豊栄神社 | 埼玉県深谷市黒田 | 旧・村社 |
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現在の祭神 | 伊弉諾命・伊弉冊命 <二柱神社>・埴安姫神 <赤口神社> |
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本地 |
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赤口社
鎮守なり、 万光寺持、
末社 八幡 稲荷聖天社
是も鎮守なり、 持同じ、 本地十一面観音、
末社 天神 疱瘡神
歴史
かつてこの黒田は赤口社と聖天社の二社あった。 それは古くには地頭が二人いたためで、氏子区域も分かれていたという。 「赤口社 鎮守なり、万光寺持、末社 八幡 稲荷。聖天社 是も鎮守なり、持同じ、本地十一面観音、末社 天神 疱瘡神」と『風土記稿』にあるのも、そういう経緯によったのであろう。
[中略]
赤口社(神仏分離以降は赤口神社と改称)は、元は村の北方にある字赤口に鎮座していたが、天正十八年(1590)の鉢形城陥落の際兵火に罹り、社殿・社宝等ことごとく焼失してしまったと伝えられている。
[中略]
一方、聖天社は、妻沼の聖天宮に祀られている歓喜天の分霊を祀ったものといわれ、その内陣には陰陽石が納められている。 神仏分離によって、この聖天社の祭神は伊弉諾命・伊弉冊命に、社名は二柱神社に改められ、明治九年七月に黒田村の村社になった。
[中略]
赤口社が聖天社の境内、すなわち現在の社地に移されたのは、正保年間(1644-48)のことと伝えられ、以来、赤口社と聖天社は相並んで祀られるようになった。 本殿が両社とも全く同じ造りであるのはそのためで、幣殿には「赤口大明神・大聖歓喜天」と刻まれた文化元年(1804)の社号額も残っている。
明治三十九年十二月二十六日、赤口社は二柱神社に合祀され、二柱神社は豊栄神社と改称した。