふ。 而して児天火明命を生む。 次に天津彦根火瓊瓊杵根尊を生みまつる。 其の天火明命の児天香山は、是れ尾張連等の遠祖なり。
高皇産霊尊、乃ち真床覆衾を用て、皇孫天津彦根火瓊瓊杵根尊に裹せまつりて、天八重雲を排被けて、降し奉らしむ。 故、此の神を称して天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊と曰す。 時に、降到りましし処をば、呼ひて日向の襲の高千穗の添山峯と曰ふ。第九段一書(七)[LINK]には
高皇産霊尊の女天万栲幡千幡姫。〈一に云はく、高皇産霊尊の児万幡姫の児玉依姫命といふ〉 此の神、天忍骨命の妃と為りて、児天之杵火火置瀬尊を生みまつる。第九段一書(八)[LINK]には
一に云はく、勝速日命の児天大耳尊。此の神、丹舃姫を娶りて、児火瓊瓊杵尊を生みまつるといふ。
一に云はく、神皇産霊尊の女栲幡千幡姫、児火瓊瓊杵尊を生みまつるといふ。
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、高皇産霊尊の女天万栲幡千幡姫を娶りて、妃として児を生む。 天照国照彦火明命と号く。是尾張連が遠祖なり。 次に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊。とある。
『大和葛城宝山記』[LINK]には
天津彦彦火瓊瓊杵尊 神勅に曰く、「天杵尊を以て中国の主と為せ」。 玄龍車・追真床の縁の錦の衾、〈今の世に、小車の錦の衾と称するは是の縁也〉八尺流大鏡、赤玉の鈴、草薙剣を賜はりて寿ぎて曰く、「嗚乎、汝杵、敬みて吾が寿ぐを承れ、手に流鈴を把り、御無窮無念を以てせば、爾の祖吾、鏡中に在り」と宣たまはく。 凡そ中国の初、万の物を定むるに霊有る所の草樹を以て、言魔神と称ひて兢み扇る。 今杵を以て之に就くるの故に、名づけて皇孫杵独王と称ふ也。 今の世に曰ふ、伊勢の国山田原に坐します止由気太神の相殿に坐します也。とある。
彦火火出見尊
『日本書紀』巻第二(神代下)の第九段[LINK]には時に彼の国に美人有り。 名を鹿葦津姫と曰ふ。〈亦の名は神吾田津姫。亦の名は木花之開耶姫〉 皇孫、此の美人に問ひて曰く、「汝は誰が子ぞ」とのたまふ。 対へて曰さく、「妾は是、天神の、大山祇神を娶きて、生ましめたる児なり」とまうす。 皇孫因りて幸す。 即ち一夜にして有娠第九段一書(二)[LINK]にはみぬ。 皇孫、未信之 して曰く、「復天神と雖も、何ぞ能く一夜の間に、人をして有娠ませむや。汝が所懐 めるは、必ず我が子に非じ」とのたまふ。 故、鹿葦津姫、忿恨みまつりて、乃ち無戸室を作りて、其の内に入り居りて、誓ひて曰く、「妾が所娠 める、若し天孫の胤に非ずは、必当ず焦け滅びてむ。如し天孫の胤ならば、火も害ふこと能はじ」といふ。 則ち火を放けて室を焼く。
始めて起る烟の末より生り出づる児を、火闌降命と号く。〈是隼人等が始祖なり〉 次に熱を避りて居しますときに、生り出づる児を、彦火火出見尊と号く。 次に生り出づる児を、火明命と号く。〈是尾張連等が始祖なり〉 凡て三子ます。
時に皇孫、因りて宮殿を立てて、是に遊息みます。後に海浜に遊幸して、一の美人を見す。 皇孫問ひて曰く、「汝は是誰が子ぞ」とのたまふ。 対へて曰さく、「妾は是大山祇神の子。名は神吾田鹿葦津姫、亦の名は木花開耶姫」とまうす。 因りて白さく、「亦吾が姉磐長姫在り」とまうす。 皇孫の曰く、「吾汝を以て妻とせむと欲ふ。如之何」とのたまふ。 対へて曰さく、「妾が父大山祇神在り。請はくは垂問ひたまへ」とまうす。 皇孫、因りて大山祇神に謂りて曰く、「吾、汝が女子を見す。以て妻とせむと欲ふ」とのたまふ。 是に、大山祇神、乃ち二の女をして、百机飲食 を持たしめて奉進る。 時に皇孫、姉は醜しと謂して、御さずして罷けたまふ。妹は有国色 として、引して幸しつ。 則ち一夜に有身みぬ。
是の後に、神吾田鹿葦津姫、皇孫を見たてまつりて曰さく、「妾、天孫の子を孕めり。私に生みまつるべからず」とまをす。 皇孫の曰く、「復天神の子と雖も、如何ぞ一夜に人をして娠せむや。抑吾が児に非ざるか」とのたまふ。 木花開耶姫、甚だ慙ぢ恨み、乃ち無戸室を作りて、其の内に入り居りて、誓ひて曰く、「吾が所娠める、是若し他神の子ならば必ず不幸けむ。是実に天孫の子ならば、必ず当に全く生きたまへ」といひて、則ち其の室に入りて、火を以けて室を焚く。第九段一書(三)[LINK]には
焔初め起る時に共に生む児を、火酢芹命と号す。 次に火の盛なる時に生む児を、火明命と号く。 次に生む児を、彦火火出見尊と号す。 亦の号は火折尊。
初め火焔明る時に生める児、火明命。 次に火炎盛なる時に生める児、火進命。又曰く、火酢芹命。 次に火炎避る時に生める児、火折彦火火出見尊。第九段一書(五)[LINK]には
天孫、大山祇神の女子吾田鹿葦津姫を幸す。 則ち一夜に有娠みぬ。遂に四の子を生む。 故吾田鹿葦津姫、子を抱きて来進みて曰さく、「天神の子を、寧ぞ私に養しまつるべけむや。故、状を告して知聞えしむ」とまうす。 是の時に、天孫、其の子等を見して嘲ひて曰く、「第九段一書(六)[LINK]には妍哉 、吾が皇子、聞き喜くも生れませるかな」とのたまふ。 故、吾田鹿葦津姫、乃ち慍りて日はく、「何為れぞ妾を嘲りたまふや」といふ。 天孫の曰く、「心に疑し。故、嘲る。何とならば、復天神の子と雖も、豈能く一夜の間に人をして有身ませむや。固に吾が子に非じ」とのたまふ。 是を以て、吾田鹿葦津姫、益恨みて、無戸室を作りて、其の内に入居りて誓ひて曰く、「妾が娠める、若し天神の胤に非ずは、必ず亡せよ。是若し天神の胤ならば、害るること無けむ」といふ。 則ち火を放けて室を焚く。
其の火の初め明る時に、躡み誥びて出づる児、自ら言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火明命。吾が父、何処にか坐します」とのたまふ。 次に火の盛なる時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火進命。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。 次に火炎の衰る時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は火折尊。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。 次に火熱を避る時に、躡み誥びて出づる児、亦言りたまはく、「吾は是天神の子、名は彦火火出見尊。吾が父及び兄等、何処にか在します」とのたまふ。
天孫、又問ひて曰く、「其の秀起つる浪穂の上に、八尋殿を起てて、手玉も第九段一書(七)[LINK]には玲瓏 に、織経る少女は、是誰が子女ぞ」とのたまふ。 答へて曰さく、「大山祇神の女等、大 を磐長姫と号ふ、少 を木花開耶姫と号ひ、亦の号は、豊吾田津姫とまうす」、云々。 皇孫、因りて豊吾田津姫を幸す。 則ち、一夜にして有身めり。 皇孫疑ひたまふ、云々。
遂に火酢芹命を生む。 次に火折尊を生みまつる。亦の号は彦火火出見尊。
天杵瀬命(天之杵火火置瀬尊)、吾田津姫を娶りて、児火明命を生みまつる。 次に火夜織命。次に彦火火出見尊といふ。第九段一書(八)[LINK]には
此の神(天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊)、大山祇神の女子木花開耶姫命を娶りて、妃としたまひて、児を生ましむ。 火酢芹命と号く。次に彦火火出見尊。とある。
鵜羽葺不合尊(彦波鸕鷀尊)
『日本書紀』巻第二(神代下)の第十段[LINK]には彦火火出見尊、因りて海神の女豊玉姫を娶きたまふ。 仍りて海宮に留住りたまへること、已に三年に経りぬ。 彼処に、復安らかに楽しと雖も、猶郷を憶ふ情有す。 故時に復太だ息きます。 豊玉姫、聞きて、其の父に謂りて曰く、「天孫悽然 みて数 歎きたまふ。蓋し土を懷ひたまふ憂ありてか」といふ。 海神乃ち彦火火出見尊を延 きて、従容 に語して曰さく、「天孫若し郷に還らむと欲さば。吾当に送り奉るべし」とまうす。
将に帰去りまさむとするに及りて、豊玉姫、天孫に謂りて曰さく、「妾已に娠めり。当産 久にあらじ。妾、必ず風濤急峻からむ日を以て、海浜に出で到らむ。請はくは、我が為に産室を作りて相持ちたまへ」とまうす。
後に、豊玉姫、果して前の期の如く、その第十段一書(一)[LINK]には女弟 玉依姫を将ゐて、直に風波を冒して、海辺に来到る。臨産時に逮びて、請ひて曰さく、「妾、産まむ時に、幸はくはな看ましそ」とまうす。 天孫猶忍ぶること能はずして、竊に往きて覘ひたまふ。 豊玉姫、方に産むときに竜に化為りぬ。 而して、甚だ慙ぢて曰く、「如し我を辱めざること有りせば、海陸相通はしめて、永く隔絶つこと無からまし。 今既に辱みつ。将に何を以てか親昵しき情を結ばむ」といひて、乃ち草を以て児を裹み、これを海辺に棄てて、海途を閉じて俓に去ぬ。 故、因りて以て児を名づけまつりて、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と曰す。
時に豊玉姫、八尋の大熊鰐に化為りて、匍匐ひ第十段一書(三)[LINK]には逶虵 ふ。 遂ひに辱められたるを以て恨として、則ち、俓に海郷に帰る。其の女弟玉依姫を留めて、児を持養さしむ。 児の名を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と称す所以は、彼の海浜の産屋に、全く鸕鷀の羽を用て草にして葺けるに、甍合へぬ時に、児即ち生れませるを以ての故に、因りて名づけたてまつる。
(豊玉姫は)則ち八尋大鰐と化為りぬ。 而も天孫のとある。視其私屏 したまふことを知りて、深く慙恨みまつることを懐く。 既に児生れて後に、天孫就きて問ひて曰く、「児の名を何に称けば可けむ」といふ。 対へて曰さく、「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と号くべし」とまうす。 言ひ訖りて、乃ち海を渉りて俓に去ぬ。
地神五代
『日本書紀』等には「地神五代」に相当する呼称は無いが、平安時代末期までには人皇以前を「天神七代」「地神五代」として定式化するようになった(例えば、藤原資隆『簾中抄』上の帝王御次第の条[LINK])。『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には
天神七葉は、過去の七仏。転じて天の七星と呈はる。 地神五葉は、現在の四仏に遮那を加増して五仏と為す。化して地の五行神と成る。とある。
天津神である天照大神を「地神」とする理由について、北畠親房『神皇正統記』[LINK]には
天照太神・吾勝尊は天上に留り給へど、地神の第一、第二に数へたてまつる。 其の始は天下の主たるべしとて生れ給し故にや。とある。
一条兼良『日本書紀纂疏』巻第二(神代上之二)[LINK]には
日輪は、火珠の成る所、径五十一由旬、周囲百五十三由旬、厚六由旬零十八分。 上に金縁有り、其の上に復た金銀琉璃玻理珂等有り、四角を秀成す。 日天子等の居る所の宮殿なり。 風に由て運行し、一昼一夜、四大洲を遶る。
仏教に依らば則ち四王天を指す也。 倶舎論に云く、日・月・衆星、何に依て住する、風に依て住す。 謂る諸の有情の業増上力にて、共に風を引き起し、妙高山の空中を遶り、旋環して、日等を運持して、停墜せざらしむ。 彼の住す所、此を去ること四万踰繕那、持双山の頂、妙高山の半に斉し。とある。
二藤京「『日本書紀纂疏』における帝王の系譜」[LINK]には
仏教的世界観では、世界には有情世間と器世間があり、有情が前世の業によって、器世間に輪廻転生すると見る。 器世間は、天・地上・地下に分けられるが、須弥山頂を境に「天」は二層化される。 すなわち、須弥山頂以上の諸天を空居天、山頂以下の三十三天と四王天を地居天とするのである。 したがって、日月等の宮殿は須弥山より低い地居天に属することになる。 『纂疏』にいう「依仏教則指四王天也」とはこれである。 要約すればこうなる。 すなわち、日月の宮殿は四大洲を基準にして見れば、地面を離れた上空にあるのだから、当然、天界といえる。 しかし、その天界は、いまだ須弥山中腹にある地居天にすぎない。
要約すれば、『纂疏』は、仏教のいう空居天・地居天という概念を以って、天神・地神を対置的に定位し、アマテラスを『倶舎論頌疏』にいう日天子とみなし、それが須弥山の中腹にあることから、天神の下位に位置づく地神としたのである。とある。
(二藤京「『日本書紀纂疏』における帝王の系譜」, 高崎経済大学論集, 49巻, 3・4合併号, pp.139-152, 2007)
神武天皇
『日本書紀』巻第二(神代下)の第十一段[LINK]には彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、其の姨玉依姫を以て妃としたまふ。 彦五瀬命を生しませり。 次に稲飯命、次に三毛入野命、次に神日本磐余彦尊。 凡て四の男を生す。第十一段一書(一)[LINK]には
先づ彦五瀬命を生みたまふ。 次に稲飯命、次に三毛入野命、次に狭野尊、亦は神日本磐余彦尊と号す。 狭野と所称すは、是、年少くまします時の号なり。 後に天下を撥ひ平げて、八洲を奄有す。 故、復号を加へて、神日本磐余彦尊と曰す。第十一段一書(二)[LINK]には
先づ五瀬命を生みたまふ。 次に三毛野命、次に稲飯命、次に磐余彦尊、亦は神日本磐余彦火火出見尊と号す。第十一段一書(三)[LINK]には
先づ彦五瀬命を生みたまふ。 次に稲飯命、次に神日本磐余彦火火出見尊、次に稚三毛野命。第十一段一書(四)[LINK]には
先づ彦五瀬命を生みたまふ。 次に磐余彦火火出見尊、次に彦稲飯命、次に三毛入野命。とある。
同書・巻第三(神武天皇即位前紀)[LINK]には
神日本磐余彦天皇、諱は彦火火出見。 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四子なり。 母を玉依姫と曰す。 海童の少女なり。 天皇、生れましながらにしてとある。明達 し。意礭如 くます。 年十五にして、立ちて太子と為りたまふ。
日向国高千穂峯
参照: 「神道由来之事」日向国高千穂峯同国宇解山
参照: 「神道由来之事」日向国宇解山伊勢太神宮
参照: 「神道由来之事」内宮内侍所
参照: 「神道由来之事」内侍所大和国布流社
参照: 「神道由来之事」大和国布流社尾張国熱田社
参照: 「熱田大明神事」熱田大明神日向国吾平山
参照: 「神道由来之事」日向国吾平山日向三代の年数
『日本書紀』巻第三[LINK]には(神日本磐余彦尊は)年四十五歳に及りて、諸の兄及び子等に謂りて曰はく、「昔我が天神、高皇産霊尊・大日孁貴、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまへり。是に火瓊々杵尊、とある。天関 を闢きて雲路を披け、仙蹕 駈ひて戻止 リます。[中略]皇祖皇考 、乃神乃聖 にして、慶びを積み暉を重ねて、多に年所を歴たり。天祖の降跡 りましてより以逮 、今に一百七十九万二千四百七十余歳。[以後略]」
日向三代の各年数は『日本書紀』には見られないが、『倭姫命世記』[LINK]には
(天津彦彦火瓊瓊杵尊)天下を治しめすこと三十一万八千五百四十三年
彦火火出見尊、天下を治しめすこと六十三万七千八百九十二年
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊、天下を治しめすこと八十三万六千四十二年とあり、『神道集』とは瓊瓊杵尊の治世年数に一年の差異が有る。
【参考】地神五代の異説
『曾我物語(真名本)』巻一[LINK]にはそれ、日域秋津島と申すは、国常立尊より以来、天神七代・地神五代、都合十二代は神代としてさて置きぬ、地神五代の末の御神をば早日且居尊と申す。 御代に出て御在して本朝を治らせ給うこと七千五百三十七年なり。 その次の御代に出で給ふ御神をば大和日高見尊と申す。 本朝を治らせ給ふこと十二万八千七百八十五年なり。 その次の御代に出で給ふ御神をば早富大足尊と申す。 本朝を治むこと七千五百十二年なり。 その次の御代に出で給ふ御神をば鵜羽葺不合尊と申す。 本朝を治むこと十二万三千七百四十二年なり。 その後、神代七千年の間絶えて、安日といふ鬼王世に出て治むること七千年なり。 その後、鵜羽葺不合尊の第四代の御孫子神武天王世に出でさせ給ひ、安日が代を諍ひし時、天よりこ霊剣三腰雨り下つて安日が悪逆を鎮め給ひしかば、天王勲をなしつつ、安日が部類をば東国外の浜へ追ひ下さる。 今の醜蛮と申すはこれなり。 この神武天王、人代百王の始めの帝として本朝を治め給ふこと九十七年なり。とある。
天照太神
『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段[LINK]には 第五段一書(一)[LINK]には とある。第五段一書(六)[LINK]によると、伊弉諾尊は黄泉から帰った後、筑紫の日向の小戸の橘の檍原に至って禊除をした。 八十枉津日神などの九神を生んだ後、
とある。
『麗気記』巻第四(天地麗気記)[LINK]には とある。