『神道集』の神々

第十 香取大明神事

香取大明神は下総国の一宮である。 本地は観世音菩薩である。
また、玉崎明神は二宮である。
香取も玉崎も同じく本地は十一面観音である。

香取大明神

香取神宮(千葉県佐原市香取)
祭神は経津主大神(伊波比主命)で、武甕槌命・比売神・天児屋根命を配祀。
式内社(下総国香取郡 香取神宮名神大 月次新嘗)。 下総国一宮。 旧・官幣大社。

『香取神宮小史』[LINK]によると、正和五年[1316]の香取古文書に「謹考旧貫、当社者神武天皇御宇十八年戊寅[B.C.643]、自立始神柱以降、至于今年正和五、一千九百五十九年也云々」と記されている。

『日本書紀』(神代紀・第九段)[LINK]によると、高皇産霊尊は葦原中国の平定のために武甕槌神と経津主神を遣わした。 二神は出雲国の五十田狭小汀(稲佐の浜)に降り、大己貴神に天孫に葦原中国を譲るよう申し入れた。 稲背脛が使者となって大己貴神の子の事代主神を帰順させたので、大己貴神は国土平定に用いた広矛を二神に献上し、国譲りに応じて身を隠した。 その後、二神はまつろわぬ神々を誅して葦原中国を平定し、高天原に戻った。

同段の一書[LINK]によると、葦原中国の平定のために武甕槌神と経津主神が遣わされ、大己貴神に「此の国を以て天神に奉らんやいなや」と問うと、大己貴神は「汝二神は是れ吾が処に来せるにあらざるか。故れ許すべからず」と答えた。 経津主神が高天原に戻って報告すると、高皇産霊尊は二神を再び遣わして「夫れ汝が治す顕露の事、宜しく是れ吾孫治すべし、汝は則ち以て神の事を治すべし」と大己貴神に勅した。 大己貴神は国譲りに応じ、身に瑞之八坂瓊を付けてお隠れになった。 その後、経津主神は岐神に先導させて葦原中国を平定した。
垂迹本地
香取大明神十一面観音

玉崎明神

玉崎神社(千葉県旭市飯岡)
祭神は玉依姫命・日本武尊。
旧・郷社。

社伝によると、景行天皇四十年[111]に日本武尊が東征中、相模国から上総国へ渡る際に暴風に遭い、弟橘媛が入水して海神の犠牲となって暴風を鎮めた。 上総国に着いた日本武尊は葦の浦(吉浦)から海路で下総国の玉ヶ崎(竜王岬)に渡り、そこで海上平安・夷賊鎮定を祈願して玉依姫命を祀った。
垂迹本地
玉崎明神十一面観音