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シェフィールドの瞳(6/6)  亜村有間 (HP)

   12

「ところでさっきの契約書のことだけどな…。」
 屋敷を後にして、しばらく。傭兵のエルフは、ふと、思い出したようにマリアに声
をかけた。
「あ…あは…あはは…なにかな?」
「『マリア・セキュリティ・サービス』ってのはどこの会社だ?」
 マリアの頬を大粒の汗が伝わった。
「そ…それは…その…つまり出世払いってゆーか…その…。」
「ほーぉ?」
 いきなりマリアは開きなおって、傍らの女性に食ってかかった。
「し…仕方ないでしょっ! あたしには勝手に取り引きするような権限はまだないん
だから! 別に…別に払わないなんて言ってないじゃないっ! 今度、会ったときに
は、たっぷり、料金弾んであげるつもりなんだから…でも…でも…ここで勝手にパパ
の名を使ったら、マリア、本当の詐欺師になっちゃう…」
「そぉか? あんたの書いた契約書だったら、あんたの親父さんがすぐに本物にして
くれるんじゃないのかい?」
「それが一番嫌なのよっ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴ったマリアは、うがてうつむいて小さな声で謝った。
「ご…ごめんなさい…マリア…嘘ばっかりついて…マリアを信じてくれたあなたの信
頼を裏切るようなことしちゃって…」
「ま、別にいいけどね」
 やけにあっさりとした相手の言葉に、きょとん、としたマリアは、しばらく眉を寄
せて考え込んでいたが、いきなり、ばっ! と自分の分の契約書を取り出した。
「ああーっ!」
「ど、どうしたの、マリア?」
 シーラは、突然の大声に飛びあがった。マリアは契約書をぐしゃっ、と握りしめ、
怒りにぶるぶると手を震わせていた。
「こ、こ、こ、これ、名前が違うじゃないのーっ!」
 すねたマリアは、ふん、とそっぽを向いてぶつぶつと文句をたれた。
「あーあ、謝って損しちゃたなぁ。かなしーわねー、他人を信じられない人間なんて。
大体なによ? エレ…えーと、なんて読むのよ、とにかく、どこの馬の骨かわからな
い変な偽名使っちゃってさあ、」
「エル・ルイス。アタシの本名だ」
「え?」
 ぽかん、と口を開けたマリアの顔を、エルは、してやったり、と意地の悪い笑顔を
浮かべてのぞき込んだ。
「変な名前とは心外だな。これでも気に入ってるんだけどね」
 口をぱくぱくさせるだけでなかなか言葉が出てこないマリアに対して、エルはとど
めの一撃をぶちこんだ。
「さて、他人を信じられない悲しい人間は誰なのかな? お嬢ちゃん?」
「…」
 恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にしてぐうの音もでないマリアの頭を、ぽん、と叩
いて大笑いすると、折り良くたどり着いた分岐点でエルは、皆に別れを告げた。
「…覚えてなさいよ、今度あったときはね、」
「たっぷり、料金弾んでくれるんだろ?」
「…」
「じゃあな、シェフィールドのお嬢さんに、それからあんたも」
 シーラとジュディは、マリアの方に気使いながら引きつった笑顔を浮かべて、おず
おずと手を振った。
「一つだけ…一つだけ言っておくけどね!」
 マリアは、鼻歌まで歌ってご機嫌のエルフの背中に向かって怒鳴った。
「あんたのことは、最初っから気に食わなかったのよ! この根性悪エルフ!」
 エルは、ちょっとだけ振り返ってにやりと笑った。
「そうかい? アタシはあんたのこと、結構気に入ったけどね?」
 そして、マリアの返事を待ちもせずに、また前を向いて歩き始めたのであった。
 しばらくして、シーラはぽつりとつぶやいた。
「…ねぇ、マリア、一言でもお礼を言っておいた方が良かったんじゃない?」
「ああん?」
 マリアは険のある顔つきのまま、じろりとシーラの顔をにらみつけた。
「今度はあんたがマリアに説教たれようってわけ?」
「あら、今度は私にやつあたり?」
 マリアは、ぽかんと口と開けて、いたずらっぽい笑顔を浮かべているシーラの顔を、
穴の開くほど見つめた。
「ねぇ、マリア、気にすることはないわよ。そりゃ、確かに、からかわれて、こてん
ぱんにやっつけられちゃったけど…」
 ジュディまで、マリアと同じ表情を浮かべてシーラの方を見つめていた。しばらく
沈黙が続いた後、シーラは小さく舌を出して自分の頭をげんこつで軽く叩いた。
「ごめんなさい、マリア。私の方こそ、今日は誰かにやつあたりしたい気分だったみ
たいだわ」
 完全に毒気を抜かれたマリアは、真剣な顔をして、ジュディに向かってささやいた。
「…ねぇ、マリアは、シーラのことまだよく知らないんだけど…なんかいきなり性格
悪くなってない?」
 ジュディも真剣な顔をしてうなづいた。
「ううん、本当にその通りよ。普段のシーラ様は絶対にあんな方じゃないもの。心あ
たりがあるとすれば…もしかして品性に欠ける友達が新しくできてしまったせいじゃ
ないかしら…」
「ほぉぉお?」
 マリアは、不穏な笑顔を浮かべて、ジュディを睨み付けた。
「あんた、一体何が言いたいのかな? …てゆーか、あんた誰? どーして、シーラ
の方ばっかりひいきすんの? マリアと同じシーラの友達でしょ?」
「い…いえ、違います…私は…シーラ様の…その…」
 その場の雰囲気に飲まれて、主人の御友人にとんでもないことを言ってしまったこ
とに気付いたジュディはしどろもどろになって言いわけをしようとした。
「いいえ、違わないわ。」
 シーラが明るく、しかし、きっぱりとジュディの言葉を遮った。
「ジュディはマリアと同じ…私の大切な友達よ」

   〜エピローグ〜

「ジュディ。あなたにシェフィールド家の当主、このシーラ・シェフィールドに一生
を捧げることを誓う者の証として、この『シェフィールドの瞳』を預けます」
「はっ」
 ジュディは、凛々しく立つシーラの元にひざまずいて、誇らしげに真紅の宝石を受
けとった。
 それは…ちょっと前までは、二人の間に決して越えることのできない谷を作ること
と同意義のように感じられていた儀式。
(でも、いまでは、こんなことぐらいでは絶対に壊れることのない、絆があるという
ことが…信じられる)
 ジュディが臣下の誓いを述べる。
(心からお礼を言いたい。私に、新しい世界へ進む勇気を、人と自分を信じる勇気を
くれた、ローラ…マリア…そして…結局名前を聞くことさえできなかった、あの人に
…)
 短い儀式が終った。ジュディが、ふっ、と一息ついて、力を抜いた瞬間を見計らっ
て、シーラはごく自然に明るく軽い言葉を放った。
「これからもよろしくねっ、ジュディ」
「うんっ! え…えとその…、はいっ!」
 つられて軽く答えてしまい、慌てて言い直すジュディの様子を、シーラはくすくす
といたずらっぽく笑いながら見守った。ジュディはからかわれたのを知って一瞬ふく
れっつらとなったが、やがて、照れ臭そうな、でも嬉しそうな微笑みを浮かべた。そ
んなジュディに答えて、シーラは本当に幸せそうな顔で笑った。

<おわり>


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