二荒山神社 栃木県日光市山内(本社)
栃木県日光市中宮祠(中宮祠)
式内論社(下野国河内郡 二荒山神社[名神大])
下野国一宮
旧・国幣中社
現在の祭神
二荒山神社[男体山] 大己貴命
[女峰山] 田心姫命
[太郎山] 味耜高彦根命
別宮・滝尾神社田心姫命
別宮・本宮神社味耜高彦根命
末社・日枝神社大山咋命
本地
新宮(男体山)千手観音
滝尾(女峰山)阿弥陀如来
本宮(太郎山)馬頭観音
末社山王七社釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来・十一面観音・地蔵菩薩・普賢菩薩・千手観音
白山三所十一面観音・聖観音・阿弥陀如来
荒脛巾薬師如来地蔵菩薩
三宮十羅刹女
一宮文殊菩薩
日満大日如来
小玉殿一字金輪仏頂
飯室大勢至菩薩
鹿嶋十一面観音
属星御前釈迦如来如意輪観音
十万金剛童子普賢菩薩
碩山阿閦如来

「神道集」巻第五

日光権現事

そもそも日光権現は、下野国の鎮守なり。 往昔に赤城大明神と沼を諍ひつつ、唵佐羅麼を語たまひし事は、遥に遠き昔なり。 二荒山は正に本地垂迹顕したまふ事は、人王四十九代、光仁天王の末、桓武天王の始、天応二年辛酉、延暦の初、勝道上人と云ふ人登山して、一大伽藍を建立せり。 今の日光山これなり。
[中略]
ここに先づ日光山と申すは、男体・女体御在す。 先づ男体は本地千手観音なり。 この仏はこれ無垢三昧の力を以て、地獄道の苦患を救ひたまふ菩薩なり。
[中略]
女体は本地は阿弥陀如来なり。 この仏はこれ観仏経に、若称仏名物者、除百千劫煩悩重障と云へり。

「日光山縁起」

かたじけなくも権現は、下野国にては日光三所と現じ給ひ、常陸国にては鹿嶋大明神とあらわれ給ひぬ。 過去にては夫婦となり給ひしなり。 人のいみじくなるをそねみまづしきをわらふものを利益すばからず、貧窮孤独のものをあはれむべし、とのちかひなり。 抑雲上といふ鷹は本地虚空蔵菩薩是なり。 阿久多丸といふ犬は地蔵菩薩、今は高尾上とあらはれ給き。 青栗毛といふ馬は太郎大明神、馬頭観音の垂跡なり。 有宇大将は男躰権現、本地千手観世音、朝日の君は女躰権現、阿弥陀如来の化身也。

「大千度行法縁起」

日光山満願寺ハ普門示現の神境仏乗相応の霊場なり。 神護慶雲のむかし勝道上人深く観音の妙智力を仰 遠く人なき境に入創て黒髪山乃頂にのぼりたるとき 地主神明忽然と顕現玉ひて倶に人法を擁護すへしと神勅ありき。 地主神明とハ  新宮男体権現大己貴尊  滝尾女体田心姫尊  本宮太郎権現味耜高彦根尊 にして千手弥陀馬頭の等妙二覚の応用大黒弁財多門の福智三天の権化なり。 これを日光三社権現と申奉る。

「日光山御本地」

男体(千手)  女体(阿弥陀)  太郎大明神(馬頭)  星宮(虚空蔵)  荒脛巾(薬師或地蔵)  三宮(普賢十羅刹女)  一宮(文殊)  十八王子(十一面)  山王(惣名)  赤倉(薬師)  三笠(文殊)  日満(大日)  小玉殿(金輪)  飯室(勢至)  鹿嶋(十一面)  深沙大王  属星御前(尺迦或如意輪)  温泉(如意輪)  十万金剛童子(普賢)  碩山(阿閦)  白山三所(十一面、正観音、阿弥陀)  山王七社(大宮尺迦、二宮薬師、聖真子阿弥陀、客人十一面、十禅師地蔵菩薩、三宮普賢、八王子千手)  十八王子  三笠(文殊)  赤磴(薬師)  大真子(虚空蔵)  小真子(地蔵)  妙見(龍樹)  前二荒(得大勢)  小補陀羅(多聞天)  黒檜(軍荼利)  専女(大日)  帝尺(尺迦)  小太郎(准胝仏母)  白根(十一面)  雪山(不動)  小白根(正観音)  鈴巓(妙音)  鉢山(大威徳)  温泉(如意輪)  三宮(普賢)

「日光山志」巻之一

本宮権現[LINK]

本宮権現 日光三社の内なり。 社地仮橋の筋向なる丘上に鎮坐。 前は大谷川の流に対し、東北の方は稲荷川に接す。
[中略]
本社拝殿 銅葺総赤塗。 祭神阿遅志貴高彦子根神なり。
此神は大己貴命の御子にして、本地馬頭観音なり。 縁起略に云く、大同三年勝道上人四本龍寺を建立の時、本堂の南に三社権現を勧請し給ふ。 上人の遺弟等替々輪番し、膳供を備へ、法楽を捧げて、朝三暮四に奉祈帝朝安泰国家豊稔云々。 重宝に木板にて三社の本地仏を彫りたるものあり。 「承和十一年甲子正月日」と刻す。

三仏堂[LINK]

三仏堂 新宮鳥居の北の方にあり。 往古金堂と称するは是なり。 山内にての大堂、銅葺、赤塗、正面十八間、横間十四五間、日光三社の本地堂、千手観音は新宮の本地なり。 馬頭観音は本宮の本地、各座像八尺五寸。 阿弥陀は滝尾の本地。長九尺五寸。 是は慈覚大師当山に登り、寺院建立の砌、此尊像を彫造し給ふものなり。 此堂内乾の隅に、勝道上人の木像を安置し、艮の方に軍荼利明王の木像をも安す。

同巻之二

新宮権現[LINK]

新宮権現拝殿 三仏堂と相双ぶ。 銅葺、赤塗、四方縁、大床、舞台造、四方揚蔀、六間に七間許。
本社 南向、八棟造、五間四方、銅葺、総赤塗、正面三扉黒塗、向拝に正体の額を掲ぐ。 また梁間に金色の鰐口三つ掲ぐ。
[中略]
本社祭神は大己貴命なり。 本地千手観音。 例祭三月朔月・二日なり。 延年の舞とて、古式執行せり。 神輿本社迄渡御。 別所は安養院。 又御宮の社家六人の内にして一臈なるもの、社務を司ることなり。
抑当社日光三社権現は、普門示現の神境、仏乗相応の霊場なるに仍りて、神護景雲のむかし、勝道上人深く観音の妙智力を仰ぎ、遠く無人の境に入りて、遂に黒髪山の嶺に登り給ふ時、地主神明忽然として現れ給ひて、倶に人法を擁護すべしと、神勅を蒙り給ふ。 地主神明と申し奉るは、男体権現大己貴命、女体中宮田心姫命、本宮権現は味耜高彦根命にてまします。 本地は千手・弥陀・馬頭 応用、大黒・弁天・毘沙門の福智徳三天の権化なり。 是を日光三社権現と申し奉る。
[中略]
其後弘仁年中、弘法大師登山して、専三密五智の秘法を弘め、また嘉祥年中、慈覚大師陟り給ひ、双べて遮那・止観の両業を弘め給ふ。 其砌当社を再営し給ひけり。 当山の古縁起には、三神始て勧請の事は開山上人四本龍寺にすみ給ひし時、精舎の東南に初て勧請し給へり。 其後遷宮の事ありしに仍りて、御神たびたびすさみ給ひし事、旧記に見えたり。 最初上人三神の霊像を安置の社地は、大河に接せし丘地にして、時々洪水逆浪し、社頭終には危からん事を思惟し給ひ、御遺弟道珍・教旻・千如らと相議して、天長年中社殿を小玉殿の東に移し給へり。 其後二十余年を経て、嘉祥三年座主昌禅、輪下の尊鎮・法輪等と議せられ、法華・常行の二堂の後は、東西中院の中央に当りて、勝地此所に過ぐべからずとて、即遷宮し奉り給ふといへり。 (其頃法華・常行の二堂の後とあるは、今の仏岩也。社地は今の御宮内、鐘楼の辺に当れり。) 此時始て四本龍寺の旧社を本宮と称し、遷宮の社頭を新宮と号し奉るといふ。

別所[LINK]

抑滝尾は、弘仁十一年七月二十六日、弘法大師始て当山に下著し給ひ、先四本龍寺の室に入り給ひ、上人の遺弟教旻・道珍等、其余の徒を伴ひ、滝尾に到り給ふに、滝有りて乱糸に似たりとて、是より白糸の名起れりとぞ。 嶺を亀山と名附け給ふ。 其形の伏亀に似たるを以てなり。 空海和尚、境地の霊区なるを感じ給ひ、大杉のもとに庵を結び、壇を設けて、仏眼金輪法を修し給ふ事一七日夜、池中より一白玉出現す。 是則天輔星なりとて祀り給ひ、小玉殿と称する是なり。 又も勤行せられしに、天より一白玉降りて、水上に浮び、我は妙見星なり。 公が請に仍りて今来下せり。 此所は我が住所にあらず、此嶺に女体の霊神いませり、此地に祝ひ奉るべし、我をして中禅寺に安住せしめば、末代迄人法を守護せしむべしと、語り畢りて見えず。 依て中禅寺に崇め奉らる。 また尊星の告によりて修法し、霊神の影向を請ひ給ふに、忽霊神化現し給ふ。 其貌天女の如く、端正美麗、金冠瓔珞を以て荘厳に飾り、其身扈従の侍女、前後を圍繞し、僮僕左右に充満し、異香紛紜として、霊神出現の尊容を拝し、心願満足す。 即崛上に社殿を造立して勧請し奉り、手書題額し「女体中宮」と云々。 道珍に室を附与し、是より道珍を以て滝尾上人の元祖とす。
[中略]
拝殿 銅葺、三間に四間、黒漆、上蔀外赤塗、縁側高欄附なり。
中門 素木造、板葺、左右玉垣、矢来の内に矢篠を栽ゑたり。
本社 巽向、銅葺、二間に三間、大床造、三扉黒塗、滅金飾、正体の額三面、鰐口三つ掲ぐ。 玉垣の内は丸小石を敷きたり。 総赤塗、向拝造、彩色彫物、高欄、二重垂木、方七八間許。
祭神 田心姫命の垂迹 本地阿弥陀仏。 鎮座は人皇五十二代、嵯峨天皇の御願所にして御造立といふ。
[中略]
本地堂 本社より西の方、二間四面、赤塗、橡葺。 弥陀・観音・勢至の三尊を安ず。 恵心僧都の作なり。

同巻之四

中宮祠[LINK]

三社権現本社 銅葺、総赤塗、南向、二間に三間、大床造、箱棟、滅金かな物、高欄彫物彩色、正面三扉、黒塗、鰐口三つ掲ぐ。 瑞籬四辺を折廻し、是も赤塗、正面と東の方に門あり。 此内庭に玉石を敷けり。 勝道上人弘仁七年教旻・道珍等を伴ひ、登山し給ひける時に、男体山の頂上にて、三神の影向を拝し給ひ、下山の時、麓に社殿を造立し給ふとあるは、当社のことなり。 是則三社鎮座の草創といふ。
[中略]
拝殿 銅葺、総赤塗、四方縁有り、五間に六間、地蔵尊を安ず。
本地観音堂 拝殿より西の方。 銅葺、赤塗、本尊千手大士立木の像、一丈六尺素木、勝道上人の作。 堂内の左右は四天王の像を安ず。 坂東十八番の札所なり。

「木曾路名所図会」巻之六

日光

○三仏堂  当山第一の大伽藍。 本尊は弥陀仏。長九尺五寸。 千手観音・馬頭観音、をのをの長八尺五寸、慈覚大師の御作也。 日光三社大権現の本地堂なり。 又堂内乾の隅に、勝道上人の御影あり。 艮の方に軍荼利明王の像あり。

○新宮大権現は八棟造にして、前に拝殿あり。 日光大権現と称し奉る。 祭神は大己貴命、本地は千手観音なり。 社は仁明天皇御宇、嘉祥年中、慈覚大師の御創建なり。

○御本社滝尾大権現  祭神田心姫命、本地は阿弥陀如来也。 向拝造の御社なり。 抑、人皇五十二代嵯峨天皇の御願にて御造営あり。 凡当山のあらたなる奥儀は、当社にとゞめたりといへり。

○御本社  拝殿あり。 祭神味耜高彦根命。 本地仏は馬頭観音なり。 大同三年、勝道上人、此所に勧請し給ふ。 当社は宇都宮と御一躰といふ。 又宇都宮の社伝は大己貴命といふ。

補陀洛山中禅寺

○立木観音堂  本尊千手観音、長一丈六尺。 ならびに四天王の像あり。 開基勝道上人、立木を其儘にて彫刻し給ふ尊像。 坂東十八番巡礼所なり。

○御本社  拝殿あり。 当社大権現は日光三社の本社にて、本地は弥陀・千手・馬頭。 延暦年中の御造立なり。

○男体山(又黒髪山ともいふ)。 此山に登るに、道巍々として積雪多く、寒風肌に徹る。  ○三社権現  山頂に立せ給ふ。 四十八日の行にて、毎年七月七日、此峰に登る。 此時、七月朔日より中禅寺別所に籠り、一七日があひだ、種々の行ありて登山し、三社を拝し奉る。

「社寺縁起伝説辞典」

二荒山神社(小林宣彦)

 『日光山縁起』は、聖武天皇の御代、有宇中将の登場から始まる。 中将は才芸忠勤優れ、帝の覚えがよかったが、鷹狩りを好み、御遊や興宴には出なかったため、帝の勘気を被り、青鹿毛という馬、阿久多丸という犬、雲の上という鷹だけをお供に、都を立ち退いていった。
 七日程で二荒山にやって来た中将は、山菅を橋として川を渡り一夜を過ごした。 さらに、那須、白河の関を越えて陸奥に入ると、立派な屋敷に着いた。 そこは朝日長者の住む屋敷であった。 中将は朝日長者に仕えようと考えたが、長者には十四歳の美しい姫君がいたので、中将は姫君に求婚し、長者屋敷で一緒に暮らすことになった。
 それから六年が過ぎ、あるとき中将は母が亡くなる夢を見て、都まで会いに行くことにする。 朝日の君は「つまさか川の水を飲むと二度と妻に会えなくなるといいますから、けっして飲まないでください」と中将に注意する。 また、帯を結んで、二人が別れることがあったら帯がほどけると契りをたてた。 そして中将は、青鹿毛・阿久多丸・雲の上だけを供に旅立つが、途中の妻離川の水を飲んでしまい、病にたおれてしまう。 中将は、都の母に宛てた文を青鹿毛に、朝日の君の宛てた文を雲の上にそれぞれ届けさせるが、ついに二荒山で客死する。 朝日の君は、帯がほどけたのを見て不安になり、中将の後を追っていると、妻離川で雲の上から文を受け取る。 そして、雲の上に返事を託して中将のもとに飛び戻させる。 また青鹿毛も都にたどり着き、文を見た中将の弟の有成少将が急ぎやって来たがすでに間に合わない。 傍らに朝日の君の文があるのを見た少将は、青鹿毛に乗って朝日の君と妻離川で出会う。 これ以後、妻離川を「あふくま川」と呼ぶようになった。
 有宇中将が亡くなって炎魔王宮に来ると、門の外に、母親と朝日の君も来ていた。 母親と朝日の君は非業ゆえに現世へ帰されることになったが、浄皰梨の鏡で有宇中将の善悪業をはかると、中将の前世は二荒山の猟師であった。 猟師とその母は山に入って暮らしを立てていたが、ある日、猟師は鹿とあやまって母を射殺してしまった。 「二荒山の山神となって世の貧窮を助けたい」という猟師の宿願を果たさせるため、炎魔王は有宇中将を蘇らせる。 猟師は有宇中将、猟師の母は青鹿毛、猟師の子は雲の上、猟師の妻は阿久多丸として生まれ変わっていたからである。 中将が蘇生した後、朝日の君は馬頭御前という御子を産んだ。 この御子は青鹿毛の生まれ変わりである。 中将は上洛して昇進し、大将となる。 馬頭殿は七歳で上洛して帝に拝謁し、十五歳で少将、その後中納言となった。
 中納言が朝日長者を訪ねたときに一夜召した女房は、男の子を産んだ。 三歳のとき、初めて中納言のもとに見参するが、醜い容貌だったので、都へは上洛させてもらえず、奥州の小野というところに住み暮らした。 小野猿丸と申し、天下無双の弓の名人であった。 有宇中将は、大将となってまもなく神となり、下野国に鎮まったが、上野国の赤城大明神と、湖水の境界をめぐって、たびたび軍を繰り返した。 日光権現(=有宇)が鹿嶋大明神と軍の評定をすると、鹿嶋神は日光権現の孫である猿丸大夫によって本意をとげるようすすめる。 そこで日光権現は猿丸をおびき寄せて合戦の助力を請い、猿丸はそれを了承する。 そして合戦が行なわれ、日光権現は大虵、赤城大明神は百足となって出現する。 敵を待ちかまえていた猿丸が矢を放つと、百足の左眼に深々と突き刺さり、百足は退却する。 日光権現の敵を退けた猿丸は、権現の御子である太郎大明神と一緒に下野国を守るため日光山の神主となる。 やがて一匹の靏があらわれ、その左の羽には馬頭観音、右の羽には勢至菩薩がのっていた。 靏は女人に変わり、「馬頭観音は太郎大明神、勢至菩薩は汝の本地である」と猿丸に告げた。 雲の上の本地は虚空蔵菩薩、阿久多丸の本地は地蔵菩薩で、青鹿毛は太郎大明神の垂迹で本地は馬頭観音、有宇中将は男体権現の化身で本地は千手観世音菩薩、朝日の君は女体権現の化身で本地は阿弥陀如来であるとする。
 また同縁起では、日光三所権現は常陸国では鹿嶋大明神としてあらわれるとするが、その理由を男体権現(=有宇)と女体権現(=朝日の君)が夫婦であったためと述べている。
 その後、太郎大明神は、下野国河内郡小寺山に遷り、若補陀落大明神と号し、朝敵の征伐に神力を発揮し、朝廷と幕府の尊崇を受けたと記す。