ジム・メッシーナの心残り:
POCOのデビューアルバム*1制作時の事。
当時はランディ・マイズナーがメンバーだったのだが、編集作業に参加したいと申し出た彼に、リッチー・フューレイとジムがそれを断っている。ウィキペディアによれば、ランディーは憤慨したことになっているが、気持ちは良く判る。
プレス用の写真には若きランディが写った5人組の姿が残されているのだが、アルバムジャケットには一匹の犬と4人組のイラストが描かれている。その犬はランディの姿を差し替えたものだそうだ。これを見たランディは、”なんだよ、俺はイヌかよ” とつぶやいたかどうか?
この出来事はジムの胸に小さなピースを残したのかもしれない。
当時、1966〜68年頃はビートルズはアビーロードスタジオに籠っていた時期で、彼らもミキサー室に入る事が許され、プロデュサーのジョージ・マーティンと意見を闘わせるまでになっていた。
The Complete BEATLES Recording sessions(シンコーミュージック出版)にはミキシング卓を操作するポール・マッカートニーの写真が載っているのだが、ランディも雑誌か何かでこれを見たのかもしれない。上のジミーとニールが写った写真はバッファロー・スプリングフィールド時代にサンセット・サウンド・スタジオで撮られたものである。1967年の事だが、アメリカでもミュージシャンがミキサー室に入ることが認知され始めた時代だったのだろう。
ジムはプロデューサー、レコーディングエンジニアとしても第一歩を踏み出そうとしていたのだが、ミュージシャンがミキサー室に入るとどういうことが起きるか? 想像はしていたように思える。
以下は筆者が想像した当時のやりとりである。
ランディ:リッチー、ジムは今何処?
リッチー:えっ、う〜〜ん。
ランディ:どうしたの? ジムはミキサー室かい?
リッチー:あっ、ああ、そうかもね。
ランディ:僕らも編集作業に参加させてもらえないかな?
リッチー:実は、僕もそう思ってジムと話したんだが.....
そこにジムがやってきて、
ジム:どうしたの二人で、
リッチー:ランディが編集作業に参加したいって言うんだ。
ジム:そうだよね、ビートルズやニール・ヤングもやってたよね。実はそれなんだけど.....
メンバーの皆が編集作業にかかわりたいと思うように、僕もプロデューサーとしてPOCOのデビューにベストを尽したいと思っている。でもね、ハイスクールのクラブハウスのような具合にはいかないと思うんだ。
たぶんね、皆がアイデアを出し合えばホットになれるけど、徹夜で議論して結論が出ないじゃ済まない。
ランディ:そういう事か、デビュー前はプロデューサーに任せろってことだね。
リッチー:ランディ、判るだろ、ビートルズは別格だよ。
ランディ:デビューアルバムは僕もベストを尽したい。でもなんでジムがプロデューサーなんだい?
リッチー:僕らのデビューアルバムを引き受けてくれるプロデューサーが現れなかったんだ。来年はジョージ・マーティンの方からプロデュースしたいって言ってくるかもしれないけどね。午後5時でスタジオから出なければならない。デビュー前の僕らは何の実績も残してないし、それがレーベル "epic" との契約なんだ。
ランディ:.....ジム、君は監督でもあり選手でもいたいってことだね。
時は流れて、20年後の1989年。
アルバム、"Legacy" *2の裏ジャケットにはデビュー前の5人が勢揃いした。
日本の週刊誌、”プレイボーイ” のインタビューにジムはこんなふうに応えている。
”このアルバムは最初の5人でやりたかったんだ。そして今回、プロデュースは David N Cole に任せたんだ。今のPOCOの音がどんなになるか期待してたんだ”
以上、2019.10.6加筆
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Bufflo Springfield〜CSN&Yによせて セルフ・プロデュース考
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