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 このあたりの車道は中央分離帯を設けた3車線(上り2車線、下り1車線)で歩道も1メートル半くらいある。歩道と車道の間にはガードレールが設置されているため安全に走行することが出来る。この辺はもう埼玉県に属する。春日部まで7kmくらいの地点であたりが薄暗くなり始めた。3〜4車線の広い車道は一部区間を除いてそのまま春日部まで続いている。急ぐ必要はないので慎重にゆっくり走る。近くのファーストフード店で残りのお金をはたいてスナックを食べひと息いれる。

大宮から荒川へと続く下り坂(後日撮影)

荒川に架かる上江橋(後日撮影)

 午後7時30分頃ついに春日部に到着。ここは往きに通過した所だ。国道4号と別れて今度は国道16号を来たときとは逆方向に走って大宮に出る。大宮から荒川まではほぼ下り坂だ。この辺はしょっちゅう自転車を乗りまわしているいわば我が家の裏庭みたいな所だ。荒川に架かる上江橋が見えてくる。

森林公園に行く自転車道路入口(後日撮影)

 橋の中央には森林公園(ここから約30km)まで延びる自転車専用道路への入り口がある。日頃からお世話になっている道路だ。国道16号から我が家への近道となる脇道に入る。この脇道は農道で一応舗装されてはいるのだが縁の部分が劣化していてところどころ地面が露出している。実は、出発2週間前に胸部骨折したのはこの道を通って帰る途中のことだった。人通りがないのを良いことに「何で音痴は治らないのだろう」と素っ頓狂な声を発しながら走っているとき、思いがけなく自転車が傍を通り過ぎて行った。慌ててハンドルを切り地面に足をついた。ところが運悪く足をついた所が斜めになっていて踏ん張りきれずに「おっとっとっと」という感じで田圃との間の窪みに転んでしまった。その際、リュックの重みで仰向けに倒れ、その上に自分のマウンテンバイクが落っこちてきたのだ。まさに不注意1秒怪我のもとだ。手押し信号のある横断歩道を渡り、ウニックスを左手に見ながら我が家へと向かう。文字通りのラストランだ。角を曲がると台所の明かりがついていた。「昨日またかくてありけり、今日もまたかくてありなむ」の世界の明かりだ。午後10時少し前、懐かしの我が家に無事辿り着き17泊18日の旅を終えた。

ブレーキの悲鳴(後日撮影)

 翌日、川越の丘の上の自転車屋に行き走行メーターをみてもらった。この走行メーターは出発直前に取り付けたもので、まだ使い方を十分に習得していなかった。全走行距離は2032kmだった。後輪用ブレーキのゴムが完全にすり減っていて金属部分だけになっていた。平地では前輪用ブレーキのゴムの方が先に摩耗するらしい。新しいブレーキに取り替えてもらい古い方のブレーキは記念に持ち帰った。家に帰ってつぶさに観察すると金属部分の表面には幾本もの筋がついており、その部分が光っていた。いまにもブレーキの悲鳴が聞こえてきそうだ。函館であのとき札幌まで行っていたら大事故をおこしていたかも知れない。キャッシュカードを忘れたことが結果的には幸いしたことになる。

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