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『鑓の権三重帷子』


 
  ◆実際にあった話を元に近松門左衛門が書いた
「鑓の権三重帷子」
 
 



 
出雲松江、松平家の近習中小姓役「池田文次(24歳)」は同家中の茶道役である「正井宗味の妻、とよ(36歳)」と密通しました。文次ととよの二人は享保2年6月8日に松江を駆落ちして大坂へ向かいました。とよの夫、宗味は6月27日に江戸を出発し、7月13日に大坂町奉行所に敵討の届けを出し、7月17日、高麗橋上で二人を討ち果たし(妻敵討)ます。  
その事件を近松大先生が浄瑠璃にして、竹本座で上演したのが8月です。すごい早さ。まさしく時の事件を扱った芝居だったわけですね。どっひゃあ〜〜



 
  ◆「妻敵討」について◆  
 


「仇討」と言えば、そりゃもう「曽我兄弟の仇討」「伊賀上野の仇討」「赤穂浪士の討入」ですがな〜 三大仇討!!
では「妻敵討」とは? 「めがたきうち」と読みます。江戸の中期以降、武士が姦通を犯した妻と相手を成敗したのが「妻敵討」でした。現代では「不倫」という言葉が氾濫しておりますが・・・武家社会では妻の姦通を絶対に許してはならないことなのでした。

 

 
  ◆外題について◆  
 


「鑓の権三」
と聞くと当時の人々が思い浮かべるのは「男伊達」とか「遊侠の徒」のイメージだったと言われています。
 
実際に「鑓の権三」という美男が存在し、元は武士でしたが、やくざな世界に入ってしまったそうです。もっとわかりやすく言えば「ワルなんだけどすっごいいい男」でしょうか?
「落葉集」(宝永元年刊行)という歌謡集に収められている「祇園町踊之唱歌」の中に「鑓の権三男踊」という歌があります。

『そりや/\そりや/\、鑓の権三は蓮葉に御座る、谷のやつとんと、さゝやでやあゝ、そろへにかゝる、しなへてかゝる、どうでも権三はぬれ者だ、油壷から出すやうな男、しつとんとろりと見とれる男、磯の千鳥を追つかけて、石突つかんでづんづと、のばしやる/\、さあさ、えいさつさ/\、えいさつさ/\、さつさ、どうでも権三は よつどつこい、よい男え』
主人公「笹野権三」の名字「笹野」はこの歌詞の「さゝやでやあゝ」の「さゝ」によったものではないかと言われています。
「重帷子」とは?
この芝居は実際にあった話を元にしています。男女二人が討たれたとき、男が越後縮の帷子、女が絹縮の帷子を着ていたからだという説があります。
もうひとつは、かの「仮名手本忠臣蔵」でも使われた『新古今集』の和歌「さなきだに重きが上の小夜衣わがつまならぬつまな重ねそ」を連想して何か人妻に関係あることかなと人々に思わせたという説もあります。
「外題」の付け方
芝居が始まる前から「次の芝居は何だろう? ワクワクするなあ」と受け取って貰えるように工夫して付けたのですね。「鑓の権三」? いい男が出てくるに違いない。重ねの帷子? そう言えばこのあいだどこかで妻敵討があったなぁ。などと人々があれこれ連想したのではないでしょうか?

 

 
◆おさゐと権三のやりとり◆  
 


抜き差しならぬ状態になり、自ら姦通という不義者になる「おさゐ」と「権三」のくだり  
 
おさゐ 「二人は生きても死んでもさげすまれる身。江戸におられる市之進殿が女房を盗まれたと後ろ指を差されては世間に顔向けができぬ。どうせ死なねばならない命です。間男という不義者になりきって市之進殿に討たれて男の面目を立ててやってください」
権 三 「今腹を切っても市之進殿の面目は立つはず。死後に我々の潔白が判れば二人とも面目は立つ。生きて間男になりおおすのは口惜しい」
おさゐ 「口惜しいのは最もですが、あとで私たちの名を清めたら市之進殿は妻敵を討ち誤ったとして二度の恥をかくのです。思いがけない災難に命を捨てるあなたもいとしいが、三人の子をなした二十年の馴染みには私は代えられない。今、ここで女房じゃ、夫じゃと言うて不義者になって市之進に討たれて下さい。」
権 三 「鉄の熱湯が喉を通る苦しみよりも 夫ある女房をわが女房という苦しみは百倍、千倍・・・無念だが、こうなり下がった武運の尽き、もう仕方がない・・・そなたは権三の女房・・・」
おさゐ 「忝けない。お前は夫」
権 三 「エエ、いまいましい」
 
(/・_・\)うーん、理解に苦しむ人もいるかも・・・?  
     
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