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シェフィールドの瞳(5/6)  亜村有間 (HP)

   9

「ここが…どこだか知っているか?」
 シーラと青年は、埃の積もった寝室で距離をおいて向かい合って立っていた。
シーラのすぐ後ろには、ジュディが無言で控えている。
「…ニューフィールド邸。ニューフィールド邸跡と言った方がいいかしら」
 シーラは静かに答えた。
「何が起こったかは知っているのか?」
「十三年前、一族すべてが滅びた…それ以上は何も知らないわ」
「滅びちゃいなかったのさ」
 いつの間にか、青年の隣にあの少女が立っていた。青年は、シーラを睨み付けるロー
ラの肩を優しく抱いた。
「十三年前、こいつの両親はこの部屋で殺された」
 シーラはぎゅっと拳を握った。
「それが…それが父の仕業だと言うの?」
「証拠はないさ」
 青年はあっさり否定した。ローラの瞳が憎しみに燃える。
「証拠なんて…証拠なんて殺人者が残すわけないじゃない!」
「父が…父が以前言っていたことがあるわ」
 シーラはうつむいたまま小さく呟いた。
「過ちを犯したことを後悔しているって…血で犯した過ちは、血で償わなくてはいけ
ないのかって…」
「やっぱり…!」
 ローラの声がうわずった。
「あたしは…それ以来ずっと父のことを疑っていたわ」
 ジュディは息を飲んだ。しかし、そこでシーラは、ぐっ、と顔を上げた。
「でも…本当はそうじゃなかった。今、自分の本当の気持ちがはっきりわかったの!
私は…私はお父様を信じたい! いいえ、信じているのよ!」
 その迫力に押されて、ローラが一歩だけ下がった。そんなローラの肩を支えていた
青年が、突然手を離した。驚いたローラが振り返る。青年は、激しい苦悩に耐えるか
のように額を片手で押さえて突っ立っていた。
「証拠か…嘘でもいいからあったらいいと思っていた。もしかして、シェフィールド
家を滅ぼすことによって、すべての罪を覆い隠せすことができると思ったこともあっ
た。だがな! やっていないことに証拠なんてあるわけがないんだ! ローラの両親
は…ローラの両親は俺が殺したんだからな!」
 ローラが歪んだ笑みを浮かべてゆっくりと首を振った。
「や…やだな…何を…何を言っているの、お兄ちゃん。やだよ…嫌だよ、そんな冗談
…」
 青年は顔を覆っていた手をゆっくりと外した。そこにあったのは、いつもどおりの
茶目っ気のある表情だった。
「すまん。悪かったな。ちょっと…、ちょっと冗談がきつかったな、ははは…」
「お兄ちゃん…」
 ローラの瞳からすべての光が消え失せ、絶望だけが残った。
「どうして…。どうしてローラの目を見て言ってくれないの!」
 青年の表情から仮面がはげ落ち、目の中にはローラと同じ絶望だけが残った。
「いつかは…いつかはこんな日が来ることはわかっていた…。もうあのときのことは
ほとんど覚えていない。シェフィールドのおかげでな」
「お父様の?」
 シーラは驚いて声を上げた。青年はその声が全く耳に入らないようであった。
「覚えているのは、こいつの両親に対する激しい憎しみ。血に染まったこの部屋で、
じっと、泣き続けている赤ん坊の、もはや息をしていない両親を見つめていたこと、
そしてそこにシェフィールドが入ってきたときに、この部屋には俺しかいなかったこ
とだけだ!」
 シーラはぼうぜんとして話をただ聞いていた。
「そして、シェフィールドは俺の記憶を奪った。今言った記憶が戻ったのもつい最近
だ…」
 そして、青年はシーラの方を睨み付けた。だが、その目はシーラを通り越して、そ
の血を授けた者を見つめていた。
「そうさ、確かに俺はあのままだと死んでいたさ…。こいつの両親を殺して、俺もそ
のまま死ぬつもりだった…。だが、なぜだ! なぜそのまま死なせてくれなかった!」
 青年は叫び終わると、ふっ、と小さく笑って、剣を抜いた。
「ローラ、剣を抜け」
「えっ?」
 虚ろな目で硬直していたローラの目に僅かに正気が戻った。
「さあ、もう終わりにしようじゃないか…。お前が俺を殺せば、これで復讐は成し遂
げられる…」
 ローラはいやいやをしながら後ずさった。しかし、青年が剣を突き出すと、反射的
に体が動いて剣を抜いた。
「うわああーっ!」
 そして、涙を振りこぼしながら絶望の声を上げて突進した。
「きゃーっ!」
 ジュディは悲鳴を上げて顔を覆った。肉が切れる不気味な音が一瞬響いて、そして
時が静止した。やがて、血が地面に垂れる音が響いた。
 恐る恐る目を開けたジュディは、今度こそ本当の悲鳴を上げた。
「シーラぁぁっ!」
「…だめよ」
 二人の間に入り込んだシーラはゆっくりと首を振った。右手と左手、それぞれに食
い込んだ剣先から血が垂れ続ける。
「絶対に…絶対に何かの間違いなのよ! …真実を…真実を知らなきゃ!」
 そして、シーラは震える手で胸元からペンダントを取り出した。
『シェフィールドの瞳』にシーラの血が垂れると、突然のその深紅の輝きが燃えるよ
うに激しくなった。
「だめよ、シーラ!」
 ジュディは叫んだ。
「あなたにはまだ無理だわ! 時の中に取り込まれてしまう!」
「シェフィールドの瞳よ! 汝の真の主の命に答えて、今こそ真実を明らかにせん!」
 ジュデイの制止も聞かず、シーラは浪々と声を張り上げた。そして、部屋中が荒れ
狂う赤い輝きの中に取り込まれた。

   10

「なぜだ! なぜ私の言っていることがわからん!」
「お前はシェフィールドの者だ。いくら…いくら盟主と言ってもお前には関係ない!
私はニューフィールドの家を守らねばならんのだ!」
「シェフィールドは三つの家がすべてそろってこそのシェフィールドだぞ! そのう
ち二つが争ってどうする!」
「…もういい。お前にはもう、何も望まん。ニューフィールドとシェフィールドの間
柄も今日限りだ!」
「まて! 待ってくれ…!」

「頼む。堪えてくれ! 君がいなくなれば、本当に君の家は滅びてしまうんだぞ!」
「だったら…だったら、ニューフィールドも一緒に滅ぼすんだ!」
「それが…それが何になるというんだ! 君は…君はまだ幼い! 幼すぎる! 少し
だけ…少しだけ待ってくれ!」
「いやだ!」

『シェフィールドへ。今更、君がこの手紙を読みもせずに破り捨てたとしても、私に
は何の文句を言うこともできない。だが…望み得るのならば、私の最後の願いを聞き
届けて欲しい。今となっては…なぜ、私が…そして彼らがあれほどの恐怖と疑心暗鬼
に取り付かれていたのか、不思議でさえある。もう、私たちには、たった一人残った
あの子の手を逃れることはできないだろう。復讐心故の強さとは言え、彼の強さは本
物だ。だが…頼む。ローラだけは救ってやりたいのだ。そして、彼の親に対する最後
の償いとして、彼を殺人者にはしないでやりたいのだ。まもなく彼がやってくるだろ
う。その前に私たちは自らの命を立つ。私が流した血は、自分の血で償う。これで…
何世代にも続く復讐の鎖を断ち切ることができるだろうか? どうか…彼をシェフィ
ールドの瞳の力で救ってやって欲しい。すべてを忘れ、そして、願わくば我らの娘と
共に、新しい人生を…』

   11

「シーラ! シーラ!」
 誰かが自分の頬を軽く叩いている。シーラは、ぼんやりと目を開けた。
「う…。ジュディ…」
「よかった…」
 ジュディはシーラをぎゅっ、と抱きしめてそうささやいた。
「もう、お嬢様ったら、ほんとに無茶をされるんですから…」
「ごめんなさい…私…ほかにどうしたらいいのか思い付かなくて…。つっ…う!」
 手をついて立ち上がろうとしたシーラは、両腕に走った痛みに顔をしかめた。
「お嬢様!」
 慌ててジュディがその体を支える。シーラは両腕にいつの間にか包帯が巻かれてい
ることに気が付いた。
「…ありがとう、ジュディ」
「どういたしまして」
 ジュデイは、にっこり笑った。その向こうでは、ローラは青年の助けを借りて立ち
上がるところであった。いつの間にか大人びていた澄んだ瞳をシーラに向けて深く礼
をする。
「シーラ・シェフィールド。ありがとう…私たちに本当の真実を教えてくれて。そし
て…私たちの愚かな行いを命をかけて止めてくれて。私は…ローラ・シェフールドは、
父と母の最後の願いを叶えるために…生きていこうと思います」
 そして、微笑みを年相応の少女らしいものに変えた。
「ありがとう…きっと…今、この世では私に一番近い血を持つ、おねえちゃん…」
 シーラは、静かに微笑んだまま、黙って強く一回だけうなずいた。
「結局…お前たち親子には二度助けられたわけだな。最初は、俺と…そしてローラと
が真実を受け入れられるようになるまで記憶を封じてくれて…。その次は…一番必要
なときにすべての真実を明らかにしてくれて…。」
 青年は、シーラの手をとって臣下のキスをした。
「シーラ・シェフィールド。あなたのように気高く優しく、そして…強い女性に、俺
はもう一生巡り合うことはないだろう。俺とローラの命はあなたがくれたものだ。も
し…俺たちの力が必要になったときには、いつでも呼んでくれ。どんなときでも、必
ずあなたの元に駆けつけるから」
(でも…あたしの隣にはいてくれないのね…)
 シーラの瞳から一筋の涙がこぼれた。
「よかった…本当によかった…」
 気持ちを隠すための偽りの言葉…。それでも、それは、その涙の意味を浄化して、
本当に暖かな気持ちをシーラの心の中にはぐくんでくれるようであった。それとも、
涙がその言葉を浄化してくれたのかもしれない…。
「シーラ! 無事だったの!?」
 マリアがその部屋に駆け込んで来たときには、そこにはすでに、シーラとジュディ
の姿しかなかった。
「マリア!」
 ぱっ、と顔を輝かせたシーラの瞳に映ったマリアの顔は次の瞬間、涙の向こうにぼ
やけて消えた。
「ふぇぇぇーっ?」
 勢いよくしがみついて来たシーラに体のバランスを崩しそうになり、慌てるマリア。
「強くなんかないよ…! 私…強くなんかないのよ!」
「シーラ…」 
 しばらく戸惑っていたマリアだが、やがて、優しい微笑みを浮かべると、しゃくり
あげるシーラの体を、何も聞かずに、そっと抱きしめてあげたのであった…。

<つづく>


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