2025.12.7
映画 グランプリ考 その2
その1では映画としての感想を記したが、今回はあの時代のF1を振り返ってみたい。
1966年が舞台なのだが、排気量が1.5Lから3Lに切り替わったシーズンである。
当時小学校5年生だった筆者はそうした事情は知らなかったが、スロット・レーシングカーで覚えたBRM P261やフェラーリ 158に比べると葉巻がズングリムックリな印象を持っていたのである。
排気量がアップした理由は1961年に安全性の面で2.5Lから1.5Lに落とした時代があり、やはり1.5Lでは非力でレースとしての迫力が乏しいという事だそうである。
しかしながら1.5Lからいきなり倍になればエンジンの発熱量も倍増、ラジエータも大型になるという自然の法則である。
つまり、1.5Lでスリムで美しかった葉巻は大きくなったラジエータを収めるために横幅が広がってしまったという具合である。
映画に登場するマシンは、カメラアングルによって横幅があることがよく判かる。
冒頭で主人公アーロンとストッダードが乗るBRM P83はムッチリとした感じである。
ライバル、サルティとバルリーニが乗るフェラーリ 312も横幅は広いが全体のプロポーションは綺麗にまとまっている。
コンストラクターの立場では3Lエンジンの投入はどこも四苦八苦していたようである。
そうした裏事情は映画には出てこないが、このあたりを想像してみたい。
現代のF1は巨額の資金を必要とするビッグ・ビジネスだが、グランプリが創設された1950年から60年代はプライベート・チーム主体だったそうである。
財力のあるオーナーが居て、監督、エンジニア、メカニック、ドライバーが4人集まればエントリーできた時代である。
第二次世界大戦が終わってどの国も再出発しようとする機運に満ちていた。
映画に出てくるBRMチームだが、シーズン開幕のモナコで負傷したストッダードが監督、メカニックに伴われて帰郷し、亡くなったレーサーの兄の遺品が残る部屋を訪れる。
そこで兄の形見であるマシンに乗り込んで田舎道に走り出す。
監督とドライバーやメカニックが家族のような関係であったことを伺わせるいいシーンである。
レースに出て勝利すれば賞金がマシン開発の資金になるという自転車操業である。
現代のような設計オフィスやCADがあるわけでもなく、工場の片隅や裏庭における家内制手工業に等しい。
心臓部となるエンジンだが、個人で一から開発などできないから市販車のエンジンを改造する。
そういうイーブンな条件で競い合うスピリッツが根底にあり、自転車操業でも栄光を目指す心意気を讃えるのが大賞=グランプリなのだろう。
そこにズカズカと?入って来たのがホンダという見方を欧州の人々はしていたようである。
2輪グランプリを制覇したばかりのオートバイメーカーである。
F1のプライベートチームは資金面でかなわないし、エンジンを自力開発できる。
フェラーリは市販のスポーツカーで資金を調達できるワークスチーム。
BRMはエンジンを自力開発しているが、ロータスやブラバム、クーパーといったプライベートチームはエンジンを調達することから始めなければならない。
映画でヤムラモータースの社長自らサーキットに赴くシーンがあるが、居合わせた関係者の視線が一斉に三船敏郎演ずるヤムラに集まる。
BRMチームの監督の眼には警戒心が宿っているのが見て取れる。
しかしながら、アーロンがBRMを解雇され、ヤムラ自身からオファーを受けてからの展開はドラマとして大変面白い。
アーロンはヤムラのイギリスにあるガレージを訪ねよという伝言をもらって行ってみるとフェラーリに劣らない陣容に驚いたかもしれない。
恐らくBRMよりもはるかに規模が大きいと感じたのだろう。
ヤムラからいきなり一緒に仕事しないか?と言われ、ドライバーか?と聞き返してしまうところがいい。
ヤムラは要点をズバッと突いて相手の心を掌握してしまう人物として描かれている。
その後、ヤムラから太平洋戦争で米軍機を17機撃墜した事を聞かされ、"任務とは言えとても安全とは言い難かたかったがね"、という言葉にアーロンは自分のレーサーとしての立場と重ね合わせる事が出来たのだろう。
これも記憶に残るシーンである。
さて、排気量3Lエンジンが調達できればやっとスタート台に立てるが、その代償について思い巡らしてみたい。
エンジントルク増大→クラッチサイズと押しつけ力アップ→スタート時の路面を蹴る力が増大→ホイールスピンを抑えるためにタイヤサイズ拡大→空気抵抗増大→最高速度は排気量が増えた割には上がらない。
タイヤ重量増加→接地性を保つためにサスペンションのバネレートアップ→ドライバーは路面からの突き上げに痛い思いをする。
レースの迫力はどのくらい向上したのか判らないが、ドライバーも鬼にならなくてはならない。
冒頭のモナコはサルティが勝利するが、事故で消沈しているアーロンに問いかけた。
サルティ:"これからどうするんだい?"
アーロン:"判らない"
サルティ:"ドライビングに疲れた事あるかい?
アーロン:"無いよ!"
サルティ:"俺は疲れたよ"
気力の峠を越えてしまったという意味だろうが、3Lになって体が付いて行けなくなったというジョークかもしれない。
映画のラスト、イタリアはモンツアサーキットではフロントローを制したサルティがスタートに失敗する。
モータースポーツではスタート時にクラッチはペダルから足を横放しで容赦なく繋ぐが、これに耐えられないエンジンが情けないか、車重が重過ぎるか、1速のギヤ比が不適切という事になる。
エンストし易いと感ずればドライバーはクラッチペダルの放し方に迷いが出るが、それではライバルに後れを取ってしまう。
詰まるところチーム監督とドライバーの信頼関係が上手く行っていないことを匂わせるシーンである。
これが結末の伏線になっていたようである。

ここに描かれているレーシングカーは1966年シーズンのフェラーリ 312になっている。 |
関連エッセイ:
映画 グランプリ考 その1
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