豊栄神社 埼玉県深谷市黒田 旧・村社
現在の祭神 伊弉諾命・伊弉冊命 <二柱神社>・埴安姫神 <赤口神社>
本地
聖天社十一面観音

「新編武蔵風土記稿」巻之二百三十三
(榛沢郡之四)

黒田村

赤口社

鎮守なり、 万光寺持、
末社 八幡 稲荷

聖天社

是も鎮守なり、 持同じ、 本地十一面観音、
末社 天神 疱瘡神

「埼玉の神社 大里・北葛飾・比企」

豊栄神社

  深谷市黒田1497(黒田字宮ノ台)

歴史

 かつてこの黒田は赤口社と聖天社の二社あった。 それは古くには地頭が二人いたためで、氏子区域も分かれていたという。 「赤口社 鎮守なり、万光寺持、末社 八幡 稲荷。聖天社 是も鎮守なり、持同じ、本地十一面観音、末社 天神 疱瘡神」と『風土記稿』にあるのも、そういう経緯によったのであろう。
[中略]
 赤口社(神仏分離以降は赤口神社と改称)は、元は村の北方にある字赤口に鎮座していたが、天正十八年(1590)の鉢形城陥落の際兵火に罹り、社殿・社宝等ことごとく焼失してしまったと伝えられている。
[中略]
 一方、聖天社は、妻沼の聖天宮に祀られている歓喜天の分霊を祀ったものといわれ、その内陣には陰陽石が納められている。 神仏分離によって、この聖天社の祭神は伊弉諾命・伊弉冊命に、社名は二柱神社に改められ、明治九年七月に黒田村の村社になった。
[中略]
 赤口社が聖天社の境内、すなわち現在の社地に移されたのは、正保年間(1644-48)のことと伝えられ、以来、赤口社と聖天社は相並んで祀られるようになった。 本殿が両社とも全く同じ造りであるのはそのためで、幣殿には「赤口大明神・大聖歓喜天」と刻まれた文化元年(1804)の社号額も残っている。
 明治三十九年十二月二十六日、赤口社は二柱神社に合祀され、二柱神社は豊栄神社と改称した。